Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシーの新譜Disk2 “Art-Hounds”歌詞

2014-09-27 00:07:58 | Morrissey Collection

バタバタしていたら更新あいてしまいました。

 

その間にモリッシーさん、オフィシャル物販サイト

MPORIUMなんて立ち上げたり…「動物さまに優しく、

じゃなきゃ殺ス」なんて言うモリ様生類憐みの令並みのTシャツ

があったり…

アパレル的には品ぞろえは地味~だけど、

ひとつひとつの商品はモリッシーならではのガチな主張があり

背筋「ぞぞ~タウン」(←言いたいだけ)。

このあたりのアメコミタッチ「肉ナシ」モリTは欲しいです。

 

ではではボーナスディスク最後、

6曲目の“Art-Hounds”を訳します。

この曲、実は2011年のロンドン公演から演奏しています。

ファンの間でもアルバム入りが期待されていた伝説の名曲ですね。

 

Art-Hounds live Brixton Complete Great Quality


スタジオver.では前奏のアレンジとかかなりゴージャスになってます。

ファルセットで「My life is opera」と歌うモリッシー、

パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス…ばりの凄味を感じますね!!


 

今回ボーナスディスクの中に「ひっそり」とあるのがもったいない 

と思いましたが、一度聞くとその存在感とモリッシーのほとばしる

 激情が、まったく「ひっそり」であることを許していなくて素敵です。


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Art-Hounds


Art-hounds look like nothing
So art-hounds write something
And those that do are judged by those
Who tried and found they couldn't do

Art-hounds see the Greek ideal
And gaze on what they'll never feel
Oh, the pitiless revenge of those without friends
The pitiless, the pitiless revenge

Art-hounds know what's around
Because they've seen it somewhere written down
And everything they've seen on the moving screen
Helps them fill up the page

In European museums
Will I see you?
Will I see you?
Will I see you?
Will I see you?
In European museums
Will I see you?

My life is opera
My life is opera
My life is opera
My life is opera

Art-hounds in a restaurant
They bring along their loving Aunt
But when they can't find a table for their fat Aunt Mable
They stamp their feet and cry

Art-hounds in a restaurant
They bring along their loving Aunt
But when they can't find a table for their fat Aunt Mable
They stamp their feet and cry

In European hushed museums
Will I see you?
Will I see you?
Will I see you?
Will I see you?
In European hushed museums
Will I see you?

My life is opera
My life is opera
My life is opera
My life is

Art-hounds, very funny, very witty, but very lonely
And below the belt is shriveled and small
It functions only as a word
Art-hounds, very funny, very witty, but very lonely
And below the belt is shriveled and small
It knows a thousand woes

In European hushed museums
Will I see you?
Will I see you?
Will I see you?
Will I see you?
In European hushed museums
Will I see you?

If you cannot stand this fake world
If you cannot stand this fake world
Take my hand
If you cannot stand this fake world

If you cannot stand this fake world
If you cannot stand this fake world
Take my hand
If you cannot stand this fake world

I take sixteen pills to send me to sleep
And sixteen pills to shake me awake

What does it mean?
What does it mean?
What does it mean?
What does it mean?
What does it mean?
What does it mean?
What does it mean?

 
芸術ツウぶってる奴ら
奴らって何でもない連中に見える

エセ芸術ツウどもはなんか書くけど
奴らが書いたものは
評価したくても評価なんかできっこない
能なし連中にいい悪いを言われるだけ
 
エセ芸術ツウどもはギリシア哲学を知ったかぶり
自分たちがこの先も決して感じっこないものを
じっと見つめてる気になったり
 
ああ、友だちなんていない人たちって
心ない仕打ちをするよね
無情だ、冷酷な復讐だ
 
エセ芸術ツウどもはトレンドにも敏感な情報ツウ
前にどこかに書かれてたのを見たことあるからね
そして画面で見たものすべてのおかげで知ったかぶり
 
ヨーロッパの美術館で
会えるかな?
会えるかな?
会えるかな?
会えるかな?
ヨーロッパの美術館で
君に会えるのかな?
 
