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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

短歌ください 海の家でオセロ篇

2024-08-15 19:28:24 | 穂村弘
穂村弘 2023年 KADOKAWA
これは今年5月の古本まつりで見つけて買った、読んだのは最近だけど。
新刊出てたの知らなくて、いきなり古本見つけてややおどろいたんだが、第4弾の「双子でも片方は泣く夜もある篇」までは読んでたんで、せっかくだから読むかあって。
ってのは、最初の2冊くらいはたしかにおもしろいおもしろいって読んだ記憶があるんだけど、第3弾、4弾くらいになると、もういっか感もちょっと感じてたんで、まあ、それだけ私には短歌愛みたいなものがないってことなんだけどね。
「ダ・ヴィンチ」の連載の第121回から166回までをまとめたものだということで、2018年から2022年くらいの時期なんでしょう、毎回のテーマに沿ったお題投稿と、常に募集している自由題作品があります。
タイトルの「海の家でオセロ」ってのは、なんのことかっていうと、「アルバイト」ってテーマで募集された回の一首が、
「海の家でオセロを売っていましたと夏の終わりにあなたは笑う」(p.82)
っていうところからきている。よくわからんなあ私には、なんのアルバイトなのか。
同じアルバイト題のなかでは、私は、「そんなこともできないのかとあきれられどんなことかもわからずにいる」(p.80)ってほうが好みだな、これは全部ひらがなで書きたくなる気持ちもうすうすわかるような気がする。
うーん、今回一読してみたところ、あんまり、これ、いい、って直感的におもうものが多くなかったなって気がする。
それは上に書いたように、私の歌に対する関心がうすれてるというか、感度のようなものが落ちちゃってるせいぢゃないかとおもう。
それでも、こういうのおもしろいかもって思ったのをいくつか引用しておきますか。
「大丈夫あなたの見つめるくちびるであなたの天敵やっつけてあげる」(p.153)
これはテーマ「苦手な食べ物」ですね、すてきな宣言です。
「乱気流に突入します、すみません機長は乱気流が好きなので」(p.185)
これはテーマ「飛行機」、妙におかしい。
「平安にウインクとかはあったのかなあ自由研究はそれがいいのに」(p.232)
これはテーマ「宿題」、宿題をヤダとか大変とかでとらえない発想がいいと思います。
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よくわからないけど、あきらかにすごい人

