Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー London The O2 Arena(2014.11.29)公演観てきました 7(完)

2014-12-24 11:55:48 | Morrissey Live

メリークリスMOZ!!


と勢いよく始めてみましたが、時は経ち、とうとうクリスマスになってしまいました。

風邪をこじらせてしまいstill ill。。。で更新がさらに遅れました。


そうこうしているうちに、モリッシーの10月6日から始まった怒涛の

ヨーロッパツアーも終了し(あれ、オランダの延期分はどこでやるんだ?)

12月19日にはこのような公式コメントも発表。キャンセル、延期はあったものの

(途中退場も)体調の不具合など感じさせない迫力のステージをよくやりきって

くださいました。ロンドンでの公演を「自己ベスト17」公演の1位にあげています。


昔から、ユーロヴィジョンコンテストやお気に入りテレビドラマを自己評価基準

作って採点していた凝り性の方なので、フィーリングではなく、きちんと採点した

結果なんだろうな、どこが評価ポイントだったんだろう?と見ていて感慨深い順位でした。

さて、いつまで終わらないんだロンドン公演感想、今日こそ〆ます!!

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"I'm Not A Man"が終わり、前座のモリッシーお気に入りのアンナ・カルヴィへの謝辞。

そろそろ来るな、来るな、来てほしいけど、来てほしくない(きっと終わるから)と思っていたら

やはり「ぎゅわ~ん」という前奏で始まった“Speedway”。個人的にはモリッシーがソロに

なってからライブで歌う曲の中で一番に好きです。以前の若い頃のバージョンより、今のが

いちばん好きです!!

前奏から、早く聞きたい、でも終わらないで欲しいという入り組んだ感情で押し潰され

そう!!

モリッシーもノリノリで腕を振り上げマイクスタンドを握り歌い始めました。


“So when you slam”


そうモリッシーは歌うと、ふいにマイクから口を離し

客席に続けさせます。


“Down the hammer

Can you see it in your heart?”

 

その後にご満悦で続く


“Can you delve so low?”


の声の良いこと…

 

自信たっぷりに、でもひとつひとつの文節を丁寧に歌います。

歌うというより、私たちひとりひとりに語りかけるように、試すように。

どんどん思いが入っていき、高まっていくのがわかります。

“I never said, I never said”と歌うというか誓う、真剣な表情は

痛いほどです。情感を歌う、というよりはもう、この歌はモリッシーそのもの、

自己表明だと思います。歌と自身の間に、一寸のすき間もない感じです。

 

“You won't smile

until this ugly mouth

gets slashed good and proper

FOREVER!!(←もう言葉にならない雄叫び)


…そして会場は暗転。静寂。

 

会場のモリッシーへの思いが極まり過ぎた瞬間、

光の中にモリッシーが現れます。

マイクのコードを鞭のようにふりまわしました。


何に振り落す鞭なのだろう。

この世の思い通りにいかないことへの怒り、

誰かへの、何かへの制裁、

というより自分自身への鼓舞のように思いました。

 

“In my own strange way”

 

のとことでわざわざ腰をかがめ、必死に手を伸ばすファンの手を

にぎります。モリッシーも必死です。

「求めよ、さらば与えられん」

という聖書の言葉が頭をよぎりました。

手を伸ばせば、心から求めれば、この人はいつでも私たちの心にこんなに

響く歌で応えてくれる、ただのShowバイでやってることじゃない、宿命使命でやっている

ことだと、その深い優しさに打たれました。

 

“I've always been true to you”


そうモリッシーが歌う時、会場中もそう歌いました。とてつもない「両想い」の渦に巻き込まれ

ながら、モリッシーが去って行くのを見ました。

陳腐だとは思います、でも心の中には「一生ついていく」しかありません…でした。

 

そこにマシューのとんでもないドラム…ドラムを叩く、というかマシューの体から出ている音

のようです。人間ドラムマシーン、というかドラム人間なのです。最後に昂まりの極みに

マシューはドラムをぶち壊しました。


蹴って…

投げて…


(その後、インスタグラムでドラムに「壊してごめんね」と謝るw)

 

 

Morrissey - Speedway - London O2 Arena - 29th November 2014



そしてアンコールに応えて戻ってきたモリッシーと皆さん。

モリッシーは青いシャツにお着替えしています。


観客への感謝の念を述べた後


“I would only ask remember me,

but forget my fate”


