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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

今日のミトロジー

2023-10-26 18:28:32 | 中沢新一

中沢新一 二〇二三年一月 講談社選書メチエ
これは7月ころに、ふと見つけて買った、わりと新しいもの、最近になってやっと読んだ。
タイトルみて、おもしろそうだと思った、『人類最古の哲学』とか著者の書くもので神話学にからむものは刺激されるものが多いからねえ。
初出は2021年からの「週刊現代」の連載エッセイらしい、だからかあんまり難しくなく読みやすい部類な感じする。
序文に、
>私も現代の日常生活に侵入し、たしかな場所を得ているミトロジー(神話)について、規則的に考察しようと試みた。(略)
>素材の多くが現代日本の日常生活から取られていることもあってか、私はこの仕事をつうじて、この国の文化がかなりの深い層にいたるまで、ミトロジーによって影響を被っているという事実を観察して、いまさらながらの驚きを感じた。いやこの国の文化そのものが、深層においてミトロジーを土台になりたっているのかもしれない。(略)
>日常生活から取り出された何気ない素材の中に、深遠な人類的主題が隠されていることを、私はこの本で示そうとした。(p.1-4)
とあるように、日常にみられるできごとを採りあげて、そこに深い意味があることを発見していく、意識してなかったことを考えさせられる。
そういうのって、たのしい、「この事象の背後にはなにがあるかなんて、そんなややこしいこと、わざわざ考えないよ」ってとこ、考えるのが哲学ってもんぢゃないだろか。
オリンピックのスケートボードをみて、
>スケーターたちは、路上パフォーマーと同じように、市民の日常生活をなりたたせている有用な行動の「文法」を、ひっくりかえしてみせ、自分の身体とそうやって無用になった「もの」を使って、日常の外にある「美」を、短時間だがこの世に出現させようとするのである。こういう美には、しばしば「ポエジー」が宿ると言われてきた。(p.16)
とかって、ふつう考えないもんねえ、そこまで。
たとえば、ウルトラマンは単純な正義でも悪でもないってことを説明するのに日本神話のスサノオを出してきたりとか。
20世紀に宇宙開発競争してたときに、ロケットに乗りこませる動物としてソビエトは犬を選んだけどアメリカはチンパンジーを選んだのは、両国家におけるミトロジー的思考の質の違いによるものだとか。
卑近な例を提示されて説明つけられると、そうなのぉ、そういうもんかぁ?とか思うんだが、そこでときどき、
>(略)宇宙開発とは未知だった領域を既知の世界に回収していくことであり、そこで人間は新しい存在に生成していくのではなく、元の人間のままで、未知だった領域を自分のよく知っている世界に組み込んでしまうのが、宇宙へ出ることの意味だと理解されるようになった。初期には、「創造的」であることをめざしていた宇宙開発は、しだいに未知を既知のなかに引き戻していく「還元主義」の行為に変容してしまった。(p.53)
みたいに、なんかそれらしい理論のようなものが語られるから油断できない、よく整理された結論を与えられるとひと(私)は安心してしまうのである。
ほかにも、ビル・ゲイツが離婚の理由として、このまま一緒にいても成長できないからって言ったのを受けて、このひとは夫婦愛でも成熟させるんぢゃなくて資本主義的に成長させなきゃいられないのねってとこから、「成長のミトロジー」を説明してくれるとこはおもしろい。
>一万年ほど前の中近東で起こった「農業革命」とともに、人類の脳に成長の主題が組み込まれたのである。
>(略)農業の始まりによって、大地に蒔いた種は何倍にも増え、富は増えて戻ってくることを知った。
>このとき成長のミトロジーの原型が生まれた。以来数千年もかけて、このミトロジーは確実な発達をとげていき、ついに近世のヨーロッパに、究極の増殖世界の実現をめざす「資本主義革命」を起こした。いまや、人類の脳は、成長し増殖する世界をあたりまえのものとして思考する、増殖脳という強力なフィルターをとおして、世界を認識している。(p.56-58)
って、増殖脳がセットされてるから、成長しなくちゃって意識から逃げらんないっていうんだけど、なんとなく『サピエンス全史』とか思い出させられた。
あと、なんで鉄道乗るのが楽しいんだろねって題材で、
>乗り鉄の人々は、自動車が与える自由なドライブの感覚よりも、座席に居場所を制限されたまま、決まった線路の上を決まった時刻どおりに走っていく、鉄道の不自由のほうを愛している。(略)
>鉄道愛好者の多くは、自動車が与えてくれる自由の体験は、ほんものの自由ではないと考えている。それは個人の小さな意識の生み出す、小さな自由の感覚にすぎない。そういう自由を否定して、鉄路が定めるより大きな「法(ダルマ)」に身を委ねていくとき、人間はもっと大きな自由を体験することができる、というのが乗り鉄の秘められた哲学である。
>乗り鉄の無意識にとって、鉄路は宇宙的な法の比喩なのである。(p.125)
ってぐあいに語ってるのなんかも刺激的、すごい大風呂敷だよね、鉄道好きだっつーだけなのに、哲学でダルマなんだから、おもしろい、こういうの好き。
どうでもいいけど、じきハロウィンという季節だが、
>ヨーロッパの古い形態のハロウィンにおいて、祭りを司っていたのは「死の王」である。夏の間、旺盛な生命を満喫していた植物たちにも、秋になると死の影が忍び寄ってくる。近づいてくる死の影を察知した植物たちは、自分の遺伝子を残すために、さまざまな果実を実らせて、種の散布を準備する。こうして「実りの秋」がやってくるのだが、じつはその季節は死の王の支配の到来を告げている。死がなければ実りもない、というミトロジーが、この祭りの背景にある。(p.219)
ということらしい、勉強になるなあ。
で、著者は渋谷にあのハロウィンが戻ってきてほしいというんだが、
>渋谷には他の街にはない、死霊を呼び寄せるような無分別な土地の力が隠されており、東京からそういう土地をなくしたくない、と思うからである。(p.223)
って理由をあげる、『アースダイバー』を思い出した、おもしろい話だ、渋谷区長は怒るかもしれないけど。
コンテンツは以下のとおり。

