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many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

はてなブログ へ引越しました

2025-06-06 18:20:29 | Weblog
ご案内のとおり、gooがブログサービスをやめるってんで、どうしたものかと考えたんだが、はてなブログへ引越すことにしました。
引越し先サービスとして挙げられているうち、はてなを選んだのは、カテゴリーそのまま移してくれるらしいんで、引越しがラクだろうな、ってだけの理由です。
あとは使ってみなきゃ、どうなるかはわからないし。

ということで移転先は以下のとこ。ブログタイトルは引き継いで同じのままとしました。
many books 参考文献 (←はてなブログ)
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6月1日 日本ダービーでした

2025-06-01 19:00:08 | Weblog
本日は第92回日本ダービー。
前日には雷で午後のレースをひとつ取止めるようなことあって驚いたが、今日はまあまあよい天気になってよかった。
私は午前中から出かける予定あって、レースまでにウチ帰るのもむずかしそうだから、14時前くらいには雑用すべて片づけて、あとは出先でテレビの前に座り込んで観戦ということになった。
今回私が応援した馬は残念ながら負けてしまった(←なんか毎度おなじことを言ってる気がする)、直線ではけっこう力入ったんだけどな。
比べると勝った馬は完成度が高かったな、みたいな感じをもった。この先どんくらい強くなるかは私には全然わからないけど。

さて、ダービーも終わったし、ブログの引越しにでも取り掛かるかねえ。
いや、なんの関係があるといわれても困るが、ダービー終わるとまたトシひとつとるような感覚があって、こっから新年度とすっかあ、って気になるもんで。
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ケストナーの「ほらふき男爵」

2025-05-29 19:24:27 | 読んだ本
E・ケストナー/池内紀・泉千穂子訳 二〇〇〇年 ちくま文庫版
これは今年2月に地元の古本屋で買った文庫。棚を見ていて、あーこんなのあるんだって、手に取ったら、まあふつうの値段だし、読みたくなってしまった。
たしか学生んとき、ドイツ語のテキストで「ほらふき男爵」読んだと思うんだけど、あれはケストナー版だったのかどうかまではおぼえちゃいない。
訳者解説によると、オマージュとかぢゃなく、「再話」であるということらしい。(文学では、カバーとは言わんのかな。)
ナチス・ドイツによって本を焼き捨てられて、執筆・出版を禁じられたケストナーは、どっか亡命したりしないでドイツにとどまり、再話を書いてスイスの出版社から絵本にしたんだという、それが1938年の「オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。
タイトルの「ほらふき男爵」が絵本になったのは戦後の1952年だけど、戦時中に映画のシナリオとして書いたら、作者名つけなかったのにやっぱナチスに目をつけられたらしい。
本書読んでみたら、「ドン・キホーテ」とか「ガリバー旅行記」があったのが意外、それってスペインとかイギリスじゃんねえ、ドイツのもの以外も取り扱うんだ、って。
「ほらふき男爵」はだいたい知ってたような話なんで、一読したなかでは、「シルダの町の人びと」がおもしろかったかな。
まだ火薬が発明されていなかったころのこと、ドイツのへそにあたるあたりにあった、シルダという町の人びとがちょっと変わってたって話。
人の話は真に受けるけど、おかしなことばかりするので、はっきり言って他の町の人たちからは手のつけられないバカ者と思われ、国じゅうの笑いものになっていたという。
