Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー ギリシャメディアに答えた最新インタビュー翻訳 4

2014-11-25 23:47:20 | Morrissey Interview

モリッシー、21日のクラクフ以降のドイツでの日程はなんとか順調に進めて

いるようで…何よりです。このベルリンのライブでの写真とか、天使かと思い

ました、ベルリンなだけに。

from B.Z. Berlin

If you cannnot stand this fake world

Take my hand... という“Art-Hounds”の歌詞が頭の中をぐるぐるまわります♪

さて、ギリシャメディアのインタビュー翻訳、今回で一気に最後まで訳して

しまおうと思います。

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2、3年前のインタビューで言っていましたが、「家庭」とか「落ち着く」といった考えは、

いまだにあなたにとって不可解なことでしょうか?


家庭を持つとか、腰を落ち着けるなんていうことからは、私はかけ離れてるね。

2007年からずっとホームレス、それに携帯なんて持ったこともないよ。


あなたはステージに上がると、モッシュピットで踊っている20歳のインディーキッズか、

もしくは席に座ったまま手の平で足を叩いて拍子をとっている(かつて20年前に20歳の

インディーキッズだった)中年ファンと、どちらに自然に感情移入することが多いですか?


それは、少なくとも私にとってはどうでもいい。私の歌を聞きたい、と思ってくれる人と

心がつながるんだ。


偉大なる作家ハワード・ジェイコブソン(イギリス人作家)が最近、作家とは生まれつき

死ぬまで、不幸で、満たされず、人と一緒に生きることが難しいまま変わらないと言って

いました。(多くの人々が彼らの人生のために主要な人物だと思っている)歌手やソング

ライターが作家になった場合はどうでしょう?


ジェイコブソンは人間一般のことを要約していると思う。私はただのひとりも、今際の際

で喜んで死んでいく人を知らない。私たちは、とても疲れ果てている時にのみ、自分たちの

人生がどうだったかをじっくり振り返る定めなのは、不幸だね。しかしそれこそが、人間の

人生なんだ。原っぱでサッカーをしていて、空は晴れていて、大勢の親友も一緒で、君は

まさにゴールを決めようとしている、そんな時にいきなり立ち止まって、うーん、この身の

不幸とクビになることに関して、僕はどんな気持ちだろうかなんて自分に問いかけたりする

かい?君が果物を売ろうが、人気作家だろうが、たいしたことじゃない。でも重要なのは、

果物売りがその身が幸福かどうかの判断は自分自身の中にとどめておくのに対して、作

家は己の幸不幸を見極め、その判断について書く。


作家とは自己の内面に深く沈み、同じような本ばかり書いていると言われます。それは誰

でも、自分の心の中に独自の強迫観念を持っているからではないでしょうか。あなたの文学

者としてもキャリアは、世界中のニュースの見出しを飾ったあの自伝執筆によって始ま

りました。今、あなたは新しい本の出版を準備しています。自分自身から「脱皮」し、無から

新しいキャラクターを創り上げることは難しいと思いますか?


そんなに難しいと思わない。なぜならペンを走らせるのは私の手で、キーボードを叩くのは私

の指だ。何であれ君が知っていることか、想像したことから、力を引き出しさえすればいい。

だからもし君が脱皮すれば、すべてを解き放ち、きっと書くことに理由なんていらないと思うよう

なるだろう。

 

すべての真なる創造力は、創造的であり続けるために、いわゆる無知の感覚を持ち続け、

新しい芸術作品を作るためには、経験によって培われたお気楽さに頼らないようにしなくては

いけないという考えには賛成ですか?


私はお気楽三昧な境地を感じたことがないんだ、だから知りようがないね!人生のすべての

ものにおいて、ユーモア心というものは助けになる。君が自分自身だけで成り立っていると思う

のを超えないと。君が言ったような、創造的であり続けることを自分で決めるなんてことは、あり

得ない。なぜならそれって君が偉大なオペラ歌手になろうとか、シェイクスピア劇の役者になりた

いとか手当たり次第に望んだら願いが叶う、ということになるけどね。芸術家の多くは自分たちが

生まれつき、これが自分たちの有り様だというのを見つけたから、芸術家なんだ。それは決心した

からなれたとか、そういう類のものじゃないよ。自分はこんな風だ、これが自分だというのをただ

見つけるんだ、勝とうが負けようが。


ギリシャのファン(実は私の友人なのですが)がアテネのステージに投げたドッグタグ(米軍認識

票)はまだあなたの車の中にありますか?


