Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

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『モリッシー自伝』を読むのがみるみる楽になる!?方法 Part 1

2021-09-02 16:33:52 | 『モリッシー自伝』

ここのところ立て続けに『モリッシー自伝』に関して、

「最初の子ども時代がきつくて。読み切れてないよ」

とか

「あの裁判が長くて!!」

という感想をいただきました。決まって、「イヤなところは抜かして読んでください。それでも意味わかりますよ」と答えています。というか、「イヤなところ」を抜かしたら読むところがないかもしれない・・・そしたら意味なんてわからない!?

いや、いいところもあるんです。それなのに、マンチェスターと裁判のせいでもったいないなあ、と思いました。学校と糞まず給食とマイク・ジョイスのせいだ!!…とイラッとしましたが、実は最初の子ども時代も、裁判も、実はボリュームとしては多くないんですよ。気が重いテーマなので延々と続くように思えるだけで…。

そこで今回は、1年前発刊時に、京カルチャーカルチャーさん主催のオンラインイベントでお話しさせていただいた時に使った資料で、「『モリッシー自伝』のつらさを少しでも軽くする方法」を紹介したいと思います(このパワポ資料、思いっきりデータをなくしており、先ほどカルカル店長横山さんに探して送ってもらいました。神様!!)

 

1)モリッシー自伝の内容構成比~「スミス裁判」は読み飛ばす

多すぎる!!(体感半分くらい)と思ったマンチェスター・学校時代の記述は約2割。まあそれでも、ファンが期待したザ・スミス時代の話より割合は多いのですがw 半分近くはモリッシーのソロになってからの話です。そのうち、スミス裁判はたったの9パーセント。ということは、あのネバーエンディング地獄の黙示録パートは全体の4パーセント弱もないんですよ。訳した私も信じられないです。人間の体内時計は、心地よいものの経過は速く、イヤなものの経過は激遅く感じるのでしょう。

ページにして、298ページから339ページなので、41ページです。ほぼ、マイク・ジョイスと裁判官、弁護士への恨み節なので、ここを丸ごと読み飛ばす(というと聞こえが悪いから後回し)ことをおすすめします。

 

上記、構成をページ建てにするとこんな感じです。216ページまでがスミス時代。217ページ以降がソロ期です。マンチェスター黙示録96ページまでも読み飛ばし(もしくは心がおだやかで余裕ありまくってヒマで死にそうな時に後回しし)てもいいかもしれません。

 

2 )「他はどうでもいい!スミスのとこ読みたい!」という人はここを読む

141ページから216ページまでが、スミスに関する記述です。ジョニーという素晴らしいギタリストに出会い、きらきらしています。自己肯定感も爆上がり。音楽の力を感じます。

  • 「私はジョニーに、バンド名はザ・スミスにしようと提案して、彼は了解してくれた~ザ・スミスという名前は、お決まりの連想ができなくて良いと思った。しかしそれでいて、どんなスタイルの音楽表現にもふさわしい感じがした。(P142)
  • 「スミスのサウンドはロケットのようで、急速に飛び上がるような進歩を遂げた。爆弾が破裂するようなドラム、激情的なギターコード、好戦的なベースライン。そして何よりも私の歌は、鷹のように自由に、望みのままにキャンパスに絵を描いた~『ハンド・イン・グローブ』と『スティル・イル』という曲は、4人の人生をひとつにつなげて固めた。(P143)
  • 「すべての曲は激しく強烈で、焦りを伴う何とも言えない刺激をもたらしてきた。ついに、ここに、すべてが揃った~私は『ミゼラブル・ライ』を、身体全部を使って力強く歌った。もう二度と自分の身体を、育ち過ぎた忘れな草のようには思わなかった。3つの楽器の音の基盤は、想像できる限り頑丈な特別奇襲隊のようだった。その頑丈さを伴った自分を、ライオンのように強く感じた(P143-144)

 

このあたり読むと、筆力もすごいし、希望にみなぎっています。それまでの「窒息死寸前マンチェスター記」は、このキラキラをさらに輝かせるための演出だったのか!?と思えるほどの落差で、もしかしたら必要だった・・・?と思えるほどw(なので、私はこの落差萌えを楽しみました) 

