many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

2022年 日本ダービー

2022-05-29 20:37:06 | Weblog

きょうは、ダービー。
いろいろあって、自宅ぢゃないとこにいて、雑用でなかなか手が空かないような状況ではあったんだが、発走2分前にはちゃんとテレビの前に座り込んだ。
特になにを応援するとかもないんで、じっと見た、大レースを久しぶりに真剣に見ると、けっこうスリリング。
ひさしぶりに場内にたくさんの観客入れたみたいで、盛り上がってよかったんぢゃないですか。
結果に特に感想もないけど、勝った馬はフランス遠征するのかなー、みたいには思った。
あと、出典は忘れて検索しても見つからないけど、競走馬が他の馬より前に出ようと抜け出すときの一瞬の力って、ほんとすごいものある、とは思わされた。

※5月30日付記
競走馬がすごいって話、出典は藤澤和雄先生の『競走馬私論』の第三章 p.102-104くらいにある。すこし長めに引いておきましょう。
>調教のスピードは、どんなに速くても一〇〇〇メートルで数秒はレースよりも遅い。どんなに強い調教でも、馬が苦しがってギリギリになるところまではやらないからである。
>しかし、レースではギリギリまで走る。能力の限界に近いスピードで走り、苦しくなったときに鞭が入る。そのとき、どんな動きをするか。それが超一流馬とそれ以下の馬の違いである。(略)
>(略)最後の直線で鼻面を併せて競り合ったとき、馬たちはすでにほぼ全力をあげて走っている。そこへ騎手からの「さあ、行け」という指示がくる。頭だけ、鼻だけでも出ればすむことである。このときにどんな反応をするか。
>同じスピードで走っているとき、ほんの一瞬で頭だけ前に出るというのは大変なことである。サラブレッドのスピードはだいたい一分で一〇〇〇メートルだから、時速にすると六〇キロくらいである。もちろん緩急があるから瞬間的にはもっとスピードが出る。
>ゴール前の直線、仮に時速六〇キロで二頭が競り合っているとしよう。単純に考えると相手が時速六〇キロなら六一キロ出せば頭くらいは前に出られそうだが、そうはいかない。時速一キロの差で頭だけ前に出るには、二〇メートル近く走らなければならない。
>ところが、本当に強い馬は並んだ瞬間にスッと頭だけ前に出ることができる。体の奥深いどこかに神秘的と言ってもいい力が潜んでいるのである。

きのうのレースで、すごいと思ったとこはゴール前のギリギリんところぢゃなくて、直線向いてゴーサインを出したとこの反応だけどね。なんか、馬が心底から走りたいって思ってなきゃ、あの加速はないように思う。

※5月30日付記その2
録画みてみたら、本馬場入場をウイナーズサークルから入っていってたので、ちょっと驚いた。
GIのときは馬場の内側からダートコースを横切ってというのが常道だったんだけど。
6万人くらいなら大丈夫ってことか。それとも観客が声を出さないという前提なのか。

