うたたね日記

アニヲタ管理人の日常を囁いております。

ドキュメントNK

2011年03月12日 19時33分14秒 | 雑記
土曜日ですが、今日も職場に行ってきました。所長はじめ上の方々はずっと泊まり込みが続いていますが、とりあえずかもしたたち下っ端は解放。万が一に備えて出かけることはできず、家に帰ってからも自宅待機です。

昨日の地震、今更ながら被災された方、本当に何と言ってよいか言葉を選ぶこともできませんが、「大変でしたね。」そしてこれを読むことができる方は、「無事でよかったですね。」
かもしたも割と大きい地震には何度も遭遇してきましたが、本当に心底から怖いと思う地震は初めてです。
被災者―――というには及ばないかもしたですが、昨日地震に遭遇した時からこんな感じでした。
14:50頃、座ってお客様の話を聞いていたところ、何だか体がフワフワ。一昨日も「貧血?」と思いましたが、あのときは東北震度5の地震だったので、また地震かと思い、センターの方に向けて「地震かも」と大きな声で言ってみる。
最初は少しだけ揺れていたんですよ。意外と長かった。多分10秒以上あったと思う。それが段々『ゴゴゴゴ!』とばかりに揺れが激しくなってきて、館内「わぁぁ!」の声。立っていたお客さん、立つことできずその場に座り込む。所長はじめみんながドアと非常階段開けて回る。かもした、我に返って「皆さん、頭の上に上着でも鞄でもいいから乗せて防御してください!」大声で叫んだら、みんな一斉にそうしてくださった。
自動ドアが閉まったままだというので、手動で開ける。個室にいた赤ちゃんとお母さんが行き場を失って、赤ちゃん抱いたまま立ち尽くしてる。頭にお母さんの着ていたダウンをかけ、お母さんをガラスの傍から離れるよう、中央に誘導。
体感で1分以上あった。もっと長かったかも。本当はそんなに長くないのかもしれないけど、すぐに治まらずにこんなに長く続く自身は初めてで、怖い。
ようやくおさまりを見せたので、お客様対応に向かう。高齢者の方が数人気分悪くなって倒れてる。いわゆるショック状態。声掛け+体を叩いて気を持たせ、血圧測る。概ね問題なし。立てない人を車いすで誘導。所長より「外は壁面落ちると怖いから、とりあえず中にいて。」一応ビル街なので確かにお外は危険。
15:00分頃、別の課のところでテレビ見る(ウチの課にはない)。テレビで「東北、宮城県で震度7」と速報。お客様に情報伝える。「直ぐ帰りたいんだけど、電車動いているの?それくらい調べてきてよ!」普段だったらちょっとムッとしそうだけど、みんな気が動転していて気持ちわかるので、調べに行く。ネットの情報ではまだ全然運行状況がわからないので、結局駅まで走る。「動いていません。再開目途不明。」とのこと。これもお客さんに伝える。
そうこうしているうちに、またもでかい揺れ。慌ててまたも出口確保。もう仕事にならない。何度も余震が来る。しかもでかいのばかり。今までの地震だったらこんなに何回も余震が来たこと記憶にない。阪神とか新潟で「余震が何度も来て怖かった」と言っていた被災者の方々の気持ちが身に染みて理解できた。
何度も繰り返す余震にこの場から動くことできず。お客さんも職員もテレビに釘付け。やがて中継で津波が街中を襲い、船やら車やら家までが、田んぼに流れ込んで渦を作っている。「・・・これどこの国の出来事…?」とつぶやいた方がいた。本当に一瞬そう思う。 
そんな真っ只中で「83番のお客様、お待たせしました!こちらが書類になります。」と冷静に職務をこなしていた後輩ちゃん。君は公務員の鏡だ^^;
幾度となく繰り返す余震の中、段々気分が悪くなってくる。まるで船酔い。 そういや『戦国BASARA』の長曾我部軍の手下どもが「船酔いか?俺は陸酔いだ。」というセリフがあり、まさしく今かもしたも「陸酔い」の気持ち。ちょっと長曾我部軍になった。
上司から被害状況の報告が届く。施設倒壊はないものの、壁面が崩れたり天井からパラパラ落ちてきたりして、営業できなくなったところがあり、そこは急遽閉鎖。外回りに出ていた方々が無事に戻ってきてよかった(^^)
17:00過ぎ。本当は終業だけど、電車が動かないので帰れない「帰宅難民生活」へ。とりあえず食料買い出ししてくる。毛布もあるんだけど、先日まとめてクリーニングに出しちゃったんだった 「まとめてじゃなく、小出しにすればよかった…」と今更後悔。orz
其れよりお子さんがいる職員は、お子さんとの連絡がとれず不安募る。+「飼っている犬(猫)が心配!」と歩いて帰宅する職員も出たため、自転車管理のかもしたより電動自転車貸出。みんなお子さん&ペット大丈夫だったかな?(※のちにお子さんたちは大丈夫だった、と連絡があり「ホッv」)