しかし、
>シルダの町の人びとは、バカだったのではない。バカのふりをしていただけ。(p.90)
なんだという。
もとは勤勉で有能でしっかり者ぞろいだったんだけど、それで皇帝や国王や太守から招かれることが多く、男たちが町を留守にしているあいだに町は荒れてしまった。
そこでみんな町にかえってきて相談したんだけど、よその地方や国から放っておかれるためには、バカなふりをするしかなかろう、って結論に至る。
バカなふりをしてると本当にバカになっちゃわないかって懸念もあったんだけど、実行に移すのみと突き進んだ結果、心配したとおりになっちゃう。
いいじゃん、それでみんなハッピーなら。
本書のコンテンツは以下のとおり。
ほらふき男爵
 はじめに
 教会の塔にのぼった馬のこと
 馬を丸呑みした狼のこと
 大酒飲みの将軍
 じゅずつなぎの鴨、ならびにさまざまな狩りの話
 まっぷたつの「リトアニア人」
 砲弾にまたがって飛んだこと、ならびにそのほかの冒険
 トルコの太守と賭けをしたこと
 いまひとたびの月世界旅行
ドン・キホーテ
 はじめに
 晴れの騎士叙任式
 十字路の戦い
 風車との戦い
 かぶと半分、耳半分
 魔法の宿
 天と地のあいだ
 カゴに入って帰郷する
 水城と水辺の冒険
 木馬にのって空を飛ぶ
 バルセロナにて
シルダの町の人びと
 シルダの町の人びとは、ほんとうにバカだったのか
 シルダの町の人びと、町役場を建てる
 シルダの町の人びと、共有地で塩をそだてる
 シルダの町の町長は詩人にかぎる
 皇帝、シルダの町を訪問する
 シルダの町の人びと、牛を壁にのぼらせる
 シルダの町の人びと、教会の鐘を沈める
 シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける
 シルダの町の仕立て屋の心臓はどこにあるか
 シルダの町では、むろん、教育は一日にしてならず
 シルダの町の顛末、かつは愚か者を見わけるしるしについて
オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら
 読者諸君!
 オイレンシュピーゲルが三度の洗礼を受けたこと
 オイレンシュピーゲルが綱渡りを覚えたしだい
 オイレンシュピーゲルが蜂の巣で眠ったこと
 オイレンシュピーゲルが病人の治療をしたこと
 オイレンシュピーゲルが、ふくろうと尾なが猿を焼いたこと
 オイレンシュピーゲルがラッパ吹きになったこと
 オイレンシュピーゲルが土地を買うこと
 オイレンシュピーゲルがロバに文字を教えたこと
 オイレンシュピーゲルが仕立て屋に教えをたれたこと
 風が三人の仕立て職人を空に吹きとばしたこと
 オイレンシュピーゲルが毛皮職人をだましたこと
 オイレンシュピーゲルがミルクを買い占めたこと
ガリバー旅行記
 はじめに
 君子危うきに近よらず
 千五百頭の馬で千五百メートル
 皇帝のあらたな悩み
 つまさき立ちして首都見物
 戦艦略奪
 新しいシャツと強敵
 きなくさい話
 別れ、そして帰郷
 巨人がひとり、またひとり……
 大男と大音響
 十メートル以下の子どもは半額
 首都の生活
 海に浮かぶ家
長靴をはいた猫
 まだ猫は出てこない
 遺産わけ
 なみの猫じゃない
 ほしいものが三つ
 シャコのお見舞い
 猫、ふたたびまかり出る
 ハンスは川で水あび
 してやったり
 カラバス伯爵の婚礼
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同期の桜

2025-05-22 19:28:26 | 読んだ本
高島俊男 2007年 文春文庫版
これは先月に買い求めた古本の文庫、「お言葉ですが…(8)」ということで、前に読んだ『漢字語源の筋ちがい』につづくもの、「週刊文春」の2002年から2003年が初出、単行本のときのタイトルは「百年のことば」だったそうで。
