6月ももう終わりですね。
今月のあたま、6月2日より8日間にわたって「ほぼ日刊イトイ新聞」さんに、わたくし上村彰子と、プリンスファン二重作拓也さんとの対談記事が掲載されました。
音楽ファンばかりでない読者さんが多い場で、どんなことを話せばいいのか?、という戸惑いもあったのですがこれでまったく「モリッシー」という固有名詞を知らない人や、「ザ・スミスのモリッシー」という認識しかなかった方になにか興味を持ってもらえるきっかけになったらいいかな、と思いました。いろんなご無沙汰の方から「見たよ!」な~んて連絡ももらえてびっくり。「まだモリッシーなんだね…」と言われたりw まだも何もないんですけどね。
あと、こういう表に出すものは「編集」をされた、加工されたものなんで、やっぱり「生」の自分や自分の意見とは違うなあと。それに対して「ちょ、違う!」「誤解を生むじゃん!」とか不満があるわけではなく、良くも悪くも「違うな」ってことは実生活や現実のアクションで埋める/追いついていかなきゃいけないものではないかと感じました。何はともあれアクションあるのみですな。有言実行も大事だけど、無言実行。さんざん毎日しゃべくりまくってますが…。
個人的には、
「ボウイの『スターマン』のレコードが1回転さえすれば、病んだ心が癒された。それがなければ学校にも行けなかった」
という、自伝の中でのモリッシーの言葉を紹介できてうれしい。現実からの「逃避」が、むしろ現実に立ち向かうモリッシーの力になっていたのだと思います。
今年前半はコロナ禍で幕開けしたと思ったら、引き続いてミネアポリスを舞台に大変なことが起きました。ミネアポリスと言えばプリンス。対談お相手のプリンスファンの二重作さんによれば、「プリンスの育ったミネアポリスは、90%以上が白人」だそう。黒人だったプリンスは、人種的にマイノリティ中のマイノリティ。音楽活動をしようにも黒人が演奏できる場所がなく、都会のヒップホップ勢みたいに徒党も組めない。「音楽で生活するには、メジャーデビューする以外、お金をかせぐ方法がなかった」とのこと。そんなマイノリティーとしての立場の困難をバネにスターになってしまったプリンスって改めてすごいんだなと思いました。
それって場所も立ち位置も違えど、モリッシーが過ごした70年代のマンチェスターという街が「貧困・暴力・マチズモ」が蔓延する地獄のような場所で、彼にとって「音楽」しか脱出するすべがなかったことにも通じるなあとしみじみ。なぜモリッシーがいまだに、単なる商売道具ではない「音楽」の力にこだわるのか。原体験とも言える自身の「困難と絶望」に、その根源があるのだと思うのです。その辺は7月17日、イースト・プレス社より満を持して発売の『モリッシー 自伝』にも詳しく。『モリッシー 自伝』に関してはまた詳しく!
★ほぼ日刊イトイ新聞 対談記事「プリンスとモリッシー」★
2020.6.2~9
#1 人生を変えた出会い。
#2 「?」が「!」になる。
#3 自己肯定感のかたまり。
#5 失敗を見せてくれる。
#6 過去ではなく、いま。
#8 自分らしく、自分の力で。