でも、スミスは終わるんです。あっ、という間に、あっけなく。それ以降、急に「イヤ」なこと言い出します。「別れても好きな人」なんかじゃない、ロス・インディオス&シルビアなんて甘い!!いきなりスミスを、「別れたから干上がった人」にしてしまいます。モリッシーにとってスミスはなんだったのか、モリッシーの自伝での言及をまとめたものを再掲します。

 

3)「結局おもしろいところはどこ!?そこだけ読みたい!」という人におすすめ(前半)

●最初の方、39ページから43ページ、どん底の子ども時代に「音楽」という救いと希望に出会ったあたりの記述は暗いマンチェスターや失業生活の中でも楽しいです!モリッシーという稀有な人物の人格形成にどれだけ音楽というものが重要だったかがよくわかります。同じ時代、同じマンチェスターに育った子どもでも、ここまで音楽に深入りする子もそんなにいないと思うのですが、なんでなんでしょうね?? 音楽がなければ本当に彼の魂は、暗いマンチェスターに土葬されていたと思います。

モリッシーがすごいのは、自分が「こっち側」として音楽の受け手の一般市民として生きるのではなく、「あっち側」に歌手として行こうとしていたことですね。モリッシーが今も歌ってるのは、「学校の仲間とバンドやって~たまたまデビューして~」じゃないんです。幼い頃から自分の宿命のように「歌手」の道を選んでいたのがわかります。以下、印象的な部分の引用です。

  • 「1965年以降、レコードのとりこになった。歌はすべてを変えてしまった」
  • 「突然、人生の他のすべてのものが疑問となった」
  • 「私も歌おうと思った。そうでなければ死んでしまう」
  • 「歌うことができたら自由になれる。どんな法律も私を止めることはできなかった」

 

●ティーンエイジャーとなり、61ページから112ページまでは、ライブ三昧です。その体験を時系列にし、読めるページをまとめたものです。

…217ページ以降のソロ期にも、胸アツな読みどころはあるのですが、長くなったのでパート2に続くことにします!


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モリッシー 1年5か月ぶりライブ ラスベガス公演に元気に登場!

2021-09-01 14:00:25 | Morrissey Live

奇妙な2021年の夏は終わりそうですが、ラスベガスでは8月28日より9月5日まで、モリッシーがレジデンシーで5夜ライブが(2020年からの延期)!! 

今年5月のテル・アビブとパリ公演はキャンセルだったため、2020年3月のロンドンから、実に1年5か月ぶりのライブでした。

「どうせお約束で、キャンセルするんだろう」という声もありましたが、すでに2日間は元気に登場!!

個人的には、8月28日に、1986年のスミスのロンドン・ブリクストンアカデミー以来プレイしていなかったまさかの“This Night Has Opened My Eyes”を歌い出した時に感動してしまいました。スミス時代の、こんなシングルカットもしてない隠れた名曲を、あえて今歌う意味はなんだろうと考えてしまいました。

 

Oh, save your life
Because you've only got one

 

と歌い指を1本立てて、ファンを見つめています。

 

「たったひとつしかないから、自分の命は大切に」

 

2021年、この歌詞がこんな風にずしーんと世界中に響くものとなるとは、、昔は想像もしていなかったです。

 

THIS NIGHT HAS OPENED MY EYES[Smiths]-Live-Colosseum-Caesars Palace-Las Vegas-Aug 28, 2021

 

9月16日にはシカゴでライオット・フェスのヘッドライナー出演も控えていますね。きっとこのまま元気にやり切ってくれるでしょう!


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It's the 62nd birthday of Morrissey, the greatest singer~モリッシーはなぜエイサップ・ロッキーとコラボしたのか

2021-05-22 13:00:08 | 『お騒がせモリッシーの人生講座』

本日は、モリッシーのお誕生日です。このブログでモリッシーの誕生日祝い投稿をするのも、今年で10回目!!

心より…

お誕生日おめでとうございます!

 

最近のモリッシーはと言うと、シンプソンズに「酷似」キャラの登場や、

エイサップ・ロッキー新作『オール・スマイルズ』に参加とのニュースがありました。

エイサップは、大ファンであるモリッシーと1年にわたってリモートでコラボ、

『オール・スマイルズ』の楽曲に取り組んでいるとか!

モリッシーがこの新作でプロデュース・ヴォーカル、そして「作曲」をしているとな!!

