快風丸

俺の船に乗らないか。

普通の国

2007-01-19 16:04:52 | Weblog
 なぜ、”美しい国、日本”を目指すのか。

まず、誤解なきよう、私の立場を明らかにしておきたい。
特定の政党を支持するものではありません。また、特定の人物や
団体を誹謗、中傷するものでもありません。
私はノンボリです。こういう内容は、不愉快に思う人も少なからずいる
と思うので、公共の場にはふさわしくないかもしれません。
しかし、気になってしょうがないのです。

 美しい国を目指すということは、現状、この国は汚い、醜いということだ。
もしくは放っておくとさらに汚く醜くなっていくので、そうならないように
しようと聞こえる。
 では何をどうやって美しくするのか?

 今後、格差社会化の傾向には加速が付くであろう。普通に生きて、普通に
仕事してもワーキングプアとなる。社会保障も低所得者層に優しくは無くな
っている。近い将来、都会の片隅にスラムができるであろう。そして、働い
ても稼げないこの国への失望は、犯罪に形を変えると想像できる。
空き巣、強盗、そして武装化しさらに凶悪な犯罪組織が形成されよう。
社会の汚点となる。
大半の国民は働いても応えてくれなかった国に、愛国心なぞ抱けない。
つまり公共の利益の為に何かをしようという気持ちは急速にしぼんでいくだろう。
街は汚れ、モラルは低下していくと思われる。
現に、昨今の非道な殺人事件の犯人たちは、みな平常心のうちに凶行に及んで
いる様に思う。これが、裏づけだ。
このような状況を打破すべく”美しい国”づくりが始まるのであろう。

戦後体制からの脱却と唱えながら防衛庁は防衛省になった。
戦後体制からの脱却とは、今一度、戦前の体制、すなわち敗戦から立ち直った
平和の国を再軍備して、強者の仲間入りをしようということではないのか。
”防衛”の看板はさらに大きく、美しく輝き始めた。

 ”美しい国”とは、どうやら強い国のことのようだ。
強いものこそが美しい。強者の理論だ。
どうやって”美しい国、日本”をつくるのか、だいたい見えてきた。
すなわち、汚いもの、醜いものを隠してしまおう。簡単だ。
強く美しいものをこの国の看板にしよう。弱いものなど知らぬ存ぜぬ、
そんなものは日本人にあらず。
御立派な”美しい国、日本”、一丁上がり。

 さて、だからどうしたということでもありません。
ここは私の心の捨て場所なのだから。