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それゆけ、ジーヴス

2022-05-28 19:13:05 | 読んだ本

P・G・ウッドハウス/森村たまき訳 2005年 国書刊行会
ジーヴスものをもうすこし読みたいと思っていたところ、今月アタマくらいに古本を見つけた。
『比類なきジーヴス』というのもあったんだが、調べたらそっちは前に文庫で読んだ二冊のなかに全部含まれていたようなので、本書を買った。
原題「Carry on,Jeeves」は1925年の出版だという、もうすぐ100年ですか、それでいま読んでもおもしろいというのはすごいね。
「それゆけ、ジーヴス」というフレーズは本文中にもあらわれる。
>「(略)ジーヴス、これは君の偉大なる知能にふさわしい問題だ。君が頼りなんだ」
>「あなた様のご信頼にお応えいたすべく最善を尽くす所存でおります、ご主人様」
>「それゆけ、ジーヴスだ。(p.217)
とか、
>「ああ、わかったよ」奴は言った。「外科医にメスを揮ってもらう必要があるときだな。わかったよ、ジーヴス。やってくれ。ああわかった、それゆけジーヴスだ。そうだ、そうだジーヴス、それゆけだ。(p.298)
とかって調子だ、おバカな若紳士たちは苦境にたたされると、有能なる執事ジーヴスになんとかしろと命じる、っつーかお任せするしかなくなってんだけど。
雇用主であるバーティーと執事のジーヴスとでは、どっちが上かってことについては、本書冒頭でも、
>実際、僕のアガサ伯母さんなどはジーヴスのことを僕の飼育係だとまでのたまっている。(p.5)
とあるように、明白である、そしてジーヴスは言葉づかいこそバカ丁寧だが、その服はダメだ、そのネクタイはダメだ、その靴下はダメだと、主人を調教する。
バカにされていることにはバーティー自身も自覚があって、
>(略)彼(引用者注:コーキーの叔父)は(略)、コーキーが哀れなバカで、奴が自分で判断して行うことはそれが如何なる方向性をとるとしても奴の先天的白痴性の新たな証明に過ぎないと考える全体的傾向がある。ジーヴスも僕のことをまったく同じように考えているとは僕の想像するところだ。(p.42)
というように認めている。
ジーヴスのえらいとこは、バカなご主人様だけに強いんぢゃなくて、誰と対峙してもひるまない、
>レディー・マルヴァーンは目線の威力でもって彼を凍りつかせようとしたが、そんなものはジーヴスには効かない。彼は完全防目線加工済みなのだ。(p.92-93)
という調子なんで、たいしたものである。
収録作は以下のとおり。
1.ジーヴス登場
 バーティーの婚約者フローレンスが、バーティーの伯父の回想録が世に出ると不名誉なことが多いので、その原稿が出版社に届くのを阻止しろという。「ご満足いただけますようあい努めております、ご主人様」
2.コーキーの芸術家稼業
 バーティーはニューヨークに滞在中、友人の肖像画家を自称するコーキーが、頑固な叔父の機嫌を損なわないように婚約者を紹介したいと相談をもちかけてくる。「かような展開は危惧されたところでございます、ご主人様。ひとつの可能性として胸に去来しておりました」
3.ジーヴスと招かれざる客
 ニューヨーク滞在中、アガサ伯母さんの友達のレディー・マルヴァーンが訪ねてきて息子のモッティーを面倒みてくれという、母親の前ではおとなしかったモッティーは大都会で遊びまわりたかったので騒動を起こす。「さような次第となりましたならば、些少のうそ偽りを用いるが賢明かと愚考いたすところでございます」
