快風丸

俺の船に乗らないか。

公平、公正、平等、自由

2018-05-13 23:17:19 | Weblog

愛知県大会には、16校がシード。

一回戦を免除される。

はたして、このシードという制度が、学生スポーツにいかなる意味を持つのかと思う。

例えば、昨日、延長戦ののち、PKで勝ち進んだチームは、今日の第2戦までのインターバルは

20時間。

対して、対戦相手は、シードで、体力的にフレッシュ。

これで、果たして、フェアな戦いだろうか。

 

プロスポーツなら、興行的な理由で、実力と人気のあるチームが残らなくてはならないと理解する。

しかし、高校スポーツは違う。

強いチームを優遇しようというのは、”勝利至上主義”に基づいてはいないだろうか。

先日、授業参観に行って、英語の授業を見ながら感じたのは、変わらない学校だった。

それは、暗く、重く、まったくもって、学校の都合で抑制された生徒の姿だった。

 

高校生は、当たり前だが、初めての高校生活であり、初めての高校3年生である。

受け入れざるを得ない現実以上の何かを感じることは物理的に不可能である。

アインシュタインの相対理論をもってしてもくつがえせない厳しい現実である。

 

そのような弱き存在の学生たちに大人たちが与えることができる少ないギフトがある。

それは、社会の在り方。

公平、公正、平等である。

当事者である若者がこれを実現しようとすれば、それは闘争になる。

無意味で無味で乾燥した世代を分裂する闘争になる。

 

公平、平等というのは、勝ち取るものではなくて、大人から子供へ引き継ぐべきものだと思う。


性悪

2018-05-13 22:24:34 | Weblog

 高校サッカーを見に行った。

3年生の息子は応援。

応援というのは、実は非常に重要な役割で、勝敗を左右するほどの意味を持っている。

だからこそ、Jリーグにサポーターが、ジャニーズにはファンクラブがある。

 

小学生のころ、野球少年だった。

田んぼの稲刈り跡、切り株の残るぬかるみで、ルールもあやふやなまま、投げて打って走った。

昭和の田舎には他に遊びの選択肢はなかった。

舞台は、学校のグラウンドに移り、ズックはスパイクに、ポリエステルのTシャツと短パンは

巨人軍のユニフォームにかわった。

野球といえば、野次だった。

「ピッチャーびびってるよ。」

「ボールにハエが止まってるよ」

昭和の田舎は、大人も子供も粗野だった。

相手が三振したら

「ママに慰めてもらえよ」

とにかく、いかに口汚くののしって、威嚇して、あわよくば、戦意喪失させようという

まるでどこかの国のプロパガンダのような、それが応援だと思っていた。

 

高校はテニス部に入った。

コーチは、一年生のベンチウォーマーに対して、応援で勝たせろと鼓舞した。

声の限り叫んだ。

さすがに、小学生みたいに汚いことは言わない。

相手がミスをすると、声の限り「ラッキー」と叫んだ。

何度も叫んで、威嚇し、相手が意気消沈せよ、と願った。

足がスベれ、ミスしろ、ケガしろと願った。

 

今日の高校サッカーの応援は、そうではなかった。

歌を歌い、仲間を鼓舞し、相手を敬う。

これがこそスポーツの本質だ。

フィールドでプレイしていると、どの競技であれ、そこは異常な世界で、興奮状態で、混沌であり、

自己喪失まで追い込まれているのが常だ。

しかし、そこで、ふと、仲間の声が聞こえる。

頑張れという声が、落ち着けという声が、ナイスという声が、ドンマイ、切り替えろ。

それが具体的に、何かの行動に結びついたり、ましては結果にはたどり着くまい。

しかし、声の限り叫んだ声が、気持を込めた歌が、喧騒の中でも不思議なほど選手には届く。

プレイヤーは、ハッとする。

味方の声で安心し、平常心を取り戻す。

リラックスして、本来のパフォーマンスを発揮する。

知っている声というものは、意外なほど、興奮していても、喧騒の中でも、遠くのプレイヤーにも届く。

その安心感こそが、集中力を高める。

 

これこそが、応援の効果であり、応援で勝たせるということの本来の意味だと思った。

サッカーという競技は本当に面白い。

勝利の行方を見通すことが難しいというところが面白い。

今日で一つの区切りがついたが、この単純でありながら、奥深いゲームに心をあずけようと思う。

 


あるもので作る

2018-05-04 20:34:36 | Weblog
これは、才能だと思ってる。
例えば、冷蔵庫を、開けて、あるもので食事を作れるのです。
特に訓練したわけでもなく、日頃からやってるわけでもない。
でも、できる。
なぜかできる。

実家の冷蔵庫の中も外も、食材は、ほとんど賞味期限切れ。いっぱい捨てた。
いや、ほとんど捨てた。



残ったもので、今日は、母と晩餐。



お魚ソーセージ、レタス、玉ねぎ、卵、ケンミンの焼きビーフン、レトルトフカヒレスープ、鯖味噌煮缶詰。
トマトだけ買いました。



ご馳走さまでした。

トップから振り下ろせ

2018-05-04 15:29:15 | Weblog
高校テニス球児だった経験が最も輝くのは今だ。
ラケットが布団タタキ、ボールが布団だ。
弾んだボールが落ちてくる前に、上から叩きつけろ。
慣性の力を利用するのだ。
腕の力ではない。
握った右手の小指と薬指に力を入れて、あとの3本の指は軽く添えるだけ。
さ、振り下ろせ。
何度も、何度でも。