Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー11歳、ヴェジタリアン人生を決意(“Thrasher Magazine” July 13, 2015 インタビュー翻訳4)

2015-07-18 01:56:13 | Morrissey Interview

こんばんは、なんとか今日で翻訳を終わらせようと思います。

でも書いてみないと終わるかわからないのですがw


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「単純に、動物とは、我々人間ではないんだから、人間が動物たちの苦しみを無視

していいわけがない」とおっしゃっていたの、いいなと思いました。あなたは11歳で

肉を食べるのをやめましたが、そもそもどうしてですか?そしてそのあなたの主義を

貫き続けるためには何をしていますか?

 

偶然、畜殺場を撮影した映像を見て、最も忌まわしいことで、吐き気がして、道徳に

反する所業だと、ぞっとした。2~3週間前、丸い檻の中で留め金に止められた雄牛の

映像を見た。そして鋸の刃がとてもゆっくり雄牛の首を焼き切っていくに様を見せていたが、

雄牛は目から涙を流し出していた。首が切り落とされるまで3分。こんなにも悲しいもの

を見たことなかったし、全人間、なんてぞっとするものなんだろうという思いをじわじわと

強くさせた。もし人間がいなかったら、地球はどんなにか素晴らしいものだったろう。

本気で言ってるんだ。人間が何もかもぶち壊しているんだ。

 

私はいくつものインタビューであなたを見てきましたが、極めて面白い人ですよね。

あなたの詞でも時々、例えば「ヘヴン・ノウズ・アイム・ミゼラブル・ナウ」とかでも

面白いと感じます。「アスリープ」みたいな歌を作る男がそんなに面白い人であること

とか、人はびっくりしますかね?

 

「面白い」という言葉をどう定義するかによる。ユーモアというのはとても個人的なことだ。

でも、私のことを陰鬱だと考えてる連中は彼ら自身がたいてい退屈な奴らであることを

ありがたく思ってるよ。一方で、私のユーモアをわかってくれる人たちは誰もがとても

頭のきれる人たちだ。

 

アルバムの歌のために詞を書くことと、あなたの出版した自伝のような本のために執筆

することの違いはなんですか?

 

まったく違いなんてない。私は14歳の頃と同じように、今でも、ボーカルの歌メロに

とり憑かれている。歌声というのはいまだに、地球上で最もセクシャルで、官能をそそり、

そして最も説得力を持つ力だと思うんだ、私は。

 

「セックス、ドラッグ、ロックンロール」という考え方がかつてありましたが、今じゃほとんど

死語に近いですよね。アーティストというのは、若い世代を酒やドラッグの世界にそそのか

したりしない、ある種の社会的な責任を追っていると思いますか? アル中やヤク中はかつ

てに比べてはびこっているし、私たち世代の文化は俗悪です。

 

私には、状況はむしろ昔とは逆転しているように見えるんだけど。だから今じゃバンドは、

ヘルシーでいようとはげんでいる。その一方で、音楽好きな連中、とても若い子たちは特に、

至極陳腐なロックンロールスタイル・ファッションの服でキメたりしているが。良い点は、

毛皮や革、マクドナルド、プラスティック製品を拒絶する動きが前より出てきたこと。

若い知識層にとって、このあたりのものを拒否して買わないことは、とても重要なことになった。

だから彼らは、もし誰かが毛皮を着ていたら、そいつをただちにバカ認定してるよね。

そんな訳で、汚れだらけのこの世界において、いい風に変わったこともたくさんあると思ってる。

そして、レストランのメニューから動物製品が消えたらすぐにも、世界は素晴らしいものになるだろうね。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほっ、なんとか駆け足で、すべて翻訳終わることができました(いつも脱線しすぎw)。


それにしても11歳で、あの肉とじゃがいもしか食べるものもなかったであろう

70年代の英国で(偏見…)よくヴェジタリアン人生を決意しましたね。

それだけ動物屠殺映像はモリッシー少年にとってその後の人生や

主義主張を決定づける大変ショッキングなものだったのですね。


 これは13歳なので、少したってからだけど…なかなかの美少年ふう。

 

…そういえば今日、モリッシーの新しいマーチャンタイズ商品のお知らせが

きていましたが


またこれ…

「動物にやさしくしろ、さもなくば殺ス」

モリッシー将軍の生類憐みの令…

 

このシリーズ、作りすぎ。(Tシャツもパーカーも買ったけど…)


 


…どんだけやさしくさせたいんだ~~~

 

でも、動物に接しているやさしいモリッシーが好きです。

人間に対してる時と違うw


インタビューにあったように、動物は人間ではないので、

そして人間は動物ではないので、とても気をつかって、思いやり

を持ってやさしく接しよう、とにもかくにも肉食ダメ絶対!!!

