夏なんだな。
植物が暴走している。
久しぶりに京都の街中を歩くことにして京阪三条から河原町に向かって歩き始めた時、これを発見した。
比較的、新しい銅像だろうか。
インパクトのある表情、ポージング。マンガ的である。
すごすぎてコミカル。
いつもは1年持たせる室内履きが9カ月で崩壊。
糸で縫ったが、効果は限定的であった。
大きいホチキスで止めてみた。
ズボンの裾がホチキスの針に引っかかった。
捨てた。
大きい。
見れば見るほど大きい。
近くで見ると本当に大きい。
いにしえ、写真もなく、何の前情報もなく、この大きな動物を見た人はほんとに驚いただろう。
うらやましい。
メスがシンシンでオスがリーリー。
2頭の見分け方。
シンシンの特徴は、目の周りの黒い模様の下の方が外にハネているところ。
リーリーは、頭のてっぺんがとんがっている。
しかし、最も簡単な見分け方は、おりの前の看板を見ること。
別々のおりに入っているので、間違えることはありません。
写真を撮るときは、おりから遠い方の通路から望遠で狙いましょう。フラッシュは厳禁ですので要注意。
近い方の列は、立ち止まることができません。
で、ガラス越しなので、反射が写りこまないよう、正面でなくななめ方向から撮りましょう。
少し暗いので、オートだとスローシャッターになりますので、手振れ注意。シャツター速度優先AEか、
三脚かモノポッドを利用しましょう。無ければ、IOS感度を上げて、絞り優先AEで極力絞りを開けて、
左わきをしっかり締めて、右手は人差し指だけを使う感じで、しっかり息を止めて、撮りましょう。
東京駅から中央線で一時間。
その墓は東京の西のはずれ、高尾山の中腹にあった。
梅雨時にもかかわらず、抜けるような青空。
父が亡くなった時に気が付いた。
死者の魂は、それぞれの弔う心の中にあると。
あれから、5年の時が流れたというのに、未だそれを受け入れられないでいる。
自分の中にある忌野清志郎の魂を鎮める必要があった。
その事実を受け止めなければならなかった。
心静かに手を合わせた。
パンダの背中から腰あたりは、茶色なのです。
ずっと汚れていると思ってましたが違うのだそうです。
初めて本物を見てきました。
けっこう活動的。
これがパンダ座り。
そもそも熊は肉食なのに、なぜパンダは笹しか食べないのか。
生息地である四川省の山は食糧が乏しい。しかし、パンダは争いを好まなかった。
他の仲間が食べない笹を食べるようになった。
身体の大きなパンダは、自分が生きていく上で必要な笹を確保するため、群れを作らない。
繁殖期のごく短い期間、つがいになる以外はずっと単独行動らしい。
そうしないと食糧をめぐる争いが生じるからなのだという。
生きるために一人になった。
一匹パンダ。
パンダの瞳の奥には深い孤独が宿っている。
パンダの顔が丸いのは、硬い笹を噛むために、アゴが発達したかららしい。
白と黒なのは、湿った黒い大地に雪が降ったときのカムフラージュらしい。
こんなナリですけど、結構厳しい人生を歩んでいらっしゃるのだ。
尊敬すべき動物である。
笹は栄養価が低いので、一日の大半を食べることに費やすらしい。
「食わずにゃいられねぇんだよ。」
安酒場であぶったイカをかじる仕事帰りのサラリーマンのような哀愁。
笹依存症。
今回、発見したのは、「かわいい」だけじゃない、パンダの大人な一面でした。
笑った。
食べたら寝る。