 スケートボードのポエジー
 ウルトラマンの正義
 『野生の思考』を読むウルトラマン
 オタマトーンの武勲
 宇宙犬ライカ
 ベイブvs.オリンピッグ
 近代オリンピックの終焉
 M氏の宇宙飛行
 成長のミトロジー
 惑星的マルクス
II
 シティ・ポップの底力
 氷上の阿修羅
 神仙界の羽生結弦
 音楽はどこからやってくるのか
 花郎(ファラン)とBTS
 古墳と宝塚歌劇団
 聖なるポルノ
 アンビエント
 非人間性について
 タトゥーの新時代
III
 ミニチュアの哲学
 乗り鉄の哲学
 abc予想
 低山歩き復活
 第九と日本人
 ウクライナの戦争
 戦闘女子
 『マトリックス』と仏教
IV
 ポストヒューマンな天皇
 フィリップ殿下
 シャリヴァリの現在
 家族の秘密
 キラキラネームの孤独
 愛のニルヴァーナ
 「人食い(カンニバリズム)」の時代
 『孤独のグルメ』の食べる瞑想
 自利利他一元論
V
 サスペンスと言う勿れ
 怪談の夏
 渋谷のハロウィン
 鬼との戦い
 丑年を開く
 大穴持(オオナモチ)神の復活
 気象予報士の時代
 エコロジーの神話(1)
 エコロジーの神話(2)
 反抗的人間の現在