作曲というのは…モリッシーが曲をつけた歌を、エイサップに送ってくるのか??

 

友人のアギオ君は

「モリッシーの曲の作り方ってラッパーぽいよね。インストを聴いて歌詞とメロディーを作る

と言ってましたが鋭い。

 

エイサップ・ロッキーはかつてより、スミス、モリッシーファンであることを公言していましたね。

2018年の前作の段階で、モリッシーと「エモでリアルでレトロみのある」ものを作らなきゃと願望を言っていました。

さすがアズスーンアズポッシブルASAP、有言実行!!

 

今回エイサップは、

「モリッシーにやってもらう必要があったやつには参加してもらって、やってもらうだけだったよ」

とも語ってます。

新作でモリッシーがどんなエモでリアルでレトロみのあるからみを見せるのか…

モリッシーが全面協力だった模様のこの新作、楽しみです!!

 

ところでなんで今回、モリッシーはエイサップ・ロッキーに協力!?

ある友人からは「え!?モリッシーってラップとか嫌いなんじゃないの?」とも聞かれました。

確かに2015年『ラリー・キング・ライブ』に出演した時のインタビューで

 

「声がいつも同じなんでラップは好きじゃないけど、そこにこめられた社会的な感情はとても好きだ。

彼らの言っていることは好きなんだけど、繰り返しの音が好きじゃない」

と言っていました。「声」にこだわっての好き嫌いなだけで、アティチュードが嫌いなわけではないとわかります。

 

モリッシーはエイサップの「社会的な感情」にとても共感したからやったんだと思います。

そして実はエイサップは・・・ここが大きなポイントだと思うんですけどヴィーガンなんです。

気に増す、モリッ試験合格の納得み!!

 

ヴィーガンと聞くと、「ファッションかな?」な~んて最近は思ってしまいますが、2019年リリースの「Babushka Boi」

 

(ビジュアル怖すぎる・・・)

の歌詞でも「I became a vegan」と、誇りを持って歌っています。

 

A$AP Rocky - Babushka Boi (Official Video)

 

「バブーシュカ」ってロシアの「おばあさん」の意味で、「大きなかぶ」の絵本なんかでもおばあさんはスカーフみたいのつけてましたよね。あのスカーフを「バブーシュカ」と言うんですけど、エイサップもよく頭に巻いてます。この歌で、それは単なるファッションでなく、15歳の時発砲されて残った左頬の傷を隠すためだと判明!!筋金入り・・・。MVでは警察をあざわらうような強盗劇を見せ、このアクティブな「対:警察」アティチュードもモリッシーの「いいぞ」ポイントなのでは?

 

2012年のインタビューでは

「鶏がどうやって扱われているか調べてみ。拷問みたいに加工されてく。ステロイドなんか注射されて」

とコメント。これ、モリッシーのセリフかって感じですね。

2015年のインタビューでは

「俺は肉を食べなくなって、もう4年。チキン、ポーク、ビーフ、ターキー、全て。魚は食べる、ペスクタリアン」

とコメント。そこからどんどん進んでいったのか…、2019年にはヴィーガンになり、それが誇らしい模様。

 

冒頭に少し書いた「シンプソンズ事件」。問題の「シンプソンズ」は、登場人物のリサが本物のクウィルビー(きれいなモリッシー酷似キャラ)を見るために「ザ・スナフズ」(スミス酷似バンド)のコンサートに行くと、実物はガサツで、ヴィーガンではない外国人フォビアの男(きたないモリッシー酷似キャラ)であった、というエピソードです。

「きたない酷似キャラ」を登場させるのはさておき、差別主義者という汚名を揶揄するのはさておき(それもひどいけど)、「ヴィーガン」であることはその人たちにとっては、哲学でありアイデンティティーであり矜持であり、そこをイジるのは、セクシャリティや人種いじりに匹敵するほどの、「いじめの極致」だなあと思います。でぶなモリッシー酷似キャラがステージで肉サンドがぶりは、ひどすぎ。案の定、モリッシーも、マネージャーのピーター・カトゥシスも激おこしていましたよね。

 

特にカトゥシスは、レイシスト扱いについて

「最新のシングルではモリッシーはテルマ・ヒューストンと共に歌い、ジェイムズ・ボールドウィンの支持者で、自身のバンドに3人のラテン系を含んでいる。そんな彼がなぜレイシストと呼ばれなければいけないのか、理解に苦しむ。根拠はどこに!?」

