Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

マイク・ジョイス トーク・セッション&DJイベントレポート

2019-06-11 22:59:47 | The Smiths misc.

6月8日と9日は、新宿Marzで、元ザ・スミスのドラマー、マイク・ジョイスの

トークセッション&DJイベントでした。ご来場いただいた皆様ありがとう

ございました!


マイク・ジョイス、スミスに入る前から解散後までのいろいろをしゃべる

しゃべる、DJでは全曲アゲアゲで踊らせるし自分も踊る、2日目には

お客様の熱いリクエストに応えて、なんとなんと、ドラムプレイまで見せて

くれました!!


しょっぱなあの迫力の“Queen Is Dead”オープニング、DJ中は、自分でかけた

“Barbarism Begins At Home”“How Soon In Now?”“Hand In Glove”に

合せて自分のドラムにかぶせてドラミングするという、多重構造のDJ

新スタイルwww 斬新すぎるし、夢にまで見たスミス生ドラムはすごかった!

お客さん、大盛り上がり!!てか、マイクこそめちゃくちゃ楽しそうでした。

体からリズムがこぼれおちてくるかのようで、ブランクを感じさせなかった~。


トークセッションでは、司会進行を務めさせていただきました。

印象的なトークを、2日間分取り混ぜて抜粋で、ご紹介いたします。


●音楽の目覚め

・10~11歳の頃兄2人や姉2人の影響で、家でかかっていたT-REXやボウイで音楽に目覚める。

・15歳でバズコックスのドラマー、ジョン・マー(当時16歳)を見て自分もドラムをやりたくなる。

・ドラムは独学で学ぶ。お母さんの編み物の針で椅子を叩いて練習。

・ドラムの前は「フルート」を習っていたと書かれているものがあるが実は

普通の小学生が吹いているような「リコーダー」。

・1976年の伝説のピストルズマンチェスター公演は13歳なので行けなかった。やっていたのは

知っていた。当時モリッシーやフッキーなど17歳以上の人はみんな行ってた。

・当時パンクが流行り出した頃。ジョニー・ロットンばりのツンツンヘアにするが、

学校では目立ってしまうので「週末パンク」。


→大家族の末っ子で早熟。モリッシーのように音楽の目覚めが早い!


●スミス以前のバンドキャリア

・マンチェスターのバンドThe Hoaxのメン募を見つけて応募。16歳でオーディション

を受けてメンバーに。まだ10代で、ベルギーツアーなど一緒にまわる。

・17歳の時、北アイルランドからマンチェスターに移住し、近所に住んでいた

The Victimのメンバーと友達に。それで加入する。


→やりたいとおもうとすぐやる課。

 

●スミス加入のきっかけ

・フラットメイトのピート・ホープがスミスのデモテープを気に入り、オーディション

を受けることを勧めてきた。

・オーディションでは“What Difference Does It Make?”と“Handsome Devil”、

そしてThe Cookiesの“I Want A Boy For My Birthday”を演奏した。

“Suffer Little Children”もだったかもしれない!?

・オーディション中は、その後夜にマンチェスターの街中に繰り出すつもりで

マジックマッシュルームを少し食べていた。そんなにクレイジーになるほどは

食べていない。

・オーディション中モリッシーは歌わずにうろうろ徘徊して時々変な感じで

こっちを見てきた。品定めをしていたのか。

・他にオーディションを受けたドラマーはいなかったのではないか。自分は一発合格。

・当時まだヴィクティムにいたが、スミスのオーディションに行ったら今まで聞いたことの

ないバンドなので衝撃を受けて、「バイバイ、ヴィクティム」。


→気に入ると100%気持ちがそっちに行く系。 

 

●スミスの衝撃

・あんな音楽、前に聴いたことがなかった。今まで聴いてきたものとまったく違う。

パンクぽいけどパンクじゃない。ロックみたいだけどロックじゃない。独特のメロディーがある。

・オーディション合格後、すぐにスミスの一員として、一週間に7日、毎日リハーサル。

マネージャーのジョーモスの店「クレイジー・フェイス」で練習した。

・パンクが好きだったし、ホークスもヴィクティムも激しかったので、最初はもっと速く

激しくたたきたかった。しかし、スミスがいいのはすべての曲がすべて違う所。

“Miserable Lie”は激しいし、“Reel Around The Fountain”や“I Don't Owe You Anything”

はゆっくりとしていてソフト。色々な曲を演奏して、色々なスタイルを演奏できるように

なった。

・スミスのドラマーになったことで、ドラマーとしての表現力を身につけ、

成長していったと思う。やらないとクビになるから、成長せざるを得ない。

・スミスの音楽は4人のケミストリーのようなもので完成し、成り立っていた。

・1982年10月4日、マンチェスターのリッツで初ライブ。300人の前で演奏。

スネアドラムが破れたが対バンのドラマーがドラムを貸してくれない。仕方なくスネアドラムを

逆さにして演奏。


→「ザ・スミス」と共に、ドラマーとして成長していった。

 