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Thinking Baseball

2023-10-19 19:08:33 | 読んだ本

森林貴彦 2020年 東洋館出版社
副題は「――慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”」。
ということで今年2023年夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校の監督の著書である、もっとも表紙の著者肩書は「野球部監督」ぢゃなくて、「慶應義塾幼稚舎教諭」ってなってんのがおもしろい、小学校の先生なんだよね、驚いたことに、3年生(だっけ?)の担任なのに甲子園まで行って監督やってた。
なんでも高校生の野球部員たちにも自身のこと「監督」ぢゃなくて「森林さん」と呼ばせてるらしいから、職業監督ぢゃないしって意識が教諭って肩書を選ばせてるのかもしれないが。
県大会勝って甲子園出場を決めたあとかな、こういう本があると知って8月には探してたんだけど、新刊書店でも古本屋でも見つけらんなかった、そしたら9月中旬になったら買えた、本年9月13日の第8刷となってるから、甲子園優勝したから急いで増刷したんだろう、おかげで表紙カバーも書名より大きく「甲子園優勝」の文字である、見た瞬間は違う新刊かと思っちゃったよ、やれやれ。
慶應の野球部っていえば、私が高校生のときですら、同級生の野球部員(丸刈り)が「あそこが甲子園出たら、髪型自由とかで、けっこう話題になると思うから、一度行ってみてほしいんだよね」と言ってたくらいなんだが、近年はポツポツと甲子園出場するようになってたけど、とうとう優勝しちゃったんで、今年の夏はかなり大騒ぎだったようにみえた。
私が今年の慶應の野球の試合をちゃんと観たのは夏の甲子園の初戦で、近年は高校野球にあまり興味ないんで、春も県大会もみてなかったんだけど、まあ、ファーストストライクから思い切り振っていくバッティングはいいなあと思った。
それよりなにより感心したのは、内野も外野もフライをワンハンドキャッチしてるとこで、「ボールは両手で捕れ」なんてのはグローブがお粗末だった時代の名残だ、って思ってる私はいたく好印象をもつことになった。
バッティングについては、いくつかの報道をみたら、データ分析をして狙い球を決めてるみたいな解説があって、そういうものかと思ってたら、本書には、
>(略)投手の配球を中心にデータを集めることがありますが、「最後はデータよりも感性を優先しよう」と指導しています。(p.17)
って書かれてるとこがあって、ちょっと意外というか、やっぱ簡単なことぢゃないのねと感じた。
さて、サブタイトルにある「野球を通じて引き出す価値」とは何なんでしょうなんだけど、序章において高校野球がもつ価値として、「困難を乗り越えた先の成長を経験する価値」「自分で考える楽しさを知る価値」「スポーツマンシップを身に付ける価値」といったことがあげられてます。
なかでも、やっぱタイトルになってるくらいだから「考える」ってことは重要、
>考える。意見をもつ。理解する。スポーツはこうした作業を頭の中で繰り返していくことが、本来あるべき姿です。スポーツは、体を動かすとともに大変高度な知的作業でもあるのです。(p.75)
って大前提はあるんだけど、なんで考えて野球するかっていうと、
>自ら考えて工夫することの利点は、考えているうちに野球が自然と楽しくなっていくことにあるのではないでしょうか。(p.81)
ってとこに尽きるんぢゃないかと、そのほうが楽しいでしょ、と。
ぢゃあ、考えるって何よ、ってことなんだが、
>例えばベンチからバントの指示が出た際に、「いまの守備隊形であれば、バスターしたほうが面白いんじゃないか」「走者に対して無警戒だから、盗塁を狙ってもいいんじゃないか」と、選手が考えることが大事ですし、うちのチームとしてはそこを目指したいと思っています。(p.10)
って試合中のことはもちろんなんだけど、私が読んでて感心したのは練習のなかでも、
>例えば30分のノックの練習を行う際、受け身の姿勢で時間を消化するだけでは、ただの体力強化メニューになってしまいます。しかし、選手がノッカーに対して「僕はバックハンドのキャッチが課題なので、それを多く打ってください」と事前に頼めば、大枠は全体練習であったとしても、立派な個人練習になります。(p.112)
とか、
>(略)何のための練習なのかということを、選手一人ひとりがはっきりと言えるようになっていかなくてはいけません。「キャッチボールをやっています」ではなく、「キャッチボールでは芯で捕ることを意識していて、素早い握り替えを身に付けようと努力しています」などと言えるのが理想。(p.125)