4.ジーヴスとケチンボ公爵
 バーティーの友人のビッキーの伯父チズウィック公爵がニューヨークを訪ねてくる、ホントのことを隠して経済的援助を受け続けてきたビッキーとしては実態を知られるのは困るので助けを求めてくる。「わたくしが僭越ながらビッカーステス様とあなた様にご提案を申し上げました計画でございますが、残念ながら完全に満足のゆく結果が得られなかったのでございます、ご主人様」
5.伯母さんとものぐさ詩人
 バーティーの友人ロッキーはニューヨークから離れたところに住んでいる詩人だが、イリノイ州に住む金持ちの伯母が、ニューヨークでの陽気で多彩な暮らしぶりを毎週手紙で報告せよと要求してきて、困って相談にきた。「トッドさまが田舎にお留まりあそばされたいという、ただいまご表明なさったご意志にあくまで固執あそばされるのであれば、この条件を達成いうる方法はただひとつでございます」
6.旧友ビッフィーのおかしな事件
 バーティーがパリに滞在していると、なんでも忘れちゃう友達のビッフィーが訪ねてきて、客船のなかで出会った女性と恋におちたが、彼女の名前も滞在先のホテルも忘れてしまい、再会できなくなってしまったという。「申し訳ありませんが、ご主人様。個人的な問題に介入をいたすのはわたくしには差し出た真似と―― いいえ、ご主人様。さような所業は専横と存じます」
7.刑の代替はこれを認めない
 伝統のボートレースの夜に街であばれたバーティーは五ポンドの罰金刑、ところが友人のシッピーは警官を殴打した罪で三十日の拘禁刑となった。シッピーは伯母の命令でプリングル家に三週間滞在しなきゃならない予定がある、身代わりにバーティーがそこへ行くことにした。「全身全霊を傾注して本件解決に尽力いたす所存でおります、ご主人様。必ずやご満足をいただけますよう、あい努めてまいります」
8.フレディーの仲直り大作戦
 バーティーの友人のいつも陽気なフレディーだが、婚約者とけんかして婚約解消されて落ち込んでいたので、バーティーは海辺のコテージに気分転換に招待したが、そこで彼女に会ってしまったフレディーは仲直りを画策する。「過分の性急さは禁物でございます、ご主人様。お若い紳士様の記憶力が、確実さをもって機能することを拒否いたす限り、我々は失敗の重大なるリスクを冒すことになります」
9.ビンゴ救援隊
 バーティーの友人ビンゴ・リトルは女流小説家ロージーと結婚して円満な生活をしていたが、バーティーの叔母トラヴァース夫人の依頼でロージーが雑誌に結婚生活の赤裸々な暴露記事を書こうとしている、そんなものが公になったら自分は世間に顔向けができないと助けを求めてくる。「遺憾ながら、コックの問題となりますと、淑女方は原始的な道徳意識しかお持ちになられぬものでございます」
10.バーティー考えを改める
 ジーヴスが語り手になっている作品。どういう風の吹き回しかバーティーが養子をとりたいなどと言いだしたので、快適な独身世帯の終焉を避けるために、ジーヴスは海辺での短期滞在静養をすすめて策を練る。「雇用主とは馬のごときものでございます。調教が必要なのでございます。紳士お側つきの紳士の中には、彼らを調教するコツをわきまえている者もおれば、わきまえていない者もおります。幸いわたくしにこの点に欠けるところはございません」