「ひとつだけ、お願いがあります。

私のことを忘れないでほしい、でも

この私の逃れられない宿命のことは

どうか忘れてほしい」


と述べました。会場は、黙り込みました。

それぞれが、その言葉の意味を深く心に染み込ませていたのだと思います。

 

この言葉、

モリッシーのライブの後でもかかるクラウス・ノミの“Death”の歌詞

からの引用ですね。言葉のうわっつらな借用ではなく、完全に自分の言葉として

発していたものでしたが。同じようなことはよくライブで語っています。

自分の運命を受け容れて立つ彼に、陳腐な反応は何ひとつそぐわない

気がしました。そのぐらい、重々しく受け留めました。



Klaus Nomi - Death

 

 


そしてこの世のものとは思えないくらい美しい“Asleep”が始まりました。

この人はいつも「これを境にもう二度と会えない」と言う覚悟で歌い、生きている

のだと思いました。過去も、未来も、ない、たった今しかない。

今自分がやるべきことしかしない。


そして最後の最後の曲“Everyday Is Like Sunday”が始まり、さらに

「涅槃」色が強くなりますが、モリッシーにも、会場のひとりひとりにも「いま生きている」

という実感がどんどん濃くなって行ったと思います。

次々にステージに上がろうと試み玉砕するファンたち、でも諦めない、

モリッシーも絶対に諦めないから。


“Everyday Is Like Sunday”はおぞましい内容の歌なのに、

こんなに美しいのは、ポエジーでおおってごまかしているのでは

なく、おぞましさをぼやかさない人が歌っているからなのだと

実感しました。歌というより、最後の方はほぼ咆哮となり、そして…

 

脱ぎ、シャツを投げました。


最後まで「アイラブユーアイラブユー」を繰り返していました。

Such love shown I'd never known

と思いましたよ、いつも思いますけど…


最後、「アリガトー!」と言った気がしましたがきっとポルトガル語の

“Obligado”だったのかも。


モリッシー去った後も、沸きまくるオーディエンスたち



★ここまでなっが~いブログ読んでくださった方にクリスマスプレゼント★

(かいなってぃー激写)


あんなに素晴らしくて迫力ですごいのに、

シャツ投げちゃったからお風呂屋の脱衣場のひとみたいにステージから

去って行くモリッシーさん。神々しさと哀愁の絶妙ブレンド…



全部含めて大好きだ。


帰りのフェリーが「終演20分後船出ルール」のため、椅子をまたいで

外に出、人が殺到する物販の列に再び先頭で並び買い逃したティータオル

を買い(よく考えたら単なる、字の書いてある布…)、おーい船が出るぞ~

に間に合い、


…再びロンドン・アイが見えてくるまで放心状態。。。


すべては終わりました。

でも、これがまたすべての始まりな気がする。

この方の魂の声を聞く、というか全身に入れるため、ここまで来てよかった、

またいつかライブが観れる日まで、きちんと生きていこうと心から思いました。


この人がいてよかった。

この人を好きでよかった。

 

Remember me,

but forget my fate


というモリッシーの言葉は、心に刻印のように刻みました。

一生忘れない。


これで、長い長い2014年モリッシーロンドン公演レポートを終わります。


今年もブログを読んでくださりありがとうございました。

皆さま、良いお年をお迎えください。


モリッシー London The O2 Arena(2014.11.29)公演観てきました 6

2014-12-15 11:24:45 | Morrissey Live

先週“Meat Is Murder”というモリッシーの真骨頂発揮の瞬間レポートを

したら峠を越えた感(ブログとしては)…しかしモリッシーはクライマックスに

向けてガンガンぶちこんできます。アンコール含め、あと6曲。。。先を進めます。

(しかし、今回で終われる気がしない…)

 

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重々しく荘厳だった“Meat Is Murder”の余韻を感じることも許さず、続いて

重々しく“Scandinavia”が始まりました。


ちょうど、このライブの前日、私はロンドン在住のスウェーデン出身の友人に会い

モリッシーの話をしていました。彼女がモリッシーは北欧でもけっこう人気があるの

は、北欧は寒く、人は自己に対して深く真面目で、けっこう「熱い」魂を持って

いる人が多いから共感するのではないかと分析していたので「スカンジナビアという、

究極のディスりから土地にめりこむほどの深い愛の歌があるよ」と教えてあげたところ、

大変感激していました。「よく彼は、地域や国に特化した歌を歌うの?」と聞かれたので

ざっと考えました(地名が出てくるものも含めて)。


・London (スミス時代)(1987) 

