Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー “American Songwriter” インタビュー(Feb. 2018)翻訳 その②

2018-01-16 20:01:00 | Morrissey Interview

昨日掲載の続き、“American Songwriter” インタビューの翻訳を

掲載します。このインタビューを読みながら新譜を聞いたら、また

改めて違って聞こえたり、奥深さや音、思いの厚みに圧倒されました。

いいアルバムだなぁ、ってそれは当然としてもとても面白いアルバム

だと思いました。作品を通じて、今のモリッシーに限りなく近い

「ライブ」感があるからだと思います。

 

…そう言えばこのインタビュー写真で着ているモナコFCナイキジャージ、

2016年の夏にファンと撮った写真でも着ていましたね。

スポーツウェアを結構普段づかいに愛用するのがモリカジ流w


よっ、イッパツ録り大将!! ←褒め言葉

 


(ミュージック・マガジン1月号の記事写真も同じでその時調べたw

すぐ見つけ出す職業病…w ↓)



(インタビュー翻訳続き)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(アルバムの中の)歌のいくつかは、リズム感を上げて作られているように思

えましたがそうですか?“All The Young People Must Fall In Love”の足を

踏み鳴らすようなビートは特にそう思いました。今回のアルバムでは、そのよう

なリズミカル志向強調しようと思ったのですか?


その通り!我々は、まるでスタジオの中を動きまわっているみたく聞こえる曲を

作りたかった。「抗議者」という言葉は嫌いでね、なぜなら現在その言葉は、

軽蔑を含むような、見くびられているような意味を含んでいる。ニュースの

中でも言葉は違う意味を帯びがちで、「人々が」と言うところは当然のよう

に「抗議者が」と置き換えられてしまう。

とにかく、“All The Young People Must Fall In Love”は、解放者たちが

街中を歩いているような音楽にしようと思った。時々、ギターがかき鳴らされ、

そして止まる。突然ドラムが大きな音で加わり、そして止まる。どの楽器も、

続けて演奏されない。まるで脳の機能が、絶え間なく切り替わり続けるかの

ように。まるで人々が楽器を引っ掴んで弾き、またそれをすぐ置いたりする

かのように…時々私は歌い、時々ハミングする…私はかつて歌の中で6回も

ドラムの演奏が完全に途絶える曲なんて聞いたことがないよ。普通ミュージシ

ャンは…最後の炎がゆらめくまで演奏し続けるものさ。


このアルバムの歌々のほとんでは、音が本当にはじけています。レコーディ

ングのプロセスについて少しお話しいただけませんか?誰と一緒に作ったか、

このレコードはどうやって形作られていったかという点から教えてください。

過去に作ってきたアルバムのやり方と比べて、何か際立って違うことはあり

ましたか?


私たちはとても素早いんだ。例えば、“All The Young People Must Fall In

Love”という歌は、考え出されてからレコーディングされるまでが2時間以内。

その後“The Girlfrom Tel-Aviv Who Wouldn't Kneel”をレコーディングした。

まっ昼間にはこの2曲とも存在もしていなかったのに、午後7時になるまでには

両方録音されていたんだ。私たち(バンドメンバー、レコーディングメンバー)

は共同体として、皆同じものを見て、聞いている。リスナーだってできるだけ

早くその歌の意味は何か知りたい、我々だってそれは同じ。だから、とても

ワクワクすることじゃないか。

私は、最後の最後にボーカルの歌入れをする-何ひとつリハーサルした

ことないんだ。1983年からこのやり方をしてきた。誰も私が何をどうやって

歌うのか、検討もつかない。そしてだいたいにおいては、最初のガイドボーカル

を採用する。そもそも、もし私がその歌に魅せられていたら、いつまでもその歌

を歌ってしまうことになるから、それでいいと思う―私は「ハッピー・バースデー」

の歌を誰に対してでも歌うなんて、できない―君に向けた言葉とメロディーを、

みんなの忍耐力が尽きる14時間もの間紡ぎ続けたりする愛すべき誘惑があるから

こそ、うまくことが進めばものすごい満足が沸き立つ。やったことすべては、

祈りと共にそこにあることになる。これはスリル満点なことだ。我々は決して

リハーサルをしない。そして素晴らしくよくまとまる。


“Israel” を聞いて、歌そのものの美しさに本当に心を打たれました。歌詞の

とその意味を本当に掘り下げて考えてみてもいないのにです。あなたは

歌詞で大胆な見解を示すことをいとわないので、時に、ソングライターとして

のメロディー作りの能力が落とされていると感じますか?