タイトルの「同期の桜」ってのは何のことかっていうと、軍歌の「貴様と俺とは同期の桜」ってのは、もとは西條八十作詞で「君と僕とは二輪の桜」だったのを、海軍兵学校で改作したもんだ、っていう話なんだけどね。
軍隊ぢゃあ、僕とか君ってのは禁止で、必ず俺、貴様と言わなきゃなんなかったそうな、そうなると二輪の桜なんて可憐ぽいのぢゃなくて同期の桜ってなったんでしょうと。そんな特段おもしろい話でもないな。
歌の話だったら、「六甲おろしに颯爽と」の颯爽ってのは、この歌ができた昭和11年ころにはやり出した言葉だったんだが、もとは1200年くらい前に唐の詩人杜甫が作ったってのが、意外でおどろかされて、いいと思った。ちなみに昭和15年時点では斎藤茂吉が、颯爽なんて言葉は陳腐だ、こんな語を使った歌は落選させるとか言ってるらしい。
ほかに、おもしろかったのは、2002年時点で「バカ」って言葉を大っぴらに使いにくく感じてきたんだけど、堂々と使っているひとがいるって、生物学者の池田清彦氏の文章を紹介しているところ。
山梨大学教授なんだけど、自分のとこの学生をバカだバカだと言ってるとして、
>日本の大学生の大半は知への憧れも畏れも皆無である。さらに言うならば、自分がものを知らないことを恥じる気配がまるでない。しかし、エゴだけは肥大しているから、意見は一応エラそうに言う。こういう人たちを指して、バカというコトバ以外に言うべきコトバをさしあたって私は知らない。はっきり言って、現在の日本の大学生の八割は、大学に来てはいけなかった人たちなのである。(p.27)
なんてとこを引用してる。さらに、
>この数年、学生たちのバカ化はさらに進んだように思われる。インターネットとケータイの普及に原因の一端はありそうだ。(p.28)
っていう意見を紹介して、そのことを小谷野敦氏というひとが、
>現在の「大衆社会」が、それまでのものと異なるのは、以前は「バカが大学へ入っている」程度で済んでいたものが、「バカが意見を言うようになった」点である。(p.29)
と表現しているって注をつけて、「バカが意見を言う」ってのはすごいなと感銘して、自身はネットわかんないけど新聞読んでもそう思うことあるなんて言っている。
2002年時点で、いわゆる不適切とおもわれる表現についてどんな社会状況だったか私は憶えちゃいないけど、加藤秀俊氏の著書のなかから、「浮浪者」って言葉を使うなって話から、
>広大なことばの大地を自由に行動することをゆるされていたわれわれは、いまでは地雷原のなかを細心の注意であゆむ兵士のごとき存在になってしまった。(略)
>あることばが不愉快だ、とある団体なり個人なりが判定することによって、そのことばが禁句になるのも雑菌排除のごときものなのだろう。そのことによって社会は清潔になる、という信仰のようなものさえ、そこには感じられる。(p.53)
みたいなことを引用している。社会的清潔趣味ってのは、なんだかいやだねえってことだ。
似たようなもんで、新聞に岸田秀氏が、現代日本の教育の崩壊を招いている固定観念の一つとして、「みんな潜在的には平等な能力を持っているという観念」をあげているのに賛成して、
>これは、おなじ年齢の子をあつめて正しい教えかたで野球を教えたらみんなじょうずになる、ということである。そんなことのあるはずがないのは、野球だけでなく、碁将棋でもピアノでも細工でも何でもわかりきったことなのだが、学校の勉強にかぎって、「だれも土台はおなじ、あとは先生の教えかたと当人の努力」ということになっていて、迷惑するのはもともと学校の勉強に適性のない子である。ところがそれを言うとたちまち「人権」だとか「差別」だとかいうコワイ弾劾がふりかかってきて、その背後には「民主主義」という不可侵の正義がそびえている。岸田先生はおっしゃっていないが、根本の問題は民主主義なのである。(p.196-197)
って社会に文句を言ってるとこがあったりする。こりゃあ、もう言葉の問題ぢゃあないね。
あと、どうでもいいけど、桜田門外の変の例をあげて改元について解説してる段があったとこに、興味をもった。