とかって、自主性っつーか、意識の高さが必要だっていう点だった、そうだよね、ノックなんてまずほとんど受け身だと思うよ、ふつうは。
そういうチームを目指してるから、監督からの選手への指導も、通常よくあるようなあーしろこーしろ俺の言うとおりやれぢゃなくて、
>だからこそ私は、常日頃から「なんとなくプレーするのが一番ダメだ」ということを選手に伝えていますし、意図を持ってプレーしていない選手には厳しく言うようにしています。(p.117)
ってスタンスになるし、
>“選手一人ひとりを大切にする”ことの要は、一人ひとりに自分の頭で考えさせることだと、私は解釈しています。(略)
>つまりは、一人ひとりに違いがあることを認めたうえで、大切にするということ。(略)その場面ごとに考える習慣を付けさせることが、一人ひとりを大切にすることなのではないか、というのが私の考えです。(p.63)
という基本方針によって、自分で考えることができるほうに道を開いてやることになる。
もちろん未熟な高校生だから、考える訓練もできてないかもしれないし、すぐにいい答えを自分で考えつくとも限らないんだけど、そこは成長のためだから、じっと待つ。
>ただ単純に「しっかりやれ」と叱咤し、選手も何も考えず「はい」と返事をするだけでは、また同じミスを繰り返すでしょう。ミスが出るのは仕方がないので、それを次にどう生かすかということを練習中のみならず、試合中でもいつも選手に伝えています。それが、社会に出てから必要な思考力になってくるからです。(p.163)
とか、
>高校生である選手からすれば、自分で考え、意見を出し、話し合えるというのが一番の成長です。私自身もそれを求めていますし、社会に出ても、それができる人間にならないといけません。(p.168-169)
というように、目の前の高校野球の試合に勝つだけぢゃなくて、社会に出てちゃんとした大人になるためのコーチングなんだから、信じて、待つ、そこは揺るがない。
ちなみに、ティーチングとコーチングの違いがあげられている箇所があって、
>コーチングの要は、選手への質問です。
>例えば「どうすれば、バットがボールに当たるようになると思う?」と聞いて、その選手なりの答えを引き出してあげます。お互いにディスカッションしながら答えにたどり着くという意味では、双方向のコミュニケーションが重要であり、それこそがコーチングです。(略)本当の答えは本人の中にあり、それに気付かせてあげるのがコーチングの基本的な考え方ではないかと私は解釈しています。
>対してティーチングは、「答えはこうだから、こうしなさい」と、こちらが持っている答えを与える方法です。(p.131)
っていうんだけど、コーチングがうまくいったほうが成長の幅は大きくなる、って勉強になりました。
そうそう、あと、「スポーツマンシップ」っていう、わかってるようでわかってないかもしれない言葉について、
>スポーツマンシップとは尊重、勇気、覚悟の3つの要素で構成されています。“尊重”とは仲間、対戦相手、審判、ルールを尊重すること。“勇気”とは失敗を恐れずに挑戦すること。“覚悟”とは最後まで全力を尽くしてどんな結果も受け入れること。これらを複合してスポーツマンシップと呼びます。(p.95)
って説明してるところもたいへん参考になりました。
ところで、そんな森林さんの原点になったのは自身が高校生のときの体験だそうで、当時の監督に「セカンドへのけん制のサインを自分たちで考えなさい」と言われて、自分たちで考えたのが楽しくてやりがいがあったという。
そのときのことを後年訊いたら「(サインを)自分たちで決めたほうが楽しいだろう」(p.42)と言われたってこと、その監督も自身を“監督”と呼ばせず “さん付け” で呼ばせることで距離感が近かったことが、現在になっても自分が同じようにやっているもとになってるらしい。
章立ては以下のとおり。
序章 高校野球の価値とは何か
第1章 「高校野球らしさ」の正体
 “高校野球は坊主頭”という固定観念
 ケガをいとわない根性論は美しいか
 体罰に逃げる前時代的な鬼監督像
 高校球児は青春の体現者か
 少年たちは野球を楽しんでいるか
 伝統に縛られないこれからの高校野球のために
第2章 高校野球の役割を問い直す
 高校野球のためではなく、社会に出てからのため
 「自ら考える力」を育む
 「スポーツマンシップ」を育む
 選手は自ら育つという信念
第3章 高校野球を楽しむための条件
 野球を楽しむチームの条件
 コーチング主体の押し付けない指導者像
 野球を楽しむチームの試合への向かい方
 主体性のある練習を組み立てるには
終章 高校野球の再定義