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「週刊文春」の怪

2022-05-22 18:50:03 | 読んだ本

高島俊男 2001年 文春文庫版
「お言葉ですが…(2)」というサブタイトルがあって、こないだ読んだ『お言葉ですが…』の続編である。
なんでも単行本のときは『「それはさておき」の巻』というタイトルだったのを文庫にしたとき改めたそうで。
「週刊文春」の何が怪なのかというと、この雑誌のタイトルについて、少なからず「シューカン ブンシュー」と発音するひとがいるので、それが不思議だという話。
たぶん、「ブン シュン」というのが発音しにくいからだろう、「春分」とか「逡巡」とかってのはあるが、「〇ン〇ュン」って形の言葉はほかにないし、と推察しているが。
そっから話は著者の故郷の播磨を「播州」って呼ぶことに展開してって、「播」の字の読みは「ハ」なのに、「バン」って呼んぢゃうのは文字のツクリの部分を読む「百姓よみ」というものだという。
土地の呼び方については、べつの章でおもしろいのがあって、「姫路」を東京のひとに「メジ」とヒに力を入れて言われると気持ち悪かったという。
地元のひとは、東京のひとが「銀座」というのと同じ平らなアクセントで「ヒメジ」と言うのだという。
ところが愛知県に行くようになって気づいたのは、東京や関西のひとは「名古屋」を「ゴヤ」とナを高く言うんだけど、地元の学生は「名古屋城」のときの発音のとおり平らに「ナゴヤ」と言うんだそうで。
そこで音声学の城生佰太郎先生の説として、地名の発音は「不慣れなうちは頭高型だが、同化が進むに従って平板型へと変化する」(p.69)という理論が紹介される。ふーむ、そうか。
そっから今の若いひとは、平板に発音することが多い、「彼」なんかもそうで不安定に感じるとかいう話になるが。
もちろん、読み方や発音のことばっかぢゃなくて、言葉の由来なんかも勉強になるもの多い。
アメリカのことを合衆国とするのは江戸幕府の役人が始めたらしいんだが、それは中国の『周礼』という古い書物に「大封之礼合衆也」という文言があって、そこからきてるらしい。
アメリカというのは当時の世界ではめずらしく国王がいるんぢゃなくて、国人が頭目であるプレジデントを選び、国人の代表が集会所に集まって政治のことを決めている、なので「大封之礼合衆也」を思い出し、
>「国の境域を定める儀式の際は国人がみな集合する」という意味である。
>国人が一堂に会して国事をおこなうのは、まさしくこの「合衆」にあたる。それでアメリカを「合衆国」と呼んだのである。(p.21)
ということになってるそうな、「州が集まってる」とかヘンなこと言わないようにって。
言葉についてヘンな意見いうひとに対して著者はきびしいが、前著でもそうだったように、辞書にも厳しい、辞書にのってても間違ってるものは間違いなんだと。
とくに編纂者の怠慢には憤懣やるかたないものあるようで、辞書には実際の文献からの用例を載っけろ、編纂者がつまらん作例を並べるんぢゃないという。
>用例があればいつごろからの言いかたかわかるのだが、作例では語の歴史はわからない。(p.224)
とか、
>どうも国語辞典には、文学作品以外の文献に目を配らない、という共通のズボラがあるように思われる。(p.230-231)
というのは、「OED」をつくった話の『博士と狂人』を読んだことあるおかげで、よく理解できる気がする。
どうでもいいけど、日本で最初の結婚披露宴というのは、明治14年に、鳩山一郎の父母である、鳩山和夫と春子が築地のすみ屋でおこなった、なんてことまで教えてくれるのは、言葉の勉強とは関係なさそうな、トリビア仕入れられる本として楽しめるって感じがする。
ところが、そのあとに、翌明治15年に鳩山和夫が「法律事務所」を開業したんだけど、これが
>「事務所」という日本語のはじまりである。(p.100)
なんて展開になるんで油断ならない。
コンテンツは以下のとおり。
松井? うん、全然いい
 義士討入りの日づけ
 「合衆国」とは何ぞや?
 肩書のはなし
 先生に「金之助様」とは!
 タテヨコの論
 松井? うん、全然いい
 少年の手紙
「週刊文春」の怪
 テーコクリッカイグンワ……
 ハツホツの盛衰
 慣れれば平板
 夕焼け小焼けの……
 「週刊文春」の怪
 聖戦カンツイ
 「むめ」「むま」のことから
 披露宴、事務所ことはじめ
附の字の不覚
 親ガメこけたら……
 附の字の不覚
 校訂おそまつ録
 「初老」は御不満?
 うまいものは身の養い
 瓜田に靴を納れずとは?
 たくらだ猫の隣歩き
新聞文章の奇々怪々
 「汚職」の問題
 過酷は苛酷のかわりになるか?
 孫氏の兵法、「全編発見」?
 カミのはじまり
 新聞文章の奇々怪々
 「血税」騒動
 岸田吟香の日記
 漢姓名の日本読み
それはさておき
 それはさておき
 「ごくろうさま」の美学
 最初は亀の踊り
 「すべからく」の運命
 御教示感謝の巻
 出歯亀こと池田亀太郎
 亀の踊りのはやしことば、ほか
「こっちがわ」と「あっちがわ」
 からだことば談義
 どっちが失礼だ
 平和的解決に「こだわりたい」
 「こっちがわ」と「あっちがわ」
 今のモノサシで過去をはかる
 学問に王道なし?
 よしんば、いかなる、おろか
JISとは何者だ?
 全部ベンの話
 数は一からはじまる
 茶臼山の謎
 日本英語は漢文のお化け?
 統廃合と再編・淘汰
 「還暦」と「享年」
 JISとは何者だ?