桜田門外の変は、安政七年三月三日なんだけど、三月十八日に改元があって年号が万延となった、それで大概の辞書とかには桜田門外の変は万延元年三月三日って書いてあるというんだけど。
>このことについて、岡田芳朗・阿久根末忠『現代こよみ読み解き事典』(柏書房)の「改元の儀式」の項にこうある。
>〈改元は普通「某々年をもって某(新年号)元年とする」というように改元の詔に記載される。したがって、新年号宣布以前に遡って新年号が適用されるのである。たとえば慶応四年という年はなく、この年はすべて明治元年と称すべきである。しかし、この考え方には異論があって、日本では古くは、やはり改元の日からが新年号であるというのである。〉
>右の文、「しかし」までのところはきわめて明快である。「遡って適用」だから、安政七年は改元の詔によって取消しになり、年初から万延元年ということになる。(略)
>ところが「しかし」のところで急に風向きが変って、とどのつまりは「どっちもありよ」みたいなことになっている。(p.36-37)
ということなんだが、私は「昭和六十四年・平成元年」って併記した書類をたくさん見た経験から、1月7日まで昭和で8日から平成ってのが正しいと思ってたんだけど、年初に遡るとは知らなかった。
どうしてこの話が引っ掛かったかっていうと、以前先祖の戸籍を調べたときに、万延元年一月生まれって表記があって、万延って三月からぢゃないのって疑問もったことがあったからっていう、きわめて個人的な経緯から。
本書のコンテンツは以下のとおり。
われら神州清潔の民
 ピン助とキシャゴ
 大統領夫人の靴とわが本と
 バカが増殖しつつある?
 瞼の母
 桜田門外雪の朝
 ムトウハップは生きていた
 われら神州清潔の民
百年のことば
 百年のことば
 ワンワンキャンキャン
 愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら
 アリャーターンシタア
 大学の略称むかしと今
 きら星のような御経歴
 女碁打ちと探偵作家
 「おはようございます」と「こんにちは」
証拠インメツ
 正露丸式
 稲垣先生の合併字のあつかい
 文徴明か文征明か
 あとみよそわか
 劉宗周の絶食
 天下分け目のホウチン合戦
 証拠インメツ
関西はどこまでや
 中山道笠取峠
 本島の大火
 僭称――パクリ地名
 関西はどこまでや
 土佐日記なはのとまり
 森の都江戸
 尻のつむじ……?
定刻ホテルの一夜
 川上さんの引退の弁
 名監督たち
 六甲おろしに颯爽と
 帝国ホテルの一夜
 六目勝ってもまだ負けだ
 ははァの三年忌
妖しい若武者
 活字と整版
 覆刻はかぶせぼり
 ムマヤシテチウ???
 からたちの花が咲いたよ
 赤い靴はいてた女の子
 妖しい若武者
 少年の理想主義
同期の桜
 同期の桜
 嗚呼玉杯に花うけて
 「玉杯」補遺
 春のうららの隅田川
 左のポッケにゃチュウインガム
 「あなた」と「わたし」
 キューキュータルブーブー
 黄なる帽子は師団兵
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覇者の一手

2025-05-16 19:03:19 | 読んだ本
河口俊彦 1995年 NHK出版
これは今年2月の、よく行く古書フェアで見つけて、たぶん読んだことないはずと、ちと迷ってから買ったもの。
同じワゴンに将棋界関係の本がいくつかあったのはいいとして、丸谷才一の単行本があれもこれもあったのには、ついつい欲しくなって、「文庫で持ってるぢゃないか、本置くとこもう無いぢゃないか、やめとけって」と自分を抑えるのに一所懸命だったのをおぼえている。
あるジャンルとか著者の本がまとまって古書売り場に並んでると、あー好きで集めてたひとが売っちゃったんだなって、当然思うんだけど、どうも最近では、「もしかして持ってたひとが死んぢゃって、残されたひとが処分したのかなあ」みたいな感にとらわれるのは、私自身がトシをとったせいだろうか。