僕の人生ってオペラだ
僕の人生ってオペラだよね
僕の人生ってオペラだ
僕の人生ってオペラだよね

エセ芸術ツウどもがレストランにいるよ
奴らの大好きなおばちゃまを連れて
でも太っちょメイブルおばさんの座る席がないから
じだんだ踏んで泣き出すんだ
 
ヨーロッパの静かな美術館で
会えるかな?
会えるかな?
会えるかな?
会えるかな?
ヨーロッパの静かな美術館で
君に会えるのかな?
 
僕の人生ってオペラだ
僕の人生ってオペラだよね
僕の人生ってオペラだ
僕の人生って...

エセ芸術ツウどもってすっごくおかしくて
すっごくシャレがうまくて、でもとっても寂しいんだ
そしてベルトの下のモノはしなびてお粗末
実際には何の役にも立たない
 
エセ芸術ツウどもってすっごくおかしくて
すっごくシャレがうまくて、でもとっても寂しいんだ
そしてベルトの下のモノはしなびてお粗末
僕はいくつもの悲しみを知ってるよ
 
ヨーロッパの静かな美術館で
会えるかな?
会えるかな?
会えるかな?
会えるかな?
ヨーロッパの静かな美術館で
君に会えるのかな?
 
もしこの嘘っぱちの世界に耐えられないなら
もしこの嘘っぱちの世界に耐えられないなら
僕の手をとって
もしこの嘘っぱちの世界に耐えられないなら
もしこの嘘っぱちの世界に耐えられないなら
もしこの嘘っぱちの世界に耐えられないなら
僕の手をつかんで
もしこの嘘っぱちの世界に耐えられないなら
 
僕は眠らなきゃならないから
16錠薬を飲んだ
そして自分をゆさぶり起こそうと
16錠薬を飲んだ
 
それってどういう意味だかわかる? 
わけわからない
それってどういう意味だかわかる? 
わけわからない
それってどういう意味だかわかる? 
わけわからない
それってどういう意味だか、わかる?

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ちなみに歌詞の中の「メイブルおばさん」は多分このひとw

90年代に放映されていた
BBCの子ども教育番組“Come Outside”の
キャラクターみたいです。

…おばさんはさておき…

この歌でモリッシーが怒っているのは
アート・キチ、芸術知ったかさんたち…
「Art」ってなんでしょう?
ライブではオスカー・ワイルドのことにも触れていましたが、
モリッシーを作ってきた大切なものすべて、
この世の中で大切なものすべて、
人が魂こがすものすべて…
 
そんなものの真価を冒涜し、凌辱するような俗っぽい
ニセモノたちを徹底的にディスりまくるこの歌、気持ちいいですね。
 
でも罵倒しているばかりではありません。
後半歌詞に、モリッシーが歌う意味、ファンのためにどんな存在
でありたいかが見えます。
 
If you cannot stand this fake world 
If you cannot stand this fake world 
Take my hand 
If you cannot stand this fake world

 

人生、ニセモノや非情な現実に大切なものが踏みにじられるような
思いをすることもあります。
本意じゃない、嘘っぱちだらけの空虚さに泣きたくなることもあります。

そんな私たちに、

耐えられなくなったら、
自分がいるから、
僕の手をとって

と歌うモリッシー…

これは、くだらない連中ディスりソングの姿をしつつも、
Z●RDどころではない「負けないで」生きろという励ましソング
思えます!