●モリッシーの衝撃

・モリッシーは普通の人と違った。それまで自分がつきあってきた、仲間のパーティー

アニマルたちとは違う。真面目で物静か。

・4歳上というのは、今だったら何でもないが、18歳と22歳では全然違う。音楽のみならず

文学や映画、イギリス文化を彼から学び、影響を受けた。

・ヴェジタリアンになったのもモリッシーの影響。1985年、“Meat Is Murder”をレコーディングした

その日に食事中、モリッシーから動物たちのひどい扱いについて話しを聞いた。当時猫を2匹

飼っていて、「君の猫が、食用の牛や豚と同じ扱いを受けたらどうする?」と聞かれて嫌だと

思い、ヴェジタリアンになった。モリッシーの言葉にはパワーがある。それ以来30年以上ヴェジタ

リアン。アンディー・ルークは違う。

最近のモリッシーの言動については何も言うことはない。自分が知っているのは

30年以上も前のモリッシー。今の彼とは話しておらず、知らないのに皆自分に

聞いてくる。彼とは今関係ない。

・モリッシーは、自分が知っている限りは「おもしろい人」。ひと言でいうと

「ドライ」(湿り気がない)、そのユーモアセンスはダークで、すぐさまウィットに富んだ

ことが言える。レスポンスの反応がとても速い。

・コメディアンとして成功している、モリッシーファンのラッセル・ブランドでさえ、

モリッシーと初めて話すのは緊張したという。「あなたのショーを見たことがある」

と言ったらすぐさまモリッシーに「アシカでさえショーはやるから」と返されたという。

まったく容赦ない。

・モリッシーはただ物静かな文学青年ではない。スミスメンバーでサッカーをした時、

モリッシーのサッカープレイはとてもアグレッシブで驚いた。


→マイクにとってモリッシーは多大な影響をもたらした「兄貴」。


●スミスのサウンド

・スミスのサウンドは“depressing”(憂鬱)とかいわれるが実際は“funny”(おもしろい)。

“depressing”と思うのは、スミスのメッセージをちゃんと受け取っていない。

“Heaven Knows I'm Miserble Now”でさえよく聴くとおもしろい。

・モリッシーの歌詞は真実であり、個人的なこと。真実を突きつけられると、普通の人はイヤに

なってしまったり憂鬱になってしまうから“depressing”と思うのかもしれない。

・「スミスでどの曲が好きか」と聞かれても「自分の子どもの中でどの子が一番好き?」

と聞かれるのに答えられないのと同じように選べない。毎日変わる。でも、“Hand In Glove”は

最初にレコーディングした曲。特に好きというのはある。

・アルバムだと“Strandeways, Hewe We Come”が一番好き、とすぐ答えられる。

他のアルバムは、もっとビックになりたい、次はもっと良いアルバムを作らなきゃいけないと

いうようなプレッシャーがあった。しかし、“Strangeways, Here We Come”を作る時は

ザ・スミスというバンドとしての自信が確立されていた。プレッシャーから解き放たれ、

スタジオに入ったらすぐ、川が流れるように完成した。

・曲によって違うが、モリッシーが歌詞、ジョニーがギターでデモを作って、ドラムとベースは

好きにつけていいスタイル。

・“Barbalism Begins At Home”のリズムソロは長いが、あれはジョニーがギターを置いて

しまったのでアンディーとふたりで自然にリズムラインを作った。スミスの中でも特殊なリズム

になった。(あのリズムに合わせてモリッシーとマーが踊っているのが見られたが)自分も

ドラムを叩きながら踊っている。

・スミスの曲には色々なリズムが採り入れられている。“Girlfriend In A Coma”ではレゲエ、

“What She Said”はアグレッシブだし、“That Joke Isn't Funny Anymore”はバラード。

・“Panic”“Sheila Take A Bow”はグラムスタイルでT-Rexみたい。あれは自分のアイディア。

・アレンジが一番難しかった曲は“Shakespeare's Sister”。短いし、簡単にできるが

ロカビリー調にしたかった。ハイハットが速くて難しかった。

・“The Queen Is Dead”のマーチ風なドラムも自分のアイディア。ジョニーのリフに合わせて

いたら自然とああなった。

・ジョニー・マー脱退後、元イースターハウスのギタリスト、アイヴァー・ペリーと

スタジオに入ったがうまくいかなかった。ジョニー・マーがあまりにもうますぎたから。他の

ギタリストではダメだった。彼の名前は忘れてしまっていたが(お客さんに教えてもらう)、

いい奴だった。

・クレイグ・ギャノンの性格は好き。今も友達。15、16歳でアズテック・カメラとアメリカ・

ツアーをまわったすごい才能の持ち主。あのジョニー・マーと同じステージでギターも弾ける

のだからそれも凄いと思う。

 

