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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

イタリア民話集

2018-09-30 17:53:21 | 読んだ本
カルヴィーノ/河島英昭編訳 1984年 岩波文庫(上下2巻)
前に河合隼雄さんの本を読んで、グリムを読んでみなくてはと思って、読んだんだけど。
おなじく「おはなし」として、今回はイタリア民話を読んでみることにした。
というのは、『おはなしの知恵』を読んでて、あっと思ったんだけど、イタリア民話の「恐いものなしのジョヴァンニン」というのが、小林恭二の『短編小説』所収の『豪胆問答』といっしょだったからで。
ものを知らない私は、あれって小林恭二のオリジナルだとばっかり思って読んだんだが、こんな元ネタあったのかと、なら読んでみようかと。
(なお、今回『豪胆問答』読み直したら、おしまいのとこに“カルヴィーノ「イタリア民話集」(上)河島英昭編訳(岩波文庫)を参考にさせていただきました。”って、ちゃんと書いてあった、私は記憶してなかったけど。)
で、地元の古本屋で上下そろいで文庫見つけることできたのは、たしか今年の7月だったのだが、ようやく読んだのは最近のこと。
読んでみると、民話関係の常にしたがい、これまで目にしたことある似たようなタイプの話がある、グリムとも似てるし、アラビアンナイトにもあったようなやつとか。
ただ、微妙におしまいがペシミスティックなのがあって、それってイタリアの民間伝承のなにかの特徴なのかもしれない。
>こうして、数かずの苦しみと困難の果てに、全軍の総大将になったものの、彼は生涯ひとりぼっちだった。(「隊長と総大将」)
とか
>二人の兄は広場で火焙りになった。羊飼いは王宮の衛兵隊長に任命された。そして王さまは、王宮の奥に閉じこもって、来る日も来る日も悲しげに葦笛を吹き鳴らした。(「孔雀の羽」)
とか
>「許しておくれ、ジョヴァンヌッツァ、後生だから、ぼくたちといっしょにいておくれ……」 しかし狐は道へ走り出て角を曲ると、見えなくなって、二度と姿を見せなかった。(「ジョヴァンヌッツァ狐」)
とかって、めでたしめでたしではないし、ほんとうは残酷な的なのでもないし、妙に寂しげなとこが独特な感じがする。
でも、こういうのが典型的な原型なのかどうかはわからない。というのは、この民話集は二十世紀の作家であるカルヴィーノが集めて編集したもので、そのときに自分の考えで補ったり書き加えたりしてるんで。
ただし、上下巻とも巻末にそれぞれの話に対しての原注があって、書き加えたとか、こういうふうにしたってのは、カルヴィーノはちゃんと記してる。
途中で気づいたんだけど、ただ民話をアタマっから読んでくんぢゃなくて、ひとつ読むたびに後ろの原注の解説を読んでったほうが読みやすい。
そうそう、カルヴィーノはイタリア各地でおはなしを集めて、それ分類したりしたうえで、最初をどの話で始めて、最後にはこれを置いたらいいだろうみたいなことまで考えて、編集してこれつくったわけで、単なる寄せ集めぢゃなくてカルヴィーノの著作といってもいいと思う。
下巻の最後の訳者による「民話と文学」という章のなかでも、
>この意味からいって、カルヴィーノの『イタリア民話集』は夥しい数で存在する一般の民話集とは大きく異なった性質のものであり、『グリム童話集』とさえ同一に並べるわけにはいかない。(p.390)
って書かれてるしね。
でも、各地をまわっての話の採集についても、ちゃんと話者を記録してて、文盲の娘、硫黄採掘工夫、ペッレグリーノ山の麓地区在住の船乗り、冬物の掛布団の製縫に従事する七十歳の老婆、八歳の少女、五十五歳の家政婦、十八歳の農村の娘とかって肩書と、実名を挙げてたりする。どうやって出会うのかな、不思議。
収録作は以下のとおり、原本(FLABE ITALIANE 1956年)は200篇あるらしいけど、この文庫はそのなかから75篇。
※上巻(北イタリア編)
恐いものなしのジョヴァンニン
緑の藻の男
何ごとも金しだい
水蛇
鸚鵡
クリックとクロック
カナリア王子
強情者だよ、ビエッラの人は
花薄荷の鉢
星占いの農夫
聖ジュゼッペの信者
蟹の王子さま
まっぷたつの男の子
満ち足りた男のシャツ
怠けの技
ベッラ・フロンテ
無花果を食べあきなかった王女
傴僂のタバニーノ
塩みたいに好き
七頭の竜
眠れる女王
ミラーノ商人の息子
魔法の宮殿
フィレンツェの男
弾む小人
乳しぼりの女王
カンプリアーノの物語
魔女の首
林檎娘
プレッツェモリーナ
籠のなかの王さま
地獄に堕ちた女王の館
十四郎
※下巻(南イタリア編)
木造りのマリーア
皇帝ネーロとベルタ
三つの石榴の愛
鍬を取らねば笛ばかり吹いていたジュゼッペ・チューフォロ
傴僂で足わる・首曲り
一つ目巨人
宮殿の鼠と菜園の鼠
黒人の骨
洗濯女の雌鶏
最初の剣と最後の箒
狐の小母さんと狼の小父さん
ほいほい、驢馬よ、金貨の糞をしろ!
プルチーノ
人魚の花嫁
最初に通りかかった男に嫁いだ王女たち
眠れる美女と子供たち
七面鳥
蛇の王子さま
金の卵を生む蟹
人魚コーラ
なつめ椰子・美しいなつめ椰子
賢女カテリーナ
風を食べていた花嫁
エルバビアンカ
ツォッポ悪魔
床屋の時計
仔羊の七つの頭
この世の果てまで
気位の高い王女
隊長と総大将
孔雀の羽
二人の騾馬引き
ジョヴァンヌッツァ狐
十字架像に食べ物をあげた少年
角だらけの王女さま
ジュファーの物語
修道士イニャツィオ
ソロモンの忠告
羊歯の効きめ
人間に火を与えた聖アントーニオ
三月と羊飼
ぼくの袋に入れ!
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こころの声を聴く‐河合隼雄対談集‐

