Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

実録・モリッシーが来た!新豊洲 Five hours with you その5(ラスト)

2023-12-10 23:35:05 | モリッシー来日 2023

前回の続きです。

この土日で最後まで書ききる予定でいたので書きます。

14. The Loop

この曲が始まる前、モリッシーはこう言います。

People will think I am a singer.
I am a psychiatrist. Your psychiatrist.
Too bad for you.

人は私のことを歌手だと思っているが、私は精神科医だ。君たちの精神科医だ。がっかりだね。

私はこれを聞いて、

「何をおっしゃいます」

と口に出して言いそうに。モリッシーの謙譲のsarcasm(英国人特有の思っていることと反対のことや大袈裟に言うユーモア…と言っても時に笑えないことも)だと思いました。と言うのも、モリッシーは自分のことを徹底的に「シンガー」と思っている。ずーっと前から、思っている。

前回のブログでも引用しましたが、

「考えているのは歌のことばかりだ。一日中、一晩中、声、歌、それだけを考えている。私は捕われている、身を捧げている、どう言ってくれても構わない。でもこれが、私の人生だ」

というほどの「シンガー」なのに。ていうか、精神科医さえどうにもできない精神状態に陥ったモリッシーファンたち。そして治療とか、どうにかなりたいなんて思ってもいない私たちにとって必要なのは、お医者さんでなく、目の前の「シンガー」であることを重々承知の上での、自虐的発言、いわゆる「そんなことないよ待ち」発言に笑いました。

このThe Loopは、2021年のRiot Festで2009年ぶりにやるまでは、まったくやってなかったのにいきなり定番化しました。すごい。そういうことがモリッシーのライブではけっこう起こる。

この曲ではマラカスさばきが凄すぎ。昔よりはロカビリー味が薄れたもののウッドベースもかっこいいです。バックドロップは、マンチェスター・サルフォードを舞台にしたドラマ『コロネーション・ストリート』の名物女優ドリス・スピード。

(Photo by ツネグラム・サム)

“I'm still right here”というところで「ここ」を指差していました。「ここ」ってどこかな。新豊洲?

I just wanna say
ただ言いたいのは
I haven't been away
どこにも行っていないよ
I'm still right here
まだここにいるよ
Where I always was
いつもいたところだよ
So one day, if you're bored
だからいつか君が退屈したら
By all means call
もちろんいつでも連絡して
Because you can do
君はそうしていいから
But only if you want to
そうしたいならだけど~!

って、いつもここにいる、物理的な距離関係なく私たちの心の中にいる、マラカスを凶器みたいに振りまわしている「シンガー」に見惚れました。

15. Please, Please, Please Let Me Get What I Want

この前奏が始まると、みんな一瞬息をのんでそして「うぉーーーーー」。美しい。ただひたすら美しい。バックドロップは、アメリカの劇作家リリアン・ヘルマン。ハードボイルド作家であったダシール・ハメットの恋人。

「ザ・スミスの原曲を超えた」と言っていた人がいたけど、ザ・スミスの曲だったことすら私は忘れていた。今ここにいる人が、今の気持ちをすべて込めた曲。

So please, please, please
Let me, let me, let me
Let me get what I want
This time

の部分、仕舞には、祈るように両手を重ねて、震わせPlease, please, please, please, please, please‼と叫んでいました。省略しPleaseしか言っていないのに、何よりもモリッシーの渇望が伝わってきた。

(Photo by ツネグラム・サム)

Twitterでなみすけがこう言っていた。本当にその通り。

16. Everyday Is Like Sunday

美しいピアノソロに続き、太陽の光が差すかのように始まったこの曲。モリッシーはタンバリンを高く上げて打ち鳴らしている。バックドロップはセシル・ビートンの撮ったガートルード・スタインの連続写真。アメリカの詩人、美術収集家、パリに画家や詩人たちが集うサロンを開き、芸術家たちと交流する中で、現代芸術と現代文学の発展のきっかけを作った人だそう。モリッシーは尊敬しているのか、最後バックドロップの方に手を差して紹介(?)みたくしていました。

(Photo by ツネグラム・サム)

こんな美しいメロディーにのせて人が押し寄せてきて胃腸はバリアで押されて死にそう。内臓が飛び出そうになりながらタンバリンに煽られ「On your face! face! face!」とやるのは恍惚の喜びでした。私はもう死んであの世でこの歌を歌っているのかもしれない⁉と思いながら。

17. Jack the Ripper

こライトは真っ赤になり、煙もうもう。とうとう地獄かと思いました。前奏からモリッシーはヘンな声で「あ~あ~」と叫んでいる。バックドロップも恐ろしいアメリカの連続殺人鬼チャールズ・レイモンド・スタークウェザー。19歳で11人を殺害。切り裂きジャックの歌、おぞましさアップです。ドライアイスの煙のにおいがすごくて、むせかえりそうになりました。「今日は多めに焚いてます」といった感じ。

モリッシーは一度ひざまずいておもむろに立ち上がり歌い始める。

Crash into my arms
I want you
You don't agree
But you don't refuse
I know you

で両手を広げてすべてを受け容れるようなしぐさ、ひとことひとことこっちの脳天にぶち込むように歌い、にぐっときます。

そして最後、歌詞にはないのに

“Rats, rats, thousand of rats, millions of rats, their gleaming eyes…these things I give you”