閑話休題。
著者は現役棋士として自分の将棋指しながら、ほかの対局も見てまわって取材して文章にしちゃうという、現在風にいえば一種の二刀流をやってたひとなんだが。
巻末の初出一覧を見ると、本書に収録されているのは、平成4・5・6・7年ころ月刊誌などに寄せたエッセイと、おなじみの「対局日誌」と、NHK将棋講座テキストに連載されたものとなっている。
NHKテキストに連載されたものは、平成5年8月号~平成7年3月号分ってことなんで、だいぶ前に読んだ『将棋界奇々快々』の続きなのか、と後から気づいた。(どうでもいいけど、ここで確かめるため『将棋界奇々快々』をウチのなか探そうとしたら、なかなか見つからなくてホコリ巻き上げる家探しになってしまった。)
「対局日誌」からの抜粋は、昭和61年から平成4年までのうち羽生善治(新四段~B級2組)を描いたものが集められている。
要は、本書は、出版側の意向で、羽生善治を特集してくれってことなんだろうと思う、1995年5月発行なんで、同年3月に羽生が七冠独占に失敗した直後なんだが、とにかく売りたいなら羽生で行こうって出版社の意図は透けて見えるよね。
強くて人気あるの採りあげときゃ間違いないだろってのは、昔も今も変わらなくて、現在におけるその遠慮しない傾向を、私はひそかに「翔平・聡太・玉子焼き」と呼んでいる。
どうも話が逸れてっちゃいそうでいかんね。
でも、著者が、
>曲者同士、ベテラン同士、おもしろい対局がたくさんある。大河小説で名作といわれるものは、本線の物語より、傍流の余談におもしろい話が多い。(p.223)
って書いてるとおり、個性派同士の対戦のぶつかりあいとかにも見どころあって、それを一人の棋士だけとにかくクローズアップするってのは、おもしろさに欠けるものあるよね。
さて、それはそうと、羽生新四段は昭和61年1月31日デビュー戦なんだが、本書に
>「どうしてあそこに谷川さんがいたのかな」
>カメラマンの弦巻さんが首をヒネった。羽生がデビュー戦で勝ったあとの感想戦を、谷川が見ている写真を懐かしそうに見ながら言った。(略)
>たしかに、あの写真はこの世界に特有の因縁を感じさせる。(p.106)
ってあるんだけど、それだと偶然の運命が二人の天才を同じ場にいさせたみたいな感じだが、たしかこのあいだ弦巻カメラマンはNHKEテレに出てたときに、「もう相手が投げるから見に来てよ」って谷川を呼んできたようなことを言ってた。
それなら作った構図だよね、こういうのを語り部みないなひとが、運命だったんだみたいな逸話としてひろげてったりするうちに、真相は藪の中、伝説が勝手にできあがっちゃったりするから油断ならない。
写真をめぐる真相はともかく、羽生は勝ったんだが、著者は、
>ここまでを見て、なるほど強い、とは思ったが、何かもう一つ物足りないものを感じた。だからフォーカス誌の取材に「甲子園の優勝投手みたいに完成されていて、荒けずりの魅力がない」という意味のことを言った。(p.110)
というような終局直後の感想をもっている。
これってのは、
>プロ棋士たちが、新しく入ってきた棋士の卵の実力を値踏みするとき、見るのはただ一点である。「腕力」があるかどうか。スジの良さでも定跡の知識でもない。わけのわからない乱戦を勝ちきる力強さなのである。(p42)
ってあたりと関連してると思われる。
ぢゃあ羽生の将棋を評価してないのかっていうと、そんなこと当然なくて、デビュー半年後くらいのとこで、相手が間違えて詰みを逃れたりして勝ち続けてることなどをとりあげ、
>さて、前に羽生の強運と書いたが、それは大方が言っているのであって、私は羽生が勝つべくして勝ったのだと思っている。つまり、羽生はどう指せば相手が間違えるか、という勝負にはいちばん重要なテクニックを、生まれながらに知っているのである。相手を誤らせる雰囲気があるのだ。これは大変な素質である。棋譜を何万局暗記し、詰将棋を何千局詰ませるといった勉強をしても、相手を誤らせるテクニックは覚えられないのである。(p.113-114)