2024-06-05 18:57:11 | 穂村弘
穂村弘 2023年 毎日文庫
これは5月くらいに買った、わりと新しめの文庫、すぐに読んでみた。
穂村弘さんによる対談集なんだけど、2019年に『あの人に会いに 穂村弘対談集』ってタイトルで単行本が出てたんだそうだ、まちがって古本で単行本買ったりしないようにしないとね。
ややこしいことに、『辞書のほん』(PR誌?)に掲載してたときは『穂村弘の、よくわからないけど、あきらかにすごい人』ってタイトルだったらしい、単行本にしたあと文庫にするとき元に戻したってことか、まあ、このほうがたしかにいいタイトルなんぢゃないかとは思う。
対談相手は穂村さんのいわば憧れの人ってことになる、創作活動をするいろんなひとに、どうしたらそんな素晴らしいもの作ることできるんですかってあたりを聞きにいく、っていう楽しそうな企画。
私のよく知らないひとが多いんだけど、まあスゴイものを作るひとの話なんだから、読んでておもしろい、一回あたりの分量がちょっと少ないように思えてそこが物足りないくらい。
写真家・荒木経惟さんの回とか、とにかくおもしろい、なんせ自分のこと天才と自認してっから、その発言がちょっとふつうぢゃない。
自分の才能を確信してても、そのこと証明できない人いっぱいいるけど、ほかの人となにが違うのかと問われて、
>生まれつき、としか言えないかもね。(p.76)
とか、カッコいいっす、続けて、
>ダメなやつがいくら撮ってもダメなんだよ。撮る人の人間性を写真がバラしちゃうんだ。(p.77)
とか言い切るのも、うらっかえせば自分はスゲエって言ってるってことだよね。
撮影のときに被写体とどう向き合うか問われると、
>愛しい気持ちをぶつけてくんだよ。(p.78)
って答えるまでは、ふつうの写真家でも言いそうだけど、更問として、ぢゃあ建物とかに対して自分のなかの愛情ってどう見つけるのかって訊かれて、
>そこにアタシの才能が溢れ出ちゃってるんだよ(笑)。(p.79)
って答えちゃうんだから、天才なんだからしょうがないというか。
でも、1972年に電通を辞めたころについて触れたときに、
>あのころはまだ、心の中が舗装されてない時代だったよ。(p.84)
って、さらっと言ってるあたりに、なにかのヒントがありそうな気がする。
谷川俊太郎さんのインスピレーションに関する話も興味深いものあった。
インスピレーションって、空から降ってくるとかって(雷に打たれるとか?)イメージのほうが一般的っぽいんだけど、谷川さんは「下から来る」んだという。
どういう体感なのかと問われて、
>植物が土のなかに根をはりめぐらせ、養分を吸い上げるイメージです。日本語という土壌に根を下ろしているという感覚が、ぼくには常にあります。日本語はすごく豊かですよね。長い歴史もある。その土壌に根を下ろして、そこから言葉を吸い上げて、ある種のフィルターによって言葉を選ぶ。そして葉っぱができたり花が咲いたりするように詩作品ができてくる。(p.17)
って答える、すごくいい表現です、下から来るものは尽きることがないから信頼できる、とも言われると、そっかー地に足つけて生きてかなきゃって気にさせられる。
ちなみに、別の人との回で穂村さんは、
>たとえば、将棋って二人でやるゲームですけど、自分と相手だけじゃなくて、その対局を見ている神様がいるっていう感覚があると思うんです。(略)
>それと同じようなことが、短歌にもある。五七五七七という枠にはまる究極の一首があるはずだっていう感覚です。その一首を書けたときに拍手の音が聞こえてきて空が割れて「ついにその歌を書いたんだね」って神様が降りてくるようなイメージですよね。(p.132)
みたいなこと言ってるんで、やっぱどっか上から降りてくるイメージもってるのかなって思わされた。
あと、高野文子さんのマンガって、私にとって読むの難しいかもって気がしてたんだけど、穂村さんが本書の対談で、通常のマンガの暗黙のルールとちがうものあって、「なんだか作品から攻撃されているような」というと、
>攻撃してたんですよ。マンガは、攻撃しなきゃだめだと思ってやってたんです。(略)
>よし、どこから斬りつけてやろうか、って考えて描いてたんですから(笑)。(p.142)
って作者ご本人が答えてるんで、あー、そうだったのね、と思った。ふむふむ。
コンテンツは以下のとおり。
谷川俊太郎 詩人
 言葉の土壌に根を下ろす
宇野亞喜良 イラストレーター
 謎と悦楽と
横尾忠則 美術家
 インスピレーションの大海
荒木経惟 写真家
 カメラの詩人
萩尾望都 漫画家
 マンガの女神
佐藤雅彦 映像作家
 「神様のものさし」を探す
高野文子 漫画家
 創作と自意識
甲本ヒロト ミュージシャン
 ロックンロールというなにか
吉田戦車 漫画家
 不条理とまっとうさ
解説のような、あとがきのような、ふむふむ対談
名久井直子 ブックデザイナー
 憧れってなんだろう
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野良猫を尊敬した日