私の声に関しては、今まで何か言われたたことがないと思うよ!私はボーカ

リストとして見なされていないので、ボーカルのメロディーについて熱く考

え抜いてきたにも関わらず、それについて意見をされたことがない。まあ、

実際のところ、ほとんどの奴らが私に関して、まったく同じことを言ってい

るだけなんだから。

 

シリアスレディオ(アメリカ及びカナダで放送しているデジタルラジオ)で

カレッジ向け放送局を聞いていて、最もダウンロードされている曲カウント

ダウンで“Spent The Day In Bed”がかかるのを聞きました。子どもたち

年をとって子どもでなくなり、他の子どもたちがそこにとって替わっても、

オーディエンスがあなたを好きでいるのを知るのは、喜ばしいことですか?


ああ、そうだよ。もちろん、中央アメリカ、南アメリカ、東欧では、オーデ

ィエンスはとても若く、多くが子どもたちで、そのことにはとても大きな

意味がある。歌うということは、字に書いた文章と同じように、詩の形式を

なしている。そして商業的なポップス競争の場によって私はたいてい駄目にされ

ているのにも関わらず、多くの人が考えていることを言わなくてはならない。

さもなければここに今までどうりいることはできなくなるだろう。

実のところ、人々が自分たち自身に言いたいことを、言わなくてはならない!

それを言う時こそ、歌が歌われるべき時だ。何かを言う自由が完全に終わりを

とげた2017年には、たいていの場合偏執狂として震えながら私の名前は言及された。

しかし、それが何だと言うのだ。

歌とは、私たちが過去においてきたもの。そしてライブで歌うということはとてつも

ないもの。たくさんの人々が同時に同じ幸福感を感じる。そして私の歌を歌うと

人々が生き生きしているのがわかる。この気持というのは、私の歌を批判した奴らは

誰も想像することができないほど、価値があるものなんだ。


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モリッシー “American Songwriter” インタビュー(Feb. 2018)翻訳 その①

2018-01-15 17:48:46 | Morrissey Interview

あけましておめでとうございます!

…と、大変遅いご挨拶ですが、今年もよろしくお願いします!

昨年は新譜リリースもあり、大変うれしい一年でした。今年はどんな

思いがけない、素敵なモリっしいことがあるかと、楽しみです。

 

新年一発目、もう意見を捻じ曲げられるし、プリントのインタビューは

受けない!!・・・と怒っていましたが、

モリッシーの“American Songwriter” 2月号での

インタビュー記事がオフィシャルのFBに掲載されていましたので

翻訳しました。


この“American Songwriter” という雑誌は、硬派は隔月刊音楽誌な

ようですね。買ったことなかったけど、載っている方々も、モリッシーの

嫌うアホポップミュージック系の方ではない模様…

 

一連の、炎上事件前、新譜リリース直後にやったインタビューだったのかな?

にしても、内容も「良い」と思ってオフィシャルでも紹介した

のでしょうかね 


 

 

確かにとても興味深かったので、2度にわたって掲載

 

いたします!


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今回のニューアルバムを出す時期が来たと思った決め手は何ですか?

一定の期間を経て、収録曲が十分に集まったからということですか?

またはスタジオに入ってレコードを作ることを、何かが駆り立てたのですか?

 

スタジオで過ごすことを光栄だと見なす世代なものだから、切迫感に襲われない限り

スタジオには行かない。今まで無理に押し込まれたり、スタジオで無駄に時間を過ご

したりしたことなんてない。そんなこと望んでないしね。もしレコーディングに対して

私が感じている畏敬の念を失ったら、うまくいかなくなってしまう。

歌は、自分にとって真実の意味をもたらすもの。もしマイクの後ろに立って歌の意味が

なくなったら、歌うことはもはやたいしたことでなくなってしまう。家にスタジオを作って

いる奴らを信じられないな。どんな点で楽しいんだろう?

