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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

裁判長!死刑に決めてもいいすか

2018-10-28 17:41:22 | 読んだ本
北尾トロ 2010年 朝日文庫版
こないだ9月の古本まつりで買った文庫。
著者の裁判傍聴ものは前にひとつ読んだことあるけど、これは娯楽要素少ないというか、野次馬的なものぢゃなくて、もうちょっとシリアス。
もとの単行本は2009年で、タイトルは『もし裁判員に選ばれたら ぼくに死刑と言えるのか』。
2009年8月から始まる裁判員裁判を前に、もしホントに自分が裁判員だったら判決どうするか、ってこと考えながら裁判を傍聴した連載をまとめたもの。
なので、とりあげる事件は裁判員制度がつかわれる類いということになり、殺人事件とか場合によっては死刑判決もありえそうなものが多くなる。
79歳夫が、自分を家に置いてひとりで老人ホームに入ろうとした、81歳の妻を背後からヒモで絞殺。
未成年者被告が、合計4件の路上での女性を暴行し現金強奪した事件、すべて起訴事実を認めてる。
酒癖が悪くケンカの絶えない夫を、「刺すなら刺せ」と言われた37歳の妻が、寝室に持ち込んでいた刃渡り15センチの包丁を振り下ろして殺害。
元エステ嬢25歳が何者かに石で頭を殴られ携帯電話の充電コードで絞殺、同居人の37歳被告は犯行を否認、一審の懲役13年に不服で控訴。控訴審に裁判員制度は適用されないけど。
そして、2007年杉並親子強殺事件。被害者は85歳母と61歳の長男、侵入してきた犯人の持っていたナイフで刺されて死亡、盗まれた現金は4万円強。半月後に捕まった犯人は近くに住む21歳学生、自分のナイフが何者かに盗まれたと警察に届け出るとか妙な偽装工作をしてた男。
最後の杉並親子強殺事件は、被告の精神鑑定にもちこまれて、しかも弁護側の鑑定結果が信用できないってことで再鑑定もしたので、長期化。
けっこうショックなのは、被害者の親族のあいだで意見の相違から親戚づきあいが絶たれたってことで、61歳長男の姉妹は犯人を絶対死刑にって意見だけど、妻子は必ずしもそうぢゃないってのが当初のスタンスだったらしい。
で、弁護士の勧めで加害者側から賠償金を受け取りもしたんだけど、そのことで親族の断絶が決定的になったっていうんだけど、そりゃあ悲しい。
もっとも妻子のほうも、裁判が進んでも被告人は謝罪する気とか悔悟の念がまったく無いことから、死刑しかないって思うようになる、痛ましい。
死刑については、著者も全編を通じて何度となく考察してるけど、無くなんないんだろうなってのは、元裁判官へのインタビューのとこにあった、次のようなことが今んとこわかりやすい説明な気がする。
>(略)日本の裁判には、教育という視点が決定的に欠けていることに気がついたのだ。
>「応報刑と言いますが、噛み砕いて言えば、やったことと釣り合いが取れる判決を、という考え方です。ヨーロッパの一部の先進国のような、悪いことした人を刑務所で教育することによって矯正させよう、そのためには何年必要か、という発想ではないんです」
>応報刑だから基本的に死刑がある。ムショに閉じ込めて自由を奪うまでが仕事で、被害者へのケアもそこで終わり。(p.98)
私なんかも、わりとそんな感じで、罰はしでかした事実に対してルールで決めるもので、反省してるから刑を軽くしてくれってのはムシがいいんぢゃないの、とか考えちゃうタイプではある。
どうでもいいけど、杉並親子強殺事件の裁判では、検察が強引な取り調べをして無理やり自白を引き出したりしてませんよと見せるためか、検察の取り調べ室での映像が証拠として持ち出されたんだけど、著者の感想が、
>(略)実際の取り調べで同じようにしゃべっているとは信じがたい検察官の口調といい、いかにも中途半端な作り。
>がっかりした。ぼくは、もっと緊張感あふれる、リアルな映像を期待していたのだ。(略)(p.189)
ってのには、ちょっと笑いかけてしまったのだが、マニアの視線だと思わず、そんくらい真剣に考えて期待して臨まないといけないのかね、我が身が巻き込まれたら。