ああ、ウィーンとパドヴァのステージで今週身に着けた。すべての悲しみを取り除くという言われ

のある丸いメキシコのオブジェと一緒にね。それは私の身から代金300ドルを取り除いた…けど

それだけだった。

 

その資格がないという訳ではないですが、意外なことにあなたは「猫好き人」です。猫はわがままで

感情がなく、環境破壊的な生き物だという結果を引き出した調査がありますが担当した人々に、何

と言いますか?


でもその結果って、完璧な人間に関する描写じゃないか、同じことが猫に当てはまるって、どうして

こんな結果になったんだろう?原子力発電所を建てる猫なんて見たことないけど…イラクやアフガニ

スタンに爆弾を落とす猫も…猫は老人から強盗しないし…エボラ熱のウイルスをまき散らさない…

猫はしない…うーん、もちろんまだまだ続けられるよ。破壊、殺人、人間の犠牲、虐殺、極端さの上

で繁栄しているのは人間じゃないか。動物たちはけがれがなく、子どものようだ。人間のなすが

ままに…細切れにされ食べられてしまう。私の意見は変わらない、こういうことだ、以上。


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ふ~っ。最後はやはり、猫様礼賛、人間ディスりでしたね。

恐ろしいまでの一貫性、でも


自分はこんな風だ、これが自分だ、

というのをただ見つけるんだ、

勝とうが負けようが。


…という芸術家定義に、モリッシーの力強い覚悟を感じました。「もう戻れない。戻らないし」

というモリッシーに、ついていきますどこまでも、という思いを新たにしました。

しかし、最近ライブでつけている丸いオブジェのネックレス、なんだろうと思っていましたが

「霊感商法」的に300ドルでぼられ(?)たものだったとは…。

昔よく少年マンガ誌でみた「身に着けるだけでモテモテリング」みたいな…(笑)

「悲しみを取り除くまじない」はジワジワ効いてくるかもしれないので、もう少し身に着けて

みてはどうかな…。


「300ドル…。(痛)」


今回でこの記事の翻訳は全部終わりです。

また何か興味深い記事があったらご紹介します!


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モリッシー ギリシャメディアに答えた最新インタビュー翻訳 3

2014-11-21 22:07:21 | Morrissey Interview

モリッシー、19日のポーランドワルシャワのライブでは観客の野次?により、

6曲演奏した後ライブをやめてしまったそうで…

どんな事情があったのか知ったこっちゃいないけど、ほんとにやっとやっと

ツアー再開して調子を取り戻してきたのに、その野次の人やめて~!!

といった感じですね、はい。

…本日21日のクラクフでは何事もなく、ライブが行われることを切に祈ります。


そんな訳で、ライブ安全祈願しつつ、翻訳を先に進めます!

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8月に35歳になりました。感傷的な響きがするのは嫌だし、実際の自分はもっと若い

気でいます。私は楽観的と言えるし、時代遅れな方でもないと思うのですが、にも関わら

ず、今の時代のものより、もっと前の世代の文化(レコードから書物、絵画まで)を探し求

めることに、より興味があると感じています。ポップ・カルチャーにおける「懐古趣味色」

(20周年、40周年、70周年記念などいろいろ)の大きな波にはあらがえないと認めざる

を得ません。あなたは未来というものを楽しみに感じますか、それとも、少なくともカルチ

ャーの分野においては、過去に生きることを好みますか?