2018-09-29 17:29:25 | 読んだ本
河合隼雄 平成十年 新潮文庫版
ことし5月に買った古本、対話集だったら易しいだろうなと思って。
なんせ“お話上手”の河合先生の対話だから、おもしろいに決まってるし。
河合先生の心理学の特徴らしい、物語についての話にも期待するものあるんだが、安部公房との対話で河合さん本人は、
>文学はだめなんです。お話は大好きなんです。(p.49)
なんて言ってる、文学と物語はちがうのだ。
谷川俊太郎さんからは、
>河合さんは前に、大学を辞めたら講釈師になって世界を回るとおっしゃっていたでしょう。(p.72)
なんて言われてる、やっぱり本を書くより語り部みたいなほうが好きらしい。
専門的なことについても、
>これを日本人は更に難しく翻訳して「自我はイドの侵入を受けて問題を起こした」というように訳している。僕はよく言うんだけど、フロイトの書いてるのをそのまま関西弁に訳したら、「わてそれにやられましてん」となる(笑)。(p.247)
なんておもしろいこと教えてくれたりする。
このフロイト解説は村上春樹さんとの対話のなかでのことなんだけど、河合さんと村上さんは1994年5月のこの公開対談のときが初対面だったという、そうだったんだ。
この対談のなかには村上作品の読み方のヒントがいっぱいあるような気がする。
>(略)たとえば村上さんの場合には、「羊男」や「壁抜け」というのが出てくる。それを読者が必然性をもって理解したということは、自然科学の普遍性と違って、「私」の主観的判断として普遍性を持つわけですね。だから自然科学的普遍性じゃない、「私」を中心にした体験をもとにする普遍性を追求する方法が物語ではないかというふうに考えてるんです。(p.266)
という河合先生の言葉は現代の物語論としてすぐれたご意見としてうけたまわった。
村上さんのほうは、聴衆からの他の人とのあいだに壁があってうまくコミュニケートできないという意識についての質問に答えて、
>それは、一種の井戸の中にいるようなもんだというふうに僕は思っているんです。自分の井戸があって、自分の中にずーっと入って行かざるをえないと。(略)みんなが自分の井戸に入って、ほんとの底のほうまで行くと、ある種の通じ合いのようなものが成立するんじゃないかと僕は感じるんですよ。(略)
>僕が小説で書こうとしてるのは、ほんとのそこまで行って壁を抜けて、誰かと〔存在〕というものになってしまうというのがいちばん理想的な形だと思うんです。(p.272-273)
と言ってるけど、これって村上さんの長編によくある、穴のようなものに入っていってどこかに通り抜けるようなことの解説として、ありがたくおぼえておきたい。
自分自身の物語の世界に入っていくことについて、河合さんは、
>傷というのは物語に入る入口なんです。出口でもあるし。そして物語ができたときに傷は癒されるわけです。あまり傷のない人は幸福に生きられるから、周りが傷つくんじゃないでしょうかね(笑)。(p.276)
ってトラウマの役割を解説してくれているが、直後に、そのへんは「ええ加減」でいいんぢゃないかみたいに言って、力が入ってないとこがいい。
どうでもいいけど、河合さんの「ほんというと物語は先にできてて、それを自分は生きさせられてるというふうにいったほうがいいかもわからんぐらいです」と、村上さんの「確かにストーリーというのはつくるものではなくて、内在するものを見つけていくことだし」というのを聞くと、夏目漱石の『夢十夜』の運慶が仁王像を彫り出す話を思い出してしまう。
人にとっての物語の必要性について、遠藤周作さんが、
>人は事実で生きるより、真実というか、神話で生きるわけだから。それを自分でなんらかの形でつくっていかなければならない。(p.170)
って言うのに答えて、河合さんは、
>そういうストーリーをつくっていかれるのを援助するのがぼくらの仕事ですね。ただし、宗教家と違って、こちらからストーリーを提供することはしない。そういう援助をするためにはいろんなストーリーの在り方とか、ストーリーの変形とか、そういうのを知っておく必要がある。
と物語やおはなしに興味がある理由を明かしていたりする。
あと、とてもおもしろいのは、多田富雄さんとの対話で、免疫システムというのはあいまいにできてるけどそでうまくいってるってことをめぐるやりとり。
原発事故よりはるか前の1994年の対話で、電力会社のプログラムについて多田さんは「完全にプログラムされたシステムというのは、危機状態では逆に弱い」と言ってるけど、
>ああいう時の弁解はいつも決まっていまして、あらゆる状況を想定してつくっておったけれども、思いがけないことが起きましたって、なんだかおかしい気がするんですけどね(笑)。(p.189)
という河合さんの答えは、当時は電力消費が急上昇する危機ぐらいの話かもしれないが、今だとあまり笑えないような気もする。
>体のほうは見事にプログラムされているわけではありませんから、かなりファジーなやりかたで、条件次第で反応しているんですけど、そのほうが危機管理としてはうまくいっているということもあると思いますね。(同)
という多田さんの意見がメインテーマで、電力会社はどうでもいいんだけどね。
なんかよくわかんないけどうまくいってるということの重要性について、河合先生は自分の専門の共時性をひきあいに出したうえで、
>つまり内分泌系がこうだからなんとかとか、すべてを因果関係で全システムを考えようというのはおかしいんじゃないか。同じように、自分の人生を全部因果関係で考えるのはおかしいんじゃないか。ただ、共時的に非常にうまくいっているという状況があるというふうに人生を見たほうがいいと僕は思っているわけですね。(略)それを現代人というのは、自分が何かをコントロールすることによってうまく出来る、そのシステムを上等にすればするほどうまく出来るんだという錯覚を起こして苦しんでいるんじゃないかと僕は思っているわけですね。(p.198-199)
と言ってますが、そういう視点での心理療法はいいなあと思う。
ええ加減でいいことの大切さについては、まえがきにあたる部分で、
>人生の残りが少なくなったこともあって、私はもうオモロナイことはしないでおこうと思っている。(p.10)
と宣言してるように自身のスタンスもそうなんだろうけど、すぐれた芸術家なんかが生まれる土壌について、
>どこかの企業なりパトロンが、百万人に一人の暇人に金を払えばできるんです。つまり芸術というのは何もしない人に金を払ってないとだめなんです。何もせん人に金を払っているうちに何かする人が時々現れるんです。それが今は、何かする人にしか金を払わない。(p.98)
なんて言ってるように、なんでも計算ずくでやるんぢゃなくて、むだに見えるようなことでも活きてくること知ってるから説いてるんだろうなと思う。
>何にもしない人というのは、なくてはならない存在なのです。(同)
ってのには励まされるな、俺も何にもしない人になってみたいもんだ。
9月30日追記 目次と対話者ならべるの忘れてたので、以下に。
読書のよろこび、語り合うたのしみ――河合隼雄
1 魂のリアリズム 山田太一
2 境界を越えた世界 安部公房
3 常識・智恵・こころ 谷川俊太郎
4 魂には形がある 白洲正子
5 老いる幸福 沢村貞子
6 「王の挽歌」の底を流れるもの 遠藤周作
7 自己・エイズ・男と女 多田富雄
8 「性別という神話」について 富岡多恵子
9 現代の物語とは何か 村上春樹
10 子供の成長、そして本 毛利子来
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夢十夜

