金曜日の夜、映画を見た。
なんとも風情のある階段を上り、受付へ。
映画館。まさしく映画館。下世話とアカデミックが交錯する場所。そう、このたたずまいこそが
映画を見る場所にふさわしい。

ジャズピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリー。
図書館で、たまたま手にしたCDで知ったのは、今年の春。
何も知らずに聴いて、その独自な世界感、不思議な明瞭で爽快な音色に打たれた。
ネットで調べておどろいた。先天性の病気で、骨が成長せず、成人してからも身長は1m。
ピアノ椅子へは、抱きかかえられて上がり、もろい骨が演奏中に折れることもあったという。
しかし、CDからでも、その人並み外れた強いタッチは聞いてとれた。
どんな人生であったのかと興味津々であった。
そして、そんな何気ない偶然の出会いから半年で、こんな映画が出来ようとは。
なんともご都合の良過ぎるハナシに正直、驚いている。生誕50年記念だそうだ。
さて、映画は、かつて交流のあった人々の証言と、ミシェルのインタビュー、演奏シーンで
構成されている。
生まれた時に、20歳までは生きられないと宣告されながら、36年の生涯をピアニストとして全うした。
生きることを楽しみつくした人だ。人生が、焼き魚だとすると、骨まで食べて、何回もおかわりしたような。
ドキュメンタリーの3分の1は、音楽の話、もう3分の1は、演奏シーン、そして残りの3分の1は、女の話。
いかに女好きかが良くわかる。そして、女だけでなく全ての人に愛された。
何人もの女と付き合い、子供もいる。オフステージでは、いつも仲間に囲まれて、笑いの中心にいる。
カメラの前で恋人とじゃれあいながら「セックスしようぜ」、スケベな下ネタジョークもお手の物。
お父さんは、ギタリストで、長くは生きられないであろう息子に勉強はさせなかったのだそうだ。
学校へは行かせず、通信教育だったが、カセットテープは、聞かせることなく、音楽を録音したのだそう。
「通信教育はすばらしいな、いくらでも音楽が録音できる。」
ピアノの超絶技巧に関しての解説では、常人の10倍の速さで手首が動くと言っていた。これが、
誇張でないのは、映像を見れば一目瞭然。このシーンだけでも、この映画を見る価値はあると断言する。
クラシックのピアニストも舌を巻くのだそうだ。
人生と同じように、ピアノも、骨までしゃぶりつくしたのであろう。ピアノに口があったなら
「もうこのあたりが限界です。」と言うだろう。
ミシェル・ペトルチアーニが、もっと人生は、楽しめるぞと教えてくれた。