・You're the One for Me, Fatty(1992)

・Dagenham Dave(1995)

・Mexico(2004)

・I'm Throwing My Arms Around Paris(2009)

・Scandinavia(2011)

・Istanbul(2014)

・Mountjoy(2014)


…こんなにご当地ソングを歌っている。

マンチェスター関係をいれたらもっとある。


ご当地ソングの女王、『鳥取砂丘』の水森ッシーくらい。

(この人とて、実は7曲らしい)

この歌詞は、まさに和製“I'm Throwing My Arms Around Paris”


 …というのはいいとして、前にも書きましたがまた来日した暁には是非

日本に関する歌も歌って欲しいものです。

 

そして、教会音楽のような美しいオルガンが響き…

でも花嫁を通路で蹴っ飛ばすというひどい歌詞の

“Kick the Bride Down the Aisle”が始まります。

この始まりの時に「なんかレコーディングみたいに聞こえる~」とか

ぶちぶちMCしたあと


“Well, then!!”

(よっしゃ!行くぜ!!)


と叫んでいちいち気合入っている。本当にノリノリで、声もこれでもかという

くらいキレイでシナトラみたい。ギターの音色のツヤも本当に素晴らしかった。

そして歌詞、アルバムのものとは変えた部分がありました。


"Kick the bride down the aisle

and back to the deli,

her God is her belly,

her world is her telly”

 

花嫁を通路で蹴っ飛ばせ

もう一回食事の買い出ししとけ

彼女は食道楽

彼女にとってテレビがすべて

 

モリッシーは男に求め自分はぬくぬく、ぶくぶくしている女、という生き物

に厳しいですよね。思うに「性差」によって特権を得ようとする人間すべてに

納得していないのだと思います。

 

スミス時代の“William, It Was Really Nothing”で揶揄した「太っちょの女の子」

の歌詞とも通じます。


How can you stay with a fat girl who'll say: 

"Oh! Would you like to marry me? 

And if you like you can buy the ring" 

She doesn't care about anything


…そして引き続きモリッシーの「性」に対する思いを考えさせる “I'm Not a Man”

続きます。ぼわ~んと幻想の中から生まれ、響くかのような前奏…時折り鳴るドラムで

はっと我に返らされました。そしてキラキラとしたメロディーに乗って歌が始まる。

ライブでのこの歌のモリッシーの歌声は力強くて、歌詞の一節一節畳みかけられるように、

聴き手は追い詰められるように進んでいきます。どんどん高まっていくので、一度座った

まわりの方々も立ち始めました。「敬意」を表しているのだと思いました。

このままクライマックスの天国への階段を一緒にのぼっていく感じ。

 

この歌詞については前にブログにも書きましたが、いつもゲイ?ホモ?オカマ?と

世間の尺度で詮索されるモリッシーの回答だと思います。 


僕は男ではない

僕は男ではない

僕はもっと大きくてもっといい何かだ

男なんかより




焦れたように「歌う」というかほとんど、吠えるように歌っていました。

I'd never kill or eat an animal

And I never would destroy this planet I'm on

Well, what do you think I am?

A man?

…そこからラストにかけてほとんど唸りです。

魂から絞り出す声というのはこういうことだと思いました。


くしくも、日本は昨日衆議院議員総選挙でした。

モリッシーは「男性性」が支配するこの世の中に対する危機感を何度も言葉にして

います。先ほどリンクしたブログ記事にも書きましたが、現在の日本の政治状況

~選挙に際して、モリッシーのこの意見を何度も思い出しました。

ライブ中も思い出しました。


「戦争とは、私が思うに、男性のヘテロセクシュアリティの最も負の側面を表して

いるものだよ。もし、もっとたくさんの男性がホモセクシャルだったとしたら、

戦争は起こらないだろう。なぜなら、ホモセクシャルの男性は、他の男性を決して

殺そうとはしないから。ヘテロセクシャルの男性が他の男性を殺すことを好んでいる

のに対してね。彼らはそれで勲章すらもらうんだから。女性は、他の女性を殺すため

に戦争に行ったりしない。戦争や軍隊や核兵器といったものは、本質的にヘテロセク

シャルの趣味みたいなものなんだよ」

(2003年2月、アメリカのティーン向けオンラインマガジン“ROOKIE”に掲載されたインタビュー

 
 