2018-09-24 17:57:50 | マンガ
近藤ようこ*漫画/夏目漱石*原作 2017年 岩波書店
近藤ようこの坂口安吾原作のマンガを初めて読んだ今年の7月に、書店でみかけて、オッと買ってしまった。
『夜長姫と耳男』をそれほど気に入ったというほどではなかったにもかかわらず、単行本行くかぁとは思ったが止まらない、だって、これ『夢十夜』なんだもの、あの。
あとがきに、
>漫画化するのは自分が好きな小説を漫画に描いてみたいというエゴというか、自分の欲望のためであり、読者にはまず原作の小説を読んでほしい。
だなんて書いてあるが、私は坂口安吾は読んでないけど、こっちは読んだことあるので、まあ順番としては正しくいける。
しかし、読んでみると、あいかわらず、子どもを背負って夜道を行く話と、運慶が仁王像を彫る話しか、ちゃんと記憶してるのはなくて、はー、こういう話だっけ、と思うことばかりなのは情けない。
しかし、もともとが不思議な話ばかりだけど、マンガにするとできてしまうとこが意外。
だってねえ、ホントではなかろうが、夢をみたって体裁の話だから、本来は明確なビジュアルをもちあわせてなくてもしかたない台本で、形を与えて物語にするには向いてなさそうな気がするもん。
どうでもいいけど、第九夜と第十夜がが描き下ろしなのはいいとして、第一夜から第八夜までは岩波書店のウェブサイトが初出だというのが、おどろいた。そういう時代なんだねえ。
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MARVY

