亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

長井斉藤別当実盛

2014-10-23 | 能楽

ば10月12日のNHK FM能楽鑑賞は宝生流「実盛」だった。

2年前に金沢能楽美術館であった斉藤別当実盛の実像についての講座があったことを思い出した。

その時の資料を引っ張り出して読み返してみた。

 一年石橋の合戦の時、兵衛佐殿射奉ッし者ども、都へにげのぼッて平家の方にぞ候へける。むねとの者には、俣野五郎影久、長井斎藤別当実盛、伊藤の九郎祐氏、浮巣三郎重親、真下四郎重直、是等はしばらくいくさのあらんまでやすまんとて、日ごとに寄りあひ寄りあそび、巡酒をしてぞなぐさみける。まず実盛が許に寄りあひたりける時、斎藤別当申しけるは、「倩此世の中の有様をみるに、源氏の御方は強く、平家の御方はまけ色にみえさせ給ひけり。いざおのおの木曾殿へ参らう」と申しければ、みな、「さンなう」と同じけり。次の日又浮巣三郎が許に寄りあいたける時、斎藤別当、「さても昨日申し事はいかに、おのおの」。そのなかに、俣野五郎すすみ出でて申しけるは、「我等はさすが東国では皆に知られて、名のある者でこそあれ。吉についてあなたへ参りこなたへ参らう事も見苦しかるべし。人をば知り参らせず、景久においては平家の御方にていかにもならう」と申しければ、斎藤別当あざわらッて、「まことにはおのおのの御心どもをかなびき奉らんとてこそ申したれ、其上実盛は、今度のいくさに討死せうど思いきッて候ぞ。二たび都へ参るまじき由、人々にも申しおいたり。大臣殿へも此のやうを申し上げて候ぞ」といいければ、みな人此儀にぞ同じける。さればその約束をたがへじとや、当座にありし者ども、一人も残らず北国にて皆死にけるこそむざんなれ。

平家物語の篠原合戦の一部を抜粋したものらしいが、斉藤別当実盛とは凄い人物らしいです。

富士川の合戦では実盛が余計なことを平家側の武将に吹き込んだために平家はビビって戦わずに敗走した話はNHKの大河ドラマでも時々登場して有名です。真面目さが所以に大局が見えない損な武将だったのでは。

例え、敗色濃厚といえども決して平家を裏切るようなことをしなかった。実盛は木曽義仲の命の恩人であり、義仲の軍門に降れば命だけは助かっただろうに。実盛は武士の面目のかけてそのようなことをしなかった。

実盛の首を洗ったという首洗いの池は加賀市の片山津温泉のすぐ近くにあり小学生の時に遠足に行った記憶がある。当時は何のことかよく分からなかったが、機会があればもう一度行って見たい。

コメント
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