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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

勝負の店

2024-09-25 19:37:35 | 読んだ本
久住昌之 2022年 光文社
これは今年5月の古本まつりで見つけて、タイトルと著者名見て、すぐ買うの決めた、おー、こんなのもあるんだ、って感じで。
表紙の画見ただけぢゃ、マンガだかふつうの本だかもわからんくらいなんだけどね、エッセイ集でした。
(だって、男の画はどう見ても『食の軍師』でおなじみの本郷だからねえ、久住さんぢゃなく。(たとえば『食い意地クン』の表紙は久住さん。))
初出は『おとなの週末』の2016年~2022年だという、見たことないけど、それ、月刊誌なの。
(いま気づいたが『おとなの週末』は講談社なのに、本書の出版は光文社なの?)
内容は、「孤独のグルメ」よろしく、旅先とかで見つけた飲食店に、なんの予備知識もなしに己の勘を頼りに入ってく「勝負」をするときの話。
>自分の勘だけを頼りに「この店はイイのかツマラナイのか」と悩み、勝負をかけて入る。そしてそこで、食べ物や店主の対応に一喜一憂しながら、この店に入って正解だったか、それとも失敗だったか、考えつつ飲み食いするのが「勝負の店」だ。
>入りばな「ここはいい店」と答えを教えられると、コドモみたいにスネたくなる。
>なんて、他人から見りゃ、どうでもいい話なんだろうけど、そこがボクは面白いのだからしかたがない。(p.17)
って書いてあるとおりですね。
だから、イイかワルイか分かんないどころか、あきらかに相当入りにくいの部類に属する店の前でもさんざ悩んだうえで入ってったりする。
>今の若者だったら、ここですぐスマホを出して「高円寺 〇〇〇」で検索するだろう。するとたちまち店内の写真や料理やメニューや、入った人の感想や評価が出てくる。
>しないんだよ、そんなこと、俺は。勝負だから(ちょっと、自慢)。
>自分の観察力と、想像力と、過去の経験と、研ぎすました勘を総動員して、ここで飲食しようと決断し、勇気を奮って、店に入るのだ(ちょっと、大袈裟)。(p.47)
ってことです、勝負するのがたのしい、そこに悦びがあると。
お店の前で入ろうかどうしようか迷うのは、食べ物のメニューがどうかってだけぢゃなく、常連がいっぱいで何だこいつ的視線が突き刺さってくるような店内ぢゃなかろうかとか、そういうことも含まれる。
んで、勝負ってのは、料理の味がウマイかウマクないかだけぢゃないんだよね、店のひとの対応も大事、「これ量多いですか」って訊いたら「あ、少なめにしましょうか」と言ってくれるとか、食べたいけど既にほかで食事してきたからとかいうと「ハーフサイズにします」と言ってくれるとか、そういう気配りとか融通利かせてくれたりするのも大事。
それにしても、「孤独のグルメ」のテレビドラマに出てるせいで、いくつかの店では「クスミさんでしょ」とか声をかけられてたりしてる、テレビの力おそるべしだね。