2018-09-23 18:18:29 | 忌野清志郎
RCサクセション 1988年 東芝EMI
というわけで、きのうからのつながりだと、キヨシローである。
文庫本の解説を依頼されたときは、ロンドンあたりで「RAZOR SHARP」のレコーディングをしてたというので、それも聴いたんだけど、ここにとりあげてないのは、その次あたりにRCで出したこのアルバムがあった。
オリジナルは2枚組のLPである、いいねえ2枚組とかって言葉の響きが。私の手元にあるのは1992年版のCDだけど。
LPんときは、1枚にWOLF、もう1枚にFISHって名前がついてて、WOLFのA面から聴くのが順序である、いいねえB面とかって言葉が。
アルバムとしては、けっこう好きだな、これ。
どれかひとつイイ曲が入ってるとかってんぢゃなくて、なんか通しで聴いてて気持ちいいんだ、説明しにくいがまとまり感がある。
泉谷しげるは、「なんでツルツルをシングルカットしないんだ、バカヤロウ」とか言ってたらしいが、私が好きなのは、どっちかっていうと「涙あふれて」とか「ありふれた出来事PART2」とか、なんかむかしのRCをいま風(当時)のRCの音にしたようなやつ。
うん、でも聴くと、たしかに
ぼくをシェルターの中に 入れて 入れておくれよ
のとこのノリはいいなあ。
WOLF
1 DIGITAL REVERB CHILD
2 MIDNIGHT BLUE
3 FULL OF TEARS・涙あふれて
4 AN OLD STORY・ありふれた出来事 PART 2
5 CALL ME
6 COOL FEELING・クールな気分
7 共犯者・The Accomplice
8 遠い叫び
FISH
1 HONEY PIE
2 GIBSON(CHABO'S BLUES)
3 空が泣き出したら・The Sky is Crying
4 夢中にさせて・Make Me Crazy About You
5 DANCE
6 俺は電気
7 SHELTER OF LOVE―ツル・ツル
8 NAUGHTY BOY
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なぜなにキーワード図鑑