私は未来について考えることができないし、今までできた試しもない。しかし、1845年と

いう時代に生きているわけではない。もちろん、腕時計は持っているしね。過去とはとても

大きな場所だ。音楽にしろ、絵画にしろ、詩にしろ、たくさんの発見がある。しかし、現在の

マスコミは今はやりの人物しか取り上げないから、自分自身で掘り当てなくてはならないんだ。

例えば、1940年代、50年代、60年代に大きな成功を収めた俳優の死は、ほとんどのメディア

で報じられないだろう。その一方、今年の石鹸のコマーシャルに出てた誰かが死んだら、数々の

ニュースの見出しを占めるだろう。エズラ・パウンド(20世紀初頭に活躍したアメリカ人の詩人)

が『GQ』表紙を飾ることは決してない、それは憂うべきことだと思う。アン・セクストン(20世紀

半ばに活躍したアメリカ人の詩人)の名前は日中のラジオ番組で話題に上ることはない、それも

また、我々の損失だ。ガートルード・スタイン(19世紀初頭に活躍したアメリカ人の著作家。美術

収集家「スタイン兄妹」の妹として有名)はその風貌はファッションの革命であったにも関わらず、

『ヴォーグ』の表紙を飾ることはなかろう。現代の印刷媒体の内容はあいにく、いっつもいっつも

同じだ。私は、『ヴォーグ』のこの先10号分の表紙がどんなものになるか、今すぐに君に教えら

れるだろうよ。


現在私たちは、世界中で起こっていることを何でも、瞬時にわかることができるようになりました。

これは我々のまわりで何が起きているかに関して、不正に気づく機会を広げたのか、もしくは

単に私たちが住む世界の本質を暴くことになったのか、どうでしょう。


うーん、どんなに多くの災難や苦難が公に知らされずに過去に起こっていたのか、我々はついに

知ることができるようになった。政府が悪い行いをやり逃げしてきていたことを、ついに理解でき

るようになった。今まで政府は常にテレビの報道には規制をかけてきたので知り得なかったのだ。

しかし、もう何が起きているかを知るのに、テレビのニュースにを頼る必要はない。自分たち自身

で見ることも記録することもできるのだ。世界中のソーシャルメディアを利用した暴動は、これは

私の意見だが、素晴らしくて新たな冒険だ。暴動の実行に、インターネットやiphoneなどをリアル

タイムに利用した。BBCもCNNもFOXニュースももはや、プロパガンダの垂れ流し逃げはできない。

シリアやウクライナの人々は、CNNが世間の人々が何を知るべきか、知るべきでないか決定を下す

何日も前に、その場で瞬時に出来事を撮影できるからだ。世界を貫く不幸と憎しみは元々あったもので、

まったく新しいものではない。しかしついに我々は、政府の介入なしに自分たち自身で出来事を目の当

たりにすることができるようになった、それこそが新しいことなんだ。インターネットは、それもたらした安心

がどんなものであれ、もう責任逃れできなくなった政治的なリーダーにとっては禍でもあるが。私はソーシ

ャルメディア利用の暴動に興奮するが、例えばイスラム国のような宗教的な闘争には何も気持ちをかき立

てられない。そのふたつはまったく違う。


『ワールド・ピース・イズ・ノン・オブ・ユア・ビジネス』(同タイトルの曲として、というよりむしろアルバム全体

として)の収録曲には、いくつか政治的な歌詞も含まれていますね。ここ、ギリシャでは、ご存じだと思います

が、1973年のギリシャ軍事政権崩壊後の史上、最悪の5年間となりました。最近の世論では、左翼の

野党支持右翼政権支持を上回りました。これは、ギリシャがこの数カ月の間に初の左翼政権国家に

なるであろうということで、我が国の国民に希望を与えています。問題は全部そのままなのに、政党をとっ

かえればいいというのは全くくだらないと思うのですが(「投票するたび、君はこの成り行きを支持している」

と、新譜のタイトル曲で歌っていましたね)。


私はイギリスの左翼、右翼のことしか語れないが、政府というのは常に同じ権力、同じ銀行、同じコングロマ

リット(複合企業)、そして更に悪いことにはいわゆる王室を恐れているので、どこであろうとそんなに変わりは