…という、モリッシー将軍の御触れは、時に(いつも)過激で極端ですが、


こんな顔を見るととても癒されますね。


(こちらのムツゴロウさんばりのモリッシーの過去記事も合わせてどうぞ♪)

それでは皆さん、良い週末を~!


モリッシーとエド・シーラン因縁?の対決(“Thrasher Magazine” July 13, 2015 インタビュー翻訳3)

2015-07-17 00:31:31 | Morrissey Interview

こんばんは、引き続き更新していきます。

今日、仕事の待ち時間にかかっていたのがずっとエド・シーランのPVでした。

なんてタイムリーな!!と思いました(笑)。


そんなわけで、訳の続きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あなたはポップ・ミュージック界におて、ホンモノのアーティストを見出すのは滅多

にないことだと言いますよね。私もそう思うます。最近のメジャーな音楽について

どう思っていますか?

 

大々的なマーケティングなくして成功するバンドやシンガーなんてひとっつもないね。

びっくりするようなサクセス・ストーリーもない。すべては厳重にコントロールされてて

お約束だし予測可能だし、全部がまったく変わり映えのしない中身だ。今、私たち

が生きてるのはマーケティングで生み出されたポップスターたちの時代なんだよ。

レコードレーベルが音楽チャートを完全にコントロールしていて、その結果、人々は

音楽に対する興味など失ってしまった。レーベルが音楽のためになんかいいことを

してくれた試しもない。こうして我々は無理やりエド・シーランやサム・スミスを聞かされ

ている。少なくとも、これ以上物事が悪くなることはないだろうけど。でも、悲しいかな。

音楽からはアーティストの自発性が失われていて、どこにも救いようがないに見える。

 

また出ました。モリッシーの、メジャーアーティスト批判!!

(まあ、メジャーじゃない人もディスりますが)…

 

かつて、マドンナを「ほとんど組織化された売春」とディスったのが有名ですが…

 

今回の、今をときめく英国出身アーティストふたりの批判には、

マスコミも「待ってました!」と食いつき、ニュースにもなりました。



こちらのNMEの記事に返答する形で、モリッシーの痛烈批判に対する

エド・シーランの返答がツイッターに!!

いやだな~、もろ「老害」って感じに見えちゃいますよね。

 

「モリッシーの言ってることは完全にクソだって思っとけよ?

僕のことはさておき、サム・スミスが去年あんなに活躍するとは

誰にも予想不可能だったはず」

 

「僕のことはさておき」、はちょっとおかしいですが…w

 自分のことは、予測可能なマーケティングで生み出されたポップ

スターと思っているのでしょうか…?

 

実は!!モリッシーとエド・シーランはちょっとした因縁があります。

昨年のちょうど昨日7月15日、モリッシーは5年ぶり、10作目の

“World peace is none of your business”

(某国のAベ首相に聞かせたい曲、52週連続1位更新中!!)

をリリース。

 

その週のUKアルバムチャートで、初登場1位!!

…になるかと思いきや…4週連続1位となったでエド・シーランの2作目の

アルバム“X”にその座を奪われました。


4週連続トップはその時点でも2014年最長でしたが、その後も首位は

続き、8週連続1位となる。

(エド、君は「ルビーの指輪」か…)


もしやモリッシーはこれを恨みに…!?

いや、大人だから、思わないか?、あはは!

…いや、モリッシーだから…思うかも…

 

(※画像は、イメージです)

 

いやいやいや~、

エド・シーランと言えば、猫好きアーティストとして有名!

猫好きアーティスト同士として仲良くしてくださいよ!!

 

誰かさんみたく、

 

こんなにかわいがっていて

 

ほら、肩に乗せてみたり♪



違う違う違う違う!!

そうじゃない!!

 

 

こうだ。

 

…えーっと。

まだ、エドさん若いんだし、どうぞお手柔らかに…

 

すっ、すみませ~ん、私もディスられてんですけど~

結構、モリッシーにも似てるなんて言われてんですけど~

「スミス」が名前にも入ってますし~

 

見て見て~!!『ボナ・ドラッグ』みたいでしょ~?

モリッシーに似てるでしょ~?

 

 

いや…

あんた…


アタシでしょ!?アタシ!!

 

 

…と、今日は翻訳終わらそうと思ったのに、

まさかのオネエ対決みたくなって…しまった…。


モリッシーを擁護するわけではありませんが、あくまでも上の若いお二人は

「例」であって、モリッシーが本当に批判しているのは、商業化した「音楽業界」

ですので~!