とコメントを出していました。昨今の事件や評判も影響してか、モリッシーは5月19日、自身のサイト“Morrissey Central”で、Morrissey’s International And Diverse Appealとして世界のモリッシーファンによる自曲カバー動画などを紹介。

自分がいかに国際的で多様なファンに受け容れられているか、また自分も「多様性」を支持していると打ち出しているのでしょうか。手を替え品を替え、黙っていない・・・。

 

そんなこんななモリッシー界隈事情。うんざりなものも多いですが、私たちファンが今できることって、「また悪口言われてるよ…」とちょっと心を痛めつつ見守ること以外にもあるんじゃないかな。

モリッシーが戦っているものって決して「酷似キャラいじめ」とか「悪口」いうちっぽけなものじゃなくて(それにもいちいち怒ってるけど)、私たちをとりまいてる問題とかバイアスとか、人間をそうさせてるこの社会とかシステムとか、そういうデカいムカつくものなんだと思います。

「今世界を覆う、デカいムカつくものって何」「自分はそのことをどう考えるか」など、いつまでも元気に、歌って、しゃべって、怒って、気づかせてほしい、そうしみじみ思う誕生日でありました。

 

エイサップのも待ち遠しいけど、ご自身の新作(なんか着々と作ってるという話もアリ)が待ち遠しい~

ハッピーバースデイ!!

 

★過去のお誕生日記事 

It's the 61st birthday of Morrissey, the greatest singer

It's the 60th birthday of Morrissey, the greatest singer ~『イングランド・イズ・マイン モリッシー, はじまりの物語』に思うこと

It's the 59th birthday of Morrissey, the greatest singer ~モリッシーとボールドウィンと『私はあなたの二グロではない』

It's the 58th birthday of Morrissey, the greatest singer ~モリッシー最新インタビュー翻訳

It's the 57th birthday of Morrissey, the greatest singer

It's the 56th birthday of Morrissey, the greatest singer 

It's the 55th birthday of Morrissey, the greatest singer 


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映画『ノマドランド』にモリッシー・スミスの歌詞が!

2021-04-22 21:57:55 | 映画

お久しぶりです。去年から今年にかけて、色々激動でしたが元気です。

まだ激働中ですが、ようやく時間ができて『ノマドランド』を観たので、忘れないうちに書こうと思って出てまいりました。


この映画には、スミスの“Rubber Ring”の歌詞と、モリッシーの“Home Is a Question Mark”の歌詞が引用されています。

それを今年のお正月に、従妹から聞いて、「え、どうしてその歌詞なんだろ。はやく観たい!!」と思っていたのでした。

以下、ネタバレありです!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年、ネヴァダ州の企業城下町エンパイアに暮らす、夫に先立たれた60代のファーン(フランシス・マクドーマンド)は、工場の業績悪化による閉鎖とともに住み慣れた家も失います。夫に先立たれた独り身の彼女は、キャンピングカーに荷物を詰め込んで仕事を求めてアメリカ西部に旅立ち、まさに現代版「ノマド」=遊牧民として漂流し始めるわけです。

アマゾンで働き始めたファーンは、同僚アンジェラ(この映画に出てくるキャストは、ファーンとデヴィッドという登場人物以外は実際にマクドーマンドが撮影にあたりノマド生活する中で出会ったリアルな人たち!!)にタトゥーを見せられます。

思った以上にすぐに出てきた!! そのスミス&モリッシー歌詞は、以下。

 

When you're dancing and laughing and finally living hear my voice in your head and think of me kindly

君が踊ったり笑ったり、ついに君として生きる時、頭の中で僕の声を聞いて、僕を優しく思い出して

(The Smiths “Rubber Ring”)

 

Home is it just a word? Or is it something that you carry within you"?

居場所、それって単なる言葉? それとも君と一緒にあるもの?