と歌っていました。引用は何か、気になり過ぎて調べたところ『吸血鬼ドラキュラ』の“‘Rats, rats, rats! Hundreds, thousands, millions of them”という一節のもじりではないかと。鼠、鼠、何千匹、何万匹もの鼠、そのギラギラした目、お前にあげたもの…ああ恐ろしい。モリッシーの引用してくるもの、その教養も恐ろしい。何よりも、この曲でライブが終わってしまうことが恐ろしい(涙)。

18. Sweet and Tender Hooligan

アンコール。T.REXのピタTに着替えてお出まし。メンバーひとりひとりの日本への御礼がありました。

なぜT.REXか?宙也様に教えていただきましたが、なんと11月28日はT.REX初来日公演@武道館だったそう。

「モリッシーさんはこの日付を知っていたんでしょうか?偶然だとしてもすごいですね」

と言ってらっしゃったので「驚異の記録マニアだし日付を調べる習性があるので(自伝などの記述では間違ってることもありw)そうだと思います」とお答えしました。ほんと、たぶん狙ってきたのだと思います。

(Photo by ツネグラム・サム)

ピタTで改めてわかるモリボディー!!

このモッシュはすごかった。立つ場所は確保できず、窒息し、内臓がちぎれるかと思った。この時ほど、3時間前にキメたレッドブルと、整骨院で仕込んだ置き鍼、そして16歳から行っていたthe 原爆オナニーズに感謝したことはありませんでした。激モッシュでの身の置き方に慣れていて、よかった!!

3月のロンドンでもこんな感じでしたが、

日本でも人が降ってきました。これはハードコアパンクのギグでしょうか?いいえ64歳の歌手の40周年ライブですw

後から降って来た人は知ってる子だとわかりました。「母さん、頭の上からヨウイチが降ってくるよ!!」

↓犬神ってるヨウイチの長い脚

バックドロップにはアメリカのシットコム『サンフォード・アンド・サン』。登場人物のフレッドと仲の悪い義姉エスターおばさんが喧嘩していて(お約束らしい)煽られるwあれよあれよという激しいサウンドの中、あらかじめ首リブ部分がカットされていて「引きちぎり」やすくなっているTシャツを破り捨てて投げてライブは終わる。

(Photo by ツネグラム・サム)

投げシーンを奇跡的に写したKeiko Hirakawaさん撮影の一枚が素敵すぎて、プリントして額に入れました。モリッシーの身に付けていたものが与えられる、「聖体拝領」のよう。

このTシャツをゲットした5~6人で分割。私もいただきました。この分割をさばいてくれたスタッフのお兄さんが頼もしくて仕切り能力と記憶力が凄くて、ただのひとりも「ズル」を許さず管理してくれて凄かったです!!ありがとうございました。

帰ってすぐにジップロックに。コムデギャルソンのアヴィニヨンの香りがまだする。私からもするけど(つけているから)、またちょっと違う。

そんなわけで、5時間の新豊洲はあっという間に終わってしまった。それなのに、自分の中でぜんぜん終わらない。どうしよう。どうしようもしないけど。

とりあえず、ライブの記録は終わり。

最後のバックドロップ。ジャン・コクトーの映画『詩人の血』。

そうそう、ライブ後。色んな人にあいさつしたり写真を撮っててふと、パーカーにつけてたWITHOUT MORRISSEY THE WORLD DIES”バッジを、鬼モリッシュ状態時に落としてしまったことに気が付いた。Londonでもらった大切バッジなので三千人が追い出された豊洲PITに、バックドラフトの消防士のようにひとり戻り、取りに行った。

だだっ広い空間、ステージ前のフロアで私を待っていた。

傷だらけになってたけど見つけた。「あったーーー!!」と叫ぶが誰もいない。私を咎めに来たスタッフさんに「ありましたーーー!」と喜びを強要。「良かったスね」と言ってくれた。ほんとに良かったス!!

「そんなことないよ!」って人には言われるかもだけど、11月28日にあの場でモリッシーを観た人はわかってくれるかも、

モリッシーがいなきゃ、世界は死ぬ。

モリッシーごときで世界、死なないかもだけど、私たちの「世界」は死ぬ。

こうありたい世界。こうでいたい世界。

モリッシーが日本に来てくれたから、これからも私たちの「世界」は続く。
またきっと、モリッシーは日本に来ると思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実録・モリッシーが来た!新豊洲 Five hours with you その4

2023-12-10 14:35:23 | モリッシー来日 2023

前回の続きです。

もうライブから12 日経ちました。先週のモリッシーナイトからも1週間。

ライブでもモリッシーナイトでも、想像以上に何人もから「ブログ読んでます」「絶対やめないで」「50過ぎの男が、毎晩読んでオイオイ泣いてます」「過去記事全部読みました」「韓国人なんで、英語に翻訳して読んでます」と言ってもらって嬉しかったけど、ほんとごめんなさい、ブログは人のためならず、我が為に書いている。終わっても終わらないでザワザワしている気持ちを供養するために書いている。でも決して成仏しないエモーションだから、供養じゃないかも…?