と語っている。
それってのは、
>羽生の将棋には逆転勝ちが多い。すると、「羽生マジックだ」と騒ぐ。その言い方に私はしらける。羽生の使う術は、大山以来の伝統的なものだからだ。将棋は逆転のゲームで先取点を上げてそのまま逃げ切る、というケースはごく少ないのである。また、チャンスに、きれいなタイムリーヒットが出て得点するより、凡ゴロを打ったら、エラーしてくれて点が入る、といったゲームのほうが多いくらいだ。大山はそれをよく知っていて「将棋は悪い手を指したほうが負けるのだ」と言った。そして、悪い手を指させるため、盤上盤外、ありとあらゆる手を使った。相手の気持ちを読み取るのも天才的だった。チャンスに打席に立てば、誰だってうまくヒットを打とうとする。ところが大山はそうでない。内野陣を見回し、固くなり、打球が来ないでくれと思っている選手を見つけ、そこへゴロを打つのである。(p.18-19)
ってあたりとつながっていると思われる。
将棋は逆転のゲーム、将棋は腕力、の老師が、いまの将棋を見たら何て言うのか分からないが、平成3(1991)年の時点で、
>ここ数年、若手棋士たちの研究会が盛んになったおかげで、序盤が進歩したといわれる。(略)
>そこで感じるのだが、どうも将棋が、よく言えば細かく、悪く言えばセコくなっている。
>最近のプロ野球は、初回先頭打者が出塁すると、判で押したようにバントで進めるが、あれは、1点を大事にするというより、ゲッツーでも食らったときの批判を怖がってのことではなかろうか。
>野球なら、1点の先取点は大きな意味があるかもしれない。では将棋はどうだろう。こちらは、9回2死から5点差ぐらいは簡単に引っくりかえる逆転のゲームだから、最初の失点ぐらいはどってことはない。むしろ少し不利ぐらいが、相手に勝ちを意識させ、悪手を誘うのに好条件ともいえる。大山やかつての米長の将棋術は、そういうことも考慮に入れてあり、人間くさい味があるのはご存じのとおりである。(p.208-209)
なんて言ってるんで、コンピュータが55対45だとか言ってるくらいで何を騒いでんだ、みたいな調子なのはまずまちがいなかろう。
情報収集して暗記することより、才能が大事だっていうような話は、自身の感覚が悪いと卑下するような例を持ち出しつつ、たとえば、
>(略)私などは、第1図で、どうしても▲7六金と上がりたくなってしまう。(略)
>形が悪いと笑われそうと思いながら、つい指してしまうだろう。しかし、本当は、▲7六金は悪手なのである。形を見て、これはだめだとピンとこなくてはならない。そのピンとくるところとは、口で言い表せない。音楽でいえば絶対音感、投手でいえば球を放すときの指先の感覚、と同じで、これは天性のものである。
>(略)結局、プロ将棋は90パーセント以上才能のあるなしで決まる。センスのない者はいくら勉強してもたいしたものにはならないのだ。(p.221)
なんて言ってますが。
昔はよかった、って、つい言ってしまいそうになるのは、コンピュータが示す最善をどうこういうようなもんぢゃなくて、才能と美学みたいなもんの話があるからで。
平成6(1994)年の、羽生の対局ぢゃなくて傍流の余談かもしれない、内藤國雄九段の対局を観ていて、終盤の勝ちを決める一手を「これが内藤の手である。」と紹介して、終局後に感想戦に加わって、控室ではそこでこういう手を指せば相手の攻撃戦力を封じ込めて確実な勝ちと言ってたんだけど、どうかと聞いてみて、
>富岡はすぐ「それでいけません」と言った。しかし内藤はうなずかない。「そういう筋はわかっても指せんのや」と笑った。
>これにかぎらず、感想戦を聞いていると、内藤の美学と才能にほれぼれさせられる。プロ将棋の表に現れた手は氷山の一角にすぎない。真の素晴らしさは、指されなかった手のなかにあるのだ。(p.246)
みたいな話を書き残しておいてくれてる、いいなあ。
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