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ニホン語日記

2023-10-12 19:28:37 | 読んだ本

井上ひさし 1996年 文春文庫版
これは先月の古本まつりで均一棚で見つけて買った文庫。
著者の日本語に関するものは、大昔に読んだ文法のものや、最近読んだ日本語相談などで、まあおもしろいに違いないと見込めたんで。
単行本は平成5年で、初出は「週刊文春」で平成元年から四年ころの隔週連載ものだったらしい、そういえば文中にリクルート事件とか消費税とか時代を感じさせる事柄も出てくるね。
読んで気づかされたのは、著者は、古来由緒ただしき言葉の文献なんかに詳しいとかってんぢゃなく、現代のおもろい日本語を探す取材精神が旺盛だってことだ。
>この一年、新聞や、その新聞に折り込まれてくる不動産広告をせっせとスクラップブックに貼り付けている。動機は、不動産広告ぐらいおもしろい読物はめったにないからである。(p.35)
って章では、現代の枕詞的ものとして「羨望の」とか「人気の」ってのが流行ってるとか、「フットワーク」とか「好立地」が出て来たら都心と距離があって足回りが不便だとか、「いま(今)」ってのをコピーに織り込むのも好まれているなんて分析している。
>七月の参院選や都議選にそなえて、各政党が選挙用の政策パンフレットを配りはじめた。付言するまでもなく、政策や候補者は商品の一種である。(略)買い手(主権者)は、売り手(政党)の効能書をくわしく読む。(略)売り手側はありとあらゆる美辞麗句を並べて買い手の歓心を買おうとする。その美辞麗句集が、この選挙用のパンフレットなのである。(p.41)
って章では、公明党と自民党はほとんどおんなじようなものだが、自民党の文体には危機意識があって「今こそ」「今や」が乱発されてるが、これはリクルート事件なんかあったけど自民党を見放すと大変ですよと言ってるようにみえるという。
一方で社会党の文体は楽天的な感じがして、文末が「確立していきます」とか「守っていきます」とか「進めていきます」と、「していきます」調が多くて、そんな簡単にいきますかと言いたくなるのは、「単彩で弱い文体だから」と指摘する。
>九月初めのある夕方、新宿に出る機会があったので、ついでに小一時間ばかりかけて、繁華街のボックス公衆電話を経巡って歩いた。目当てはテレフォンクラブのピンクビラ集めである。
って章では、新宿のビラは渋谷や池袋とかに比べて写真がないしデザインが野暮ったいけど、そのかわりコピーに力作が多いので蒐集しているなんつって、
>《インド四千年の歴史があなたの出会いに力をかします》(マハラジャ)
>レトリックでいうと誇張法だろうか。(略)
>《そう美人が揃っているわけではありません。また、やさしい女(こ)ばかりいるわけでもありません。でも、みんな一途です。それだけが取柄です。》(純)
>控え目にいいなから結果はうんと戦果を挙げてやろうという高級なレトリックである。むずかしくは緩叙法という。
などと例をあげて、ほかにも列挙法だとか頓絶法だとか真面目にレトリックの分析をしてくうちに、ついには、
>話は突如として大袈裟になるが、文学とは、まず、言語の特別な使用である。ここまで見てきたように、新宿のピンクビラの作者たちは知ってか知らずかレトリック術を総揚げして、言語の特別な使用法を心掛けているらしい。とすると、新宿駅周辺百ヵ所のボックス電話には、一夜かぎりの文学が栄えていることになるのかもしれない。(p.69)