夜に朝に16錠、合計32錠クスリを飲んで、レチタティーヴォ
とアリアを繰り返す不死身のオペラ歌手として、死ぬまで表舞台に立つ!!
という決意表明のように聞こえて、こちらまでテンション上がる最終曲
で大好きです。…これがB面にくる7インチシングルも欲しかったなあ。
(どうやらシングル連発リリース、ユニヴァーサルとの契約終了につき
なかったこと…な模様 泣)

これでボーナストラック翻訳は終わります。
リクエストもいただいているので、また随時歌詞翻訳も載せたいと
思います♪

モリッシー食中毒…南米ツアーキャンセル

2013-07-13 00:03:43 | Morrissey Collection

モリッシーペルー公演まであと11時間という記事を書きましたが、

翌朝起きてみたら…

モリッシー、食中毒のために南米公演をすべてキャンセル

昨日のガーディアンにもこのように…

食中毒くらいで、南米ツアー全14公演キャンセルするのか!?

と思ったのですが事態は深刻なよう。

ペルー現地の報道によるとモリッシーはライブが予定されていた

7月9日の前日8日の夜にすでに英国に帰国。

モリッシーのチリのコンサートプロモーターである

ロドリゴ・ペレスさんがラジオ番組に語ったところによると、

「モリッシーと8人くらいのスタッフは、ちょっとおススメできないレストランで食事。

数時間でみんな気持ち悪くなり深刻な胃腸の不調を訴え、ホテルは外来病院

のようになった。48時間ベッドから出ることができない人たちまでいた!」

らしいのです。

 

何食べたんだ…?

 

チリのサンチャゴのライブ会場であったモビスター・アリーナによると

モリッシーは英国で彼の主治医の診察を受けている模様…

 

モリッシーはちょっと前に「ペルー、ペルー…私の心の灯台」とまで言ってたのに

あっさり帰りすぎだろ~!と思いましたがそんだけ深刻なのかと

心配。。。

ほんとにほんとにいったい

 

何食べたんだ…?

何食べたんだ…?

何食べたんだ…?

 

まだ、True to youでは公式声明が発表されていませんが

当初は南米ツアーの全日程がキャンセルと報じられていたものの、

その後アルゼンチンとブラジルのプロモーターより

7月末と8月頭の計4都市4公演は予定通り行われる

との発表があった模様。

それが本当だとすると

7月28日のアルゼンチンでのブエノス・アイレス公演から

復活…?

まだまだ、安心はできない…

でも復活への道は始まったばかり、ただ、「お達者」を祈るばかりです。


モリッシー サッチャーに対する新公式声明(4月9日)全訳

2013-04-10 11:21:21 | Morrissey Collection

4月8日に87歳で逝去したサッチャー元首相に向けて、

True to youにモリッシーが公式新コメントを掲載しました。

その中でモリッシーは「サッチャー」という英国のうそっぱち「体制」、

そして歴史をゆがめたマスコミのかたよった報道、

自分の立場にうまく「サッチャー賞賛」を生かしているキャメロン現首相を

批判。

マスコミの報道などにあるように、単に「おらサッチャー嫌いだ!ギロチンに

かけろっ」と「かわりもん」として短絡的にひどいこと言って怒ってきたのでは

ないことがよくわかります。理由があるのです。その裏の黒歴史と、目に見えない

圧力と欺瞞を全部含めて「怒」なのです。

 

下記に取り急ぎ全訳を掲載しました。急ぎすぎて誤訳や意味のわかんないとこ

あったら…自分で訳できるよう←DIYでお願いしますw、原文も載せますね。

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マーガレット・サッチャー

 

マーガレット・サッチャーの死に対して英国のタブロイド紙にコメントを寄せるのは

難しい。もし体制派の見解を持っていなければ、どんなに穏やかに慎重に話しても

そのコメントは「怒り」もしくは「爆発的な攻撃」として報道されるだろう。

 

