私の兄弟は、9人ですが実際に生まれたのは12人、名前を付けられなかった子供が二人。何故こんなに子供が多かったのか、それは太平洋戦争のためなんです。
当時、人間は戦争の消耗品だったからで「生めよ増やせよ」の時代でした。
そんな訳で10人以上だったか出産すると表彰されたんだそうです。
長兄と私の年齢差は17歳で私が生まれた時は長男はすでに兵役に就いていました。
長男と私はたぶん一度しか顔を合わせていなかったと思います。私が生まれて数ヶ月の時に両親に抱かれて駐屯地へ連れて行かれ面会したのが最初で最後でしたから顔などはとうてい覚えていません。
そして長兄は、ビルマ(現在のミヤンマー)の何処どのジャングルの中あたりで戦死(餓死か、病死だったかは解りません)、終戦後、遺骨の代わりに小さなメンターム(切り傷などに塗りつける軟膏が入っていた)の缶に小指の先ほどの石が入ってものが遺品として届けられただけでした。
こんな事にならないように、集団的自衛権などと言う平和憲法を踏み破る閣議決定をさせないようにしましょう。