だからいろいろ、純情愛情過剰に異常です!うちの母まで、「モリッシーのブログがGoogleの検索の下に出てくるから読んだ。よく見たらあんたのだった」と言ってきて気まずいw でも前回の2016年の来日時のブログを読んだ人から「1週間以上経っても、1カ月経っても来日ひきずったブログ書いてたよね」と言われたので、なんだフツーじゃんと安心する(フツーではない)。2016年のこういうのとか→モリッシー 来日 いろんな人の、いろんな好きな言葉たち

後半のセットリストに沿って、今回で(一応)ライブ曲解説は終わらせます!…と思ってたのに今書いたらすでに長くて終わらないこと判明。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

13. Speedway

私は、本当にこの曲が好きで好きで好きで。前奏が始まっただけでどうしようかと思いました。絶対やるってわかってたのに。絶対やっても、予想をはるかにうわまわることもわかっていました。

マイクコードをバンバン振りまわし、全身で歌う。ライブでも何回も観ましたが、年々強さマシマシになっている。モリッシーナイトで1994年のアルバム“Vauxhall and I”収録の原曲をかけましたが、リマスター盤で音は良くても、どうにもこうにも物足りない。やっぱり「今」のSpeedwayが段違いにかっこいい。

(Photo by ツネグラム・サム)

2012年、

モリッシーの病気

と題したブログで、この曲の歌詞のことを書きました。当時モリッシー来日を控え、ROでモリッシーの一問一答インタビューが掲載されていて、失礼なことにタイトルは

「モリッシー、あなたが罹っている病気とは何ですか?」

(今なら許されなさそう・・・)

「たとえば、「スティル・イル」で歌われる、あなたをさいなんでいる「病気」と、「スピードウェイ」で歌われるあなたが自分自身で受け止め、これからも

引き受けていこうと決意している「病気」は、同じ類のものなのでしょうか」

という質問に対してモリッシーは

「それは違うんだ。「スピードウェイ」で言っている病気とは、私がメディアでいつも強いられてきた壊れたポジションについて触れているわけで……どこにも居場所がなくて、ありきたりではないと思われた人はそれゆえに狂っていると判断されてしまうことがどういうものなのかということなんだ」

と言っています。それは昨今のモリッシーがインタビューで

「業界は私のような人間を特に好まないので、よくそれが不利に働くこともよくある。音楽誌は私のような人間を特に好きではない。私が人々の中にいる者だと知っているからだ。そして私が金が注入されただけの人間ではないことを知っているからだ。私には何も注入されていないと請け負えるが。だから、私のような人間をどうしたらいいのかわからないし、おかしいと思っている。考えているのは歌のことばかりだ。一日中、一晩中、声、歌、それだけを考えている。私は捕われている、身を捧げている、どう言ってくれても構わない。でもこれが、私の人生だ」

と言っていることにも通じている。年をとったから丸くなったとか、昔の青い歌はこっぱずかしくて歌えないとかなくて、より確信マシマシなのでこの歌のリアル感がヤバ過ぎるのでしょう。

バックドロップは作家で過激フェミニストのジャーメイン・グリア。

 

2018年に発売したBack On The Chain GangのEPのジャケットの写真の彼女です。

12月4日、日本直後のメルボルンのライブでモリッシーは観客に「メルボルン生まれで一番重要な女性は誰か」聞いています。観客が「カイリー!」と答えると「ジャーメイン・グリア」と答えていました。それだけ尊敬しているのでしょう。

Morrissey live in Melbourne,Moz asks who is the most important Woman born and raised in Melbourne?

メディアもふたりの類似性、親和性はよくわかっていて(笑)、ガーディアンは「これジャーメイン・グリアが言ったかモリッシーが言ったか、どっちどっちクイズ」なんてやってます。ふたりのことを「家族行事で会っておしゃべりに付き合わされたくない、気まずい親戚的存在」とかひどい(笑)。むしろ法事で会いたい!!

「誰かが人を人種差別主義者と呼ぶとき、彼らが言っていることは次のようなことだ:『うーん、こいつの言うことは実際に一理あって、私はそれにどう答えていいかわからない。だから、私があなたを偏屈扱いしてごまかしておけば、こいつの言うことがどれほど啓発的であったかなかったことにできるだろう』」

とか、どっちが言ってもおかしくないとガーディアンにまで思われていることを知ると(正解はモリッシー)、モリッシーがこの自分のテーマソング、決意表明とも言える“Speedway”にジャーメイン・グリアの写真を使う、敬意を表している意味がわかります。

ライブで、いつもは「フォエバッ!!」と歌うブレイクが、もう聴き取り不能な雄たけび、暗暗転後、バンドが一列に並び、親分と子分、荒野の決戦みたい。私は2度目の握手を死闘(自分との闘い:五十肩腕伸ばし)の上つかみ、もう一生「True to you」不可避な自分を呪…ではなく、寿いだのでした。

あと5曲あるのにいったん出かける&長すぎるから続く・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実録・モリッシーが来た!新豊洲 Five hours with you その3