人間は自分が与えられた「性」による「傾向」に支配される。

モリッシーはそんなものからの開放を目指して「ヒューマセクシャル」と自称している

のだと思います。


僕は男ではない

僕は男ではない

僕はもっと大きくてもっといい何かだ

男なんかより


そう繰り返すモリッシーを観ながら、彼が求めているものは「世界が平和でありますように」

「何事も問題なくすんなりきますように」「なんかうまくいきますように」なんていう「平穏無事」ではなく、

そんなものが幻想であり偽善であることは百も承知、「戦いありき」で、国や利権のためではなく、

自分の敵と戦い続けるのだと思いました。こんな政治家がいたら、清き10000000000000票(気持ちの上で)
 
投票間違いないです。昨日万歳していた誰かにモリッシーの歌を聞かせたい。聞かないからああなのだろうがw


このあと、モリッシーソロ曲中、世界で一番好きなあの「宣戦布告」ソングが来る…言いたいことが

あり過ぎるので続く…。

モリッシー London The O2 Arena(2014.11.29)公演観てきました 5

2014-12-12 17:57:35 | Morrissey Live

思っていたより用事が早く済んだので、更新が進められます~

よかったw 

(本来「すぐやる課」なので、すぐできないか…なのがストレス

なのでしたw)


今回の記事では、私なりのこのライブでの「頂点」をご紹介したいと思います。


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“Trouble loves me”が終わり、ロックのライブとは思えない

丁寧な言葉のバンドの紹介が入ります。


それにしても、マシュー紹介の時

“From Chicago, ‘Still Ill’inois’”

(スティル・イリノイ州のシカゴ出身)


と、「あいうえおじさん」的な小ネタはさむモリッシー(とてつもない言いたいだけ感)…

「オオサカ・ワイルド」とか「メタル・ペルー」とか、こういうの好きですな…

(私も好きなので親近感w)

 

メンバー紹介で、観客の皆さん、本当に心からの拍手を送っていました。

そりゃそうだ。。。演奏もさることながら、こんなに大変なおじさんのバンドで

いることにはご苦労も多いだろう!!でも、彼が思いっきり歌えるように、粛々と

力強くサポートしてくれるこの方たちがいるからこそ、このステージがあるのだ、と

思って私も拍手しまくりました。新ベースのマンド・ロペスも、なんか確実な職人のような

ベースで良かった。ソロモンのような「見せる」ベースではないけど、サウンドに安定感を

もたらしていました(でも、ソロモンのカムバックを諦められないけど!)。


そしてライブは中盤折り返し地点。気合の入ったモリッシーの「なうッ!!」という雄叫びとともに、

“Earth Is the Loneliest Planet”が始まりました。モリッシーの新譜を(ちゃんと)聞いて

いない同行者が「へっ、こんなに音フラメンコぽいの!?意外とモリ様の声に合うんだなあ~

渋いなあ~いいなあ~」と後から言っておりました。


アコーディオンの音色もスペインの懐かし感(行ったことないのに)。

They always blame you...you…you‼

のところを皆で合わせるのがやたら気持ちよかった。もはやロッキー・ホラー・ショウばりの

お約束の合いの手…。

 

そしてまるで運命が淡々と進むかのように“Neal Cassady Drops Dead”が始まり

ました。短いキラキラな夢からいきなり揺さぶり起こされるような始まり方が好きです。

この曲もフラメンコ感満載ですね。アグレッシブなボズのギターとフラメンコ・ギターの

コントラストがやたら気持ち良かった。


Victim?

Or Life's adventure?

Which of the two are you?


「被害者?それとも人生の冒険者?君はどっちだ?」


という問いを繰り返し歌う時、モリッシーは「懇願」しているようにも聞こえました。

もちろん「被害者」と思われてしまうくらい、向こう見ずで過激な「冒険者」好きなモリッシーが

欲しい答えは決まっています。


この歌のタイトルにもなっているニール・キャサディは1968年、裸でメキシコの線路上

でのたれ死んでいるのを発見されました。享楽的生きざまの鏡として神格化され、歌詞にも

出てくる同じくアメリカのビート・ジェネレーション仲間のアレン・ギンズバーグを始め様々な

文士に愛されていました。ジャック・ケルアックの『路上』の主人公ディーンのモデルです。

キャサディへのギンズバーグの愛は、友情を超えていたのかも…そのふたりの「関係」も

モリッシーの着目点でしょう。私はふたりのこの写真が好きです。


モリッシーの「ラップ」(と一部で揶揄されていましたがw)のようなラップではない、

ポエム・リーディングのような「踏んでる」歌詞が、ライブではよりナマモノのように

はじけまくっていました。

 