→「唯一無二」のスミスサウンドの肝でもあるドラムリズムはマイクがクリエイト。


●スミスの影響

・何度も繰り返しているが、モリッシーとジョニーは他と違うスペシャルな人。

オーディションの最初から、「このバンドはすごいことになる」と思った。

・スミスで自分は「バンド」としてやりたいことをすべてやった。スミスは自分が

欲しかったものをすべてくれた。

・正直、その後のキャリアには影響があった。スミス解散後、シニード・オコナー、

ジュリアン・コープ、PIL、バスコックス…と本当にすごい人とばかり活動をしたが

スミスの凄さから抜け出すことはできなかった。

・バズコックスのドラマー、ジョン・マーは自分がドラムを始めたきっかけ。10代の

憧れのアイドル。家をつきとめたり、ストーカーまがいのことをするほど好きだった。

そんな彼の代わりにドラムを叩くなんて(1990~91年)まったく考えられない。スミス

を通らなくては誘われなかった。

・PILもそう。15~16歳の頃、髪をツンツンに立てて、ピストルズに合わせてクラブで

踊っていた。そんなピストルズをやっていたジョン・ライドンと同じステージに立って

いるなんて(1992年)信じられなかった。それを自分にもたらしたのもスミスだ。


→スミスにいたお陰であらゆる夢を叶えてきた。それで満足。


●現在の活動

・今はドラマーとしてバンドに参加する気はない。30年間プロミュージシャンをやって

きて、色々なバンドにも参加して満足してしまった。

・現在はプレイヤーというよりリスナーで、DJ活動に専念。何かをやるとしたら100%

専念するタイプ。今は週に1回のラジオ番組(Mike Joyce on XS Manchester)のDJで忙しい。

全曲を自分でチョイスするスタイルはイギリスのラジオ番組では珍しい。準備に3日くらいかけている。

注目バンド、新しいバンドはラジオを聴いて見つけたり、チャートやNMEなどの雑誌で

見つける。音楽を聴いてエアドラミングをするのが好き。

・昨年キャンセルになった「クラシカリー・スミス」は、クレイグ・ギャノンとやりたかっ

た企画。72人のオーケストラで、スミスを聴いたことのない層に向けて演奏してみたかった。

しかし、ニューヨークとイギリス側のマネージメントで誤解があり頓挫した。それはのっぴき

ならない理由だったが、悪者は自分のようにされていやだった。

・マンチェスターの人はコミュニケーション好きでしゃべるのが好き。自分の考えを伝えたい

タイプなので、続々とミュージシャンやバンドが出てくることにつながっているのかもしれない。

・現在のマンチェスター出身のアーティストやバンドでおすすめは、Liam Frost。「どんな感じ」

と一言でジャンル分けできない、“interesting”なところがとても良い。シングル“Pomona”は

すばらしい。

Liam Frost - Pomona (Audio)

・あとBlossomsもいい。何年か前に見て、絶対大きくなると思ったら本当に大きくなってきた。

Blossoms - Honey Sweet (Official Video)

・若いバンドのプロデュースをする予定はないが、頼まれたらイヤとは言えない。ただやったら

夢中になりすぎて自分がドラムを叩きそうだ。

・スミスで共演した女性アーティストの印象:

サンディー・ショウ…“Hand In Glove” を一緒にやったのは名誉だった。彼女は英国を代表する

女性歌手。共演した時、彼女が歌っているのにガラス越しに見とれて、まったくドラムを見ないで叩いた。

カースティー・マッコール…2、3度会っただけだが静かで優しい人。美しい声なのに自分が歌うことに

自信がなく緊張していた。この性格なのでグイグイいくのでひいていた。

・卒業旅行でマンチェスター:

オススメのミュージック・ヴェニューはThe Deaf Institute。また、スミスが最初にライブを行った

The O2 Ritzなどもまだあるので行ってみるといい。


→マイクの現在の本業はラジオDJ、リアルタイムの音楽に詳しい。

(そして家庭菜園で野菜を育てるのに夢中)

 

…以上、サマリーでしたが、トークセッションレポートでした!とても話し好きで楽しいパリピな

マイク・ジョイスでした。日本のオーディエンスにとても喜んでくれて、よかったです。

手を伸ばすお客様ひとりひとりと握手をして、丁寧にお話しや写真撮影もしていました。

東京最高!と何度も言っていたマイク。マイクにとってもファンにとっても「ザ・スミス」

はかけがえがなく、影響は大きく、終わってもなお「生きている」と思えた2日間でした!