2023-12-08 14:25:48 | モリッシー来日 2023

前回の続きです。

もうライブから10日経ちました。いまさらライブレポートっておそっ、って普通なら思うけど、相変わらずのガンギマリ状態。。。

なのに容赦なく日常が襲ってきて、横山弁護士的に言うと「もう、ヤメテー!!」。仕事したり、息子が帰ってきて炊事に追われたり、大好きな卍力のスパイスラーメンWパクチー食べたり、家電が壊れて困ったり…人生って、モリッシーが終わっても普通に続いている(あたりまえ)。映画やドラマみたいに、11月28日(火)が大クライマックスになるわけもなく、日々はドラマチックに代わり映えもしてない。

なのに、脳は確実にいい意味での「損傷」を受けているわけで、日常の隙間に割り込んでくるんですよ!あの声が、あの顔が、あの空気が…。思い出して泣きそうになる。これは、なに??「ロス」ってやつ??いや、私たちは何も失っていないわけで、むしろ「ゲイン」?

Xを開くと、そうなってるのは自分だけではなくて安心します。「俺たちガンギマ族」がたくさんいます↓

そう。銀行のATMの列で、地下鉄に降りる階段で、バスの「豊洲駅」という行き先表示を見ただけで、なんなら「有楽町」(ほぼ関係ない)を見ただけで、いきなり揺り戻しがくる。「うわっ」て思ってまわりを見るとみんな普通の顔してる(あたりまえ)。慌ててわたしも普通の顔のふりをする…

そんな10日間でした。きっとしばらくこうだと思います。はよ、続きに行け。また写真撮影は主にツネグラム・サムさんです(また追加でもらった)!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7. I Wish You Lonely

レコードリリースもされておらずそんなにお馴染みではないはずの“Sure Enough, the Telephone Rings”でもお客さん大熱狂、力強く、機嫌よく歌い終わり、MC。「自分には実はプライベートライフがある。プロフェッショナルライフもある。でもどっちもほぼ同じ」とふざけてハンドタオル(ゲットした方によると、トム・フォードのものだそうです)で汗をぬぐいます。お客さんとやりとりしたり、「大阪にも広島にも行ったことある」とドヤったり、ハンドタオルを顔に載せたりおもしろいことをして、この歌を歌い始める。

ハンドタオルはしまわずに汗ふいたり振りまわして感情表現に使っていて、日本舞踊の手ぬぐいのようでした(「あれ投げるぞ、投げるぞ」と思って観てたら最後に投げた)。

カラフルなバックドロップは、20世紀初頭の詩人、音楽家、批評家であるエズラ・パウンド。最初に38分「強制視聴」させられたMVもそうですが、モリッシーのライブのバックドロップはすべて、自分を象ってきたもの。歴史。単なるデザイン性やにぎやかしで表示しているのではなくすべてに意味があります。

エズラ・パウンドはT・S・エリオットと並んで、20世紀初頭の詩におけるモダニズム運動の中心的人物のひとりで、モリッシーの憧れ中の憧れ。マン・レイ撮影(1923)のポートレート写真は、公式Tシャツにも使っていました。


かつてギリシャメディアに対するインタビューで

「エズラ・パウンドが『GQ』表紙を飾ることは決してない、それは憂うべきことだと思う」

と語っていました。だからGQではなく俺が飾る…詩人としてもファンなのでしょうが、この美しいビジュアル好きなのでしょうね。モリッシーのライブ…音楽活動…その生き方のすべてにおける、ものを選ぶ基準、センス、視点、「これじゃなきゃあり得ない」という独自の美学がずば抜けてすごいので、自分も見習いたいといつも思ってます。

私はこの歌のうまさにも感嘆しましたが、「ヘロイン!ヘロイン!ヘロイン!ヘロイン!」と腕を何度も叩いて薬キメを表すモリッシーがカッコよすぎてどうしようかと思いました。

この歌の歌詞についてこちらにも書いています。

Tombs are full of fools who gave their life upon command

Oh heroin, heroin, heroin, heroin, heroin

墓は、ヘロイン、ヘロイン、ヘロイン、ヘロイン、ヘロインのために命を捧げたバカものでいっぱい

And never coming back, never coming back

今や二度と戻らない、決して戻らない

8. How Soon Is Now?

もうこれは、スミス時代よりさらにおどろおどろしく怨念の複利運用効果みたいなものが表れていて最高です。モリッシーは「何世紀も存在してきた」とこの曲を表現していますが、懐メロでなく、本当にモリッシーとともにずっと生きてきたからこんなにかっこいいのだと思います。スミス曲でありながら、“Everyday Is Like Sunday”“First of the Gang to Die”に続き、モリッシーがライブで多く歌っているベスト3に入る曲です。

バックは刑事コロンボのピータ―・フォークの動画です。

(Photo by ツネグラム・サム)

ひずんだギターサウンドに合わせてチカチカと動くのがなんかのサブリミナル効果みたい。
モリッシーは、途中

I am still the son
Still the son and the heir of a shyness that was criminally vulgar
I am still the son and the heir of nothing in particular