ないね。我々は皆、人々の言うことを聞いてくれるリーダーが必要だが、そんなリーダーは決して現れない。

それだから、この世界は不幸な場所なのだ。トニー・ブレアーのような悪い政治家は、歴史的に見てもやっか

いな終わり方をするものだろう。しかし奴らはオフィスを出る時に、自分たちがどんなに不人気なのか確認し、

奴らが裏切っている国民の皆様がそれでも、ブレアーとその家族が死ぬまで享受する贅沢ライフのために金を

払い続けることを確認している。それだからこそ、政治家生活は本質的に、背徳行為に夢中になっている人々、

恥知らず、他の人々の人生を気にもかけない奴らだけを魅了するものだ。選挙システムは幻想に過ぎない。

選挙のプロセスは民主的に見えるかもしれないが、一度誰かが選ばれてしまえば、民主主義には忠実では

なくなるし、もし国民が政府に反対すれば、デモ参加者、過激論者、反逆者、煽動者と呼ばれる。決して「国民」

とは表現されない。

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今回は政治に関するくだりもあり、ますます言いたいことをいいまくりの「過激論者」であり、舌がまわる

まわるといった感じでしたね。こんな反逆者なの同じくギリシャの『Vimagazino』誌のインタビューでは、

「チャールズ皇太子から手紙を1通、それにバッキンガム宮殿への招待状を3通受け取った」と明かし

ていたそう。こっちもこっちだが王室も(痛烈批判を知らないわけもないだろうに)すごいですね。。。


この長いインタビュー翻訳、次回で最終回の予定~。


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モリッシー ギリシャメディアに答えた最新インタビュー翻訳 2

2014-11-19 00:51:03 | Morrissey Interview

昨日は、「マーキュリー賞獲得者はふとん売り」…という表現を目にして、

ふとんがふっとんだ、かと思うくらいびっくりして先に進めなかったのでw

今日はとり急ぎ続きを進めます。

 

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今までのところ、ロックンロールの美しさと老い知らずのパワーは、どこに

あるという結論に至っていますか?私自身は、ジャイルス・スミス(イギリス人

のジャーナリスト)が、彼の素晴らしい著書『ロスト・イン・ミュージック』で

ロックンロールを「目的なき混乱」と語っていますがどうもそんな気がしています。

私はまさに、そんな目的のなさこそが、原動力になるんだと思うんですよ。

 

もっとずっと単純なことだ。私たちはこの世のものとは思えないような音楽に出会い

まさに恋に落ちる。それはジョニ・ミッチェルであるかも知れないし、ベイ・シティー・

ローラーズであるかも知れない…なんでもいい。私たちはその声により、曲により、

音により、言葉により、顔により、瞬間により、口では説明できないほどの感動を受ける…

そしてその感動は、死ぬ最期の時まで続く。好きだった、ある歌や歌手を聞かなくなる

ことはあるだろう、しかしまたしばらくすると再び聞き出す。だから、まったく、音楽との

つきあいに目的のなさなどないし、混乱でもありやしない。それに、本当にたくさんの

たくさんの人間にとって、音楽とは唯一の友だちだ。さらに大切なことは、音楽とは自分が

何者なのかを教えてくれる。もちろん、我々だって自分が誰かくらいわかる、しかし

音楽は常に、己が何者であるか、確信を持つことを助けてくれるんだ。

 

本当はどのような人物であるかを(過去にあなたが数々のインタビューで語ってきたように)、

誰も理解していないというあなたが感じている疎外感は、年々ひどくなってきていますか?

それとも、実際にはあなたはその疎外感を好んでいるのでしょうか?もしすべての人々が

あなたという人間の暗号を解いてしまったら、人生はもっとつまらなくなってしまうと思い

ませんか?