もし「マルビナス諸島」と言えば、それは「フォークランド諸島」と置き換えられ、

「サッチャー」と言えば、やわらかめに「マギー」と置き換えられる。

これらのことはふつう、非民主主義の社会で成されることだ。

サッチャーの名前は、彼女がしてきた間違ったことすべてではなく、

彼女にそれをさせることを許してきたまわりの人々によって守られている。

それゆえ、どんなサッチャーに対する批判も危険なまでに馬鹿げた光を

英国の政治の全しくみの中に落とすだけだ。

サッチャーは強く、手におえないようなリーダーではなかった。

彼女は単に、国民のことなど、どうでもよかった。

そしてこの彼女の「粗雑さ」は英国のマスコミによって「勇気」だったと

巧妙に言い換えられた。

英国のマスコミは愛国主義を守るために歴史を書き換えようとするのだ。

その結果、あらゆる反対意見は抑圧され、あざ笑われた。

一方、我々は皆、デヴィッド・キャメロンからの

サッチャーへの無理やりな賞賛に辛抱しなければならなかった。

キャメロンがサッチャーを賞賛するのは、サッチャー支持極端主義の

爆発だという忠告はBBCからはなかった。

サッチャー支持極端主義者は、サッチャーをほめたたえることによって

彼らの目下の興味を守れるのである。

2013年現在、デヴィットキャメロンは

サッチャーが、英国民に暴動を起こさせたり、暴力的なデモをさせたり、

今までの英国史では見られない社会的な混乱をたきつけたという事実を

まったく無視。

もちろん実際は、どんな英国の政治家もマーガレット・サッチャー

より軽蔑されたことは、ない。

水曜日のサッチャーの葬儀は、英国の納税者たちが

サッチャーに対して思っていることをついに示す

という恐れから、厳戒警備となることだろう。

納税者たちは見えないところで警察に催涙ガスをぶちまけられるだろう。

 

英国?シリア?中国?何が違うというのだろう?

 

2013年4月9日

モリッシー

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最後のところ・・・まさに

「People are the same everywhere」

であります。。。モリッシーの一貫性に感激。

 

以下、原文はっておきます。

 

Margaret Thatcher

 

The difficulty with giving a comment on Margaret Thatcher's death to the British tabloids is that, no matter how calmly and measuredly you speak, the comment must be reported as an "outburst" or an "explosive attack" if your view is not pro-establishment. If you reference "the Malvinas", it will be switched to "the Falklands", and your "Thatcher" will be softened to a "Maggie." This is generally how things are structured in a non-democratic society. Thatcher's name must be protected not because of all the wrong that she had done, but because the people around her allowed her to do it, and therefore any criticism of Thatcher throws a dangerously absurd light on the entire machinery of British politics. Thatcher was not a strong or formidable leader. She simply did not give a shit about people, and this coarseness has been neatly transformed into bravery by the British press who are attempting to re-write history in order to protect patriotism. As a result, any opposing view is stifled or ridiculed, whereas we must all endure the obligatory praise for Thatcher from David Cameron without any suggestion from the BBC that his praise just might be an outburst of pro-Thatcher extremism from someone whose praise might possibly protect his own current interests. The fact that Thatcher ignited the British public into street-riots, violent demonstrations and a social disorder previously unseen in British history is completely ignored by David Cameron in 2013. In truth, of course, no British politician has ever been more despised by the British people than Margaret Thatcher. Thatcher's funeral on Wednesday will be heavily policed for fear that the British tax-payer will want to finally express their view of Thatcher. They are certain to be tear-gassed out of sight by the police.

 

United Kingdom? Syria? China? What's the difference?

 

Morrissey
9 April 2013 


<調査結果4>モリッシーという「アイドル」

2012-12-27 21:01:48 | Morrissey Collection

ブログを放置したまま、気がついたらこんな年の瀬に!

こっそり、更新しておきます。。。

さて、スミス・モリッシー好きさんにアイドル好きさんが目立つことで

まるで相反するような「スミス・モリッシー好き」な気持ちと「アイドル好き」

の気持ちに流れる共通点について、

いろいろ調べさせていただいた結果の話が済んでいませんでした。

どこまで話したんだべ?