と歌いました。“still”、いまだ自分が背負ってきた系譜は続き、いまだに自分は犯罪的なほど下劣極まりない内気さに囚われた息子であり後継者であること、取り立てて言うほどもない一凡人であることを凄い形相で強調しています。全然違うのに。全然違う物凄い64歳が凄く力を込めてこれを念押ししてくる。その力強い歌いっぷりは暴力的ですらあります。

I am human and I need to be loved

で観客に手を伸ばし、

Just like everybody else does

で観客の方に手を差して「お前らみんなそうだよね」と歌ってバサッと背を向ける。マイクコードを蛇使いのように振りまわし「シェッ!シェッ」と叫ぶ。共感といった生易しいものではなく、生まれついての苦痛のシャワーを全員で浴びて地獄の業火に焼かれるみたいな。なにこれ。恐ろしいライブだ(泣)。


ドラムのブレンダンが銅鑼を叩くと我に返り「あ、銅鑼だ。銅鑼。入ってよかった」と思った。

(Photo by ツネグラム・サム)

9. Girlfriend in a Coma

明るいイントロで始まり、スミス続きにお客さん大喜び。みんな大合唱です。マイクスタンドの前にたって、セルフハグしたり手振り身振りをまじえ丁寧に歌います。バックのマリリン・モンローが美し過ぎて悲しいです。あっという間に終わった。

10. Irish Blood, English Heart

歌う前に、

「私は世界のあり様を目の当たりにし、言いたいことを言う。考えたいことを考える。誰にもそれを止められない。たとえ殺されてもだ」

と声を上ずらせて強調。お客さんはみんな感激して拍手。たとえ意味がわからなくても、気迫がビンビン伝わってくる。今回のライブで一番力強いメッセージだと思いました。モリッシーは絶対やめない。歌うこと、それは彼の戦いであり、絶対負けない。その強さは我々に力を与え、その我々がまた彼を強くする。

バックドロップでアイルランド出身のオスカー・ワイルドが出てなんかもう、胸がいっぱいでした。私は中学生からモリッシーにかぶれずぎていてオスカー・ワイルドの著書も読みまくり、何度も学校の感想文にも書き、先生に「他の作家のも書けば」と言われた。名言があり過ぎていちいち感動してきて何を選べばいいかわからないですが、『ウィンダミア卿夫人の扇』のこの言葉を、この舞台のモリッシーに捧げたいと思いました。

There are moments when one has to choose between living one's own life, fully, entirely, completely
or dragging out some false, shallow, degrading existence that the world in its hypocrisy demands.

自分自身の人生を、十分に、完全に、徹底的に生きるか。
それとも偽善にまみれた世間が求めてくる、偽りの、浅はかな、堕落した人生をだらだら続けるのか。
どちらかを選ばなければならない瞬間は、何度も訪れる。

モリッシーはどの瞬間も、選んでいる。十分に、完全に、徹底的に生きる人生を、選んでいる。だからこんなに物凄い力で歌っていると思いました。もちろん歌がうまいし歌っているんだけど、観客ひとりひとりに楔を打って教戒するみたいにステージの上を行き来していた。

そしてオスカー・ワイルドに向かって

「オスカァー!オスカァー!オスカァー!オスカァアア!」

11. Let Me Kiss You

バックドロップには、フランスのモデルであり女優のキャプシーヌ。モリッシーの好きなジャン・コクトーの映画(双頭の鷲)にも端役で出ていたそう。冷淡で謎めいていて、トランス疑惑もあったり、業界では異端的存在だったようで、モリッシーの琴線に触れる存在なのかもしれません。

Close your eyes
And think of someone
You physically admire

のところで袖をいじってめくったりしていたので「脱ぐぞ、脱ぐぞ」と身構えましたが脱ぎませんでしたw

ツイッターにモリッシーのピースマーク写真があがっていましたが

I've heard that you'll try anything TWICE

のところで撮ったものですね。すばらしい瞬間の写真です。

最後、

But then you open your eyes
And you see someone
That you physically despise(軽蔑している)

のところで自分の襟元に触れて開けたのでまたもた「脱ぐぞ、脱ぐぞ」と身構えましたが脱ぎませんでしたw

12. Half a Person

バックドロップには、ニューヨーク・ドールズ。

(Photo by ツネグラム・サム)

この歌に出てくるのは“Sixteen, clumsy and shy”。「不器用で内気な16歳」。ニューヨーク・ドールズはモリッシーにとって、この「不器用で内気な16歳」の輝ける象徴ではないかと。

モリッシーが彼らに出会ったのは1973年、14歳だったので実際には16歳よりもう少し早かった。不器用で内気で学校や大人、マンチェスターの風土に抑圧されていた少年は、ニューヨーク・ドールズによって救われ、解放されます。まさに“Half a Person”=半人前の長い長いルーツの根元にあるのがこのバンドです。モリッシーが彼らとの出会いによって様々な挑戦を始めた様は『モリッシー自伝』にも出てきます。薄暗く陰鬱なマンチェスターの描写にうんざりした後、突然差す光のような存在。モリッシーはその驚きをこう書いています。

「彼らと比較すると、突然他の人はすべて、出張セールスマンに見えてきた。ドールズは社交的なグループ。重大な楽しみで、機知に富み、完璧に無謀。礼儀正しさや穢れなさの反対の位置にいたが、実際には、目に見える踏み外してはいけないラインなどなかったのだ」