2024-03-07 19:30:33 | 穂村弘
穂村弘 2021年 講談社文庫版
ひさしぶりにまだ読んでないものを読むことにしてみた穂村弘さんのエッセイ集、買ったの今年の1月だったかな、最近読んだ。
初出はおもに2010年から2016年くらいにかけての北海道新聞に掲載されたものらしい、単行本は2017年刊行、知らんかった。
タイトルの「野良猫を尊敬した日」ってのは、どういうことかというと、ちゃんとそういう題の一節があって、風邪をひいてしまって(2016年なんで現在ほど感染症に深刻ではなさそうだが)熱はあるし節々は痛いしだけど、翌日には入場料とっての人前に出る仕事があってキャンセルできないのでツラいなあと思うなかで、
>でも、と考える。野良猫はもっと大変だよな。だって、私には家も布団も暖房も加湿器もルルアタックも葛根湯もポカリスエットもある。それなのに、こんなに苦しいのだ。
>一方、野良猫には何もない。今みたいな真冬に風邪をひいたら、一体どうするんだろう。
>熱でふらふらの私の頭の中で、野良猫への尊敬の思いがむくむくと膨れあがっていった。(p.221「野良猫を尊敬した日」)
というように考えたって話なんだけど、自分の体調でいっぱいのはずなのに、なんで野良猫へ思いを巡らせちゃうのか、そういうトンでる発想がおもしろいですね前から。
穂村さんのエッセイには、よく、ほかのひとはふつうにやっていることが自分にはどうしても自然にできない、みたいな告白のようなネタがあって、本書にも、採血のへたな看護師にあたってしまったけど他のひとに代わってよと言えないとか、スターバックスに行くとおしゃれすぎて自分の身の丈にあってないような気がしていつも同じものしか注文できないとか、まあ、あるんだけど。
おや、と思ったのは、女性と話していると男の幻滅ポイントについて教えられる、たとえばキーボードのエンタキーだけ強く叩く人がいて嫌だとかって言われたりしたときに、
>こういう機会があるたびに、メモメモと思いながら、私は覚えたばかりの幻滅ポイントを自分の手帳に書き込む。人生の参考資料だ。(p.93「男の幻滅ポイント」)
って書いてたんで、あー、そーゆーのまめに学習するんだーと感心した、「人生の参考資料」って言いかたがいいねえ。
あと、長年インターネット環境を自宅につくらないでいたり、所有してる車に全く乗らないでバッテリーがあがっちゃって毎度交換してたりすることについて、
>こういう性格をなんというのだろう。惰性的というか慣性的というか、目先のちょっとしたハードルを越せないまま、結果的に起こる面倒をいつまでもいつまでも引きずってゆく。(p.74「できない人」)
って反省するのはいいんだけど、そっから、
>銀行強盗とか密輸とか複雑な詐欺とかのニュースをきくたびに、凄いなあ、と思う。なんて計画性と行動力があるんだろう。そんなに頑張れるなら、犯罪に手を染めなくても、普通の仕事だって充分できるだろうに。(同)
って方向に感想をもってくのは、やっぱちょっとトンでておもしろい。
でも、一読したなかでいちばん私が興味ひかれたのは、穂村さん自身のネタぢゃないんだけど、次のようなもの。
>先日、大学の先生をしている人から次のような話をきいた。新入生に向かって最初の授業を終えたところで、いつものように尋ねたのだという。
>「何か質問はありますか」
>それに対して、ひとりの学生が手を挙げた。
>「ここからいちばん近い自販機の場所はどこですか」
>うーん、と私は思った。そして彼に尋ねた。
>「で、何て答えたんですか」
>「ふざけんな、って叱ったよ」
>だろうな、と思う。我々の感覚からすると、それが常識だ。(p.68「常識の変化」)
まさかフィクションではなかろうが、たぶん新入生はなんもおかしいとはおもってないんだろうと思うと、世の中はどんどん不思議になってるなあって気がする。