気が付けばそこらじゅうの店のシャッターが閉まってる。普段なら23時ころまで営業してるのに(・・;) 「みんな陳列棚が崩れてしまい、後片付けに追われるために、店を早々に閉めた様子。コンビニは何とか開いていたけど、物買える状況にはちと厳しい(=_=;)
19時過ぎ。東京方面に車で仕事に向かった人たちが「酷い渋滞で動けない。多分今日中に帰れない」と公衆電話から連絡。携帯で連絡するも全然通じない、とのこと。
所長より、「とりあえず自力で家に帰れる人は帰っていい」とのお達し有。自主的に残ろうかと思ったけど、「何かあればまた呼ぶので、自宅の片づけしてきなさい。」と言われ、徒歩帰宅開始。
21時前に自宅到着。両親と一階は無事だったけど、二階のかもしたの部屋は、見るも無残な同人誌の土砂崩れ状態(T0T) 母上「アンタのその本、どこから手を付けていいかわからないから自分で片づけてよ!」―――はい。確かにその通りです<(_ _)>
同人誌片づけていたところで、残っていた後輩ちゃんから「親が迎えに来てくれることになったので、帰れそうです!」と嬉しそうなメール。よかったよかったv(←だが実は、迎えに来てくれても、帰りの渋滞で家に着いたのは午前2時過ぎだったということを、あとでメールで教えてもらった・・・震度6弱のところに住んでいるからね・・・でも無事についてよかった)
安心してトイレ入ろうとしたら、トイレが湖になっていた(-_-;) ・・・タンクから水が溢れて、水浸しになったらしい。合わせて掃除する。
22時。ご飯食べながらニュース見続ける。とにかく余震が続いているので、非常袋出してすぐに逃げられるようにセット。ライフラインはありがたいことにかもしたの生息地はみんな無事。本当に感謝(-人-)
0時過ぎ。寝ようにも寝られずにいたら、職場から電話。「緊急時待機要請」の連絡有。
午前3時過ぎ。職場から電話。「早々に出勤されたし。」で、コート着込んで余震の中再出勤。星がきれい。いかに寒いかがよく分かる。
到着したらすぐに備蓄庫から乾パンと毛布出してくる。急の事態に備えてすぐに市民に分けられるようにセッティング。
5時過ぎ。空がだんだん白んでくる。火事はなかったようだが、救急車はひっきりなし。でもけが人続出で看護に回ってほしい、という出動要請はなし。テレビ見ながら動向を見守る。
7時過ぎ。朝ごはん買い出し。・・・なんですが、コンビニはあちこちあるけど「商品がない。」(-△-;)。要するに販売元や工場が被災し、車も渋滞なため、商品が店に届かない状況。 「とりあえず口に入れられるもの買ってきた」と、朝から『まるごとバナナ』一本食い(涙) ・・・いや、早朝から生クリームってかもした辛いんですが、贅沢言っている場合じゃない。むしろカロリー高いの食べられたから、ちゃんと肉体労働できるはず。
この頃から職場の電話ひっきりなし。携帯が使えないけど、家電は使える状態なので、こっちにかかってくる。内容的には「被害者は出ていないですか?」「ライフラインの被害状況は?」という問い合わせが多いんですが、一番は「そちらに一人暮らしの父がいるんですが、電話にも出ず、安否が心配で・・」という安否確認。上司に連絡が行き、「把握している独居者の安否確認に向かう」とのお達し有。
9時前から区域を割り当て、廻る。殆どの方が倒れた家具や落ちた食器等の片づけの途中でした。概ね怪我もなくよかった!ただお手伝いしたかったけど、皆さん「勝手に動かされると、今度はどこに入ったかわからなくなるのでいいです」と言われ、本当に安否確認だけ。足が痛い人、腰が痛い人、皆さん大変でしょうにそれでもがんばっていました。
ご親戚から問い合わせが入っていますよ、との連絡のつなぎをしていく。
16時前に予定終了。もう先に戻られた職員もいて、所長に報告し、今日の業務は終了として帰宅しました。もう電車もバスも普通に動いていましたが、渋滞だけはまだまだ続いている様子。

・・・こんな感じでした。
同じく地震には合いましたが、ライフラインも大丈夫で倒壊半壊した建物も殆どなく、津波も襲ってこなかったので、随分と恵まれていたと思います。
ここにきて余震も大分おさまってきました。多分明日は仕事に行かなくても大丈夫そうです。でも本当に酷い状況の被災地域の方々はこれからが更に大変でしょう。こうして自分も地震の真っ只中にいて、どれだけの人が私の想像を遥かに超えた不安を今も抱き続けているかと思うと、何か手伝わせて欲しい、と本当に思います。
阪神大震災の時は募金と物品提供以外何もできませんでしたが、今度は一応の看護技術は持っているので、休暇ボランティアとかできないだろうか。有給がほとんど残っていないですけど、せめて土日とかでできないかな。でも交通機関がマヒしているので車で現地入りしても、できることと時間が限られるでしょうが少しでも何か助けを届けたい―――そんな気持ちになりました。
阪神大震災の時も見事に復興しました。きっと東北も復興できると思う。
「頑張れ!」と今は祈るばかりです。