そして…生涯忘れることのできなくなりそうなモリッシーの笑い声を聞くことになります。


続く“Meat is murder”の前にこんなMCをしました。


 "I was very interested to read in the couple days online about

how 75% of chicken sold as food in the UK is contaminated,

therefore poisonous - and I thought to myself

'ha ha ha ha'"


「2日前くらいからのオンラインの報道で、イギリスで食べ物として売られている75%の鶏肉が

汚染されている、つまり有毒でだというのを読んで、とても興味深く思った。そして心の中

で密かに思ったんだ。『ハハハハッ!!』」 


この『ハハハハッ!!』、夢に出てきそうと思いました、衝撃でした。



調べたところ、11月27日に英食品基準庁が、英国で販売されている鶏肉のうち平均して約70%から

食中毒の原因となるカンピロバクター菌が検出されたとして、小売業者らに改善を求めたことがニュースに

なっていますね。同庁が冷蔵された丸鶏を対象に6か月かけて行った調査では、最高レベルのカンピロバクター菌

汚染が全体の18%で確認され、大手スーパーマーケットで同細菌を減らすための業界基準を満たしていたところ

は一つもなかったそう。カンピロバクター菌は加熱されることによって死滅するけれど、英国では毎年28万

人がこの菌によって食中毒となっている。。。


「ハハハハッ!だから言ってんじゃん!

ざまあみろ!!」

…ということなんでしょうけど。。。喜び過ぎw

毎年28万人死んでいるなんて、とんでもない事態!


しかしモリッシーのこんな笑い声、初めて聞きました。

ニュースでは平均して70%。75%とか、5%盛りッシーですね…

 

Youtubeで見つけたので笑い声、聞いてみてくださいw


MORRISSEY TALKS ABOUT CHICKENS INTO 'MEAT IS MURDER' @ 02 ARENA, LONDON 29.11.14

 

そのままここで、“Meat is murder”が聞けます。

私は今回のライブで色々なハイライトがあった、と思いましたが、ザ・ハイエストライトはこれだ、と思いました。

頂点。

モリッシーが本当に言いたいことは、これなんだ、と思いました。

 

真っ赤な血の海のようなスポットライトの中、 

鬼のような形相で始まった。

 

“Kitchen aromas…they aren't very homely 

They're not cozy, cheery and noce

It's sizzling blood

and the unholy stench of MURDER 


It's not natural, normal or kind 

The flesh you so fancifully fry 

The meat in your mouth 

Fuxxing MAC is MURDER”

 

「お台所の香り、ああ、気持ち悪い

『ほっこり』でも、楽しくもステキでもないんだよ

したたり落ちる血

殺戮の罪深い悪臭

 

自然なことでもないし普通じゃないし優しくもないんだよ

あんたの気まぐれお肉フライ

お口の中のその肉

糞マック 

それも殺し」

 

レコードでもライブでも、今まで何度もこの曲を聞いてきました。

正直、「もういいかも…辛ひ…」と思うこともありました。

でも、このライブで観た、“Meat is murder”は、良かった。一番良かった。

極端なことを言えば、この歌を聞くだめだけでも、ここに来たのだと思った。

良かった、を超えていた。気迫は歌、というより唸り、うねり。

真っ赤な血の池地獄に会場もろともどっぷりつかり、映像で流れる動物たちの痛みわけの

儀式のようでした。モリッシーの迫力は鬼増し、もしやこのことを歌うためだけに、

数々の苦難を乗り越えて「歌手」を続けているのではないかと思うほどでした。

 

歌パートが終わると、怒りに震えたような後ろ姿で静かにマイクをスタンドに置き

動物殺戮映像が映し出されるスクリーンの方に向かい、頭の後ろに手を置きました。

それは、祭壇にさしだされる、無抵抗な生贄のようでありました。

 