 

“Low In High School”の収録曲であなたは、楽々と個人的なことと政治的なことを混ぜ

ていますが、それこそが常にあなたの曲作りの証明でもあったように思えます。

それは自然にそうなるのですか?もしくはそのふたつをうまく両立させるために、

意識的に行っていることですか?

 

意識的でない。それが私であるというだけだ。エンターテイナメントというのは現実を

説明すべきものであって、現実から逃げるべきものでない。自分たちがどこから来て、

死んだらどこに行くのかわからないのに、なぜそれを議論することを求めないのだろう?

同じように、孤独というのは世界の一番の問題だ。それならば、議論してもいいんじゃ

ないか?もし、詩と哲学は大きな人気と称賛を得ていると見なし、ポップミュージックの

中ではそのふたつがよく作用していると見なすなら、なぜ(現実を)議論しない?どうして

ポップミュージックがアホ文化の一部になるのか?音楽を書けば、「これが俺達のすべき

ことだ」と言えるし、単にそれを言うだけでもたらされる大きな影響の可能性について考え

た方がいい。

よく思うのは、ポップミュージックというのはあまりにパワフルなので、最も制限されて

しまっている。私は、自分たちの人生を表現しようとしているソングライターたちが好きだ。

そしてステージに立つことに感情的な動機を、極めて明らかに持っていない人間を嫌っている。

Xファクター(“The X Factor” …英ITVで2004年9月から放送中のリアリティ音楽オーディ

ション番組)世代が音楽チャートにおいていかに破壊的かということだ。どんなものであろう

とも自分たちで作った作品に、深い絆を感じている人々が好きだ。

 

“Jacky's Only Happy When She's Up on the Stage”は、ある少女が自身の嘆きと悲哀に、

エンターテイナメントをもってして向き合っている物語を歌ったものです。人々が、演じること

にのめり込むことに、同じような理由を感じる気がしますか?

 

ジャッキーを少女と見なすのか…なぜ彼女が104歳でないとわかる?面白いな…。しかし、ああ、

ここで「演技をする」として一番言及している意見は、それだ。たとえ本当の必然性で舞台に

立っている人々であっても、まったく演技していないということだ。彼らは、生き残ろうとして

いるのだ。我々は、歌手がニセモノの精神でそこに立っているのをとても簡単に見破ることができる。

単純に笑いものだからとか、もしくはもっと性的なものに通じていそうということでわかる。真実の

歌手が歌う時、彼らは自動的に上を向く。なぜなら催眠術的なトランス状態にあるから。本物の歌手は

聴き手の中で気持ちを昂揚させられる。その一方で詐欺師たちは商業的競争の場に進む道を見つける

だろうが、まったくのマーケティングの行使だと我々にはわかってしまう。


ジャッキーの歌は劇場の設定だが、見守る者たちが最終決定を下す。そして彼女が舞台かの上から

追い出されるのを見る。観客が「彼女に何をしたらいいか言う」ことをいなかったために、いかに

彼女が破滅したかを書いた。我々は往々にして、観客がいかに(ステージ上の者を)導いていくかを

忘れている。なぜなら、ステージの上で何をするにも人々に金を払って見てくれるよう頼んでいるからだが、

人々は金がなくなればすぐに疑い深くなる!私が言ったように、なぜ観客が最終決定権を持っているかは、

そこにある。それで、かわいそうなジャッキーは終わったというわけ。

 

もし、あなたのそれらの歌に性格づけをしなくてはいけないとしたら、権力には皮肉な視点を持ち、

毎日の日常を暮らす人々にはロマンティックな視点を持っていると感じますが、あなたはそれは

正しいと思いますか?もしそうなら、(歌には)あなたがどう世界を見ているかを反映してもいますか?

 

うん、そうだ。私は社会的正義に関心がある、特に動物たちので、どんな形の野蛮も軽蔑している。

何であろう、知性ある説得によってかたがつくはずだ。政治はステージショーになっている。警察が、

誰であろうと望むままに人を殺すことが許される法律も秩序も復権させてはいけない。それは正しくない

と我々は皆わかっているため、緊張状態は高まっている。そして殺人ポリスどもが彼ら自身の仲間の警察の

お偉方たちによって繰り返し罪を免れさせられていることも、正しくないとわかっている。

だからって何もならないが? 


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