モリッシー香港公演が「ニイハオ!」で無事始まったそう。
(発音、悪いそうwww)
東京公演からもう1週間以上たち、ああ、先週の今頃は、
ヨコハマ飛ぶことも知らずにいたころかな。
そうか、もう次の公演地。
こちとらまだ「モリッシー渦中」ですが、こうしてキャラバンは進んで
いくんですね。
今回、モリッシーのライブの前後で、たくさん印象的な言葉を
見たり聞いたりしたので、どれもがあまりに大切なので、
書き留めておこうと思いました。
自分の自分による自分のためのブログw
字は、便利だ~。年とってきて、いろいろ忘れるからはやく
書かないと。
(おもしろいのもあるから探してね★)
What ever happens, I love you.#MORRISSEY #横浜 #Cancelled pic.twitter.com/10trInoLov
— YURi (@yuri13xoxoJP) 2016年10月1日
というわけでモリッシー公演終わりました。俺が今まで観戦した中でぶっちぎりで力強い音楽でした。
— あなみ(元カラーフィールド) (@anatakanick) 2016年10月2日
昔、したり顔でモリッシー(スミス)は弱者の音楽なんて言ってたやついあな。とんでもない話。
— あなみ(元カラーフィールド) (@anatakanick) 2016年10月2日
一回更地にされて新しい芽が出てきた感じ。力強い芽が。
— なみすけ (@bear73care) 2016年10月4日
この涙はなんなんだ?と考えたらピラミッドとかオーロラとか見たらこんな感じでちょい泣きするのかなって思った。昔から見て聞いて知ってたものが現実に目の前に現れた、そんな現人神的な。
— 18 (@hacieniwa) 2016年10月2日
モリロスも確かにあるけど、この一週間、握手したり、ハグしたり、一緒になって走ったり、騒いだり、飲んだり、歌ったり、踊ったり、面白い話をしてくれたり、そんな方々から離れて日常に戻ることの方が切なかったりする。濃い仲間に囲まれて幸せでした。またどこかで。それまでお元気で!
— ソウマ マナブ (@gakus2) 2016年10月3日
モリッシーロスで腑抜けかと思いきや、愛に満たされてむしろ充電。それが、モリッシー。
— ユリンベ (@yurinbe) 2016年10月2日
来日公演も無事終了。皆さんお疲れさまでした。モズから貰ったパワーを糧に、日々を送りたいものです。「スピードウェイ」いつも聴いていると切なくなるのですが、同時に力が湧いてくる。そういう曲が“名曲”なんでしょうね。#モリッシーhttps://t.co/jBG396edTJ
— Sivle1001 (@sivle1001) 2016年10月2日
物凄い控えめに言って、最っ高だった。また頑張って生きていけるよ。
— Sonntag aka cha-ra (@Sonntag412) 2016年10月2日
モリッシー!!!オーサカ・ワイルド・アゲイン。生き続ける悦びを与えられた。#morrissey pic.twitter.com/YMXW0iFQGt
— Fukudomegane めがねの日本人 (@modernworldkooo) 2016年10月2日
モリッシーは暑い!って言ってたけど、大変盛り上がって、熱気に満ちたライブだった。温かくて、ツヤがあって、力強いモリッシーの歌声に魅せられっぱなしだった。こんなライブが観られたら、今日死んでも悔いはない。来るな明日。 #モリッシー pic.twitter.com/ynj6sBp5FR
— Keiko Hirakawa (@keco) 2016年10月2日
モリッシー@IMPホール。ちょっと泣いた。モリッシーの想い。わたしたちの想い。愛に満ち溢れていた。明確なメッセージと素晴らしい歌。伝えたいことがあるということ。音楽。まさに「この人を、見よ」だった。天に向かって手を翳した。 pic.twitter.com/i75VQIjlHV
— Acco (@acco_Q) 2016年10月2日
モリッシーはやはり凄かったな✨圧倒的で壮大で現実だったのに現実じゃなかった様なだけどこの先後々まで鮮明に残るはず今度いつ来てくれるのかな#モリッシー
— おんぶおばけ (@keio_oiek) 2016年10月2日
かいなってぃー姐さんのブログに掲載されてる広告を見て「中身読んでから載せてるだろこれ」思いやした pic.twitter.com/4lND2oAN6G
— 性癖捕物チョ (@propensity_gmen) 2016年10月2日
残念なのはちょー残念だけど、不思議と誰に対しても腹は立たない。なんでだろう、と考えたのだけど、たぶんアーティスト側にとっては、それだけステージングを大切に、良いものを見せたい、期待を裏切りたくない、、ということなんだろうし、それはファンに対するひとつの正しい姿勢でもあろう、と。
— Nekodanna (@nekodanna) 2016年9月30日
詩を書くとき、いろんなものと向き合います。逃げられない。書き上げるまで。それはじぶんがいちばん赦さないから。だからモリッシーは凄いと思う。「Meat Is Murder」を書き上げるまで、どれくらい向き合ってたか。そしてずっと歌い続けてることでも、また向き合ってる。
— カツムラナツコ (@natsukohemming) 2016年9月30日
モリッシーのライブに来ているお客さんでたまたま横に居合わせただけで一度も会ったこともないし言葉さえ交わしてないけど、毎日会ってる人よりすごく近いしいつも会ってるような感じ
— AO (@earth_stoker) 2016年9月30日
「楽しい」とか「悲しい」とか単純に分けられない、感情の扉全部をこじ開けられたような感じ。自分でも今まで知らなかった新しい種類の感情を知りました。「うれし悲しい」とか「苦し楽しい」とか。
— なみすけ (@bear73care) 2016年9月29日
モリッシーのライブ、堪能しました。前回のツアーはパワフルな活力を打ち付けるような印象でしたが、今回はまどろむ歌の中で、青春のパンクを奥歯で噛み締めながら演奏を聴くような印象でした。生の美、っていうのは一貫して感じます。
— miniscoop/mJunPAIK (@raghgraph) 2016年9月29日
モリッシーのあの圧倒的なこえとうた、汎ポピュラーや歌謡の世界。ひやかし半分で加山雄三のライブに行って凄いうたに返り討ちにあったときと似た印象。今夜のあのこえとうたで「熱き心に」聴きたいな… お辞儀もカッコよかったし。
— ニルンソ (@knnillssonn) 2016年9月29日
今夜のモリッシーは昨夜の怒りのパンキッシュなモードと違い…稀代のシンガーであるモリッシーの歌声を存分に堪能できるセットリストでした!改めてモリッシーほど表現力豊かな歌声の持ち主はいないと思ったな。声が物語ると言うか…音源じゃボーカリストとしての本当の凄さが伝わりきらないんですよ!
— Natoriot (@watch_upon) 2016年9月29日
ツレ曰く「モリッシーにお辞儀の真髄をみた」
— ニルンソ (@knnillssonn) 2016年9月29日
オーチャードホール。モリッシーってこんなに凄いボーカリストだったんだ。こえとうたの力が圧倒的。エルヴィス(そういえば開演前の動画も背景にもどこにも映らなかったな…)も長生きしてこんなふうに歳をとれればよかったのに。大好きなアルマとニクの日なのにマーダーがなかったのはちょっと残念。
— ニルンソ (@knnillssonn) 2016年9月29日
とりあえず私感を述べると、今回のライブでは社会性とか詩人とかってよりも、とにかくボーカリストとしてモリッシーが一番焼き付いた。上手いとかって次元じゃない。声が縦横無尽に伸びまくり、聴いている方は圧倒されっぱなしだった。彼には天性の詩才以上に、ボーカリストとしての表現力がある。
— Supersonic (@A_Y_Arrogance) 2016年9月28日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう、載せきれないくらい良い言葉があります。。
もいっかいやんないと入りきんないや。
(許可をとりきれなかったため、勝手に載せた方、ごめんなさい。
問題ある場合は消しますので言ってください!)
力強い、表現力、圧倒性、いろんな形容がありました。
今回のすべてのライブを通して、モリッシーのそういう
パフォーマンスだけでなく、そこからいろいろな思いを
発しているオーディエンスが、あの場が、時間が、喜び
でした。明日への力になった。これからもがんばって生きたく
なった。
ライブ前にしゅーげが言っていたこの言葉は、的を得ている
と思います。
モリッシーというのは、1つの「現象的」存在であり、それはつまり観客とモリッシー「本人」の「間」に立ち現れるもので、彼本体をすでに超えている「何か」なんだなぁと思います。
— クスボリ・しゅーげ (@kowalskitravis) 2016年9月27日
単なる「能動」を「受動」している一方的な関係ではないんですよね。
単なるショーを観ているのではない。。。
観客のすごい感動や、渇望や、邪念までものみこんで大きなうねりに
なっている「現象」に立ちあったのだと、上記感想を読んでいて思います。
あ、あとツイッターではないですが、Asukaちゃんの言ってた
「奇跡のつながり。今までの私の人生にはなかった」
というのも好きです。
モリッシーを好きになって、身に起こるいろいろな
関係や、嬉しいことをひとつひとつ喜んでくれていた。
新しいファンがとてもうれしい!それも「現象」のひとつに思う。
そんな「現象」について。
ひとことで「愛があふれている」とか「愛ある空間」と言うと
合っているかもしれないけど、なんか違和感もありました。
モリッシーは「愛」なんて、与えにきてるんじゃない、気がする。
結果として「愛」と思うのはその人次第ですが。
モリッシーは、もはや「愛」「平和」「調和」という、
既成の「いいこと」じゃ保ちきれない、
どうしようもできない世界や人生を生きる私たちを
そんな甘いもので包む気はないのではないかな。
そう思っていた時に、すっかりこのブログの常連(笑)Aたん(3度目)
の言葉にうなずきました。
なぜ昨夜現場にいた人は「愛が溢れていた」と書きたがるのだろう。
モリッシーを見守っているつもりか?それともモリから愛を感じたと
言っているのか?いずれも何か違う。
自分は生身のモリッシーを目の当たりにし、
これからも彼のように生きていこうと決意した。
モリの生き様が自分に意味する事は大きい。
ああ、これだな!!と思いました。
モリッシーはただ「モリッシーをしている」だけ。
そのまじりっけのない、あり様の力強さに、シンプルさに
「開眼」させられるのではないかと。
Aたん祭り、もう一発(4度目)。
Meat is Murder後半で観客に背を向け体育座りになった
モリッシーとかいなさんが自分の視界の中で一直線に縦並びに
なった光景が忘れられません。2人の距離わずか2.5m。
でも届かない、モリッシーは追う存在…
…今回、ライブレビューにも書きましたが、
本当に自分に腑に落ちたのはこのことです。
どんなに近くなっても、とても遠い。
だから、まぶしい。
ずっと追いたい。ずっと憧れで、ずっと手を伸ばしたい。
I want the one I can't have
And it's driving me mad
It's written all over my face
私がモリッシーを追い続ける、理由。
ああ、そんな追い続けたい人がいるって、
なんて幸せなことかと何度も思ってます。。
…まだ、まったく、モリ渦中だな~~~