眼鏡マシューの地獄の銅鑼が鳴り響き渡り始めてもそのままの

ポーズのモリッシー。バンド渾身の演奏と目を開けていられないほどの

ライティングの洪水、会場全体が断末魔の叫びに包まれます。

マシューがそこいら中を叩き始めて…この人何本腕あるの!?と思いました。

阿修羅のようでした。

うるさいのに静かなのです。

厳かな何かとコネクトしたかのよう…もうここがどこだかわかりません。

魂が口から抜けて上昇していきます。「どうにでもして」状態。

地獄には「落ちる」のではなくて「上がる」のかもしれません。

 

銅鑼の響きが終わると、ようやくモリッシーはステージ中央に戻ってきました。

まだスクリーン(祭壇)の方を見ている。いや、この物理的な空間を見ているわけじゃない

かも。「彼岸」というものを見上げている。人間によって殺戮された動物たちは成仏する

ことなどないのです。だからこの怒りの弔いの儀式を一生続けるのでしょう。


復讐と鎮魂。


モリッシーがやること、突き詰めれば、それだけなのかもしれない。


モリッシーは続く、私のレポートも続く…w


モリッシー London The O2 Arena(2014.11.29)公演観てきました 4

2014-12-12 12:13:41 | Morrissey Live

帰国して1週間以上たっても、感激のあまり脳の一部分に損傷を負ったのか

まったく色々手につかない…のに、日常は進んでいくのでバタバタしっぱなし、

ブログ更新が思うようにできません(泣)。

でもあと何回かかけることにはなりますが、手抜きせず丁寧に公演レポートは

まとめたいな~と思っております。言い訳無用、進めます!!

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“I'm Throwing My Arms Around Paris”“Istanbul”と抒情的な曲が

続き、そして新譜から“Smiler with Knife”が始まりました。

最近ライブで歌う“Asleep”とか、こういう子守唄のような囁き歌声聞くと、丁寧で、

本当にモリッシーは歌がうまいなあと思います。スミス時代は「歌がうまいなあ」なんて

あまり思わなかったけど、初期衝動(&初期ヨーデル感)超えて本当に濃縮された

円熟の魅力がにじみ出てきます…


 

しかし、ただの「歌のうまいおじさんの歌謡ショー」にならないのは、その

「歌いたいこと」の動機づけ、エッセンス、歌詞にあるのだなあ、と聞いていて思いました。

“Smiler with Knife”…刃を潜ませた微笑みの人。聞いていてグサッと刺される

ような凄味を感じました。人を愛し、愛を乞う。そのナイフの一撃のような激しい渇望

の痛みは、深く、深く、この身をえぐり、限界まで達して初めて穏やかな安らぎと変わる…

その時に初めて“You’ll be ok”…とモリッシーは優しく慰めてくれます。。。

 

が、そんな死ぬギリギリまで癒されないのか?と怖くなります。

「セックスと愛は別物」という確信に満ちた歌詞は、スミス時代に“Still ill”


“Does the body rule the mind or the mind rule the body...

I don't know”


と悶絶していたモリッシーとはまったく違う境地にきたのだと思いました。

 

(まったく関係ないですが、昨日AV監督の村西とおる氏のインタビューを読んで

鬼気迫るAVクリエイティブ美学に感動しました。そのインタビューの中で、

「愛とセックスとは別腹だという不条理(それを描くのがAV)」と語っていたので

びっくりしましたよ~。目的や表現方法が違っても、己の美学を信じ、この世の真理に

行きつこうとする人たちの言葉や思いは時にクロスし、またわき目もふらずにそれぞれ

の道に邁進していくのだと思いました)

 

そして“The Bullfighter Dies”が始まる前、にテムズ川沿岸にあるウォーターフロント再開発地域

「ドックランズ」にある、ワッピングについて語ります。

 

When I was a REAL child, I saw a film took place in Wapping.

and I always wanted to live in Wapping.

Well, I don't want to live there now.

 

会場に来る時、川沿いで通ってきて、思い出したのかな。ドックランズ地域は一時は世界最大の

港ロンドン港の貨物上げ下し拠点でしたふが第二次世界大戦後衰退…廃墟だったのが

再開発によりオシャレでヤッピー(死語)な街になりました。上塗り化粧みたいな小奇麗さは

モリッシー嫌いそう。ちなみにここでモリッシーが小さい頃に観たと言っているフィルムは、

1965年から放映されていた子ども向けドラマ、“Orlando”ではないか…な。

モリッシー6歳から小学校低学年の間放映していたらしい。


自伝に出てくるのですが、ドックランド地域が舞台で、騒々しく走り回るイースト・ロンドンの

イキイキとした子どもたちのこと「いいな」と思っていたようです。モリッシーはテレビドラマを、

小さい頃からマニアか、というぐらい観ているようですがその記憶力がすごい。イギリス人に

とってはテレビって重要過ぎる娯楽ではあるけれども、モリッシーは何歳の頃どんなものを観て、

それには誰が出ていて、どんなところに憧れたか…詳細に覚えているのがすごい。そんなもので

憧れた世界観が歌作りのヒントとなって蓄積されてきているのでしょうね。

 

