昔、T協会という教団をやめた人が、ある席でたまたま隣に座った時、意を決したように言った。
「私…信仰をやめたの…」
その人にとっては、重い重い、天と地がひっくり返るような重大な告白だったのかもしれないけど、聞いた方は「あっそー」てなもんである。
申し訳ないけど、何てリアクションしてよいやら、ゴミみたいな話である。
はっきり言ってしまえば、皆がとっくに相手にしていないインチキを、世紀の大発見のように「しってる?」と打ち明けられたようなようなもん。
そういえば熱心に教えを語られたこともあったし、教祖様の本が送られてきたこともあったけど、そんなもの自分が思うほど相手に刺さっていないよ。
しかし当人はこの世の一大事件のように考えている。
本が10冊ほど書けるほどの騒ぎである。
どのくらい大騒ぎかというと、どっから見てもふつうのおばちゃんを、ゾンビだと恐れて「警察呼ぶわよ!!」と脅えているほど。
落ち着いてーーー!!ただのおばちゃんやーーーん!!
圧倒的なロム者の中の、スパークして発言している0.000%の刺激的な話がすべてのように読まれる。
ネットとはそういうもの。
「私…信仰をやめたの…」
その人にとっては、重い重い、天と地がひっくり返るような重大な告白だったのかもしれないけど、聞いた方は「あっそー」てなもんである。
申し訳ないけど、何てリアクションしてよいやら、ゴミみたいな話である。
はっきり言ってしまえば、皆がとっくに相手にしていないインチキを、世紀の大発見のように「しってる?」と打ち明けられたようなようなもん。
そういえば熱心に教えを語られたこともあったし、教祖様の本が送られてきたこともあったけど、そんなもの自分が思うほど相手に刺さっていないよ。
しかし当人はこの世の一大事件のように考えている。
本が10冊ほど書けるほどの騒ぎである。
どのくらい大騒ぎかというと、どっから見てもふつうのおばちゃんを、ゾンビだと恐れて「警察呼ぶわよ!!」と脅えているほど。
落ち着いてーーー!!ただのおばちゃんやーーーん!!
圧倒的なロム者の中の、スパークして発言している0.000%の刺激的な話がすべてのように読まれる。
ネットとはそういうもの。
クールにいきまひょ…
それから、刺激的におもしろおかしく書く方が読む方も退屈しない。
だからいろんな意味で、大袈裟になることが多いんですよね。
よくもわるくも「話半分」「真に受けすぎない」
いい時はいいけど、時に流せない、メンタルがもっていかれて発狂する、なんて人もいましたからね。
私だってそれに近いことありました。
これはあくまで「ネットってそういう性質がある」ということを言いたい記事で、個人の思いを軽んじているわけではないです。
ただ、大袈裟にしていいことなしですね。
これは個人的につくづく思います。
https://www.youtube.com/watch?v=dJ9ve_EGYmw
「対話」時代に少し書いた事があった、私より10年前に辞めた友人がいる。
同じ地区婦仲間だった。
「2月闘争」という激しい折伏戦の最中、「結果がでないのは長の責任」と追い詰められ心を壊した事もあった彼女。
彼女のご主人は、支部長でいまだ活動家である。
男子部の部長と女子部の部長という時に知り合い結婚した2人は2世同士。
そんな彼女が、10年ぐらい前から組織から消えた。
何か事情があるんだろう。
ずっとずっと彼女の事が心にありながら、踏み込んではいけない気がして彼女に直接理由を聞けずにいた。
でも、私が覚醒した後に、真っ先に会いたかったのは彼女だった。
会った時に初めて彼女が組織を離れた理由を聞けた。
「ソーカのすべてがバカバカしくなった」だった。
彼女は、ネットはするがアンチブログなど見た事もないといっていた。
ただ一人、疑問を抱いて組織から離れた人だった。
彼女のその後の人生は、ご主人の経営していた会社の倒産、自己破産と波乱万丈だった。
幼い子を抱えてダブルワークで昼も夜もなく働いて、やっと今春末っ子が大学進学して一息つけたけど、「卒業までもうひと頑張り」と笑っていた。
でも、彼女は「ソウカに貢いだお金があれば・・・」とか「2世でなければ・・・」とか恨み節を一言もいうわけでもなく、カルト時代のすべてを笑い飛ばしていた。
もちろん、その心境に至るまでは何年かかったのか、想像を絶する事があったに違いない。
覚醒後は、現実だけを見つめて懸命に生きている強い人。
2世だったこと。
心を壊したこと。
パートナーがいまだ活動家であること。
倒産、破産。。。
それらの全てを彼女は全て受け入れて、受け止めて日常を生きている。
強い人とは彼女のような人なんだろう。
過去は過去だ。
それを否定しても仕方ない。
生きてきた証でもあるんだし。
失ったものは大きかったけれど、どんな人の人生でもパーフェクトなんてありえない。
過去を嘆くよりも、全て受け入れて笑い飛ばしていきたい。
彼女を見ていて、そう強く感じた。
書いているうちは執着はなくならないんですよね。
活動家の活動と同じで、やめるとどうでもよくなる。
アンチの在り方もいろいろで、いかに極悪かアピールするのと、いかにどうでもいいか理解する、の少なくとも二つがあります。
発想は一つじゃない。
そうだと思います。
彼女を見ていて本当にそう思いましたね。
多くの人がアンチブログから卒業していったのは、その執着を手放したから、手放す事ができたからだと思うようになりました。
そこに一生を捧げた人達の人生がどうでもいいのではなくて、カルトの存在などどうでもよくなる。
覚醒するってそういう事なのかなと思うようになりました。
むしろ叩く方が「魔」扱いされて燃えられるかも。