(Morrissey "Home Is A Question Mark”)

 

このアンジェラのタトゥーは、偶然とは思えないほど、この映画の「肝」を示唆していると思いました。

(監督は事前にアンジェラのタトゥーを見て「これだ!」と思って、どっかからアマゾンにお招きして仕込んだのか…?w)

"Home Is A Question Mark“は「ホーム」という言葉から考えてもそのものだし、“Rubber Ring”は、ゴムの輪っか、つまり救命用の浮き輪。

漂流者の、命のよりどころです。

 

映画中何回か、ファーンにはノマド生活を抜け出すチャンスが訪れます。

でも、自分の「居場所」であり「よりどころ」を心の中に持っているファーンは強く、自分の意志でノマドであることをやめません。

「仕方なく」やっているわけでなく、その暮らしをしていることは、自分の選択であり、矜持なのです。ボロボロのキャンピングカーを、自分が手をかけてここまで育ててきたもの…との思いから買い替えないことにも、表れています。

 

始めの方で、かつて臨時教員をしていた時の教え子に会い、「先生はホームレスなの?」と聞かれ、かっこよくこう答えます。

 

「『ハウス』レスだけど、『ホーム』レスじゃないわ」

 

物理的に家がないだけで、自分の居場所やよりどころは自分の中に持って移動しているわけです。

ファーンの生き方はそのまま、モリッシーの"Home Is A Question Mark“の中での問いかけの答えになっています。

(「モリッシーと居場所」のことは、拙著『お騒がせモリッシーの人生講座』133ページあたりに詳しく!興味ある方は立ち読みしてね)

 

この映画を観て帰ってきて、旦那に「おもしろかった?」と聞かれました。

おもしろいか、おもしろくなかったか、と言えば、おもしろくはないので、「おもしろくなかった」と答えました。

(自分的にかなり、ほめてます)

「オチがないの?」と聞かれたので気づいた。「オチ」がないのは、我々の人生そのものではないかと。

 

普通、映画やドラマは2時間といった限られた時間の中に、凝縮したオチを見せ、私たちはカタルシスを得る。

でもこの作品は違いました。きっとファーンのああいう人生はこれからも、オチもなく、淡々と続く。

まわりのノマドのみなさんの人生も、続く。そして、いちいち結論もハイライトもなく我々の人生も、続いている。

 

この映画は、どこかの誰かが居場所をなくして転々としている話ではなく、この星に生きる物たち全員の心の漂流を描いているものではないかと思いました。

「自分ごと」として観てしまうんで、おもしろくなんかないのか。

(「貧困とかホームレスなのは自己責任」とか、ファーンの義兄のように「あんたらみたいに気軽に動き回って」とか言ってる人は、また別の意味でおもしろくないでしょうw それって心が硬直している!?)

ファーンが出会う、高齢の漂流者たちには一見なんの救いもない。でも、彼や彼女たちは、別れや病気や貧困があっても、淡々と車で移動し続ける。続ける。意味や論理ではなく、続けていく。

実は、それこそが実は「救い」なんではないかな、と思ったんです。人間という生物の営みとして、普通のこととして、地上の上で動き続ける。なんか、ものすごく生きてる。広大な大地の中、それが全身でわかる。

ノマドのみなさんは、ゴミを出さないようにしたりDIYしたりエコですけど、自分たち自身が「循環型」だと思いました。

日々、地球という星の上で息をする生物として地の上で動き、眠り、起き、食事し、排泄し、動き、いつか死に、地に戻る。それまで、生きてる。

 

何を言っているんだかわからなくなりました。

 

でも死ぬまで、とにかく続けて、続けて、生きている中で、大切な光景(ツバメがたくさん飛ぶ場所、家の後ろのドアを開けると

さえぎるものなく続く砂漠、昔家族と囲んだ食卓のアンティークのお皿、何光年も経てやっと地球に届いた星の光…美しいものがいっぱい出てくる)や人との出会いがある。

それが漂流している自分のつかまる筏のような、よりどころになるのだとよくわかりました。

 

踊ったり、笑ったり、ついに自分として生きる時、頭の中で聞こえる声は誰のものでしょう? 優しく思い出すのは何でしょう?