たしか前回、はなちゃん氏の

 

「音楽の良さ以外で商品に付加価値を生むのは今も昔の表現者の

アティチュードだろう。いまは、難解でいつか硬直化をしてしまうような

アティチュードの思想性よりもファッションやシンプルな熱意からの

アティチュード」

 

という引用で終わっていたんだと思います。

 

アンケートでは、「スミス・モリッシー」と自分の好きなアイドルの「共通点」

に関してはフリーアンサーでとっておりますのでその辺を

紹介します。

 

「芸人根性」

「必死さ」

「思考と感情と五感+第六感を刺激してくれるところ」

「ワクワクする」

「演じているようなろころ。演じていることに自覚があるところ。見る側もそれがわかる」

「新しい価値観を提示してくれたところ」

「心の奥深くにやさしくそっと触れてくるところ」

「捧げても尽きることのない愛と渇望」

「届きそうで届かない。触れ合ったつもりでそうでもない。高揚して、そしてやるせない」

「ダメ人間なぼくを救ってくれる」

「ほうっておけない」

「アーティスト⇔ファンの相互関係を強く感じさせてくれる」

「神聖な感じ」

「生暖かい」

「見ていて飽きない」

「切実な、表現への渇望」

「自分たちには歌しかない、という強い気持ち」

「ベクトルは違えどどちらにも生命力を感じている」

 

もちろん、「共通点はない」「別なもの」…という意見も

多々ありました。

あと、わたしが印象に残ったのは、ツイッターで見た

 

「アイドル好きなひと(この文脈では大人)

はやっぱ心に傷を持ってる人が多い」

 

というあるツイート…。これ、そのまんま心に茨を持った

モリッシー好きさんを指すような…。

 

私が若いころ…90年代なんかまでは、

心に傷を持った人が刺激や生命力や「今、ここ」のどうしようもなさから

抜け出すためにロックを聞いていたケースが多かったように思います。

特に洋楽ロック好きは、キャッチーさやポピュラリティーより

「こんなの…いままでなかった!!」感、「俺だけが知ってる」感、「俺が発見したゼ」感、

「俺、ひとりぼっちでもこの音楽があればへえき~!」感

に興奮し、救われてきた・・・

 

「俺カタルシス」

 

それが現在の、グローバリゼーションにおかされた、一律化された、

高度にインフォメーションクモの巣がはりめぐされた情報化社会、

すべてつながってる社会、風が吹けばあっという間に桶屋が

ネットでミリオネアー(ってことはあんまないが、たとえば)社会においては、

「外国産ロック」から得る必要はなくなったのはいろいろなところで語られている

ことであり、日本における洋楽の衰退のひとつの原因でもあると思うのです。

 

でも、心に茨を持った人たちはこんなじゅっぱひとからげグローバル社会においても、

すべてデータでダウンロードで完了してしまう実質がもぬけの殻世界においても、

衝動の行き場を探し、何か「かたち」を、たとえ目に見えなくても確実な

「手応え」を求め続けてきた。

 

「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」

(銀座線田原町駅にある仏壇屋さん三善堂のコピーよりwww)

 

その「俺カタルシス」に火をつける導火線を「アイドル」の中から

見出した方々のお言葉…アンケートで、ツイッターで本当に

力強く、確信を持って語ってらっしゃるので「ロックだなあ!」と

いつも思います。この数か月でアイドルを見る目が変わりました。

まだやっぱり、「ファン」とかじゃないけど、今この日本で、アイドルに

価値を見出している人々はなんて恵まれているんだ、とうらやましく

なります。アイドルを好きなだけでカタルシス長者であり、「勝ち組」だと思います。

 

「表現」というのは、その衝動と方法論だけではもはや足りなくなってきている。

こんなに私たちに届きやすくなったのに届きにくい。情報放出量が多すぎて、

取捨選択も難しい。

私はいまだに新しい洋楽ロックも聞きますが、きっとすんごいいいのも

聞き逃している。自分のセンスとチャンス頼みなところがある。

 

ツイッターで私がフォローしている

未来世紀ナオジル(@punks1968)さん

が、ちょうど昨日こうおっしゃっていました。

 

表現者が自分の居場所を確保するには

“作り続けること、演り続けること、そしてそれらを発信・流通させる

プロモーション能力が重要”なんじゃないのかな。


<調査結果3>1990年、「ロックの壁」を崩壊させたアイドルのこと

2012-12-07 11:34:33 | Morrissey Collection

調査結果に関して、続きです。

 

アンケートでは

「スミス・モリッシーを好きな気持ち」と「アイドルを好きな気持ち」には

はたして共通点があるのか?