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視点をずらす思考術

2022-05-21 18:53:32 | 読んだ本

森達也 二〇〇八年 講談社現代新書
最近の私にとって、むかし読んでみたものの、その後は仕舞いっぱなしで忘れちゃってた新書を、読み直してみてるシリーズのひとつだ、これ。(同じ著者の同じころのものと一緒に見つけた。)
初出はいろいろなところへ発表したものを集めて加筆修正したという本、新書でそういうのはめずらしい気がする。
視点をずらすって何のことかというと、世の中ってのは本来多面的なもんなんだから、全員で一方的なものの見方すんのやめないかって話で、まあ、主に当時のメディアに物申すような感じが多い。
>たまたま通行人が撮った場合や監視カメラの映像は別にして、無作為な映像など存在しない。もちろん映像に限ったことではない。文章だって同様だ。いわばメディアは視点なのだ。撮ったり書いたりする主体がどの位置に立つかで、事象や人物像もまったく変わる。つまり客観性など幻想なのだ。(p.126)
というように、主観が入らない映像づくりなんて無いんだから、いいとか悪いとかぢゃなくて、そのこと自覚しようよ、ってスタンスから始まる話が多い気がする。
そうなんだよね、テレビとか新聞に載せる写真だって、いろいろ報道する側の意図が入り込んでるもので、たとえば殺された子供は可愛らしくしてるとか友達と仲良くしてるのを使って「誰にでも愛される子だったのに」感を押し出してくるし、反対にまだ若い犯人なんかのほうは何かできればはっちゃけた写真をわざわざ見つけて貼りだす。
しかし、なんだね、最近のテレビ報道は、防犯カメラとかドライブレコーダーの映像を手に入れて流しちゃあ喜んでるのが多いようにみえるから、もう自分たちで何をつくりたいとかって気持ちも薄いのかもしれないね。
さて、メディアのよろしくないところのひとつの例としては、逮捕されたときは大騒ぎして報道するけど、それが不起訴になったときにはほとんど何も触れない、みたいなところがあげられる。
それで、逮捕されると実名がんがん出すんだけど、そこはまだ容疑があるってだけなのに、名前出されて報道されるとダメージ大きすぎないか気になる。
著者が2004年当時にそういう疑問をぶつけると、だから人権に配慮して手錠にはモザイクかけてます、みたいに答えるひとがいて、困ったもんぢゃないかという。
>すべてを理解して覚悟のうえでやっているのならまだ良い。良くはないが無自覚よりは救われる。最悪なのは自覚がないことだ。手錠や腰縄にモザイクをつけることで、彼らの人権に配慮していると本気で思い込むテレビ業界関係者が少しずつ増えている。なぜなら今のメディアはマニュアルの申し送りが当たり前になりつつある。疑問を持つ人は煙たがられる。こうして麻痺は、思考を奪いながら蔓延する。(p.111)
ってとこから、戦争のときだって、軍の意向に沿うような好戦的な報道を始めたのは、最初はそのほうが売れるからだったのに、そのうち無自覚なまま、世論を誘導するようなことまでするようになったのは、やっぱ考えないで感覚麻痺したまま突っ走ったからぢゃないかという。
著者は「オウム」に密着したドキュメンタリーを撮ったんだけど、そのときに警察が信者に暴行を加える場面をカメラにおさめる、なんで警察がカメラがいるまえでそんなことしたかっていうと、それまでにさんざ同じようなことがあっても、居合わせた報道スタッフってのは誰も咎めたりしなかったからだ、と分かったという、信者をやっつけるのは正義だみたいな空気ができあがってたんだと、こわいねー。
人間は弱い生き物なんで、群れる、それで何か恐ろしいと思うことあると、逃げる、そのとき集団で一斉に一方向に猛スピードで走る、集団と一緒にいかないと生き残れないかもしれないから、同じ方向に走るのは本能というか遺伝子に組み込まれたものかもしれないけど、間違った方向にみんなで行くのも危険かもしれないから、気をつけませんか、そういう傾向の強い日本人のみなさんは、みたいな問いかけが随所にあるんだけど。
たぶん今の日本でもそういう意見は攻撃されるんでしょうねえ。戦争に疑問をもつと、非国民とか声高にやっつけるDNAが流れてるからなあ、やっぱ。
>だから僕のメディア・リテラシーの定義は、「メディアは前提としてフィクションであるということ」と「メディアは多面的な世界や現象への一つの視点に過ぎない」という二つを知ること。(p.42)
だそうですが。
コンテンツは以下のとおり。
少し視点をずらすだけで違う世界が見える
第1章 社会の多数派からずれる
 1 知っているのに知らない死刑
 2 痴漢と逮捕、どちらが情けない?
 3 メディアは危機を煽る
 4 定年をむかえる憲法
 5 裏日本は「心の日本」
第2章 国家を懐疑するまなざし
 1 「愛国心」に自由を
 2 天皇崩御の日を忘れない
 3 なぜ今上天皇は『君が代』を歌わないのか
 4 「憲法前文」正しいか、間違えているか
第3章 多面的矛盾に満ちた「現代の不安」
 1 ビンラディンへの手紙
 2 ビンラディンへの手紙を書いた経緯と理由
 3 ブッシュが示す「凶暴な優しさ」と正義
 4 禁煙への自由
 5 親鸞が残した「わからない」の教え
第4章 あえてメディアをずらして見る
 1 繰り返される六十余年前の「翼賛報道」体制
 2 メディアと権力の親和性
 3 オウム真理教撮影と禅寺の日々
第5章 脱線をおそれないアウトサイダーたち
 1 魚住昭 激しくて優しい業の人
 2 森巣博 「戦争はどうやったらなくなるか」
 3 笠原和夫 「仁義なき戦い」十七歳、初恋の人と観たかった映画
 4 PANTA 過激な「伝説」の歌手
第6章 日々の暮らしのなかのモノの見方
 1 結論を先延ばしにしたっていいじゃないか
 2 読書をする時間を
 3 もうダメ。みなさんさようなら
付けたしのエピローグ