 

だから、おもしろくはないけど、観終わって頭の後ろから「ぐわーーーっ」となるし(なんかが入ってくる感じ)勇気もわいてくる映画です。


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「BLM」運動が飛び火!?BMGのモリッシー契約解除

2020-11-17 20:54:42 | Morrissey News

昨日は代官山蔦屋書店にて開催中のラフ・トレードのイベントでトークショーに出演してきました。タイトルは「ラフ・トレード~ザ・スミスとの歴史的タッグ、深化していくレーベルの今」。TBSラジオプロデューサーの長谷川裕さんと、ラフ・トレード創設者ジェフ・トラヴィスとモリッシーの確執の背景や原因を考察しつつ、「やっぱりラフ・トレードは(結果的に)凄い」というお話(そちら別途レポートします)。その中で

「まあ、インディーにかぎらずメジャーレーベルともどうせもめるんですよモリッシーは」
 
 
どんな背景があるのだろう?と考えてみたんですけど、今回は特に、モリッシーにとってひどい話ではないかと思いましたので書きます。
 
(Morrissey Central)
 
 
思い越せば2017年8月、BMG、どう考えてもどメジャーレコード会社と契約!!の一報が!!そして11月にはニューアルバムがリリースされる…ということで狂喜しました。
 
2014年、前作より(この時も)5年ぶりに“World Peace Is None Of Your Business”を発表後、ユニヴァーサル(傘下レーベル、ハーヴェスト)と決裂して以来のメジャーリリース。モリッシーによるとこのユニヴァーサルは「ほとんど殺そうとしてきた」と…。それでも再度、「絶対、メジャーからレコードを出す」道にこだわり続けての、悲願の契約でありました。

その時は、BMGのエグゼクティヴ・ヴァイス・プレジデントであるKorda Marshallをして、

「今やモリッシーと比べられるようなアーティストは多くない。彼は類いまれな才能の持ち主です。彼は並外れていて、教養があって、機知に富んでいて、優雅、そして何よりも勇敢だ。彼の歌詞、ユーモア、メロディーは多くの世代に影響を与えてきた。新たな記念碑的とも言えるアルバムの音楽それ自体が物語ってくれる。彼をBMGに迎えることができて光栄です!」

言わしめていた。

 

私の当時のブログには、

 

「モリッシーの『並外れたすばらしさ』をわかってくれているようですが…これが最初だけ!にならないことを切に祈ります」

 

と書いてあったw 幸いにも「最初だけ!」にはならず、「3年」続きました。

 

2017年 Low in High School

2019年 California Son

2020年 I Am Not a Dog on a Chain

 

…と、アルバムも3枚リリース。

 

モリッシー自身、今回の件で激おこながらも、

「BMGで出した3枚のアルバムは自分のキャリアの中で最高のものであり、死ぬまでそれを支持する。これらのアルバムのレコーディングは、人生において極めて重要な期間で、これまでのBMGのチームと関係者全員には感謝している」

としています。従来のチームとの関係は良好だった模様。けれども

「自分にとって、おのれのやり方で音楽活動をしていくことは依然として重要で、所属アーティストがどう振る舞うべきかをあれこれ指示してくるようなレーベルにはいたくない。『才能』という言葉が明らかに言及されもしない場合は特に」

と言っています。「才能」と言及し、最初のKorda Marshallの歓迎の言葉を皮肉っているのでしょうか。

 

なぜ、良好なチームワークを保っていたレーベルがいきなり「所属アーティストがどう振る舞うべきかをあれこれ指示してくるような」レーベルに豹変したのでしょう?

それは、2020年5月にアメリカのミネソタ州ミネアポリスで発生した、黒人男性を白人警官が死に至らしめた事件に端を発し世界的に広がった「ブラック・ライヴズ・マター」運動とも関連しているようなのです。

モリッシーによると、最近の新しいBMG新幹部は、BMGのアーティスト一覧を見つつ「多様性」を鑑みた新しい計画を発表し、予定されていたBMGからのモリッシーのリリース/リイシューをすべて廃棄することを決定したとのこと。このBMGの「多様性」ポリス的決定は、何に則っているのでしょう?