そしてドールズがTV番組で演奏した翌日、モリッシーは彼らのシングルレコードを買いにレコード屋で。EPを50ペンスで購入して得意気です。

「『ほら』、太った店員が、別の店員に言った。

『誰かがこれを買いにくるって言っただろ?』

ついに私はその誰かになったのだ!このシングルは45枚限定。曲の途中で急に音が途切れて終わるアレンジがされている。それ以来、同じバージョンのレコードを見つけたことがない」

学校にもドールズを持っていくのが他の子と違うところw

「気取った私は、ドールズのレコードジャケットを学校に持って行った。美術の提出物としてその複写を制作し、しみだらけのマンチェスター教育委員会に提出しようと思ったのだ~ある日、机の上にニューヨーク・ドールズのアルバムジャケットを置いておいた。お高くとまっているパワー先生がそれを見つけ、クラス全体に見えるように高く掲げた。

『これを見なさい!』彼女は全員に言った。『これを見なさい!』みんなそれを見た。

「これ! これは病気です。彼らは男なのに、他の男を求めてセクシーなかっこうをしているんです」

そして彼女はひどくショックを受けて、教室を出て行ってしまった。生徒からの助けを求めていたが、誰も後を追わなかった。退屈さをまぎらわすための荒々しい鞭打ちの罰を期待したが、誰も来なかった~何かが自分を、まわりに座っている空っぽで間抜けな頭たちと分離してくれたことを、とても嬉しく思っていた」

良くも悪くも「他と違う自分」の線引きをクリアにしてくれて、今のうしろにずっと続く、自分が敷いてきたレールの上に立たせてくれた感謝で、“Half a Person”でニューヨーク・ドールズのバックドロップを出すのだと思います。

そして

Call me morbid, call me pale
I've spent six years on your trail
Six long years
On your trail

と合唱している私たちにとっては、モリッシーこそが、「他と違う自分」の線引きをクリアにしてくれた存在。誰もが「不器用で内気な16歳」だった。そして今はそれなりに年を経ているけど、本当は自分にも人生にも確信なんて持てない。なんか違う。なんか「ふつう」と違う。「大人」になったけど、ずっと人間として半分くらいの感じ。。。モリッシーの、そしてそれぞれのThe story of my lifeを思い出させられて、歌いながら泣くんだと思います。。。

、、、って私だけ??

長すぎるし、ちょいちょい思い出して泣くし、3分の2終わったので、続く。いよいよクライマックス。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実録・モリッシーが来た!新豊洲 Five hours with you その2

2023-12-04 18:03:14 | モリッシー来日 2023

前回のブログでいきなり結論を書くスタイルだったので、満たされてしまっていました。

12月2日(土)のモリッシーナイトで「ブログ、来日前から後まで全部読みました!ブログの続きはいつですか」と言われて「え~、まだ書くのかな、わたし」と思ったけど、そうだ、前回「その1」にしてしまっていた。そしたら「その2」とかないとおかしいですよね。

そうそう、最近あまりにもたくさんの方にブログを読んでいただいていて、どうもありがとうございます。「ブログ村」にロックブログランキングがあるんですが、音楽ブログって老舗鉄板ブログが多々あってなかなかTOP10入りなんてできないんです。しかもこんな単独アーティストについて書いているブログなんて亜流も亜流。それが初めて6位になりました。自分のために書いているんですけど、「参考になった!」「励まされた!」「エモい!」なんて言われると嬉しいです。モリッシーは続くし、ブログも続くのでよろしくお願いします。

書きたいことは山ほどあるけど、いまだ夢から覚めない感じで、何から書いたらいいか…と思っていたら、フォトグラファーでもあるツネグラム・サム氏が山のように写真を送ってくれました。御礼を言うたび「まだ氷山の一角です!」とおっしゃる、ほんとに写真の山!お優しいサム氏は「なんかあれば自由に使ってください」とのことなので、その素晴らしい写真をご披露しつつ、全曲解説でライブを振り返りたいと思います。1曲目以外は、ツネ君撮影のお写真(TOPも)です!

前回も書いた通り、セトリはこんな感じ。

We Hate It When Our Friends Become Successful
Suedehead
Alma Matters
Our Frank
Stop Me If You Think You've Heard This One Before
Sure Enough, the Telephone Rings
I Wish You Lonely
How Soon Is Now?
Girlfriend in a Coma
Irish Blood, English Heart
Let Me Kiss You
Half a Person
Speedway
The Loop
Please, Please, Please Let Me Get What I Want
Everyday Is Like Sunday
Jack the Ripper
Sweet and Tender Hooligan

全18曲、1曲目からだーっといきます。結局1曲ずついくんかーい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1. We Hate It When Our Friends Become Successful

「コンニチワ!!ユーアーザワンフォーミ―…トウキョウ!!」


と叫んで歌い出すとマイクスタンドゆらしながらマイクコード振りまわす。もうすでに1曲目から人が後ろから左右から押してきて大変。まわりは全員モリッシーと一緒に「あはははあははは」と叫んでいる。元気に1曲目から「友だちが成功したらイヤな気になるよね!!」と3000人全員、とまではいかなくても1000人はそんなネガティブなことを絶叫している凄い空間です。モリッシーの声が本当に、のびやかで美しくてしょっぱなから「これは大変なライブが始まった!」と思いました。