そこんとこは本当に踏まえて、音楽ファンひとりひとりがちゃんと選択

していく眼力を持って、踊らされないでいて…というモリッシーさんからの

音楽への深い愛ゆえの、警鐘だと思います。


そんな訳で〆て、続く…w


モリッシーの学校嫌いと音楽人生(“Thrasher Magazine” July 13, 2015 インタビュー翻訳2)

2015-07-16 00:21:09 | Morrissey Interview

昨日の続き、モリッシー最新インタビューの翻訳を進めます!

 

★私はあなたのライブを、ネブラスカ、オマハのオーフィウム劇場で

見ました。ホールフーズ・マーケットであなたのバンドのベーシストと

偶然会って、彼が私をゲストリストで入れてくれたんですよ。

あのライブで、あなたには80年代と同じくらいエネルギーがあるように

見えました。今さらながらお聞きしますが、どうやってそのエネルギーを

保っているのでしょう?


あぁ!なんだ、君はゲストリストにのせられてなければ、わざわざライブに

来なかったわけか!これは私の人生だ。何もかも、音楽以外のすべてを

犠牲にしてきた、我が人生。私は「パフォーマー」ではない。ミュージシャン役を

演じてるわけでもない。職業で音楽をやっている訳じゃないんだ。


★若い頃、あなたはNMEに手紙を書いていたと読みました。そして今やNMEは

あなたのことを「史上で最も影響力のあるアーティストのひとり」と言っています。

それがあなたがパフォーマンスする上で何らかのプレッシャーを与えていたりは

しませんか?そうであれば、またそうでなくても、その理由を教えてください。


私に期待されていることをするのに、プレッシャーを感じたことは一度も

ないね。そしてNMEや他の誰に対しても、彼らをどうやって喜ばそうかなんて考えた

こともない。私がNME中毒だった時、NMEは「ニュー・ミュージック・エクスプレス」と

呼ばれていて、1970年から1980年まで、ただの1号も買いそびれたことはなかった。

今じゃ音楽雑誌へのそんな深い愛情はまったくもって失ってしまった。昔は心から

好きだった。


★あなたの歌詞や、人間に対するじっくりと深い考察から、あなたは人生の早い時期から本物の

眼力を身に着けていたのだと感じます。少年期に、人間の真実に対してあなたの目を開かせた

ものは何だったのでしょう?


私には学がない。2つのおぞましい学校を出ただけだ。その学校生活は、残りの人生において

まで、本当に頭をたたきのめすものだ。主に、どんなに暴力的で不愉快な人間がいるかと

いうことを知ること、それこそが私が初めて知った「世界」だったのだから。

学校生活において、ほっとできた経験はただの1日たりともなかった。

そしてそんな学校生活の経験は、永遠に私をおびやかすものとなった。

 


…おっと、出ましたよ、学校への呪詛!!


2013年3月、ハリウッド高校のライブでも、「高校」というロケーションでいろいろいろいろ

イヤ~な学校記憶が呼び起こされたのか、散々学校への恨みつらみをぼやいていました。

 

 

絶対絶対絶対に、学校ってものからは逃げられない
いくつになっても ずっとついてくるんだよ…
永遠に。
そしてギリギリ!ギリギリギリ!ギリギリギリ!
君たちをぶっ潰していくんだよ

ともかく私はぶっ潰されたんだ…

 

…そして、“You have killed me”の前奏が始まり、 


ところがまだ生きている!
かろうじてだけど‼


…と叫んでいました。


打ちのめされても、それは過去なわけで、

「あれはいいんじゃ~過ぎたことじゃ~」とか、

縁側茶飲み話になりそうですが、この人はならさない…


モリッシーが過去の話をする時、過去の体験を歌う時、

それはリアルで鮮明です。

いまだにダメージの傷からダラダラ血を流しつつ立ち向か

っているのは、時に「しつこい…」と思わないでもないけど、

ここまで極めていると、圧倒されてしまいます。


インタビューであったように、

パフォーマンスしている訳でも、与えられた役を演じている

わけでもない。食うために職業としてミュージシャンをやっている

のでもない。


それこそが自分の、人生。不可避。


生きてきた、生きていく、そのために今生きて歌を歌うしかないという

一貫とした姿勢が、ほんのライブでのMCやインタビューでの一言、

断片にまですべてぶれなく通されているところが、年齢や体調にも

左右されない「エネルギー」の原点だよなあ、とこのインタビューを読んで

いてもつくづく思うのでした。


そして、このインタビューは、その後ニュースサイトでもとりあげられて

いた「職業」ミュージシャン(その人たちには失礼すぎますが…)ディスり

につながります。彼ら自身よりも、音楽産業に対する怒り(これもず~~っと

同じ)なんですが。。。


そこまで訳せるかと思ったけどまた量が多くなりそうだから

続く…w 


モリッシー13歳、初めてライブに行く(“Thrasher Magazine” July 13, 2015 インタビュー翻訳1)