どうでもいいけど、ウチから歩いて行けるとこにもドラマにとりあげられたお店あるんだけど、以来いつ通りがかってもすごい行列ができるようになっちゃった。
べつに私はその店に前からよく食べ行ってたとかぢゃないんで、もう普通にいつでも入ってけないなとか困ってしまったわけでもないから、いいんだけどさ。
いつも思うのは、あのドラマ見て、その店わざわざ行ってみよう(巡礼っていうの?)とか、テレビに出たメニューを絶対食べようとか、そういう人の考えかたが不思議、よくわからない。
だってねえ、それこそ何の事前の情報もなしに、思いきって飛び込んでって、これはどんなものだろうとか想像しながら、予想どおりだったり違ったりしながら出てきたものを、いいぞいいぞと食べるのが、あのドラマのおもしろさぢゃないですか。
それを、テレビでやってたからって、出掛けてって同じもの頼んで食べるって、「自分は「孤独のグルメ」ファンだ」とか言うのかもしれないけど、やってることは真逆だよね。
まあ、自分でなにか新しいもの見つけようとか開拓してみようとかなんてことはサラサラやる気がなくて、ただただ追体験をしたいだけなのかもしれない。そういうひと多いよね、っつーか増えたよね。
コンテンツは以下のとおり。タイトルがもろ「孤独のグルメ」してる。(「スパゲテーナポリタン」とか店側の表記を尊重しているのは『小説中華そば「江ぐち」』のころから変わらん。)
1 岡山県岡山市の珍味ピータンと支那そば
2 和歌山県和歌山市のすっぱい大根漬け
3 東京都武蔵野市の肉じゃが
4 新宿区中井の地酒とツブ貝
5 練馬区立野町の鯵の唐揚げ
6 練馬区関町の正油ラーメン
7 杉並区高円寺のピーマン炒め
8 北海道函館市のししゃも焼きと三平汁
9 杉並区阿佐谷の馬刺と濃口醤油
10 墨田区押上の透明グリーンソーダ水
11 東京都三鷹市のスパゲテーナポリタン
12 上海田子坊の海藻がのった揚げピーナッツ
13 東京都武蔵野市の牡蠣グラタン
14 葛飾区四つ木のカツオ刺(気仙沼)
15 東京都武蔵野市の賞味期限切れ塩エンドウ
16 東京都府中市の鴨せいろ
17 岐阜県飛騨市神岡町の奥飛騨らぁめん
18 群馬県前橋市の立派な3皿のお通し
19 佐賀県鳥栖市の玉子入りラーメン
20 千葉県柏市のシャヒジャルカレー
21 練馬区関町のBセットグリーンカレーつけうどん
22 埼玉県秩父市の焼鳥とピーマン、ポテトサラダ
23 台東区谷中の3小鉢とドライカレー
24 神奈川県南足柄市のおしつけ(あぶらぼうず)
25 豊島区西巣鴨の焼鳥と鰆の西京焼き
26 台東区浅草のもつ焼きと赤鶏のたたき
27 静岡県伊豆市の餃子と焼きそば
28 大田区糀谷のラーメン
29 佐賀県藤津郡太良町の焼きめしと豚汁
30 東京都西東京市のワンタンメン
31 栃木県宇都宮市のロース生姜焼き定食
32 鹿児島県奄美市の日替わり定食700円
33 東京都西東京市の煮込みと焼鳥
34 佐賀県唐津市のおでんと焼鳥、そしてちりめんじゃこ
35 新潟県燕市のもやし炒めとラーメン
36 大阪府大阪市のきざみうどん
37 大阪府高石市の生ハムと水ナスのサラダと、お造りハーフ
38 台東区上野のきびなごの一夜干しとふぐ入り湯豆腐

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忘却の河

2024-09-18 19:59:52 | 読んだ本
福永武彦 昭和四十四年 新潮文庫版
これはことし5月の古本まつりで買った文庫、最近やっと読んだ。
もとはというと、百目鬼恭三郎『風の文庫談義』読んだときに、やたらホメられてたんで読んでみたくて探してた。
いま、そっちをあらためて見直してみると、福永小説の特色は読者を小説世界へひきこむことだとして、本書の一節をあげてみて、
>かくのごとく直截に読者の心をとらえる文学作品はきわめて稀であり、私の知る限りでは、斎藤茂吉の短歌、萩原朔太郎の詩と、福永の小説だけなのである。(『風の文庫談義』p.158-159)
なんて言っている、私は福永作品これまで読んだことなかったんだけどね。
読んでみると、第一章では会社の社長やってる年配の男らしい「私」が一人の部屋でこれを書いているって話なんだけど、ある台風の夜に道で具合悪そうにしてる見知らぬ女性を助けるんだが。
いろいろ回想してくんで、時間がよく過去に飛んで、子どもんときのこととか、戦争に行ってたときのこととか、戦後にまだ若いのに身体を悪くしたときのこととか、なんかグダグダしてんなあって気がしてくる、自分の体験を自分の友人の話として語りだしたりすると、おいおい良くないよとか思ってしまい、なんか楽しく感じない。
男は家族からは冷たい人だと言われてたりするんだけど、
>人は他人の見るようにしか見られないし、他人によって見られることの総和が、つまりその人間の存在そのものであるのかもしれない。私は格別異を立てるつもりはない。(p.46)
とかって、冷静というか開き直った感じである。
そういう冷たいというか、感情に流されないような人になったのには、それにはそれなりの体験があったからなんだけど、そういう過去含めて、かなわんなあ、この調子でずっと独白聞かされるんかい、って思ってるとこで第二章に入る。
そしたら、ガラッとおもしろく感じる、第二章では男の娘、長女が中心になって話が語られてく。
長女の母はよくわからない病で自宅で寝たきりなんで、長女がめんどうをみる役割を担ってる、父は冷たい人だしね。
母を置いて家を出るわけにもいかないんだけど、それでも両親からお見合をしろと言われて、するにはしたがやっぱ結婚する気にはならない、などなど現在の話もありながら、彼女には彼女の気になる記憶があったりして、それ突き止めようと行動を起こしたりしてくると、なんか物語は興味深くなってくる。
そうすると、第三章では次女が中心になる、まだ学生でサルトルの戯曲の芝居の稽古に忙しかったりして。
第四章ではふたりの娘の母、寝たきりの病人の「わたし」の想いが語られる、
>おそらく誰でも、ひとは忘れている時間のほうが長く、ときたま思い出せばそれまで忘れていたことを忘れるのだ。いつもいつも思い出しつづけていたようにつごうよく考えるのだ。(略)それにしてもわたしたちはどんなに多くのことを忘れて行くことだろう。(p.143)
とか、なんか刺さってくるものある。
第五章は長女と交友のある美術評論家の視点で語られて、第六章ではふたたび次女が中心になり、最後の第七章ではふたたび二人の娘の父が自分の内面を語ることになる。
ひとの内面を(とくに自身が)あーだこーだ書き連ねてく小説は、以前(ってのは若かりしころ)に比べて好きぢゃなくなってきてんだけど、娘さんふたりの視点から書かれてるとこがあるから、深みでて良くなってる気がする、性格もちがう長女と次女それぞれが、自分は両親のホントの子ぢゃないのかもしれないなんて思ってるとこ、なかなかいい。
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読書人 読むべし

2024-09-11 19:10:05 | 読んだ本
百目鬼恭三郎 昭和五十九年 新潮社
これまでいくつか読んだ百目鬼恭三郎さんの本なんだけど、タイトルから、まあ書評集だろうと見当つけて、ことし6月ころに買い求めた古本。
(なんたって、以前読んだ『現代の作家一〇一人』とか『風の書評』がおもしろかったからねえ。)
読んでみると、全然気楽な感じぢゃなくて、読書人ってのはずいぶんと専門的なひとを指すんだな、と思わざるをえない感じ。
書評だったらひとつの章で一冊をとりあげてになるんだろうけど、本書はテーマごとに、これ読みなさい、こんな本もあるよと、これでもかってほど書名が出てくるんで、どれがおもしろそうとかって感じにならない。
しかも、いま書店にある最近書かれた本の話ぢゃなく、近世とか近代の本から読まなくちゃいけないらしく、それって文献じゃんって気にさせられる。
それと、わりと序盤を読んでるうちから、専門の書店で探す必要あるとか、絶版で品切れだとか、古本でもすごい高価だとか、入手困難みたいに書かれてること多いんで、なんだよー無理なら教えてくれなくてもいいよー、と思ってしまう。
まあ、最初のところは日本の古典に関してだから、しょうがないのかもしれないけど、ちなみに個人の歌集である私歌集を読むってのは探してくるのが大変って話のなかで、
>これも結局は、万葉以外は歌でないという近代以来のまちがった短歌観のせいなのだろうが、こんな断絶をそのままにしておくのは、日本文化にとって大きな不幸である。(p.28)
なんて言ってます、これって正岡子規の影響デカ過ぎって話につながるんだろうねえ。
それにしても、万葉集にしても古今集にしても古典の和歌を読もうとは思わんなあ、ちなみに著者は、百人一首から始めるのがいい、とは言ってますが。
後半戦になって出てくる、探検記とか伝説とか伝記とかってのなら、読んでみてもいいかなって気にすこしなってくる。
どうでもいいけど、中国の古典で論語についての話題のなかで、
>このように古い言語は、吉川幸次郎が『古典への道』でいっているように、どうせわかりっこはないのだから、それよりは、注釈者が『論語』についてどう考えたかということのほうが重要であるのかも知れない。そうだとしたら、あれこれ諸説を対処的に取り入れているだけで、注釈者の『論語』観が一向に見えない注釈はだめだということになろう。(p.174)
とか言ってたりして、「どうせわかりっこはない」ってのも潔いんだけど、注釈がよくないとダメってのは日本の古典といっしょで、そうはいってもシロウトにはどんな注釈ならいいかってのは見抜くの容易ぢゃないなあ。
コンテンツは以下のとおり。章のタイトルのあとの一文は本書目次にあるもの。

日本の古典(I)
 『万葉集』や『源氏物語』から読み始めるのは感心しない。まず『百人一首』から入るのが一番。
日本の古典(II)
 全集・叢書のどれかひとつを揃えて、安心してはいないか。いい本がずいぶん抜け落ちている。
飲食の本
 日本酒なら坂口謹一郎『日本の酒』、中国の食物なら篠田統『中国食物史』、ワインならアレック・ウォー『わいん』……。
歌舞伎の本
 芸談集『役者論語』は玄人向きだが、素人にも面白い。『舞台観察手引草』は評判通りの名著。
旅の本
 江戸期のものは各地の風俗を伝えて興味深い。斎藤茂吉『ドナウ源流行』、チェーホフ『シベリアの旅』は落とせない。
探検記と地誌 日本編
 探検記は数少ないが、そのなかで注目すべき作品は、地誌を知る手掛りは吉田東伍『大日本地名辞書』が随一。
探検記と地誌 外国編
 ヘロドトス『歴史』、クラヴィホ『チムール帝国紀行』、ムアヘッド『白ナイル』『青ナイル』など、名著傑作は数え切れない。
神話
 ギリシア神話は勿論、日本、中国、インド、古代オリエント、北欧の神話の知識もひと通り知っておきたい。
伝説と昔話
 日本の聖徳太子伝説や源義経伝説、外国のトリスタン伝説やドラキュラ伝説やドン・ファン伝説をもう少し詳しく知るには。
中国の古典(I)
 日本の古典に親しむためには、中国の古典は避けて通ることができない。まず『論語』を含む経書を。
中国の古典(II)
 詩・史書・怪奇譚には読むべきものが多い。なかでも、人物を生々と描き出した『史記』の面白さは類がない。
伝記
 自伝なら長谷川伸『ある市井の徒』、タイ・カップ『タイ・カップ自伝』、伝記ならジョン・オーブリー『名士小伝』などは実に楽しい。
辞書
 『日本国語大辞典』と『大漢和辞典』があればもういいというものではない。役に立つ小さな辞書がどうしても必要である。
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世界短編傑作集3

2024-09-05 19:37:44 | 読んだ本
江戸川乱歩編 1960年 創元推理文庫
ことし3月ころに買い求めた古本の文庫、シリーズは時代順に作品並べてってるらしいんで、こないだ読んだ第2集のあとから、ぼちぼち読んでった。
1925年から1929年の作品が収録されてんだけど、途中で編者の評として、1925年に発表された名作が多いことを「この年は本格短編にとって忘れえぬ年といえるだろう」と紹介してる、大正14年かあ。
古い時代のものだし、不勉強な私だし、読んだことないものばっかりなんだけど、蒸し風呂のなかで使われた凶器の話(「茶の葉」)とか、体育館みたいな密室のベッドの上で大金持ちが餓死した謀略の話(「密室の行者」)とかは、子どもん頃どっかで紹介されてんの見たことあった。
それだけアイデアが秀逸だっつーことなんだろう、もともとはこういう小説だったのねという発見ができて、なるほどねえと思うものあった。
収録作は以下のとおり。物語の序盤のうちから引用して何となくどんな話だったかのメモとして、あまりくわしく内容を書いたりしないようにしておく。

「キプロスの蜂」 The Cypryan Bees(1925) アントニー・ウイン
>ヘイリー博士は眼鏡をあげて、目にあわせた。
>「それは私も聞いている」博士はかぎたばこの箱をあけると、大きくつまんで鼻につめた。「もちろんバイルズ君、この小箱が蜂をいれるまえは何に使われたものか、ごぞんじだろうね」
>「いえ――知りませんね」(p.12)
ある晩、広場で自動車の運転席で死んでいる女が見つかる、窓は閉まっていて、女は蜂に刺されていた。車の床から見つかった死んだ蜂は、キプロス蜂という特殊な種類だという。

「堕天使の冒険」 The Adventure of the Fallen Angels(1925) パーシヴァル・ワイルド
>「どこかあやしい点があることはぼくにもわかっていたんだ」とトニイは意気揚々として始めた。「それもまえから、ずっとまえからだよ」
>「ぼくがあれほど言ったのにかい?」とビルは逆襲した。(p.54)
トランプで勝ち過ぎている相手に対して、カードに印をつけているだろとインチキを指摘したトニイだったが、彼よりそういうことに詳しいビルによって思いもよらぬ大きな問題に出くわすことになる。これが事実にもとづくストーリーだというのもちょっと驚き。

「茶の葉」 The Tea Leaf(1925) E・ジェブスン R・ユーステス
>ケルスタンは娘の破約にまったく機嫌を悪くしたようすだった。彼はウィラトンがルースを適当にからかった末、捨てたのだと思ったらしい。(略)ウィラトンのほうも、人柄がまえよりいっそうとっつきにくくなった。彼は永久に痛みつづける頭を持った熊のごとくに見えた。私は友人としてふたりの仲をもう一度和解させるようにつとめるのが自分の役目のような気がしたのだが、とりなしは見事に失敗した。(p.112)
ケルスタンとウィルトンは仲たがいをしたあとも、同じ曜日の同じ時刻に風呂通いをする習慣を意地でも変えようとしなかったので、浴室のなかで顔を合わせなければならないことが続いたが、そうしているある日のこと事件が起きる。

「偶然の審判」 The Avenging Chance(1925) アントニイ・バークリー
>ロジャー・シェリンガムは、あとになって考えてみて、新聞が「毒入りチョコレート事件」と呼んだ事件は、彼が出あったうちで、もっとも完全な計画的殺人だと思うようになった。動機は、捜すべき急所さえわかっていれば、きわめて明らかだったはずである――ところが、それがだれにもわからなかった。方法は、実際の要所さえつかめれば、まるで見当もつかないというほどでもなかった――ところが、それがだれにもつかめなかった。犯跡は、それをかくしているものに気づいたら、見やぶることも、そうむずかしいものではなかった――ところが、それにだれも気づかなかったのである。(p.139)
これ作者が長篇「毒入りチョコレート事件」 The Poisoned Chocolates Case 1929 を短篇に圧縮したものなんだという、編者が「そのみごとな構成は、同時代の作品中でも抜群である」としているけど、一読したなかでは私もこれがいちばんおもしろかった。トリックがどうこうとかぢゃなく、おもしろい。

「密室の行者」 Solved by Inspection(1925) ロナルド・A・ノックス
>不屈の精神をもって聞こえた秘密探偵、マイルズ・ブレドンは、仕事にはまったく無能だと、つねにみずから称していた。(略)ただし、あるとき一度だけは、ブレドンも、調べるだけで現実に問題を解決したと主張できることがあった。真相をみきわめるなんらの予備知識をもたずにである。実際、氏は、安っぽい新聞はほとんど読まないので、風変わりな百万長者、ハーバート・ジャービソンが、ベッドで死んでいるのを発見されるまで、彼のことなど耳にしたこともなかったといってもそう不思議ではない。ブレドンは、インデスクライバブル会社が、彼自身とほとんど同じくらいに高く買っている、高給とりの医師のシモンズ氏と、ウィルトシャーへ汽車で行く途中、その事件の状況を話してもらっただけだった。(p.171)
秘教的なものに凝っていた百万長者の死の謎を探偵があっという間に解決する、陰惨な事件のはずなのに、小説そのものはどっかユーモアが感じられるものがある。

「イギリス製濾過器」 English Filter(1926) C・E・ベチョファー・ロバーツ
>「ところでドルシー君」給仕がコーヒーをもってきて、一同が葉巻きに火をつけると、ホークスは口をひらいた。「わたしは三時にカスタンニ教授のところへ挨拶にいくつもりだったんだが、向こうのつごうはどうだろう? いいね? よろしい。そこで、わたしがどうしてもたずねてみたいのは、あとはリボッタ教授だけだ。教授の最近の仕事に、とても興味をもってね」
>「それはなんの造作もないことです」ドルシーは言った。「よかったら、いますぐでも――きっと研究室におられますよ。それに、あそこへいかれるなら、教授の助手にも会ってお話しされるようおすすめしますね」(p.195)
ローマの大学では昇進は年功順という組織になっていて、すぐれた助手の研究成果も上にいる教授のもので発表される、そんな研究室内で毒殺事件が起きる。

「ボーダー・ライン事件」 The Border-Line Case(1928) マージェリー・アリンガム
>新聞紙はそれを、石炭小路射殺事件と見出しでうたっていた。石炭小路というのは、ヴァケイション街を横に切れた狭い路地だった。事実はこうである――真夜中の一時、ヴァケイション街を巡回中の巡査が、人あしの途絶えた街頭で行き倒れを発見した。あまりの暑さに、うんざりしきっていた巡査は、その男の襟もとを弛めてやっただけで、ろくにあらためもしないで救急車を呼んだ。
>自動車が到着してみて、男がすでに絶命していることを知った。死体はそのまま死体置き場に運ばれた。検屍の結果、肩胛骨の下部からの盲貫銃創が死因。(p.221-222)
小路の突き当りはカフェになっていて通り抜けできない、ヴァケイション街では殺人現場を挟んで二人の巡査が巡回していて通りを見通せるんだが、誰にも見られずにどうやって男を撃ったのかという、閉め切ってないけど密室状態での事件。

「二壜のソース」 The Two Bottles of Relish(1928?) ロード・ダンセイニ
>私の名まえですか? スミザーズっていいまして、身分はほんのつまらぬ外交販売員なんですが、取り扱っています商品は、ナムヌモって商標の、肉だのから味の料理なんかにかけますソースなんです。これを食料品店に卸して歩くのが、私の仕事なんです。(略)(p.239)
>それというのは、このリンリイさんってひとが、じつにどうも、なんともいえない奇態な人物だったのです。奇人といいますか、天才といいますか。奇想天外な考えが、それこそ無尽蔵に飛び出してくるんです。(p.243)
ふとしたきっかけでルームメイトになったソースの販売員と、ロンドンに滞在して職を選ぼうとしているオックスフォードを卒業したばかりのリンリイ。新聞で話題になっている事件、ある男が貸別荘で少女と同棲を始めたが、少女が行方不明になってしまい、警視庁も捜し出すことができない、状況的には男が少女の金を奪って殺したと考えられる、そんな事件の真相をふたりが追究していく。推理がどうのこうのというより、異色作って言葉があてはまる。

「夜鶯荘」 Philomel Cottage(1928?) アガサ・クリスティ
>友人の家でジェラルド・マーティンに会ったのである。彼はむちゃくちゃに彼女に惚れこみ、一週間とたたないうちに、ふたりは婚約してしまった。かねがね、自分のことを「恋愛なんて柄にない女」だと思っていたアリクスは、完全に足をすくわれてしまったのである。
>意識せずに、彼女はまえの恋人の目をさまさせることになった。ディック。ウィンディフォードは怒りで口もきけないほどになって、彼女のところに来た。
>「あんなやつ、きみにとってはまるで見も知らない男じゃないか。どんな素性か、知れやしないじゃないか」(p.272)
アガサ・クリスティって有名なんだけど、私はあんまり読んでない、長いものはいくつか読んだけど、特に短篇はほとんど読んだことない、しかし、これはおもしろい、いままで読んだクリスティのなかでいちばんおもしろいんぢゃなかろうか。

「完全犯罪」 The Perfect Crime(1929) ベン・レイ・レドマン
>世界で最も偉大なこの探偵は、手にしたポートワインのグラスを満足げにすすりながら、テーブルごしに親友の顔をしげしげとながめた。彼はもう何年間も、友人たちと歓談するといった楽しみをもったことがなかったからだ。相手のグレゴリー・ヘアは、友の顔を見返しながら、耳をすませて、その言葉を待った。
>「このことには疑問の余地がないと思うね」トレヴァーは、グラスをおきながら、くりかえした。「完全犯罪は可能だよ。ただ、それには完全な犯人が必要なわけだ」(p.313)
犯罪者を専門的研究の対象にしてきて間違いをおかしたことのないハリスン・トレヴァー博士と、理想的な聞き手って感じの刑事弁護士のグレゴリー・ヘア、ふたりの完全犯罪論争は、思わぬ方向へころがっていく。
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