とフリーアンサーでお聞きしました。

 

そんなのベツモンだろ?とも思うのですが、私のツイッターのタイムライン上で

散見する、それにしてもあまりにも最近多く目にとびこんでくる

 

モリッシーの川崎公演の次の日に同じテンションでももクロ横アリ」とか

「(あるアイドルの)××という曲はスミスの○○をほうふつ」とか

「(あるアイドルのライブで)ジョニー・マーのギター聞くのと同じような

カタルシス」

といったコメントを見る度、「もしや共通する、たましい揺さぶるなにか、

それを感じる『根っこ』がこのひとたちにはあるの??」

と気になっていたのです。

 

奇しくも、一昨日、ツイッターで8万人超えフォロワー数を有する

はなちゃん氏(@hanamuradesu)がこうつぶやいているのを見ました。

(コメント中、()内補足はかいなってぃーです)

 

それにしても....。いまや性的記号であるアイドルの

音楽を洋楽と同列に聴いてるいることを公言して

憚らない大人が多いのに、(かつて90年代頃、

邦楽の)岡村靖幸さんさえ(聞いていると)公言できない

なんて不自由だったんだね。

 

そうですよ。80~90年代までは、「洋楽>邦楽」という図式が

存在し、そもそも洋物のロックかっこいい、えらい、日本物の音楽は

少しはずかしい、でもいいものはいいからいいっか、みたいな心理も

あった。

 

ましてや、ロック好きのアッパーティーンエイジャー~20、30、40代が

「アイドルが好き」と公言するのはまず「珍しい」状況だった。

当時は大量生産カラオケ直送Jポップ(Jポップという名称もなかったが)

主流で、特に「洋楽と洋楽でないもの」の対立は大きかった印象です。

 

そんな中、大学生のとき、当時から自由に好感度、現O田出版のK先輩に

Pop Groupや当時出てきたばかりのUKのシューゲイザーものと

同じような感覚で「これプロデューサーもいいしかなりいいよ!」

と小泉今日子の「N°17」(1990年)をすすめられたときの衝撃は

忘れません。

 

「ロックをやるときだけ、キョンツーになります!」

 

…と言っていたあまりにもはずかしく「歌謡曲」過ぎる小泉今日子からの完全

なる脱皮。。。

 

そんなことがアイドル世界にも起きはじめ、わたしたちがかっこいいと

思っている、思わされていたものにインベイジョン!というゾクッとくる

予感を感じた、なんか転機みたいなできごとでした。

 

この2か月前には森高千里がある日知らない男に呼び止められて

「いいかロックンロールを知らなきゃもぐりだと呼ばれるぜ」と

言われてます。すでに従来ロックが「かっこいい」ものであるために

「お家芸」のように死守してきた壁が「臭い」とされ、ふたをされ、

崩されていました。

 

(★参考画像:その1年前に崩壊した、ベルリンの壁)

 

 はなちゃん氏のまたまた引用です。

 

「音楽の良さ以外で商品に付加価値を生むのは今も昔の表現者の

アティチュードだろう。いまは、難解でいつか硬直化をしてしまうような

アティチュードの思想性よりもファッションやシンプルな熱意からの

アティチュード」

 

…このあたりに、

わたしが気になって仕方のない「スミス・モリッシーを好きな気持ち」と

「アイドルを好きな気持ち」の共通点を読み解く鍵もあると思いました。

時間切れ。

つづく…。