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夢のあもくん

2022-05-15 18:47:25 | 諸星大二郎

諸星大二郎 2022年3月 角川書店
3月に発売になった諸星大二郎の新刊、『アリスとシェエラザード』と一緒に買った、いちどきに諸星マンガの新しいのふたつ読めるなんて至福至福。
シリーズとしては『あもくん』の続きである、と言って今ふりかえると、前刊出たのは2015年だった、もう7年も経ってんのかと驚く。
しかし、本書の「あとがき」で著者自身は、シリーズ最初の「ことろの森」を『幽』に描いたときから18年経ったと、もっとすごい驚き方してます。
初出は、途中で『幽』から『怪と幽』に変わったそうですが、帯によると年3回の発行らしいので、それぢゃ単行本になる本数までたまるには時間がかかる。
でも、前は一話6ページくらいだったりだけど、新しい媒体では12ページとか16ページの長さになっているようなので、また待っていれば単行本にはなるかもしれない。
それでもなんでも、雑誌購読しない私としては単行本にしてくれるとありがたい。
さて、主人公の「あもくん」は少年で、本名は「守」なんだけど、年下の親戚の子が幼くて口が回らないときに「まもる」が言えなくて「あもくん」と読んだのが由来。
親戚の子も今では「守おにいちゃん」と言えるようになった、ときどき父親がからかうように「あもくん」と言うのを守はすごく嫌ってる。
でも、オバケたちとか夢の中の友達とかが、なぜか「あもくん」と呼びかけてくる。
このことについては、かつて「雨の日はお化けがいるから」のなかで、不思議な少女「茜ちゃん」が、「その方がいいわ、ああいうのにはほんとの名前を知られない方がいいの」と名言を残しています。
その茜ちゃんが本書では「逢魔が時」にゲスト出演。
それだけぢゃなくて、「夢のともだち」には、なんと稗田礼二郎先生まで出演、長いことファンやってる者にとってはうれしい演出です。
あ、前作を読んだことないひとのために言うと、なかみは、なんつーか現代風な怪談です、街のなかにいる見たくないのに見えちゃうオバケのこととか、悪い夢で怖いおもいして目が覚めても何が現実か夢なのかわからないとか、そういう感じ。
コンテンツは以下のとおり。
人形少女
羽毛田君の奥さん
こっちでもへび女はじめました
塀の穴
登山君の遭難
海で呼ぶもの
風の強い日
給水塔
夢のともだち
ムンクの女
回談
しつこい夢
マスク
夢の集会
またまたあもくん
逢魔が時
夢の劇場

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