“The Bullfighter Dies”は最近のモリッシーの主張の代表格になっているようですね、

高らかに「ばんざーい、ばんざーい!闘牛士死にやがった~!」

と会場と一緒に歌い上げました。

そして“Trouble Loves Me”が始まるのですが、グスタヴォの

ピアノの前奏の美しいこと美しいこと。しばし、聞き惚れました。


(芸達者リスペクト!で再貼りw↓)


 “So, please fulfill me, somebody kill me”

 

…いちいち切ない歌詞に泣きました。still runinng'round

し続けるしかないと思い知らされる、何も救済などない、

気休めも終わりもない。「いいね!」なんてほんとは言いたくも

ないしない世界。でも、でも、でも、生きていくのはあなたが歌うから、歌って

いるから聞きたいから!!…とあんなに人がいるのに「たったひとりの私と

モリッシー」化して、しつこく思いつめながら…

 

ノッてきたのに出かけなきゃなので、続く。

今日はもう一本書けるかな…

この調子じゃ終わらないwww


モリッシー London The O2 Arena(2014.11.29)公演観てきました 3

2014-12-05 23:49:57 | Morrissey Live


“The Queen is dead”のワウワウギターで脳みそ撹拌されたところにあのイントロ…

2曲目は“Suedehead”!!会場の皆さんのシング・アロングは序盤から絶好調。

そんな訳でレポート、先続けます。


まわりの人もわたしも…老若男女、いろんな顔の色のいろんなところから来た人々が

一体になって、ひとつひとつの歌詞をすべて一緒に歌っています。


モリッシーのこのライブですごいなあ、と思ったのは本当にありとあらゆる人種、年代、

性別の観客が来ているということ。小さい女の子(モリッシーTシャツ着用)もいたし

おじいさんもいた(親子連れが多くてほほえましい)。白人も黒人も黄色人種もいた。

物販でわたしの後ろにいた女の子は「パパの誕生日にTシャツを買って行くの。

スミスからモリッシーを教えてくれたのはパパで、今日は本気でうらやましがってた」と

言っていました。普通「往年のスター」のライブの客層って偏ると思うのですが、

この観客の層の厚さはモリッシーが「現役スター」であることの表れだと思います。


“Suedehead”でモリッシーが歌う。

 

Why do you come here?


…って決まってる!!満場一致であなたに会いに来たんです!!って思って歌っている感。

そんな観客のウェルカムにモリッシーは


“Thank you. You're humankind-ness”


「ありがとう。あなたたちはお優し人間です」

(human kindnessは「人間味」、ですがhumankind「人間」とkindness「優しさ」

を掛けて言っているのかなと解釈w)


と丁寧に謝辞を述べていました。モリッシーは本当に、ファンからの愛や寛容を

「当然だろ」とは思わないところが謙虚…というか基軸がぶれなくて、ある程度の「距離感」

を保っているところがいい意味でよそよそしくていいなあといつも思います。


そして、3曲目は“Staircase at the university”。まわりの少し年配ぽい方々は座ったので、

あまり新譜は聞いていない節もあるのかな、と思いましたw ライブで聞いたらきっともっと

聞いてくれるでしょう~。もちろん聞きこんでいるお客さんは


“Crammin' jammin' pack-em-in rammin(パンッパン)”


とお約束のような手拍子を入れていたのですが、練習もしてないのに

ばっちり。ここからほぼ新譜から押していくのであります。


4曲目は“World Peace is none of your business”、さすが新譜表題作、いきなり座った

方もまた立ち上がり「ワ~ピーシーズノンオブユアビジ~ス♪」と歌い始めていました。

モリッシーにライトが当たっているはずなのに、この歌を歌う時なんてほとんど発光体の

よう…モリッシーが光を発しているみたい。最後の芸達者グスタヴォのコーラスに合わせ、

両手を上に上げ天を仰ぎ、モリッシー自ら手拍子を始め、観客もそれに合わせました。

そして、ひと言言わずには終わらないモリッシー…


“That was a title track from our last CD album,

which was immediately deleted by a very clever record label...”