なんてことを言い出し、正確な語り方ってだけぢゃなくて、言葉を効果的に使う語り方も必要なんぢゃないかって潜在意識みたいなもんが、こういうものを面白いって思うんぢゃないかと、とんだ文学論を展開するに至る。
ほかにも、約1300あるという早稲田大学のサークルの新人勧誘文を集めたものを熟読して八傑を選んだりとか、非常に研究熱心なんだけど、そんなことしてて肝心の小説とか戯曲の締め切りは大丈夫なんかいと余計な心配をしたくなっちゃう。
それにしても、以前にほかの本を読んだときにも思ったんだけど、頼もしいというか、とても参考になるのは著者の日本語に対する態度だよね。
絶対に正しい言葉づかいをしなきゃいけませーん、なんてことは言わない、言葉は使ってくうちに変わってくもんだからしょうがないでしょ、みたいなスタンスが余裕あって、とてもいい。
本書でも、外来語が多すぎるんぢゃないのという世間一般の疑問みたいなもんに対し、
>しかし、これも成り行きなのだ。いや、海外との交流がさかんになり、新知識や新情報がつぎつぎに生まれ、外国語教育が普及しているのだから、外来語だらけになるのが当然、ならなければかえってフシギというものだろう。そして日本語が壊れるということは決してない。外来語は、その原籍地で活用語であっても日本語に入ってくると名詞化する。つまり、外来語には名詞以外の品詞はないのである。(略)日本語の文法体系は無傷なのである。この大原則が侵犯されそうになったら、そのときは大騒ぎをすればいい。そう構えて、あとは一人一人が自分の趣味や信念で日本語を運用すればいい。(p.132)
といって、語彙が動いてるくらいでは問題ないとする、たしかに漢語ももとはといえば外から来た言葉だしねえ。
あと、方言についてとりあげた章では、話し言葉について、
>世の中にはできるだけたくさんの話しことばが存在していた方がいいと筆者は考えている。軽薄な言い方になるがその方が「おもしろい」と思う。(p.288)
なんて宣言して、それぢゃ言葉が乱れて困るのではないかという読者の疑問に対し、
>(略)さまざまな話しことばの氾濫が許されるのは、その底にしっかりした書きことばが存在するからである。小さくはこの「週刊文春」の一つ一つの記事の文章、大きくは詩人や小説家や劇作家たちの文章、それらの文章に、練り上げられた書きことばの勁(つよ)さ美しさ正確さがあれば、わたしたちの日常の話しことばが、どんなに多様で無茶苦茶であっても構わない。きちんとした書きことばが乱脈な話しことばの重しになるからだ。(p.290)
と整然とした答えを語る、これは文章書くことに、勁く美しく正確な文章書くことに、自信があるからいえるんだろうねえ。
各章の見出しは以下のとおり。
マニュアル敬語
ボディ敬語
説明文の伝達度
Xの魅力
不動産広告のコピーは、いま
漢字の行列
利益のやりとり
ゆれる言葉
現地の発音
ピンクビラの文章
△△から〇〇目
テンとマル
伝言板の研究
ラブホテルのらくがき帳
二つの時代
平仮名名前
大学サークルの勧誘文
名前のつけ方
プロ野球選手座右の銘十傑
外来語の問題
いわゆる「桑田問題」について
ふたたび「桑田問題」について
スポーツ紙の見出し
池波さんの振り仮名
このごろの愛読書
昌益先生の辞典
横浜中華街の屋号
ロックの歌詞
創氏改名
ステレオタイプ
成田空港の不愉快
言葉殺し
Janglishについて
カタカナがわからない
排米主義と拝米主義
おはようございます
待ったなし
役所言葉
JAPANとNIPPON
奇妙な音
いわゆる「湘南問題」について
カタカナ先習
「三」でくくる
わたしの「婦人問題」
牛歩論
ヒギンズ教授と坊つちやん

