many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

無想庵物語

2020-12-27 18:44:33 | 読んだ本

山本夏彦 1993年 文春文庫版
丸谷才一が随筆のなかで、「山本夏彦さんが好きである。」「自分の喜劇性を自分でかなりよく知つてゐて、上手に使ふ。」「文章が小気味よく、言葉の選び方がいちいち適格だからである。」てな具合でホメているので、読んでみなくてはと思った。
どれがいいのか全然わかんなかったんで、なんか有名そうなのにすることにして、この古本を夏ごろに買った、読んだの最近。
失敗した、期待してた随筆系ぢゃなかったんである。
無想庵っていうのは山本氏自身のことぢゃなくて、武林盛一という人の号であった、そのひとの生涯を書いたもの。
明治13年生まれで昭和37年に亡くなったその作家は、著者の父で明治12年生まれの山本三郎、号を露葉の友人だったという。
そんで昭和5年に無想庵が訪ねてきたとき父は既に死んでいて、中学生の著者をみて父に似ていると言われ付き合いがはじまり、すぐにいっしょにパリにつれてかれてメエゾン・ラフィットで一年くらい居候することになったという関係。
>無想庵と露葉の仲をとりもったのは酒であった。生田葵山が大酒飲み同士を飲ませたら見ものだろうと(略)(p.161)
という縁だったらしいが、仲はよかったらしい。
無想庵というひとは「希代の物識り」だったと記されている、谷崎潤一郎とか芥川龍之介より上だったとされると感心するが、幸田露伴の話し相手がつとまるとか言われても、それはちょっとどのくらいすごいのかわからないけど。
でも、あんまり書いたもののこと聞いたことないなあと思うんだが、
>無想庵は行くところがない。働くところがない。原稿を書いても発表するところがない。発表しても満足できたためしがない。人のまねはしたくない。さりとて新機軸はだせない。(p.121)
という人だったらしい、そんで若いときから酒を飲むわ遊郭に行くわという生き方。
ほかにも、「ジャーナリズムのセンスがない」とか、「武林は元来流行とは無縁の人で、流行を認めない人である」(p.306)とかって言われてて、まあ頭はよかったんだろうが、売れることはできなかったんだということか。
美男であって女好きってだけぢゃなくて、札幌の写真館の養子だけどその家土地の売買のトラブル起こしたりとか、ほんと波乱万丈。
奥さんの女性が、わをかけてムチャクチャなタイプで、ほかの男とすぐくっつくわ、目先のカネが好きだとかで、無想庵はふりまわされて、最後は別れるけど。
無想庵は晩年目が見えなくなって、それでも新しい家族に口述筆記させて「むさうあん物語」というのをつくる、これが時系列になってなくて思い出した順だからわかりにくいってことで、整理したのが本書っていうけど、それでも重複箇所いろいろあってくどく感じるのは雑誌連載のせいか。
そうそう、無想庵というのは号だけど、当時、っていうのは明治39年だが、ものを書くには号ぢゃなきゃって考えがあったらしく、一年だけ勤めた京都新聞でつけられたんだという。
明治の文章っていま読むとかなり難しいと思うんだが、気になったことには、著者自身は父露葉の影響で、
>私は半年かかって父の書き残した新聞雑誌の切抜と四十巻にあまる日記全部を読んでしまっている。明治の語彙のほとんどをおぼえたつもりでいる。
>(略)私の父はなるべく江戸時代から伝統のある言葉しか使わなかった。また明治時代からある料理屋にしかあがらなかった。(p.259)
とあるんで、そういうひとが昭和に何をどう書いたんだろうと思うと、やっぱ他のものももう少し読んでみたくなった。
(まあ、明治の語彙と江戸の伝統の言葉にくらべれば、料理屋の格式は関係ないんだけど、なんか勢いで抜き書きしてしまった。)
どうでもいいけど、本書のなかに、
>ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではないという私の大好きな諺がある。(p.311)
ってとこがあるんだけど、初めて聞いた、それ。

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神罰

2020-12-26 18:13:32 | マンガ

田中圭一 二〇〇二年 イースト・プレス
まえに『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』を読んだら、このマンガが紹介されていて、とても気になった。
いわく、著者は某有名オモチャ会社につとめている兼業作家だとか、何度読んでも笑えるギャグマンガだとか、「手塚タッチ」を完全に自分のものにしているとか。
ほんとは『ドクター秩父山』ってのに興味があったんだけど、ちょっと見つからないし、何冊にもなりそうなので、とりあえずこの古本を先月買った。
サブタイトルが「田中圭一最低漫画全集」っていう、いいねえ、そのセンス。
なるほどって感じの手塚風キャラによる、ページ数としては短めのマンガの数々なんだけど、なかみはお下劣ギャグなので、健全な青少年は読んぢゃダメよという感じだが、しょうもないおもしろさ。
順に読んでって、「近未来しげのぶ」までいったところで、あれ、この感じは読んだことあるはずだぞ、と気づいた。
えーと、ってウチの本棚を探したら、あったあった、『コミック・キュー』、うちには1~3巻までしかないけど、毎号載ってました、田中圭一。
一度も読んだことない人と思ってたのに、実は読んでたんだから、いいかげんだなあ、私の記憶力というか鑑賞力。
収録作は以下のとおり。「巻末対談・しりあがり寿×田中圭一」もありますが、「あとがき」まで行って気づいたんだけど、カバー裏にカラーマンガが収録されてるって、おもしろいつくりで、実はそのマンガがいちばんおもしろかったりした、たまらん。
視線無情
泥棒
ティズニー部分
愛のイき先
乙女バズーカ
プリティ椎名りんご姫
近未来しげのぶ
魔狩人
未亡人あや
女課長 水田しのぶ
トクラ
りる★ドラゴン
新・昆虫物語 ピースケ大逆転
ウィニング・ホイッスル
私をツキまでつれてって
ましゅまろぼんばぁ 超みゆきちゃん
局部くん
実録!! 最悪の日 ビワくらべ
神は天にいまし世はすべてこともないわきゃあない

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銃・病原菌・鉄

2020-12-20 18:04:30 | 読んだ本

ジャレド・ダイアモンド/倉骨彰訳 2012年 草思社文庫版(上・下巻)
ことしの夏ごろだったか、著者がインタビューにこたえてるテレビ番組みて、興味もったんで9月だったかな古本を買ったんだが、例によって例のごとく、しばらくほっぽって積ん読になってた。
そしたら、こないだ読んだ丸谷才一の『ゴシップ的日本語論』のなかに、「ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』のこの箇所を文部省の役人のなかの何人が読んでゐるか、とぼくは思ふ。」って一節があって、早く読まなくてはと思い、最近やっと読んだ。
ちなみに、丸谷さんが指摘しているのは、アメリカで発明されたトランジスタ技術が地理的に遠い日本で花開いたのはなぜか、「それが文字を読み書きできる人びとの国だったからである」ってとこ、日本語教育ちゃんと考えろよという話。
まあ、日本のトランジスタ技術はさておいて、とりあえず
>本書のタイトルの『銃・病原菌・鉄』は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである(上巻p.147)
とあるとおり、主題は人類の歴史のそのへんのこととなる、一万三〇〇〇年前に始まった人類のうち、どうしてヨーロッパ人がアメリカやオーストラリアの先住民より優位に立ったか、って話。
刺激的でたいへん面白いから、とっくに読めばよかったな、原題「GUNS,GERMS,AND STEEL The Fates of Human Societies」は1997年の作品、日本語版は2000年に発行。
なんで、全世界に分布している人類は、大陸ごとに違う進歩のしかたをして、いまの富の分配の形になっちゃったのか、オーストラリアやアフリカやアメリカの先住民たちがヨーロッパに遠征して虐殺とか征服とかをするっていう、逆の流れになんなかったのはどうしてか。
そりゃヨーロッパ側が銃持ってて、アメリカ大陸側が持ってなかったからでしょ、で終わらない、ぢゃあ何でヨーロッパが銃持ってアメリカが持たないことになったのと。
(ちなみに、スペイン人がインカ帝国を制圧したとき銃は12丁しかなくて連射もできないやつだから、銃よりも鉄のほうが重要だったという、鉄製の剣でインディオを惨殺できるし、インディオの棍棒での攻撃は鉄兜や鉄鎧には効かなかったと。)
そこで、まちがってもカン違いしちゃいけないのは、人種としてヨーロッパのほうが優秀だったから、とかって理由ぢゃない、と説くのが本書のテーマになってる。
キモは食料生産だという、それも15世紀時点で何をつくって食べてたのかとかってことぢゃなく、ユーラシア大陸の「肥沃三日月地帯」(メソポタミアとかの南西アジアのとこ)では植物の栽培化が始まったのが紀元前8500年、動物の家畜化始めたのが紀元前8000年、それに対して中央アメリカでは植物の栽培化が紀元前3000年、家畜は紀元前500年、とかって気の遠くなるようなスケールでの話だ。
狩猟採集生活ぢゃなくて食料をつくり始めると、余剰分ができるんで人口多くやしなえる、移動ぢゃなくて定住生活始めると人口は増える(移動生活だと幼児は足手まとい、定住だと次の出産が早くなるんだと)。
食料多いと、直接食料の生産の仕事をしないで済む専門的職業につくひとが存在することができる、官僚みたいな人とか組織ができりゃ政治的にも発展する。
人の数が増えてくうちに、競合したりする社会が近くにいっぱいできてくると、技術とか発明とかってのが出てきやすくなるし、文化ってのは伝播していくもんだと。
で、なんでそれがユーラシア大陸のそのへんで起きたかっていうと、野生の植物で人が栽培・改良しやすいやつとか、野生の動物で家畜にしやすいやつが多かったという環境のせいだという。
>現に私の知るかぎり、肥沃三日月地帯の住民に生物学的に何か特別なところがあって、それが食料生産をはじめるにあたって助けになったという主張をまじめに展開する学者はいない。肥沃三日月地帯における食料生産のはじまりは、気候や環境、そして野生動植物の分布状況などの面から充分説明できることは見てきたとおりである。(上巻p.260)
ということで、そこ住んでた人が優れてたんぢゃなくて、動植物がよかったということだ。
ムギとかマメとか、実として食えるとこの保存がきく一年草が生えてたんで、都合のよさそうなのを増やそうとしてうまくいったわけだ。
牛、豚、馬、羊、山羊といった動物がいて、それは食べるのもいいけど、労働力として使えば農業がまたパワーアップできたし。
それに対して、オーストラリアとかアメリカは大きい哺乳類は絶滅しちゃったので家畜がいない、動物絶滅したのは人間が関わってる可能性もあるけどね。
アフリカも種類いっぱいいるけど飼って繁殖させられるタイプはいなかったと。シマウマはねえ、ダメなんだよね、気が荒いらしくて。
そうそう、なんつっても馬の存在は大きいんだと馬好きの私としては再認識させられた、戦争するのにだって馬を使える人たちは遠くまで行けるし、反撃される前に逃げ帰るスピードだって速いから、有利。
で、なんでユーラシア大陸で植物の栽培とか動物を家畜とすることが広がっていったかの理由で、もうひとつ重要なのが大陸が東西に長いからだと説明する。
どっかで作られることになった植物をよそに持ってったときに、東西に行くぶんには緯度が同じなんで、季節の降水量とか日照時間とかが似たようなもんだから、同じノウハウで同じ収穫が得られる。
それに対して、南北アメリカ大陸とアフリカ大陸は南北に長いんで、暑いとこと寒いとこぢゃ条件全然違うんで同じような栽培できないし、パナマあたりで陸が途切れてたり、ジャングルがあったり、サハラ砂漠があったりで、なかなか大陸全体に伝わっていかないという。
>南北アメリカ大陸の発展が遅れてしまった原因でもっとはっきりしているのは、家畜化できたり栽培化できたりする野生動植物がこの大陸にあまり存在していなかったことである。(略)南北アメリカ大陸では、家畜化可能な哺乳類がほとんどいなかったことが部分的にわざわいして、肥沃三日月地帯や中国で誕生したような、狩猟採集生活と競合可能な食料生産システムが誕生しなかった。(下巻p.294)
ということで、あっさり言われてしまうと、そうなのかと。
家畜でもうひとつ大事なのが、病原菌にそれがつながるということで。
天然痘は牛由来、インフルエンザは豚由来みたいなとこで、家畜として動物が近くにいると、いろいろ病気が人間にも生じてくる、だけどそのうち免疫を獲得してく。
そういう人間が、家畜のいないアメリカ大陸に乗り込んでって先住民と接触すると、免疫とか抵抗力とかない相手はバッタバッタと死んでいくと。
最近の調査研究ではヨーロッパ人が入り始めたときのアメリカ大陸には2000万人の先住民がいたが、その後200年もたたないうちに95%減の100万人になってしまったが、それは病原菌に感染したせいだという、すごい威力。
そういうふうに銃も病原菌もすごいんだけど、タイトルには入ってないもので、やっぱ情報ってのも大事。
スペインのインカ侵略について、
>ありふれた言い方になるが、(略)数多くのアメリカ先住民の指導者たちがヨーロッパ人にだまされてしまったのは、スペイン人に関する詳細な情報を得ることができなかったからである。(略)
>読み書きの伝統を持つスペイン側は、書物などから情報を入手して、ヨーロッパから遠く離れた場所の同時代の異文化や、何千年間のヨーロッパの歴史について知っていた。ピサロは明らかに、コルテスの成功した戦略を学んでアタワルパを襲撃しているのだ。(上巻p.145-146)
ということで学習した知識があったから勝ったと解説してくれている。
大航海時代ってのは、ほかのひとがどうやって海わたってどこかへ行ったかってのを、航海日誌がどんなもんだったか知らんが、読んで知識として広がってくことができたからヨーロッパ側が強くて、同じ大陸の隣の国で何起きたか知らないアメリカ側はやられてしまったわけだ。
あと、多様性も大事、いろいろ文化を生み出すのもそうだけど、当時のヨーロッパは国家がいろいろあったのもチャレンジにつながってる、コロンブスは何人もの王様に断られたけど最後にはスポンサー見つけることができたのは群雄割拠のおかげ。
これと比較しておもしろいのは、中国で、もともと羅針盤とか火薬とか紙とかいろいろ発明したのは中国なのに、なぜいち早くアメリカとかアフリカとか進出して、世界の覇権を握ることになんなかったのかと。
それはだいぶ古い時代から統一国家になってしまっていたからで、最先端の航海技術なんかがあっても、どっかの代でときの皇帝が海外渡航禁止って宣言しちゃえば全部ストップしてしまう、で、一度失われると再開するのむずかしい。
産業革命なんかもホントは中国で起きたかもしれないのに、どこかで統一国家だからこそ止めてしまったのかもと想像すると、なんか歴史って不思議だなと考えてしまう。
コンテンツは以下のとおり。
プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの
第1部 勝者と敗者をめぐる謎
 第1章 一万三〇〇〇年前のスタートライン
 第2章 平和の民と戦う民の分かれ道
 第3章 スペイン人とインカ帝国の激突
第2部 食料生産にまつわる謎
 第4章 食料生産と征服戦争
 第5章 持てるものと持たざるものの歴史
 第6章 農耕を始めた人と始めなかった人
 第7章 毒のないアーモンドのつくり方
 第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか
 第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか
 第10章 大地の広がる方向と住民の運命
第3部 銃・病原菌・鉄の謎
 第11章 家畜がくれた死の贈り物
 第12章 文字をつくった人と借りた人
 第13章 発明は必要の母である
 第14章 平等な社会から集権的な社会へ
第4部 世界に横たわる謎
 第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー
 第16章 中国はいかにして中国になったのか
 第17章 太平洋に広がっていった人びと
 第18章 旧世界と新世界の遭遇
 第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか
エピローグ 科学としての人類史

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使いみちのない風景

2020-12-19 18:21:55 | 村上春樹

村上春樹=文/稲越功一=写真 1998年 中公文庫版
これは10月になんとなく古本を探しにいったときに、たまたま見つけた文庫。
村上春樹のものはだいたい読んだと思っていたんだが、これは存在を知らなかったんで、なんだろうと思った。
最近のものぢゃなくて、単行本は1994年だという、知らなかった、うーん、そのころ本読むのにはうかつだったかも。
エッセイということになるんだろうが、文章が半分、写真が半分って構成で、文章はびっしりぢゃなく一ページに数行って感じ。
旅行が好きなわけぢゃないという自覚がありながら、あちこち移り歩いているのは、定着できる場所を探してるのかも、ってなことで旅について語ってる『使いみちのない風景』。
ある場所で目にした、ちょっと印象に残るような風景、そっから物語が始まるかも、と思わせといて何も始まらない、どこにも行かない、そういうのが「使いみちのない風景」として自分のなかにあるんだそうだ。
『ギリシャの島の達人カフェ』は、ギリシャに住んだときに、港のカフェで何もすることのない老人たちがいるって話で、「村上朝日堂」のどれかにそんな話があったんぢゃないかと思う、『ノルウェイの森』を書いている時期のこと。
『猫との旅』の書き出しはすてきだ、
>僕が昔から抱いている夢のひとつに、旅行好きの猫を飼うというのがある。(p.134)
だなんて言って、猫をつれて世界中を旅して、バーにも一緒に行って、自分はビール、猫にはミルクを頼むとか、いい趣味の妄想だ。
でも、それは夢であって、実際には旅行が好きな猫なんていないと嘆く、なんでだろう、猫は人になつくよりも場所にいつくみたいなことはよく言うけどね。
キンツェム(1876年からの4年間で54連勝した偉大なサラブレッド)が連れてた猫は旅行好きだったのかなあ。

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Chains

2020-12-13 18:13:05 | 荻野目ちゃん

荻野目洋子 1997年 ビクターエンタテインメント
12月は私のアイドル荻野目ちゃんの誕生月であって、10日を中心になんだかんだと聴こうとする機会が多かったりする。
これは1997年のアルバムで、当時は私もいちばん熱心といっていいくらい仕事とかしてた時期ぢゃなかったかと思うんだが、出てすぐ買って聴いたはずだよ。
(結果的には、このあと、しばらく荻野目ちゃんのアルバムとかは出なくなる。)
んー、でもねえ、初めてきいたとき、これ、いまひとつ、いいなあって思えなかったような気がする、その後の繰り返し聴き度合いも他のにくらべてすこし少ない。
なんかねえ、おとなしいというか、荻野目ちゃんのうたが抑え気味な感じがして、ちょっと。
簡単にいうと、わたしがもっと若いときよくやったような、車のなかで聴いててこの曲かかるとアクセル踏んぢゃう、みたいなのがない。
いま聴いてもそうは思う、もっと強くのびていくボーカルを響かせてほしいんだよね。
でも、これはこれでよい、ってトシいくと思えるようになっている。
どっちかっていうと、灯りおとした部屋で酒飲みながら、って状況で流れてたりすると心地いいんぢゃないかという気はするが。
1.The Cheeping Of Birds
2.Sunshine
3.LOOK UP TO THE SKY
4.NEVER CRY LIKE A RIVER
5.LOST HIGHWAY 
6.触って そっと 口づけして
7.RAINBOW CHAMELEON
8.Make It On My Own(Extended Mix)
9.NATURAL WOMAN
10.from my Garden
11.Fly Me To The Air
12.Make It On My Own(Murphy's Club Mix)

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