2015-07-14 23:49:47 | Morrissey Interview

5月末にシドニーオペラハウス4日間、6月からのアメリカツアーは10日間、

7月も今までに5日間を順調にこなし(アメリカは、8月までにあと8日間)、9月には

再びUKツアー始まり…と怖いくらい順調にツアーをこなしている56歳のモリッシーさん!

 

ニューヨークのライブでもこんな感じ。

お元気で何より。

 

「あのひときらーい!!」

(by Sachyn Mital for The Village Voice)

 

そんなモリッシーの最新インタビューが、アメリカのスケーター雑誌

『スラッシャー・マガジン』に掲載されました。


なぜスケーター雑誌…。

 

スケボーになってるくらいだからスケーターさんにも

需要ありなのかしらん。

(なんかビーバス&バットヘッドタッチなモリッシー…)

 

独占インタビューと言ってるけど、9日付けのBoulderWeeklyとちょっと

内容かぶっているが…まあ、それはいいとして、ぼちぼち訳して紹介したい

と思います。


////////////////////////////////////////////////////


★あなたはマンチェスターで育って、70年代や80年代の「プログレッシブ・パンク」を、いかに

ご自身の血肉としてきたのでしょうか?

 

プログレッシブ・パンクって何のことを言いたいのかよくわからないんだけど、マンチェスターはいつも

レコード屋には恵まれていたし、名だたるバンドがロンドンに次いでライブしようっていう都市だった。

だから12歳からギグやらコンサートに行き始めたし、見るべき時に見るべきアーティストを見てきた。


Tレックス、デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、ルー・リード、それにラモーンズの初英国ライブ。

パティ—・スミス、デビュー前のセックス・ピストルズ、などなど。誰にライブでも観るのは、とても簡単だった

けど、見れなくて後悔しているバンドは2つある。ジェネレーション・エックスと、Xレイ・スペックス。

1972年にニューヨーク・ドールズを観に行ったけど、彼らはプレイしなかった。そしてその翌年にリーズに

来たけど、当時まだ13だった私にとっては、リーズなんて火星の近くか!?ってくらい遠くに思えたし、

行けなかった。

 

…翻訳を進めようとしましたが、ちょっと待って。

この1972年の、モリッシーが観に行ったけど演奏しなかったニューヨーク・ドールズ、

それはロキシーと一緒にやるはずだった、ライブですね。

 

ツアー中にドラムのビリーがドラッグを服用後、

ホテルの浴槽で溺死している所を発見された…そのためキャンセルになってしまいました。

バンドはその後、新たにジェリー・ノーランを加えて黄金期メンバーとなるわけですが、

13歳モリッシーの失望たるや。。。

 

このインタビューでは「12歳からギグに行き始めた」と言っていますが、自伝によれば

「1972年6月16日」

のTレックスが、初めてのコンサートだったはずです。6月だから、13歳になってるんだな。


Tレックスは私の初めてのコンサートだった。1972年6月16日、父と姉は面倒くさがりながらも会場の

ベル・ビュー(スタジアム)まで車で私を送ってくれた。ふたりは、紫のサテンのジャケットを着て、

ひとりでヨチヨチ歩いていく私を見ていた。精神鑑定されてもおかしくない、その私の姿…。

 

そして9月には、ボウイを観に行っています。

 

1972年の9月、文化のない世界から、ボウイのライヴ会場であるストレットフォード・ハードロックまで

這うようにして向かった。その午後、ボウイが黒いメルセデスからでてきた。彼は8次元において寸分の

隙もなく、ハイヒールでよろめきながら、人類の祖先の持つすべての知恵を備えて、鋭く微笑んだ。

そして退屈な学生の私からノートを受け取り、サインをした。私の吹き飛ばされた魂は、

その時着ていた制服のブレザー(blazer)より燃え立って(ablaze)いた.

そして私は、我々に自由を与える、この改革者の手に触れた。

オスカー・ワイルドのような先見の明を持って、イギリスを作り直す彼。

そして青い制服で苦しむ、このみっともない私。


 モリッシー!せっかくライブに行ってるのに、ゴキゲンじゃないなぁ!(自意識過剰だし…)

しかも、ボウイには会えてるのに(ボランにも会ってます、この人)いつも、スターと比べた

「ちんちくりん」の自分への嘆きで終わるのやめて~!