 

もし、ベトナムの漁師に、彼らの抱えている問題が何であるか聞いたら、彼らは同じことを

言うと思うんだ。我々は皆、自分自身の「ために」、自身から距離を保っている。さもなければ

自分のことが頭から離れなくて精神に異常をきたしてしまう。スポットライトに目がくらみ、

度が過ぎて、すべて台無しにしてしまっている、誰か有名人を見てみるがいい。奴らは狂ってる。

もはや、誰でもなくなってしまっている。歴史的にはエンターテイナメントの世界では、マリリン・モンロー、

もしくはジュリー・ガーランドを良く見ればわかる、しかしあまりにも多くの例があり、そして昨今では

「オレオレソーシャル・メディア」のせいで、さらに多くの人間がそうなってしまった。

皆、自分が魅力的で、注目に値する「ノンストップかまってちゃん」であっていいと思っている。

私は、歌を作り、歌い、それで十分じゃないか?と思う。君んちにいきなりお宅訪問して、スパ

ゲッティ—を作る必要があるようには思えない。わざと、注目の的になろうとしている人間…

例えばベッカム一家のような…彼らは私には一番最低の死にもの狂い人間に思える。

空虚だ、何でもっても埋めることができない。たいてい奴らは、自らを満たすことはできないんだ。

 

ポップミュージックのレコードとは、最初の数回聞いた時は最もエキサイティングで、徐々にその

味わいを失っていくものだと思いますか?それとも最初のきらめきをいつでも取り戻せるものだと

思いますか?他の人の作ったポップミュージックのレコードとは区別して、あなた自身の作る

アルバムと、半年後、または2年後、もしくはそれ以上もの間どのような関係を保っていますか?


そのレコードが価値があるかどうかは、時が教えてくれるものだよね?たくさんのアーティストが

何万枚ものレコードを売っているが、どんなものでも長く続く価値は持っていない。いちリスナーとして

ある、感情に訴えてくるクオリティーの作品にものに出会ったとしたら、そのクオリティー…もしくは

その作品の記憶…は、決して君からなくならない。なぜなら、人生における真の詩的な瞬間は

そんなにしょっちゅうあることじゃない。音楽の成り立ちについて、まったく理解する必要などない。

君の心が、今聞いているものはすばらしいと教えてくれているからだ。私の音楽は、明らかに

とても個人的な独自性と批判力を持っているが、それは必ずしも他の人間が作った音楽を

とやかく言うためではない。

私は毎年毎年経るごとに、自分の音楽をますます楽しんできているので、とても幸運だ。

古い作品より新しい作品を好んでいる。多くのアーティストが、初期の数作品のクオリティーを

追い求めることで一生を終えているのだから珍しいことだ。

 

最新作が発表されて、私は小さなアルバム評を書きました。ポイントのひとつとして書いたのは、

30年以上もの音楽業界経験の後あなたはついに、私のようなあなたのファンとあなたとの関係を

強く示唆するようなアルバムワークを施したレコードをリリースしたと。あなたのファンは、あなたに

ついて話し合い、分析しようとし、「秘密の意味」などをあなたの言葉すべてから見つけようとします。

あなたはアルバムジャケットで、あなたにとって忠実な誰かの前でペンを握っています—それは犬、ファン、

何であっても同じです。私はこのアルバムジャケットについて分析するあまり、完全に狂っていますか?

 

君が気が狂ってしまっていても別に悪くないよ…むしろほっとするかも!うーん、しかし、これは重要

なことだね、君の方向性が完全に間違ってるにいるようだと気づく一方、それを評価するのはね。

ライターが常識にとらわれた確信や憤りを伴って音楽を評価する時…あー、そんな時こそ批評精神

ていうのが醜くて役立たずになってしまうんだな。いちリスナーとして君は、ある歌、もしくはアルバム

にはふたつの真実があるようだと、認めておかなくてはいけない。ひとつ目の真実とは、音楽の外側

にある、君自身による意向だ。そしてもうひとつは、その作品のレコーディングを行った人しか強く言い

表すことができない、その作品の内に流れている意図のことだ。

 

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ううう・・・モリッシーの言うことって、本当に一貫していますね。。。

「自分語録~オレオレメモ」でもとっているのでしょうか?ゆうてたことと

違う!というのが何十年もない気がします。

 

音楽は常に、己が何者であるか、確信を持つことを助けてくれる

 