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二十世紀を読む

2023-10-05 18:29:07 | 丸谷才一

丸谷才一・山崎正和 1999年 中公文庫版
これはたしか去年の12月末ころに買い求めた古本で、最近になってやっと読んだ。
通算100回の対談をしてきたおなじみのお二人による対談集、あいかわらずおもしろい、早く読めばよかった。
単行本は1996年で、初出は1995年の「中央公論」で二か月に一度の計六回の対談。
なんか現代史の本を取り上げて、それをとっかかりに二十世紀とは何であったかを論じたもの。
二人の知見とか視点がけっこう刺激されるもの多くて、もっと若いころに読んでたら受け売りで使っちゃうだろうなって感じのものいっぱい。
>丸谷 ベネディクト・アンダーソンというアメリカの学者が、国家は何によって成立し、機能するかということをうまく説明しています。国家とは、(略)みんなが一つの文化を共有するということを想像力によって体験して、それによってはじめて成立するのだというんです。アンダーソンによれば、国民国家というものが成立してまもないころ、十八世紀のヨーロッパは、二つの形式を生んだ。一つは新聞、一つは小説です。この二つの形式によって、国民国家、つまりイギリスとかフランスとかは、国家の成員が一つにまとまることができた。(p.22)
とか、
>山崎 エミール・デュルケイムの「アノミーの理論」というのがあります。彼はなぜヨーロッパにおいて工業化がある程度進んで、豊かになると自殺が増えるかという問題を設定して、「アノミー(無規準)」という理論を立てたわけです。(略)十八世紀以前の小さな共同体、村や職人組合というのが壊れていった。その中にあって、じぶんとはどういうものかというアイデンティティの手応え、あるいは、(略)日本語でいえば「分を知る感覚」、そういうものが一挙に崩壊する。そうすると、人は不安になって自殺をするというわけですが、それが攻撃的に現われればテロリストになると見ることができます。(p74)
とかって国家と人の関係みたいなもの、政治学の教科書よりはるかにわかりやすくておもしろい。
ほかにも、中国文化は男性原理で、日本は女性文化だって話のなかででてくる、
>丸谷 源頼光はなぜ偉いのかというと、京都の女官たちによって支持されている権力が派遣した軍の長官だから、偉いんですね。酒呑童子伝説というものをじっと考えてみると、結局、男性原理らしきものが外国から入ってきたときに女性原理が勝つ物語、これが酒呑童子の話なんじゃないのかな。(p.103)
みたいな論じ方とか、イギリスってのは大陸ヨーロッパの階級社会とはちょっと違うって話のなかで、
>山崎 『ヘンリー五世』を見ますと、フランスの貴族とイギリスの貴族が比較されていますね。最後の決戦の場面で、フランスの貴族はまった庶民を相手にしていない。(略)だけどヘンリー五世は、同じイギリス人として兵隊に訴えるわけですね。(略)第二次大戦を描いた戦争映画でも、イギリス軍の士官がノルマンディーで敵前上陸するときに、この台詞を叫ぶんですよ。まさにこれがイギリス精神なんですね。要するに最上層と最下層が、ナショナリズムでひとつになれたということなんです。(p.167)
みたいな語られ方をされてみると、なんか勉強になるなあって気がする。
さらに、日本の二十世紀前半、昭和史を動かしたものとして、
>山崎 私がなるほどと思ったのは、要するに近代の日本を宗教ないしは精神の面で切ると、結局は広義の日蓮主義的気風と官僚主義との対決だったということですね。どちらもそれは不幸な結果を導いたわけですが。(p.117)
みたいな話が出てくるんだけど、こういうのは歴史の授業では教えてくれない、趣味的にみえるけど大事なことなんぢゃないかと気づかされる。
あと、文化人類学とか神話とか物語とかってことを、
>山崎 文化人類学者が小説が好きだということを、やや厳めしくいいますと、二十世紀というのは、巨大なひとつの小説が世界を支配しそうにみえた時代なんですね。マルクス主義という小説。
>丸谷 ほう、あれは小説ですか。
>山崎 フィクションだという意味で、ひとつの巨大な物語ですよね。この物語は、他の物語の一切の存在を許さないんですが。
>丸谷 なるほど、昔、そういう物語がひとつありましたね。新約聖書です。
>山崎 そういうことですね。マルクス主義のそんなあり方に対して、思想的に文化人類学者がやったのは、無数に物語があるよということだったわけです。(p.196)
みたいに対談でうまいことやられると、むずかしい論文読まされるよりスッと入ってくる感じがして、ここんところはとても好きだなって感想をもった。
コンテンツは以下のとおり。題材となってる書名も並べとく。
カメラとアメリカ
 ビッキー・ゴールドバーグ/佐復秀樹訳『美しき「ライフ」の伝説 写真家マーガレット・バーク-ホワイト』
ハプスブルク家の姫君
 塚本哲也『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』
匪賊と華僑
 フィル・ビリングズリー/山田潤訳『匪賊 近代中国の辺境と中央』
 高島俊男『中国の大盗賊』
近代日本と日蓮主義
 寺内大吉『化城の昭和史』
サッカーは英国の血を荒らす
 ビル・ビュフォード/北代美和子訳『フーリガン戦記』
辺境生れの大知識人
 ミルチア・エリアーデ/石井忠厚訳『エリアーデ回想 一九〇七-一九三七年の回想』『エリアーデ日記 旅と思索と人』

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