バックドロップには「WHAT WOULD YOU DO IF YOUT AFRAIDT AFRAID?」の文字。拙著『お騒がせモリッシーの人生講座』216ページでも紹介した、元フェイスブックのCOO、シェリル・サンドバーグが著書『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』の中で言っていた有名な言葉です。「もし怖くなんてなかったら、何をする?」という問いかけ。

ここで注目すべきは、「仮定法過去」であること。「実現することが難しい条件」を表しています。ここでは「怖くなんてない」ことが実現が難しい条件です。我々はいつも怖い。試みは、いつもうまくいくとは限らない。失敗、否定、恥辱。あらゆる結果が待ち受ける。それでも怖くなかったら、我々は何をするでしょう?心の中にある「何か恐れる気持ち」を取り除いたら、何をしようと思うか?「そしたら私はモリッシーを観る!あ、今観てた!!」と思って、一瞬でパワーが漲りました。モリッシーは「ララララーララララー」と心から言って「アリガトウ」と言って深々とお辞儀をして終わりました。「ハロウハロウハロウ」と大層ご機嫌なのがわかります。

2. Suedehead

そして仰々しい前奏に続き、「ホワイドゥーユーカムヒア」と歌い始めて「ちょっとちょっと!それはあんただよ!!」と心から思いましたが嬉し過ぎてすでにどうでもいいです。今ここの、目の前にあるものしか信じたくない。理由も理屈もいらない。バックドロップはイギリスのシンガーソングライターで俳優のアンソニー・ニューリーに変わりました。お客さんもみんな「ほわーーあああああーいぃぃ」と歌ってます。そして私は見た。手をズボンですりすり拭いているのを。これはモリッシーが「さて、握手をしよっか」と、手汗を吹いてスタンバる合図なのです。しかも、目の前にいる。「あーーーーーいむそーーーそーりーーー」のところで、ゴム人間ほど手を伸ばしました。幸いモリッシーが右手を拭いていたので、こちらも五十肩じゃない方の右手を伸ばせた。がっちりと握手をしてくれて、その手はさらさらだった。まだ2曲目なのに、私はこの世の中でもとてつもなく嬉しいことベスト1くらいのことをしてしまい、顔がすべて溶けて落っこちるかと覆った。その後モリッシーがうなり声みたいなのあげてコードを振り回しているのを涙目で見ていました。「グッレイグッレイ」と一緒に歌いながら「これは臨死体験か?」と思いました。グッレイグッレイという声は涅槃から響いているのかと思うくらい美しかったです。

曲間でも「モリッシー!!」と言われるとサンキューとお辞儀。とにかくお辞儀。

3. Alma Matters

バックドロップは、作風はパーソナルで告白的、壮絶な人生を送り自ら命を絶った詩人のアン・セクストンに。「so, the choice I have made」と、この歌の歌詞が書いてあるので泣きそうです。「自己責任」という言葉は好きではないけれど、私たちが選んできたchoiceはもう、私たちが選んできた道で、もう進むしかない。モリッシーを好きというのもchoice。この歌を聴くたび、人生にはいろんなことがあるけど、我が選択に一点たりとも後悔ナシ!!と励まされるのです。たまには後悔もクヨクヨもあるけど。でも、一回浄化してくれるのがこのAlma Mattersではないかと。

終わった後Xで、モリッシーの本を2冊一緒に作った編集者のまるおさんがこんなことを言っていて、またこれを歌うモリッシーを思い出して泣きました。

「私の人生はあなたには間違っているかもしれないけど、私はこれでいいと信じている」Alma Mattersの歌詞が好きすぎる。かなりよいように意訳して心の支えにしている。

モリッシーは今回、

It's my life to ruin
My own way

を、

It's my life to DESTROY
My own way

と力強く歌っていました。これが我が人生、己のやり方でぶち壊す。その部分の美しさたるや、まさに破壊の美学。“ruin”は、意味的には、「破滅させる」「崩壊させる」「荒廃させる」「台無しにする」など広い意味での「破壊」を意味しますが、そのものの良いところや望ましいところを損なうこと、つまり意義を壊すことであり、ワンチャン形としては残っている「破壊」です。ピストルズでもおなじみ“destroy”は、修理不能な程度まで壊すこと、つまり完膚なきまでに文字通り「破壊する」「台無しにする」ということ。ぶっこわし加減が物理的に強いように感じます。モリッシーの歌詞変と歌い方にはその破壊力を感じました。「おーーーーいえすっ」の確信の勢いもすごかった。本物の「いえすっ」です。徹底的肯定。

アルマ・マターズに関しては、過去に翻訳しこちらでも書いています。

4. Our Frank

「もちろんもちろん、我々はここに来れてうれしい。いつもいつもいつもここにいれてうれしい。あなたの支えと時間に感謝します」という最モリ等級の御礼の後、Our Frankが始まりました。バック・ドロップは「Frank」にちなんでフランケン・シュタイン。

“Give me a cigarette”と歌うところで観客からタバコが2、3本投げ入れられるのはお約束通り。モリッシーがすかさずタバコを拾い、浅草六区の場外馬券場のおじさんのように耳に挟むまでの流れ、何度もリハーサルしたかのようなスムーズさでした。両耳にタバコ挟みは浅草六区を越えていました!