しかし、13歳なのに、ほんとよく行ける、ライブ。私が13歳の時など、年に何回か

行くのが金銭的に精一杯だったが…まあ、チケ代格差もあるのでしょうが、

(あと、モリッシーんちから比較的ヴェニューが近かったりする)

このお金はどこから?まさか、お年玉崩してる??


(補足)

※なんと!ブログを読んだ、先日渡英し、マンチェスター名所めぐりもされた

 さんより、

「1972年9月にボウイを見に行った、モリッシーん家(384 Kings Road)

のすぐ近くのハードロック、今は当時を偲ぶものは何もなくこんなホームセンターになってるw」

…と貴重な撮影画像をご提供いただきました!ほんとだ~すっごくロックじゃなくなってる…w

敷地はとての広いのね。しゅんさん、ありがとうございます!!

 

 

 



11月9日には先ほどのライブ告知にもあったロキシー・ミュージックに行っているのです。

ああ、モリッシー忙しい~。

 

それから2か月後、同じ会場でロキシー・ミュージックを観た。彼らはファーストLPのプロモーションを

まだその時もしていた。しかし彼らのセカンドLPのジャケットはロビーに飾られていた

—新作を待ちきれないファンに向かって、急進的な輝きを放っていた。私は彼らのサウンド・チェックに

忍び込んだ(無名のバンドはセキュリティーが甘いので、実に簡単だった)。そして私は、会場のロビーで

ピンボール・マシーンをやっていたサックスのアンドリュー・マッケイと話しをした。

マッケイとの出会いはこの世のこととは思えなかったほど、やっかいな少年には、この上ない喜びだった。

ロキシー・ミュージックが彼らのファーストシングル「ヴァージン・プレイン」で、不可解にもチャートの

4位に上ったのは、すべてのことに新しい意味をもたらした。


ヴォーカルのブライアン・フェリーについては「名誉ある北の異国人」「現実逃避家でシャイ」

「海のようにさざめき、妖しい魔力の上をずるずるとすべる」人と形容。

文学的ですが、言い得て妙。

他のアーティストに対しては卑屈になってたのに、ロキシー(特にフェリーさん)に対しては

、ガンガン居丈高モリッシー節炸裂~止めません。

 

「フェリーの笑顔にはヒロシマの原爆のような気分の悪さがあった」

「ステージを右から左へ蟹のようによろよろ歩いた。まるで食器を片づけている人みたいだった」

「冷たい金属のような声で、かろうじてうわっ面でははりきって歌っていた」


1972年当時の蟹歩き食器片づけ色男とその仲間たち…


…ロキシーに対する悪意的コメントたちはさておきw

 

この1972年、モリッシーは、モット・ザ・フープルとルー・リードも観ました。

本当に、モリッシーの原点が詰まった1年だったと言えるでしょう。

私ごとながら、私がザ・スミスを知りモリッシーに出会ったのも13歳。

13歳という大人の階段をのぼりはじめる特権的な時期。

何かで「13歳に出会った音楽を、人は一生聞く」と読みましたが、真実かもしれません。

 

最新インタビュー訳していたのに、脇道にそれ過ぎ。

あ、このインタビューのインタビュアーさんも、ザ・スミスに出会ったのは「14歳」だそうです。

 

★私が初めてザ・スミスを聞いたのは14歳の時。『ラウダー・ザン・ボム』が最初で、この

アルバムは私の青春時代を彩るサウンドトラックとなりました。あまりに多くの人々に

共鳴するこのアルバムのことをどう思いますか?


最初から最後まで、とても愛のこもったアルバムだと思うよ。愛のこもったアルバムであるのに、

手加減してないだろう。だからこのアルバムを聞くと、思いやり深い世界にいるなぁと思っていたのに

その世界が急に極めて野蛮で、しかも完全に現実をつきつけたりするものに様変わりもするんだ。

『ラウダー・ザン・ボム』はロックのファンタジーでもなかったし、ニセモノでもなかった、

聴き手に直接的に語りかけてくるものだったし、商業的なものでもなかった!

しかしとてもよく売れたんだ。


…そっか、だから一枚のアルバムなのに、優しく真綿で撫でられてるかと思えば

いきなり鞭がびゅんびゅんふりまわされるような緊張感もともなっているのか、

モリッシーも好きみたい。久しぶりに聞いてみよう、

…ということで、あっちこっちいってまったく翻訳進みませんが、続く…!