「君をほほえませてくれた歌を忘れないで」というザ・スミス“Rubber ring”の歌詞を思い出して

ジーンときたり…

 

モリッシーを好き過ぎるあまりに「勝手に先読み情報局」化し「狂っていますか狂っていますか

狂っていますか」とつめよってくるインタビュアーをいなしたり、

(「新譜の犬は、モリッシーファンの象徴である」的解釈にドン引き…w でも「ああ、同病者乙…」

とも思いました) おなじみベッカム一家ディスもおもしろいです。

 

音楽激ラブおじさん元気なので、まだまだ続く… 


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モリッシー ギリシャメディアに答えた最新インタビュー翻訳 1

2014-11-18 01:20:04 | Morrissey Interview

フランス・スイスでの公演延期・キャンセルはあったものの、11月5日のドイツでの

公演で復活し、10月からのヨーロッパツアーを着々とこなしているモリッシー。

11月16日に、ギリシャのオンラインマガジンPOPAGANDAのチーフ・エディター

Theodosis Michos氏のインタビューに答えました。

このインタビューがすごくいい!!

おざなりの音楽談義や野次馬モリワイド的な質問ではなく、モリッシーが何を

考えているのか(って、恐ろしい一貫性しかないけれど…)、深く聞いています。

「へぇ~そうなのか」という部分も多くおもしろいので、訳してみました。何回かに分けて

紹介します。

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(from POPAGANDA)


ここ数年のあなた自身のことを、どう思っていますか?何で占められていました?

音楽?それとも不幸?


もし詩的な人間で、詩を書いているなら、嘆き悲しむってことは自然なことだよ。今までの

名の知れた詩人は皆そうやってきた。不幸というのは、重要なことだ。それが人間の条件だからだ。

私や君が生まれる前から不幸というものはあったんだ。そして不幸とは、冷血な現実を受け容れる

ことに過ぎない。もちろん、そんな不幸には見舞われませんようにと願って、人々は逃れようとする。

でも必ずつかまるんだ。

 

有名で尊敬すべきギリシャ人の映画監督が、人間は(意識的に、もしくは無意識的に)自分を元気づける

嘘をでっち上げなくては人生には耐えられないと言っていたことがありました。

あなたも同感ですか?もしそうだとしたらあなたの嘘はどんなものでしたか?


いや、同意しないね。私たち誰でも自分たち自身に関する嫌なことはある。でもそれがないかのようなふりを

することは、嘘ではない。私たちはいかに痛みに無感覚になるかを学んでいるんだと思う。我々が他者に望むことは、

我々がどんな風に受け容れてもらいたいかをわかってくれて、その方法で受け容れてもらいたい、ということに尽きる。

そんな訳で、人は酒でへべれけになった時にこそ、本当の真実というものを激しく露呈してくるんだ。


前回何年か前に話した時、あなたの人生で最も正気の沙汰ではなかったことは、努力して達成したあなたの

その成功の恩恵に、決して浴していないことだと言っていました。成功にひたらないことは間違いだと、自分を楽しま

せるべきだと、あなたは思っていたのにもかかわらず。あなたはいつもそんな風なのでしょうか?「恩恵にひたらない

体質」はあなたという人間にとって完全に本能的な生き方なのでしょうか?最近もまったく変化していないのでしょうか?


ろくすっぽ音楽を作っていないのにもかかわらず、自分にうぬぼれている奴らに山ほど会う。まったく魅力的じゃないと思う。

どんなバンドでも歌手でも、過大評価されて、自分たちもその称賛を受け容れているとなると、すぐさま嫌いになる。

現代の音楽業界の賞レースのシステムには耐えられない。イギリスでは、マーキュリー賞とは死刑執行令状

のことだ。この賞をもらった奴はたいてい誰でも、半年後には結局ふとん売りになって終わっている。


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…ふとん売りwww

マーキュリー賞の歴代受賞者と言えば、「プライマル・スクリーム」「スウェード」「パルプ」「PJハーヴェイ」…

あの~誰もマットレスを売ったりはしていないと思うのですが。

極論真実おじさんのインタビュー翻訳はまだまだ続きます。


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