 

アメリカの音楽業界が中心となり、2020年6月2日火曜日に「ブラックアウト・チューズデイ」が実施されました。

 

業務を一時中断し、黒人差別撤廃のために行動することを呼びかけるものでしたが、この1週間後の6月9日にBMGのCEOであるHartwig Masuchは早速、人種差別と不平等に対するスタンスを打ち出しました。ミュージック・カンパニーは、「黒人に与えられた歴史的な不正に対処するため、自分たちの役割を果たす必要がある」と誓約して、何千人ものアーティストやソングライターにメッセージを回覧したそう。

「私たちは皆、過去数週間の人種的偏見と不利益のひどい現実に直面するよう求められてきました。本当に自分たちが気にかけているかどうかは、結果として実際に行動を変えたのかどうか、そして長期的に継続してくかどうかでテストされます。BMGがそのテストに合格することを保証すると、約束します」

と、Hartwig Masuchの言葉。立派ですよね!CEO自ら先頭きってすぐ動くなんて。

モリッシーはBMGでまわってきた宣誓を読んできっと・・・「なるほどなるほど。ごもっとも」と思っていたのではないでしょうか。もしくは「ふーん。ほんとにできるんか?」とか。実際にミュージック・カンパニーがとるべき姿勢として間違ってないですよね。

 

そして、BMGの宣誓はこう続きます。音楽業界が行ってきた「黒人アーティストに対する恥ずべき扱いの歴史」を念頭に置き、

 

「すべてのレコード契約の見直しを開始します!不平等や異例の事態が見つかった場合、BMGは30日以内にそれらに対処する計画を作成します」

 

モリッシーはこれを読んでもきっと・・・「なるほどなるほど」と思っていたのではないでしょうか(嵐の前の静けさ・・・)。BLMをきっかけにしてBMGはミュージック・カンパニーとしての在り方を見直し、社内には新しくグローバルダイバーシティ&インクルージョンカウンシルまで設立してしまったそう。社内のすべての多様性とその受容に関するイニシアチブを取り、アドバイスを提供する中核的存在にするそうです。話だけ聞くと「いい話」に聞こえますね。

 

ちなみに、コロナ禍やBLM旋風が吹き荒れるその頃、モリッシーは何をしていたかと言うと・・・

…パンを買っていたのであります(5月、マンチェスターにて)。

 

まさかその後、「30日以内にすぐに対処プランを立てる問題となるレコード契約」のブラックリストに載る運命を夢にも思わず!!

 

だって、モリッシーは巷に「問題にされる」アーティストではありますが、自らは「問題となる」音楽を作っているとはこれっぽっちも思っていない(し、作ってもいない)。それなのに、世の中の評判やレッテル、立ち位置ではかってみて今後のBMGにとって「排除すべきアーティスト」と思われたのではないでしょうか・・・。かなり簡単に言えば、BMGが「グローバルなダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(受容)カンパニー」を目指すにあたって「あんた邪魔。いると色々勘違いされるから出てってね」と言われたわけです。この顛末をモリッシーは、

 

「このニュースは、2020年にもたらされた情け容赦ない電気ショックのような恐怖と完全一致」

 

と表現しています。このニュースを報じた自身のサイトの中に、黒人のちびっこがモリッシーのスマホ待ち受け画像を見せている写真があります(このブログ冒頭)。これはモリッシーからの静かな抗議だと思います(文章で激しく怒ってるけどw)。

 

多様性ってなんでしょう??その受容ってなんでしょう??もちろん色々な人への「配慮」を表に出すのは立派なことです。けれども、あの人「差別的だよね」とくくって、排除することで解決される問題なのでしょうか?本当の「解決」に目を向けた、対話はあったのでしょうか?モリッシーの文句を読んでいると、かなり一方的に「BMGカラーに合わせるために、あれすんな、これしろ、じゃなきゃさよなら」みたいな感じだったのではないかと、ちょっと暗くなります。BMGは良かれ!!多様性のために!!いざ!!と思って、決して悪意ではなくやっていることなので、いろいろ考えると更に暗くなる。こういう「不一致」は本当に不幸なことだと思います。

 

思えば2020年は、断続的な電気ショックのような、情け容赦ない恐怖にガンガン見舞われた年でした。コロナ…BLM…アメリカの大統領選挙にまつわるいろいろ…地球に生きる個人個人にとって大変困難が多かった。モリッシーの2020年が、また新たなるレーベル浪人という困難に見舞われで締めくくられるとは胸が締め付けられる思いもします。でも、きっと、「モリッシーズ・ライフ・マターズ」のレーベルがあるはず。すぐに契約できるはず。

できなきゃおかしい、と思います。

なんて言ってもモリッシーは「並外れていて、教養があって、機知に富んでいて、優雅、そして何よりも勇敢」なのですから!!


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