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お父さんたちの好色広告

2018-10-27 17:27:49 | 読んだ本
唐沢俊一 2002年 ちくま文庫版
この8月に地元の古本ワゴンセールで見つけた文庫。
著者の書いたものはいくつか持ってるんだけど、これは見かけたことがないような気がしたので、つい手にとった。
それもそのはずっていうか、もとは1998年にぶんか社から刊行されたらしいが、本書の文庫版あとがきによれば、
>当初はカルトカルチャーブックスという名目でシリーズ化の予定であったが、いくつかのアクシデントと関係者のトラブルで隔絶し、また本書自体も、ほとんど人目に触れることなく終わった、不幸な本だった。
というくらい、売れなかったというか、消えちゃったというかってものだったらしい。
しかし、元本図版写真を出版社が紛失するってえのは、ひどすぎる。
なかみは、タイトルのとおり、戦後の雑誌の広告、しかもページの下の片隅に、ちょっとおかしな刺激的な文句を書き並べた広告を蒐集したもの。
あつかってるものは、広告にのせられて通販で買って、開けてみたら期待とは全然ちがってても、だまされたって怒るなよな、自分が悪いんだから、ってなもの、と思われる。
うん、B級的なもの集めさせたら、さすがの著者だけど、これが最もマイナーっつうか、しょうもない感じがする。
正直このテーマだけで一冊だと、そんなにおもしろいってまではいかない、飽きるとはちがうか、疲れるに近い。
貴重な資料なのかもしれないけど。
(どうでもいいけど、こないだ読んだ『ひとり大コラム』のなかで、多くの出版社が文庫に参入する文庫戦争って話があって、1985年に「教養と古典を主戦力とする筑摩文庫が創刊」なんて書かれてるけど、やっぱジャンルは妙だけど教養なんだな、ちくまで文庫化されるってことは。)
なかで、このテの研究に先人がいてってことで、昭和29年の雑誌に掲載された記事を、“現代の研究家にとっても必読の文献”なんてとりあげてるのは、よく見つけたって感じ。
(もしかして、そこから始まったのかも、という気がしないでもない。)
コンテンツは以下のとおり。
第一編 昭和五十年代の好色広告
第二編 昭和二十~四十年代の好色広告
発掘! 好色広告研究家
番外編 関西ストリップの好色広告
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「少年ジャンプ」黄金のキセキ

2018-10-21 17:38:18 | 読んだ本
後藤広喜 2018年3月 集英社
むかしのこと振り返りついでに、もうひとつ、元編集長が書いたジャンプの歴史。
6月に2刷を重ねたあとに見つけておもしろそうだからと買ったのは7月。
著者は前年10月に週刊になったジャンプ編集部に昭和45年入社して配属された生え抜きで、以降ジャンプの歴史をずっと現場で経験してて。
そのひとが、
>「少年ジャンプ」が一番おもしろかったのはいつか? と聞かれたら、わたしはこの飛躍期だと答えるようにしている。(p.70)
って言ってる時期を、実際にリアルタイムで読んでたものとしては、同感だと思うし、幸せだとまで感じる。
飛躍期ってのは、100万部を超えた翌年である昭和46年から210万部までいった昭和52年まで。
前半戦は厳密には私は参戦してないが、当時の連載作品の名前を並べられると、嗚呼と思うものばかり。
ジャンルが豊富で、新しいマンガ家も出てきて、たしかに勢いがあったんだろうなと思う、読んでるときはそんなこと考えずに面白いってだけでページ繰ってたんだけど。
でも、そんななかで『アストロ球団』画いてるあいだに、作者が頭にコブができて手が腫れた心因性の病気になってしまうって出来事があって、それは担当者だった本書の著者が追いつめたからだみたいな話はけっこうショッキング。
>おもしろい漫画を作ろうという意気込みのせいとはいえ、夜討ち朝駆けのネームチェック、打合せは異常といえば異常、狂気の域に踏み込んだような感じだった。(p.82)
なんて認めてますが、そのくらいの情熱がなきゃ、あのころのエネルギーあふれる週刊マンガ誌はできなかったのねと納得するような感じもある。
後発のマンガ誌であるジャンプは、自らの手で新人を発掘して育てなければならなかったみたいなことは、これまでも聞いたことあるけど、新人漫画賞の設定・募集を少年マンガ誌で初めてやったのがジャンプだってのまでは知らなかった。
で、ストーリーマンガ部門は「手塚賞」の名前で、私が読み始めたころには歴然と存在していたけど、これって初代編集長と手塚治虫のあいだの個人的なつながりでできたもので、正式な契約とか名義料の支払いがなかったってのは、今回初めて知った。
「手塚治虫文化賞」起ち上げのときに、名前を返せと言われかけたんだけど、賞の趣旨ちがうので共存を図り話し合いで解決したってエピソードが書かれてる。
で、週刊ジャンプの発行部数は、平成6年の年末に653万部までいって、これがピークとなったらしいが、そのころには私は読んぢゃいない。
著者が本書の終盤でジャンプの分水嶺と位置づけてとりあげるのは、平成2年12月に連載開始した『幽☆遊☆白書』だけど、これも私は全く読んでない。
なんで、このマンガがターニングポイントとみなされるかというと、
>(略)この作品が雑誌の読者とコミックスの読者との乖離を象徴的に映し出しているからである。(略)
>雑誌の発行部数を誇る時代はすでに終わったのだ。コミックスが売れる漫画を、どれだけ掲載できるかが重要なのだ。(p.264-265)
ということで、メディアミックス戦略も含めた展開をして、単行本が売れるマンガづくりをした結果、コミックスを買うけど雑誌は買わないという客層を相手にすることになり、週刊誌の連載マンガの読まれ方が変わっちゃったらしい。
雑誌が読まれるためには、昭和40年代から50年代にかけてやった、ジャンルが豊富で何だかわかんないがゴチャゴチャいっぱい入ってるってつくりのほうがよかったんだろうけど、いまはコミックスの売り上げやアニメ化を狙った作品のショウウインドにマンガ誌はなっちゃったと。
あと、商売とは別の話で、著者が憂慮しているのは、数として読まれているわりには、マンガが文化として熟成する環境にないことで、もっと評論活動が活発に行われることを望んでいる。
>わたしが恐れるのは、漫画をマニアのもの、「個」の趣味のレベルに閉じ込めてしまうことである。的確な言い方が見つからないが、もっと外に開かれた、社会的、普遍的な価値づけをしていく必要があると思っている。(p.261)
ってのは、いい意見だ。
章立ては以下のとおり。連載マンガの年表がついてるのは、なんかうれしい。
第1章 「少年ジャンプ」の編集方針は創刊時にすべて決まっていた
第2章 創刊誕生期――昭和43年7月11日発売の創刊号から昭和45年末最終号まで――
第3章 飛躍期 マガジンに追いつき追いこせ ――昭和46年年始発売号から昭和52年末最終号まで――
第4章 常勝期 三〇〇万部の壁を越えて四〇〇万部へ ――昭和53年年始発売号から昭和59年末最終号まで――
第5章 黄金期 六五三万部発行を達成するまで ――昭和60年年始発売号から平成6年末最終号まで――
終章 それからのことについて思うこと
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ひとり大コラム

2018-10-20 17:21:49 | 読んだ本
山崎浩一 昭和61年 光文社文庫
サブタイトルは「僕的情報整理術」。
おもに80年代前半ころに雑誌なんかに書かれたコラムを集めたもの。
構成として、刺激と退屈を交互に並べて、読んだら得点をつけて集計しろってスコアボードも用意されてる。
まえがきにあたる部分で、
>(略)80年代における退屈的刺激状況、あるいは刺激的退屈状況を、イタチごっこの形式を借りて記録したスコアブック(略)
>どうやらいまでは退屈と刺激は、まるでアイスクリームのフレーバーとトッピングのように溶け合い、不倫の共犯関係になっちゃったらしいのです。おかげでぼくたちはホンモノの退屈も刺激もどちらも見つけにくくなってしまいました。
というように、なにが刺激でどっちが退屈なのかなんてそのときによって変わっちゃうに決まってんだからってことことわってはいますが。
ネットもなかった80年代において、すでに情報化社会のおかしくなったとこ指摘してたりして、
>情報化社会は、僕たちを断片的情報(=結果)の収集と蓄積に駆り立てる。でも、そんなものが面白いはずがなかったのだ。それは“プロセスの抜け殻”のコレクションなのだから。(略)
>ミステリー小説の結果が知りたいからと言って、いきなり最後のページを読んでしまう人がいるだろうか。
>野球の結果が重要だからと言って、9回裏が終わるころに球場に足を運ぶ人がいるだろうか。(略)
>ところが、僕たちは、日常生活の中で往々にして、それと似たようなことをくり返しているんじゃないだろうか? 結末だけをせっかちに追い求めるあまり、最も面白いはずのプロセスをはしょってしまう。そして「何か面白いことない?」などと退屈そうに物欲しそうに、また結果ばかりを漁り回る。(p.294-295「街のポトグラフィー・パフォーマンス」)
なんてのは、現代の脳ミソをスマホんなかに移しちゃったような人種について言えてるようで。
どうでもいいけど、前回の『おやつストーリー』のとこで出した“ビンボー遊戯”ってのは、並行して読んでた本書のなかにある。
1985年の記事で、“港区少女”がカフェバーよりも今は〈村さ来〉という導入から始まって、
>高度情報化社会が知のハイアラーキーのネジをバカにしてしまった時、“知との軽やかな戯れ”が始まったように、高度消費社会が貧乏をフィクションの中に幽閉してしまった時、人は“ビンボーとの軽やかな戯れ”を始めたのである。(p.304「カフェバーから居酒屋へ」)
なんていって、モノがあふれかえって、あらゆるものを完備したところで、ひとは貧乏とか不便とかってのに目を向けて楽しむようになっちゃってる、みたいな話。
泉麻人と近いようなとことしては、何が流行するかなんて話のなかで、
>とにかく、いまや受け手や消費者を「一般大衆=マス」としてとらえることは、ほぼ不可能になっている。モノや情報や娯楽の量が限られていた時代ならともかく、万人にウケようとしてつくられたものなどロクなものではない、ということを“万人”が知りつくしてしまっているのだ。(略)
>流行させようという作為が少しでも匂ったりすると、たちまち受け手はソッポを向く。(p.266-267「面白がられて飽きられて」)
なんて狙ってわざとらしくつくったものは面白くないみたいなことを解説してくれてる。
コンテンツは以下のとおり。
刺激1 サッちゃんの股間探険が残した永遠の謎。 退屈1 "珍人類3人組”が回顧する1986年
刺激2 世紀末妖怪パラダイス 退屈2 SF:子どもたちの忘れ物
刺激3 放課前のゲームセンター 退屈3 魔球・秘球・怪球・妖球 大研究
刺激4 ジャンプ大研究 退屈4 鉄とコンクリートの日常
刺激5 花と美形の“現実離れ” 退屈5 山崎浩一が選んだ失恋から立ち直る5冊
刺激6 セックスの快感の〈本質〉 退屈6 予備校の広告を見た
刺激7 サントリーのレトリック 退屈7 学園都市 八王子(another side of tokio city)
刺激8 RC或日立志伝 退屈8 エイド・フォー・アフリカ
刺激9 J・Pホーガンのすすめ 退屈9 奇妙な女権社会の到来
刺激10 松田聖子 最後の成長神話(サクセス・ストーリー) 退屈10 セイコのシアワセ特上フルコース
刺激11 男の美容整形手術 退屈11 ある日、突然、就職戦争
刺激12 会社は劇場。 退屈12 山アラシより賢く生きる法
刺激13 スキッパラ症候群(シンドローム) 退屈13 ビョーキの星
刺激14 東京イトイ学概論・短期集中図説ゼミ 退屈14 キーワードの時代
刺激15 CI講座 退屈15 面白がられて飽きられて
刺激16 ヒット商品の〈心〉 退屈16 無国籍効果〈エフェクト〉
刺激17 街のポトグラフィー・パフォーマンス 退屈17 メディアの国のお嬢さま
刺激18 カフェバーから居酒屋へ 退屈18 サイフから生まれた〈新人類〉
刺激19 幼児的無邪気さのマネー・ゲーム 退屈19 信じられるのはお札だけ
刺激20 田中角栄現象〈素朴な7つの疑問〉 退屈20 個性なんて犬にくれてしまえ
刺激21 文庫本ウォーズ 退屈21 日米両国ナメ本文化with松尾多一郎
刺激22 コラム化現象 退屈22 新生『朝日ジャーナル』徹底診断
刺激23 その後の新生『朝日ジャーナル』 退屈23 70年代アメリカの大変化
刺激24 YARASE 退屈24 四角い箱のペテン
刺激25 『きょうの出来事』論 退屈25 『いま世界は』論
刺激26 娯楽番組としてのTVニュース 退屈26 TV、それだけの話二題
刺激27 TVフォアランナーの分析 退屈27 「生活のデータベース」としてのニューメディア
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おやつストーリー

2018-10-14 17:11:31 | 読んだ本
オカシ屋ケン太こと泉麻人 1995年 講談社文庫版
ことし8月に古本屋で見かけて、思わず買ってみた文庫、表紙の画が妙に魅かれるものあると思ったら、安西水丸画伯でした。
著者が泉麻人ってのもいい、こういうことに詳しそうだから。
なんつっても、“街に詳しいひと”として名を馳せたし、私なんかは「私だけが知っている」にはハマるものがあったんで。
オカシ屋ケン太ってのは、当時のコラムにはこの名前で書いてたそうで、同時に別のコラムではミナモト教授って名前を使ってたとか。
で、連載されてたのは「オリーブ」の1982年から1991年までってことだが、さすがにオリーブは読まなかったな、私は。
>セーターを着るとキャラメルがおいしくなる。11月にしては少し寒い北風が吹く銀座の街角などで食べると、なおさらおいしい。そういうことをする日は、ふだんGジャンをはおって髪をスポーツ刈りみたいにしてる女の人も、グレイのフラノ地スカートに紺のカシミアセーターというアイテムをやった方がいい。(p.38「フラノの季節にフルヤのキャラメル。」)
なんて文体はオリーブ向けのものなんだろうか。コラムごとのおしまいには、
>〈フルヤのミルクキャラメルBGM〉
>◆チャリオッツ・オブ・ファイアー/ヴァンゲリス
>◆ジャスト・ワンス・イン・マイ・ライフ/ライチャス・ブラザース
>◆ブルー・ベルベット/ボビー・ヴィントン
なんて具合にそのお菓子食べるとき向けのBGMが並んでたりするんだけど、こういうのもやっぱり80年代オリーブ的なものなんだろうか。
ま、たしかに、お菓子食べるのに音楽かけてることはあったとしても、ひっきりなしにインスタにアップとかってことはしてなかったから、あのころは。
当時のお菓子事情については、
>現在、お菓子には大きく二つの流れがある。一つは『古都の四季』『雪見だいふく』『カレーキャラメル』に見られる、異種フレーバーとの合体、もう一つが『おっとっと』『ぼくらの珍札券』などの、変形菓子の流行である。(p.74「ままごと現象の行方。」)
ということになってたようで、特に雪見だいふくのインパクトはすごかったらしく、その後いろんな取り合わせが生じてくきっかけになったっぽい。
ウケ狙いの変形菓子については、
>日本人は見ての通り、年々幼児化しているわけで、このようにままごと化したお菓子は、今後さらに増えていくことだろう。(同)
と結論づけられている。
新しい味のものに関しては、著者はロッテをいたるところで推していて、
>とにかく、グレープフルーツのガムを作ったのも、ブルーベリーのキャンディーを作ったのもロッテが最初である。キウイはコケたけど、ロッテの初もの開拓精神には拍手を送りたい。(p.149「よろしく、ペピーノ。」)
なんて支持している。
とはいえ、なんせ「私だけが知っている」で博識を披露する著者のこと、目新しいものに飛びつくだけってことはない。
むしろ、むかしっからあるお菓子とかをあらためて紹介するときなんかのほうが、やっぱ冴えてるというか説得力のようなものがあるように感じる。
でも、
>レトロっぽい商品は、お菓子に限らず好きなのだが、ハナっからウチはレトロしてますよ、って感じのモノは何となく近寄りがたい。作り手の勘違い、無意識で、たまたま古臭いムードになっている商品を発掘したりするのは愉しいのだが、堂々と開きなおってナツカシ路線で攻めてこられると、どうも面白くない。それがファン心理というか、この道のおたく心理というものである。(p.362「カレー粉の景色。」)
なんていうのがもっともで、狙った企画ぢゃなくて、自分で発見するとこに価値をおいてるのが、断然賛成できるところで、わかってらっしゃるひとである。
同じようなことを、
>「駄菓子屋」というと、条件反射的に「下町」を思い浮かべる。千住や荒川あたりのひなびた駄菓子屋さんで、ラムネの立ち飲みなどして江戸風情を愉しむ―― ま、それは確かに一つのスタイルではあるが、僕は、どうももう一つ、そういった“はまり過ぎた駄菓子屋アソビ”ってのが好きになれない。(略)
>よって僕は、古物商も駄菓子屋も、ちょっとハズレた地域でマニアに媚びることもなく、細々と地味に営んでいるようなタイプが好みである。(p.236「桜台のシャンペンサイダー餅。」)
なんていうふうにも言っている、これでなくては街に詳しいひとにはなれない、さすがだ。
この章では、西武池袋線桜台駅北口の商店街で、店頭に南京豆やヌレ甘納豆のガラス箱を並べた渋い菓子屋を訪れてるが、別の回では、
>日暮里駅から西方向に歩き、台東区谷中と荒川区西日暮里の間を走る道路沿いに「谷中銀座」という下町情緒のある商店街がある。この商店街の入口付近に「後藤の飴」という、自家製の飴やクッキーを古くから販売している店がある。(p.184-185「谷中の薄荷飴。」)
なんて、これまた渋いところを紹介している。
いいなー、こんなこと書いても、紙媒体のメディアで知っているひとだけが知り得る話、あっという間に拡散して次の日には行列で大騒ぎ、なんてことはなかったに違いない、そういう時代のほうがやっぱよかった。
ところで、お菓子をとりあげるコラムなのに、1984年ころに、やおら“ゴハン部門”をつくって、フリカケとか『江戸むらさき』なんかについてもマニアックな評論してたりする。
そんななかで、
>しかし、食べ物には、下品に食べたほうが美味しいものがある。(略)温かいゴハンにサーディンを3尾ほどのせて、たまっている油と醤油を少々たらしてグチャグチャにかき混ぜて食すのも、なかなかいける。汚れながら食い潰す――これがオイルサーディン食法のコツである。(p.121「ときには油まみれ。」)
なんて恥ずかしげかもしれんが、うまくて何が悪い、みたいな堂々とした論調がおもしろくて、なんだか久住昌之の『食い意地クン』を思い出した。
似たようなのは、
>ヤキソバパンの良し悪しは食べ方によって決まる――という説もあるくらいだ。
>基本は「ヤキソバの分散」にある。いくらヤキソバの状態が良くても、力の配分を誤って、後半部にパンだけを残してしまった場合、「まずいものを食べた」という嫌な思い出のみが残る。(p.174「黄昏のヤキソバパン。」)
なんてのにもみられて、それってけっこうダンドリくんだなと思う。
こういう小学校の放課後に腹が減って買い食いしてみたいなネタを出してくるが、いいところの子どもだったはずで、そのへんはビンボー遊戯なんである。
その前の章でも、『お子様せんべい』をとりあげては、
>(略)このせんべいの味は、まさに、哀しいくらいに「薄味」なのである。(略)
>(略)貧しいほどにサッパリした味覚が、逆に“新しい”ものに感じる。「おいしいものを食べ過ぎて、飽きてしまって、素朴なものに走る」そんなニュービンボー時代にピッタリのシブいお菓子だと思う。(p.171「貧しいほどライトな……。」)
とかって遊び心のビンボーっぽいの楽しんでる。
どうでもいいけど、登場するなかで気になったお菓子のひとつが、ジャーマンベーカリーの『ネコのシタ』ってチョコ。
ドイツの“KATZEN TUNGEN”由来の猫の舌の形のチョコで、横浜の弁天通りに1号店が大正12年に開店したときから売ってきたっていうんだけど、知らなかった、その形のチョコってデメルのもんだとばっかり思ってた。
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