「これはわたしたちの最新のCDアルバムのタイトル曲です。

とても賢いレコードレーベルによってただちに闇に葬られてしまった

アルバムですが…」


…と嫌味な皮肉たっぷりの紹介をw 

このことはメディアでも記事になっていました。

「モリッシー、O2アリーナにおける感動的ギグで、

ハーヴェストレコードをディスる」

(GIGWISE)

 

待ってましたとばかりにディスりをニュースにされる男www

 

この歌の終わりにバックドロップが20世紀初頭の詩人、音楽家、批評家、

T・S・エリオットと並んで、20世紀初頭の詩におけるモダニズム運動の中心的人物のひとり

であったエズラ・パウンドに変わりました。彼のマン・レイ撮影(1923)によるこのポートレート

写真は、新しいTシャツにも使われています。

かなりのハンサムですね。 

 
モリッシーはギリシャメディアに対するこのインタビュー

「エズラ・パウンドが『GQ』表紙を飾ることは決してない、それは憂うべきことだと思う」


と語っています。詩人としてもファンなのでしょうが、この美しいビジュアル好きなのでしょうね。

モリッシーのライブ…音楽活動…その生き方のすべてにおける、ものを選ぶ基準、センス、視点、

「これじゃなきゃあり得ない」という独自の美学がずば抜けてすごいので、世界で一番

見習いたいといつも思うのであります。


そしてとてもエモーショナルな“Kiss me a lot”、スペイン語にすると「べサメ・ムーチョ」の

抒情的なラッパが始まりフラメンコそれにしてもこの曲に対するグスタヴォの活躍

すごすぎる…キーボード、オルガン、シンセ、トランペット、アコーディオン、フラメンコ・ギター、

ディジュリドゥディジュリドゥ(何じゃそりゃ…アボリジニの金管楽器らしいです…)、

スズキQコード(電子ギター?)、そしてバックコーラスもうまいうまい。。。

ステージ上でも本当に忙しそう。グスタヴォ5人くらいいそう。

MOZサウンドもラテンフレイヴァ―の要ですね。


(すご過ぎる彼のバックグラウンドに興味があり過ぎて後でこのインタビュー読もうw)


抒情路線をひた走り、続く6曲目は“I'm Throwing My Arms Around Paris”


“Nobody wants my love, nobody needs my love, nobody wants my love”


という刺さるような歌詞が痛い、ヒリヒリしました。

こんなに多くのオーディエンスの愛を前にしても、絶対満たされないモリッシーの渇望、

わたしたちの渇望が湧きあがってくるようでした。

人生とは、無数の一方通行の愛と愛のレーザービームが交錯し合う戦場。

喪失と孤独は慰め合って共有するものではなく、寄り合って癒し合うものではなく、

ただそこに「ある」とわかるもの、勝手に、ひとりで。


“Only stone and steel accept my love…”


そこでまたグスタヴォがラッパでいい仕事するよ~。泣ける!!

この歌が終わり、やっとモリッシー「ひと息ついた」感。


“Well, I think we know each other slightly better now,

which is the nice beggining. Off we go”


「えーっと、お互いのこと少しだけわかってきたみたい。いい感じの始まりだね

よし、どんどん行こう!」


…とご機嫌…かなりご機嫌。すごく調子の良いまま7曲目“Istanbul”になだれこみます。

一瞬声が裏返るところはあったものの、本当に良い声で、ひとつひとつの音程を歌詞を

確かめながらのように、慎重に、丁寧に歌っていました。とても真面目に。


「ホーム」である英国に、帰ってきたのはモリッシーなのに、いる人すべて、ひとりひとりの顔を、

のぞきこんで、迎えるように。“Istanbul”は、父親が茶色の目の息子をイスタンブールで探しまわ

る歌。モリッシーはその歌のごとく、そこにいるわたしたちひとりひとりの行方を、ひとつひとつ探し、

確かめるくらい丁寧に歌っていた。ライブを観るとか、歌を聞くとか通りこして…

モリッシーの表現の持つ力にのみこまれていくのを感じました。


れでもまだライブの半分も終わっていないなんで信じられない充足感。

…続きます。