2018-09-22 17:30:39 | 読んだ本
山崎浩一 昭和六十二年 新潮文庫版
かの『ロックで独立する方法』のイントロダクションに、
>また八七年、私の著書が文庫化された折には、その巻末の解説を彼に書いてもらったこともあった。
とあって、「彼」っていうのは忌野清志郎のことだから、著者の文庫を書名もわからずに探してみた。
ちなみに、これには、
>(略)この解説はある雑誌が選んだ〈八七年度ワースト文庫解説賞〉に見事に輝いたのだった。私たちが祝杯をあげたのは言うまでもない。
というオマケがついている。
で、ようやく見つけたのが本書。カバー裏表紙に「解説:忌野清志郎。」の文字を見つけたときはうれしかった。
だからって巻末の解説から読んだりはしないよ、それは最後のたのしみにとっといて、ちゃんとアタマから読んだ。
単行本が昭和五十九年で、初出の「宝島」とかは、それよりちょっと前、1982年くらいから書かれたもののようで。
そのころのキーワードですからねえ、いまとなっては大昔だ、あのころは私も若かった。
時代のキーワード、なんか陳腐そうな響きもするんだけど、本書のまえがきで、単行本のまえがきを著者自身が引いて、
>〈キーワード〉というカギ穴から見えた〈今〉という名の踊り子が演ずる淫靡なピープショーの観察記録
みたいな本だと紹介している。
最先端ぽいキーワードがあっても、ある日突然それは別のものにとってかわられちゃって、使用済みキーワードの山ができてくんだが、
>けれどもキーワード鑑賞の最大の楽しみは、そこにある。たとえば〈新人類〉の項では、このキーワードが颯爽とデビューし、変身し、やがて「ナウ」のステージから引退していくまでの波乱の人生を、克明に記録した。
ということで、そうやって移り変わっていくことを承知のうえで追っかけてく。
並んでる言葉と、その解説を見てくと、あったなーと思うのもあれば、そんなのあったっけって思うのあり、それは私がまだオトナぢゃなかったから関心の範囲が限られてたからだろう。
80年代なかばという当時の時代については、
>今の時代をうんと単純に図式化しちゃうと、刺激が飽和して“構造退屈”が蔓延しているところへ、手を変え品を変え、さらにエスカレートした刺激を加速度的に加えて、結局感性をマヒさせていってる――と、こういうパターンです。(p.194-195「世紀末」)
ってのが、うまく言えてると思う。
それにしても、「記号の帝国・ニッポン」(p.157「エスニック/コロニアル」)ってのは、いいフレーズだ、どんな文化でも記号化して消費してく日本社会おそるべし。
単行本未収録でその後に書かれたものも含めて、とりあげられてるキーワードは二十四。
アイドル
東京
MTV
グルメ
浅田彰
ゲイ
女子大生
第5世代コンピュータ
ニューミュージック
70年代
若者
エスニック/コロニアル
西麻布

世紀末
パフォーマンス
偏差値
リクルート
フィットネス
60年代
劇場犯罪
3FET
カルト・ムービー
新人類

ほかに「“Today's special”(山崎シェフの今日のおすすめ)」として文庫で加わった2ページ強ずつくらいのコラムが以下。
CX
ブーニンとサティ
男の子
少女語
冗談関係
バリ
ハウスマヌカン
行列
CAI
アメリカの精神分析
岡田有希子のユーレイ
たけし軍団《フライデー》襲撃事件

おっと、肝心な巻末解説のこと書くの忘れそうになった。
>女どもは、ホラービデオに夢中になってる。遅れた奴らだ。黄色い声を張り上げて、もり上ってやがるぜ。
で始めるキヨシローの解説は、著者の山崎浩一氏、山崎くん、山崎ちゃん、山崎(文章が進むにつれて呼び方が変わるのが芸の細かいとこだ)に対する印象を語ってるのがサビとなってる。
著者山崎浩一の【注】によれば、
>「他人のために曲を書いたことはあるけど、解説ってのは生まれて初めてだぜ」と赤面(たぶん)しつつも、正月を返上して、あの例の“放埓にしてなお高貴”な文体でしたためてくださった。この文章にメロディをつければ、そのまま新曲ができあがるであろう。
ということである。曲にのるというのは、いい指摘だと思う。
キヨシローからは、
>しかし、彼は、私が何をどんなふうに答えても、いつも、フショーブショーというか、何というかいつも納得してないような顔をして、シブシブ帰って行くのであった。
なんて言われてますが。
そうそう、巻末解説までに【注】がついてますが、本書は全編【注】がビッチリです、見開いた左ページの半分を小さな文字で【注】が埋め尽くしてる、一章につき20も30も。
正直読みづらいんだけど、まあ、それも遊びのうちで。

どうでもいいんだけど、帯に懐かしの安西水丸画伯による村上春樹さんの顔が。「ヤングフェア」だって、『村上朝日堂』と並べられるヤング向けの書だったのか、これ。
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