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図書館の外は嵐

2021-06-13 18:39:44 | 穂村弘

穂村弘 二〇二一年一月 文藝春秋
サブタイトルは「穂村弘の読書日記」で、「週刊文春」に「私の読書日記」として連載しているのの2017年7月から2020年7月のをまとめたらしい。
書店で見かけて、買ってみようとしたのは2月だったかな、例によって最近になってやっと読んだ。
本の紹介とかされちゃうと、また読まなきゃいけないって思ってしまうもの増えて危険かなとも思ったんだが、目次パラっと見たら諸星大二郎の『BOX』とりあげたりしてるんで、ついつい買ってしまった。
ちなみに『BOX』最終第三巻を読んだ穂村さんは、
>結末を読んで感動した。さすがは諸星大二郎。(略)隠されたテーマとは、人間のアイデンティティだった。それに触発されて、自分の中で考えが走り出す。(p.40)
と、いろいろ考えさせられて読んだ者を遠くに運ぶという作品の力をほめたたえてる。
各章で複数の本をとりあげているので、けっこう数多く紹介されていて、ほとんど読んだことないものばかりだったけど、今回はそれほど読んでみよっとリストアップする必要を感じたものはなかった。
なかで気になったのは、電車出発までの数分で「初めての旅先には初めての作家がいい」と咄嗟に選んだという、佐藤究の『QJKJQ』。
>ところが、これが大当たり。(略)これ、最高のやつじゃないか。(p.88)
って勧めかたがいい。
で、そのあとに、面白い本を読むと、いったん顔をあげて辺りを見回すくせがあるんで、このときもそうしたんだけど、
>この前そうなったのは、ザミャーチンの『われら』の冒頭付近を読んだ時だった。
なんて、サラって書いてあったりして、それがまた気になってしまったりした。
コンテンツは以下のとおり。
「わたしたち」と「ぼくら」
奇蹟の新作たち
異形の「生活の知恵」
最高の告白
アイデンティティの謎
「いい感じ」の作家
不可思議の理由
「気絶人形」たちの歌
ほんとうの夏休み
追い越された未来
鏡の中のなぞなぞ
つげ義春の魔力
世界を更新する眼
蟻の街見たし
「二二んが四」を超えて
アウトサイダーの輝き
多佳子と三鬼と清張
メタの鍵を持つ作家
大島弓子の単行本未収録作品など
少女たちの声
誰かが誰かを捜す物語
「クラムボン」の仲間たち

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短歌ください 君の抜け殻篇

2019-11-23 17:59:20 | 穂村弘

穂村弘 2016年 KADOKAWA
こないだ、このシリーズの「双子でも片方はなく夜もある篇」を読んだんだけど、それより前に刊行されてたこの第3弾を読んでなかったんで、先月買って、さっそく読んでみた。
「ダ・ヴィンチ」の連載(実を言うと私は読んだことないんだけどね)の第61回から90回までをまとめたものだとのこと、2013年5月から2015年10月だって。
毎回お題が決められてる募集テーマ投稿と、いつでも募集中の自由詠があって、テーマ決まってるほうが人それぞれでとりあげる角度のちがいとかあるんで私にはおもしろい。
それにしても、読んでて思ったんだけど、これやっぱ穂村さんの解説があるからいいんではないかと。
ひとつの作品につき、2,3行だけの短いものだけど穂村さんの評がついてて、もしそれ無くて歌だけがズラっと並んでたら、たぶん私は飽きる、っていうか読んでて意味わかんないと思う。
「触感的なオノマトペがいい」とか「サ行音の連鎖が意識されています」とかって音のテクニックのこともあれば。
「どきっとしますね」とか「妙なリアリティがある」とか「突き刺さる説得力」とかって斬新な表現への共感のようなもののこともある。
そんななかで私がひかれるのは、
>世界には見える法則と見えない法則があるみたいですね。自然科学が前者の担当で、詩歌は後者の担当。(p.205)
みたいに、さらっと語られる短歌論のようなもの。
ちなみに、これは「信号がかつてないほど連続の青でほどけたままの靴ひも」という歌、靴ひも直したいときに限って止まるタイミングがないってことを切り取ったことへの評。うーむ。
特に短歌のよしあしがわかるわけぢゃない私が、今回一読したなかで気に入った歌のいくつかを以下に引用。
(価値観が確立されてないので、こういうの何が自分のどこかにひっかかるのかは体調次第だったりする。)
「ウィンカー出さずにキミが曲がるたび世界に二人だけの気がした」(p.114自由題)
「七月に君が眼鏡をかけて以後好きです以前は覚えてません」(p.119眼鏡)
「鳴きまねににゃーと応えてくれたけど私は猫語でなんて言ったの」(p.194猫)

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