1991年の32歳のモリッシーが歌うよりずっと良いのはなんなんでしょうね。20歳の私は当時これを聴いて「意味のわかんない歌だな」と思いました。64歳のモリッシーが

Won't somebody stop me
From thinking all the time
About everything
So deeply
So bleakly

そしてsomebody! somebody! somebody! anybody! anybody! anybody! anybody! stop me! stop me!と繰り返し錯乱ぶりにこちらも頭がおかしくなりそうになり、毎回軽くトリップできます。

5. Stop Me If You Think You've Heard This One Before

ここで東京で行ったレコード店話。ベストはディスクユニオンだそう。ユニオンは何店に行ったのかな?と思っていたら、本日某音楽情報通さん(T島さん)インスタによると、一部の目撃情報通りライブ前日の午後にボディガードや通訳を引き連れ、新宿のユニオンレコード、ロックレコードストア、本館インディ・オルタナ(6階まで、あのエレベーターに乗ったの・・・?)などをまわったそうです。しっかりザ・スミスコーナーを確認し、、、ってなんかの監査かw そしてレコードも購入したそうです。T島さんによると、「ユニオンレコードの『The Smiths / Morrissey』コーナーのうしろにジョニー・マーのレコードが移動してあったが、まさかモリッシーの仕業ではないですよね」とのことwww それは多分、事前に知らされた?お店側の忖度ではないかと。

この日最初のスミス曲でお客さんぶちあがり(すでにぶちあがってるけど)。バックドロップはこの曲の時のおなじみ、キッチンでコーヒーを作るスティーブ・マックイーンに変わります。

間奏のギターがスミスより抒情的なアレンジというか、メロウです。自転車で街中を疾走という感じではないけど、来し方をゆっくり巡るような感じ。「Still love you」に力は入る。モリッシーの大振りな手拍子で終わります。

6. Sure Enough, the Telephone Rings

モリッシー曰く「礼儀正しきメッセージ」(てかかなり率直なメッセージ・・・)であるこの曲が、日本でいうところの黒電話のリンリンで始まります。最初の「シュアイナフ!!」という掛け声にゾクゾクします。この曲の歌詞ってどういう意味?と山口くんとあぎおに聞かれたので、ついでに訳をのせておきます。ちょっと被害妄想みもありますが、とにかくこの世は地獄、基本狙われているし悪いことが起こる、はなっから疑ってかかれというモリッシーのいつものメッセージが軽快にぶっぱなされて大好きです。

Sure enough, the telephone rings
案の定、電話が鳴る
Who wants my money now?
俺の金をほしいのはどいつだ?
Otherwise the telephone never would ring
じゃなきゃ鳴りっこない
No, oh, oh, oh
あーやだやだやだ

Sure enough, the telephone rings
案の定、電話が鳴る
Who wants my money now?
俺の金をほしいのはどいつだ?
Ditched and snatched
うっちゃられてかっぱらわれ
And jackrolled out to pasture
全部とられてお払い箱にされる
Oh, oh, oh
あーあ、あーあ

It's only fair
それがフェアってもんだ
You must tell the little kids they live in hell now
お前らは今地獄に住んでるんだと子どもたちに言った方がいい
It's only fair
それが筋ってもんだ
You must tell the little kids they live in hell now
お前らは今地獄に住んでるんだと子どもたちに言った方がいい

Sure enough, the telephone rings
案の定、電話が鳴る
Who wants my money now?
俺の金を欲しいのはどいつだ?
Otherwise the telephone never would ring
じゃなきゃ鳴りっこない
No, oh, oh, oh
あーやだやだやだ

Sure enough, the telephone rings
案の定、電話が鳴る
Who wants my body now?
俺の身体を欲しいのはどいつだ?
Buried, dug up
埋められ、掘り返され
Buried, then dug up again
埋められて、また掘り返される
Oh, no, oh
あーやだやだやだ

It's only fair
それがフェアってもんだ
You must tell the little kids they live in hell now
お前らは今地獄に住んでるんだと子どもたちに言った方がいい
It's only fair
それが筋ってもんだ
You must tell the little kids they live in hell now
お前らは今地獄に住んでるんだと子どもたちに言った方がいい

Please be fair
どうかフェアにいきましょうよ
You must tell the little kids they live in hell now
お前らは今地獄に住んでるんだと子どもたちに言った方がいい
Please be fair
どうか筋を通してくれ
You must tell the little kids they live in hell now
お前らは今地獄に住んでるんだと子どもたちに言った方がいい

バックドロップは電話をするエディー・コクランとイギリスの女優ダイアナ・ドースとブルース・リー。ライブ翌日にKITTE丸の内、旧東京中央郵便局長室にて、“Sure Enough, The Telephone Rings”バックドロップごっこしたけどだいぶ違いました。



長くなったので、分けようかな。あと2回くらい書きます!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする