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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

扇子が当たった(ほかのことも)

2024-07-26 18:14:27 | Weblog
毎年恒例のプレゼント企画に応募したら、ことしは扇子が当たった。(2年前には色紙が当たった。

使うかどうかはわからんが、こういうの持ってるだけでもうれしい。
これは単に応募したのの抽選だけぢゃなく、まぐれでも一応正解当てないともらえないので、そこちょっと達成感はある。
(抽選はずれたかと思ってたけどね、正解したのが5月19日、当選のお知らせきたのが6月12日。)

ちなみに、以前2017年にも当たったことある。

(ここへ書いたと思ってたんだが、書いてなかった。)

どうでもいいけど、この夏は扇子が届く2週間ほど前に、これは前触れなしに、初めて当たったものがいきなり届いて、軽くおどろいてた。

べつに(扇子とちがって)そんなにほしいとも思わないものだったが、くれるものはありがたくもらっとく。
(これはただの運だけ。)

それよか、この夏いちばんおどろいたのは、扇子届く1週間ほど前の暑い日に当たったやつ。

猛暑日の私の定番、ガリガリ君の当たりだ!
これがいちばんラッキーなんぢゃないかという気がした。(金額の問題ではない、たぶん人生初だから。)
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ウィーン世紀末文学選

2024-07-19 19:00:09 | 読んだ本
池内紀編訳 1989年 岩波文庫
これはことし5月に買い求めた古本の文庫、ごく最近読んだ。
世紀末ったって、もちろん20世紀の末ぢゃないですよ、1890年代からナチス・ドイツによるオーストリア併合くらいまでの時代のもの。
読んでみようとおもったのは、丸谷才一さんの『人魚はア・カペラで歌ふ』のなかでホメられてたからで。
そこでとりあげられてたシュニッツラーの「レデゴンダの日記」は1909年の作品で、レデゴンダは女性の名前。
夜の市立公園で作家に話しかけてきたドクトル・ヴェーヴァルトの語る話、連隊大尉の夫人レデゴンダにひとめぼれしたけど、近づきになる機会がない。
勇気を出して話しかけていたらどうなってたろうと、つぎつぎと空想を楽しんで、それで満足してたんだけど、いよいよ連隊が街を離れる日が近づく。
そんなとき夫である騎兵大尉がやってくるんだが、レデゴンダの日記を持ってきたんだという。
うーん、丸谷さんがいう「ただ吐息をつくしかない」ってほどの感想はもてなかったけど、こういうのがロマンなんだって言いたい時代のものってのはなんとなくわかる。
それよか、
>役所には、いろいろな仕事があった。
>たとえばである、シャイブスの町は執拗に、週のうちにもう一日、木曜日を認可してほしいと請願してきているのである。シャイブスの市民たちが、またもや欲ばったことを願い出たのに当局はあきれはてた。つい先だっても町名にもう一つのbを――つまり、これまでの Scheibs を Scheibbs と表記する特権を――認可したばかりではなかったか。(p.129)
という始まりからして不思議さにひきこまれる「シャイブスの町の第二木曜日」なんかのほうがおもしろいと感じた。
あと、並外れてトランプ好きで山のように借金があるルドルフ・フォン・シュティルツ伯爵の物語「すみれの君」もいいなあって思う、貴族の時代のおわりって感じがして、時は1914年だけどまさに世紀末が描かれてるって雰囲気がなんとも。
でも一読したなかでいちばん気に入ったのは、オーストリア鉄道の駅長の物語「フォルメライヤー駅長」ということになるかもしれない。
ウィーンから南に二時間たらずのL駅の駅長フォルメライヤーは妻と双子の娘と暮らしていたが、1914年のある日、列車事故で運びこまれてきた女性に心を奪われる。
ウィーンからメラーノへの旅行の途中だったロシア人のヴァレヴスカ伯爵夫人は、彼の寝室を使って安静にしていたが七日目には旅立った、去ったあとも駅長は彼女を忘れられない。
やがて戦争が始まって国家総動員令が発せられると、フォルメライヤー駅長は軍務について戦場へ出て戦った。そして戦いのあいまにロシア語の勉強を始めた。すべてはロシア領土へ入って伯爵夫人に再会するためだった。
こういう物語のほうが、夢かうつつかわかんないモノローグ聞かされるとかより、好きだな、私ゃ。
(※2024年7月21日付記 「フォルメライヤー駅長」は、前に読んだロートの短篇集『聖なる酔っぱらいの伝説他四篇』のなかに入ってました、すっかり忘れてました。
収録作は以下のとおり。どの作品にも1ページ大の絵が入ってて、それがクリムトとかその時代のものらしいのがいいですね。
「レデゴンダの日記」シュニッツラー
「ジャネット」バール
「小品六つ」アルテンベルク
「バッソンピエール公綺譚」ホフマンスタール
「地獄のジュール・ヴェルヌ/天国のジュール・ヴェルヌ」ヘヴェジー
「シャイブスの町の第二木曜日」ヘルツマノフスキー=オルランド
「ダンディ、ならびにその同義語に関するアンドレアス・フォン・バルテッサーの意見」シャオカル
「オーストリア気質」フリーデル
「文学動物大百科(抄)」ブライ
「余はいかにして司会者となりしか」クー
「楽天家と不平家の対話」クラウス
「すみれの君」ポルガー
「落第生」ツヴァイク
「ある夢の記憶」ベーア=ホフマン
「フォルメライヤー駅長」ロート
「カカーニエン」ムージル
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プラネタリウムのふたご

2024-07-12 18:46:05 | 読んだ本
いしいしんじ 2006年 講談社文庫版
これはことし5月の古本まつりでたまたま見つけて買ってみた文庫。
前に読んだ『ぶらんこ乗り』がなんつってもおもしろかったんで、どんな話なのか予備知識はなんもないが期待してもいいだろと思って、読んでみたくなったもんで。
物語はタイトルのとおり、ふたごについて、山間の村にあるプラネタリウムの客席で泣いてるとこを見つけられた、捨てられてた赤ん坊。
テンペルタットル彗星の解説中に拾われたんで、ひとりはテンペル、ひとりはタットルと呼ばれるようになった男の子のふたご、ふたりとも髪の毛が光の当たりかたによっては銀色に見える。
拾ったプラネタリウムの解説員は「泣き男」と呼ばれてる、村には赤ん坊を引き取ってくれる施設もないし、しかたなくふたごを育ててくことになる。
外国資本のおもに紙製品をつくる化学工場くらいしか産業がないその村に、なんでプラネタリウムがあるのかわかんないけど、人々にとっては定番の娯楽になってる場所らしい。
どうでもいいけど、私はプラネタリウムって行ったことないんだが、この物語の解説員みたいな話が聞けるんだったら、一度行ってみてもいいかなって気はする。
ふたごは成長してくとちょいと独特なキャラになってきて、べつにそんなワルではないんだけど、学校の先生なんかにはきらわれたりする存在になっちゃう。
そして、ふたりが14歳の夏に、村に魔術師テオ一座って手品ショーが興行にきたのをきっかけに、運命がころがり始めちゃう。
村の北側の山にはクマがいる、猟師は昔からのしきたりを守って山へ入ってくとかって話がからんできたりすんだけど、そういうのがなんか魅力ある。
>だまされることは、だいたいにおいて間抜けだ。ただしかし、だまされる才覚がひとにないと、この世はかっさかさの、笑いもなにもない、どんづまりの世界になってしまう。(略)
>「ひょっとしたら、より多くだまされるほど、ひとってしあわせなんじゃないんだろうか」
>とタットルはおもった。(p.367)
とか、
>「ほんものを見る、ってのもな、むろん大切なことだよ」
>泣き男はつづけた。
>「でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たったいま誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころからしんじられることだ。そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」(p.420)
とかってフレーズが、印象に残ります。

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世界短編傑作集2

2024-07-05 18:14:01 | 読んだ本
江戸川乱歩編 1961年 創元推理文庫
前に読んだこのシリーズの第1集といっしょに買っといた古本の文庫、読んだのは最近。
時代の順に作品選んでって編まれてるシリーズの第2集は、1907年から1923年の作品が収録されている。
かの有名なアルセーヌ・リュパンもいる、子どもんとき児童版でけっこう読んだんだけど、ここに入っている「赤い絹の肩かけ」ってのは初めて読んだ。
あと「ギルバート・マレル卿の絵」って、走ってる列車のなかから貨車一両だけを抜き取るって話なんだけど、子どもんときそのアイデアだけを図説紹介されてるのを何かの本で見たことあったんで、おお、これがその元の小説なのかーって、読んでちょっと感慨あった。
そんで、その話もそうなんだけど、なぜか本書の後半はややこしい仕掛けに重きをおいてるような話が多くて、巻末解説によると「機械的トリックはこの時代に盛んであった」とあるんで、そういう時代だったんかと思った。
だけど、私としては、あんまりおもしろいと思わないんだよね、物語っていうよりも、どうだー、こーんな奇想天外なトリック考えたぞー、おまえらには想像できまいー、みたいなこと言いたいのかって感じがしちゃってね。
登場人物のキャラクターがおもしろいかとか、その言動にユーモアがあるかとか、そのへんが感じられないと、読んでくうえでの楽しさというか、先を読みたくなるリズムがでてこないんで。
収録作は以下のとおり。へたにスジを書こうとするとネタバレしそうなので、物語の序盤のうちから引用して何の話だったかのメモとしとく。

「赤い絹の肩かけ」 L'Echarpe De Soie Rouge(1907) モーリス・ルブラン
>「そこで、ぼくは、これらの証拠品が物語っている事件を要約して、こう断言する。ゆうべ、九時から真夜中のあいだに、はでな身なりをした女が、短刀で刺されて、それからあと、首を絞められて死んだ。犯人はりっぱな服装をし、片眼鏡をかけた、競馬場に出入りをする男で、その直前、いまいった女とメラング菓子を三つとエクレア菓子をひとつ食べ、コーヒーをのんだ。まずはこういったところさ」(p.18)
アルセーヌ・リュパンがガニマール警部を前に、橋から川に投げ込まれた新聞紙に包まれた、長い糸切れが結んであるインキつぼとか、ガラスの小さな破片とか、ボール紙の箱のようなものとか、緋色の絹の小切れと同じ材料のふさ、といった品物から、自分の推理を滔々と述べるところ。
これって、シャーロック・ホームズが「これは他殺事件で、加害者は男です。身長六フィート以上の壮年、身長に似あわず足が小さくて、先の角ばった靴をはき、インド産のトリチノポリ葉巻をすう男です。ここへは被害者といっしょに、四輪の辻馬車できたが、その馬は三個はふるいけれど、右の前脚だけは新しい蹄鉄をつけている」(『緋色の研究』新潮文庫p.48)ってやったりするのを、おちょくってんぢゃないかなって気がする、リュパンのほうがすごいぞって。

「奇妙な跡」 Die Seltsame Fährte(1908) バルドゥイン・グロルラー
>九月の土曜日、気持ちのいい朝のことだった。午前六時というのに、ダゴベルトは召使に呼び起こされた。友人である工業クラブ会長アンドレアス・グルムバッハが、大至急に来てくれという緊急の伝言をダゴベルトによこしたのである。殺人があったのだ。(p.49)

「ズームドルフ事件」 The Doomdorf Mystery(1911) M・D・ポースト
>ランドルフとアブナー伯父は、そこで馬を降りた。鞍をはずして草を食わせに馬を話してやった。ズームドルフとの会談は、おそらく一時間ぐらいはかかるだろう――、ふたりは、けわしい小道を断崖の上へとよじのぼっていった。(p.68)
これ、「アブナー伯父」って18編からなる短編集で主人公をつとめてる有名なキャラクターなんだそうである、私は全然知らんかった、友人のランドルフは治安判事。

「オスカー・ブロズキー事件」 The Case of Oscar Brodski(1912) R・オースチン・フリーマン
>「でも、なぜまた、あの魔法の箱などご持参なんで?」ボスコヴィッチは帽子棚をちらと見あげながらきいた。
>「どこかへ行くときは、いつだって、あれを持って出かけるんだよ」ソーンダイクは答えた。「どんなことにでくわすかわからんものね。緊急なばあい、道具が手もとにある安心にくらべると、持ち運びのめんどうなんか、なんでもない」(p.116)
これは倒叙形式の推理小説、はじめの「I 犯罪の過程」で犯罪がいかに行われたか事細かく語っちゃっておいて、「II 推理の過程(医師クリストファー・ジャーヴィスの談話)」で緻密な観察分析を通して真相に迫っていくさまを描く、ソーンダイク博士は箱の中に試験管、薬剤、小型顕微鏡などを入れて持ち歩く、科学者探偵。

「ギルバート・マレル卿の絵」 Sir Gilbert Murell's Picture(1912) V・L・ホワイトチャーチ
>「そいつがさ、昨夜、ディドコットを発車したウィンチェスタ行きの貨物列車があるんだが、そのうちの貨車が一両、このニューベリーに着いていないらしいのだよ」
>「それだけじゃたいしたこともないね」とヘイズルは、あいかわらず『体操』をやりながら答えた。(略)
>「たぶん、なにかのまちがいで、側線にでも残されたんだろう」とヘイズルは答えた。
>「だが、駅長の話では、沿線の各駅にはみんな電話をかけたが、どこにもそんな貨車はないということだよ」(p.164)
行方不明になった貨車に積まれていたのはギルバート・マレル卿の所蔵品で高価な大きな三枚の絵。

「好打」 The Sweet Shot(1913) E・C・ベントリー
>「いいや、わたしは、当時たまたま海外にいましてね」とフィリップ・トレントは言った。「英国の新聞を見る機会がなかったので、今週、こちらへ来るまで、あなたの怪事件については、なにも聞いていませんでした」
>ロイデン大尉は小柄で、やせぎすで、褐色の顔をした男だったが、自動電話機を分解するというデリケートな――禁じられた――仕事にとりかかっていた。そして、いま、仕事の手を休めて、たばこつぼに手をのばした。ケンプスヒル・クラブハウスにある、大尉の事務室の大きな窓からは、その楽しいゴルフ・コースの第十八グリーンが見わたされた、大尉の目は、思い出をたぐりながら、向こうの、はりえにしだの茂ったスロープをさまよっていた。(p.187)
これ、主人公の探偵は「トレント最後の事件」って長篇で名高いんだって、私は読んだことないし知らなかった。

「ブルックベンド荘の悲劇」 The Tragedy at Brookbend Cottage(1914) アーネスト・ブラマー
>「マックス」パーキンスがうしろでドアをしめると、カーライル氏が言った。「きみが会うことを承知したホリヤー大尉がおいでになったよ」
>「お話をきこうといったのだよ」カラドスは、前にいる、健康そうな、どこか戸惑いしたような、未知の男の顔のほうへ、まっすぐに向きなおって微笑しながら、カーライルの言葉を訂正した。「ホリヤーさんは、わたしが目の見えないことをごぞんじでしょうね」(略)
>ホリヤー大尉の話の大要は、次のようなものだった。
>「わたしには、ミリセントという姉があって、クリークという男と結婚しています。姉は現在二十八歳で、クリークは少なくとも十五は年上です。(略)(p.213-214)
マックス・カラドスは盲人のいわゆる安楽椅子探偵、すごい有名で短篇は人気あるらしいんだけど、またまた私は読んだことないし知らんかった。

「急行列車内の謎」 Mystery of the Sleeping Car Express(1920) F・W・クロフツ
>一九〇九年の秋に英国にいた人なら、北西急行列車がプレストンとカーライルの中間にさしかかったさいに車内で起きた恐ろしい惨劇のことを、記憶にとどめておられることと思う。当時あの事件は大きな注目を浴びたものだったが、それは、事件そのものが関心をひく性質のものだったせいだけでなく、あの事件が絶対的な不可解性に包まれていた点が、なおそれ以上に大きな原因になっていたのである。(p.255)
寝台列車の個室という密室での殺人事件が起きる、乗客乗員を事情聴取したなかには容疑者らしいのはいないし、彼らの証言から犯人が誰にも見られず車室から逃げ出せたわけはないし、で迷宮入りになる。最後、犯人の供述って形で真相語られるんだけど、それって種明かしの説明をしたいだけで書いてんぢゃないのって気がして、なんかおもしろくない。

「窓のふくろう」 The Owl at the Window(1923) G・D・H&M・I・コール
>ダウンシャー・ヒル殺人事件は(新聞はあの事件をそう命名した)は、一九二〇年五月のある日曜日の朝、わたしたちの国の風土が、夏はどのように作るべきものかを、しんじつ知っていることを示そうと試みたかとも思われるような、さわやかなある朝、九時半すぎに発見された。ニュー・スコットランド・ヤードのヘンリ・ウィルスン警視は、友人のマイクル・プレンダガスト医師と連れだって、ハンプスティッドのダウンシャーヒルのあたりを散歩していた。(p.297)
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