かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

卑弥呼の「卑」について教えて下さい

2016-12-02 17:47:26 | 邪馬壹国

2016年12月3日(土)

「中国のお友達に卑弥呼の「卑」の文字を見てどう思うか聞いてもらえませんか」と、2週間ほどアメリカに行ってて帰って来たばかりのFさんに居酒屋で話すと即座に聞いてくれました。

「謙遜の意味で使うようですね」

「神様とも・・、梵語とも言ってますよ」

「少なくとも、いやしいとか悪い意味でないと言ってますね。悪くないと・・」とFさん。

「そうですかぁ!嬉しいですねぇ」と私。

「そう言えば、石碑の碑に卑しいなどの意味などないでしょう」

「そうですよねぇ、誰かがどこかで漢字の意味をすり替えていますね」と私。

日本神話に登場する女神、石長姫(イワナガヒメ)は、古事記では石長比売。

日本書記、先代旧事本記では磐長姫(イワナガヒメ)の名で登場しますが、このイワナガヒメが可哀そうな呼ばれかたをされているようです。

私はイワナガヒメを卑弥呼であると教えられています。

この国が分裂しそうになったときに、命をかけてそれを阻止した大王イエス・キリストの直系である偉大な卑弥呼おばさんを、醜いだのイヤシイだのと・・、あまりにも可哀そうです。

「恩を知りなさい」と恩智神社の位置までもそのことを教えていましたよ。

石長姫神社と磐長姫神社を結んで、卑弥呼の陵墓や王家の人達が眠る聖地の場所なども教えていました。

いよいよ、イエス・キリストと卑弥呼の復活の時が近づいているようです。

 

古代日本の歴史を紐解くとき、紀元前のユダヤ(イスラエル)の統合、分裂の歴史をあてはめないと、記紀などで表された意図は受け取れません。

『魏志倭人伝』に合わない日本の史書

「邪馬台国」は、西晋の陳寿(ちんじゅ・233~297)の編纂した『三国志』(成立は280年以降と言われる)という中国の正史の中の「魏書(ぎしょ)」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(うがんせんぴとういでんわじんのじょう)、通称『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に登場する国の名前だ。

つまり、中国の歴史書に記された日本の歴史なのである。紀元239年、倭国の女王卑弥呼(ひみこ)が魏に使節を送り、240年には魏からの使節が倭国に来た。『魏志倭人伝』は、主にこの時の魏の使節の見聞を元に書かれたと思われる。

その後、243年に倭国の使節が再び魏を訪れ、247年には再び魏の使節が倭国を訪れている。このとき、魏の使節は卑弥呼の死に遭遇し、『魏志倭人伝』には、その前後の様子も記述されている。

問題は、この「中国の史書に書かれた日本」と「日本の史書に書かれた日本」がぴったりと合わないことである。日本で古代の正史とされているのは、『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)だ。

『日本書紀』には、神功皇后の条に唐突に『魏志倭人伝』からの引用があって、神功皇后を卑弥呼にあてようという『書記』の編纂者の意図が見られるが、前後に引用されている百済史との年代の矛盾が指摘されている。『書記』の編纂者は『三国志』を参照できる立場にあって、これをなんとか当てはめようという苦肉の策をとったのだろうが、引用のみで済ませて、日本側からの記述がまったくないのも不自然だ。

要するに、合わないのだ。『古事記』、『日本書紀』には、編纂当時の政治状況が大きく反映しており、その当時の天皇家が日本を治めることの正当性と正統性を主張する意図で編まれているため、それに合わない国内のものは抹殺(焚書)し、国外のものは先の引用のようにごまかすか無視しているのだ。

つまり「邪馬壹国」も「卑弥呼」も、日本の正史には登場しないと言っていい。

果たして、どこにあったのか? 大和朝廷との関係はどうなっているのか?

この謎は解けるのだろうか?

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/ccb1bc825aa7d88c6429a7b5d2f60a98

 

私には、魏志倭人伝は100%矛盾はないと聞こえてきます。

生野、神河町の情景と陵墓の大きさなど全て一致しています。

又、卑弥呼の三文字の出所も倭人伝からの文字ですが、作者の陳寿は、そのいやらしいとか軽蔑の意味で使っていないと聞こえます。

むしろ全くその逆で使っていると聞こえます。

イエスキリストは、キルギス生まれで、高句麗の第三代大武神王であり、我が国の初代大王です。

その時代、現在の日本や韓国、北朝鮮、中国などの国境線は無い共和圏で、大いにイエスは世界から信頼を得ていたと思います。

その大王の死後、我が国は78年ほどの長きに渡って戦場となりました。

そしてイエス大王の死後100年目に卑弥呼が女王として共立されました。

卑弥呼22歳の時でした。

卑弥呼はイエスの直系で5代目です。 

その直系の姫御子を「いやしい」とかの意味では陳寿は絶対に使っていません。

 

現在の生野は、本当はイヤと読みます。

卑弥呼に組しなかった狗奴国の男王は 卑弥弓呼 と書かれています。

・・この呼び方をどう思われますでしょうか。

私が教えられている狗奴国は、主に現在の徳島県と和歌山県です。

徳島には平家の里で有名な祖谷がありますが、これもイヤです。

紀伊半島を渡ったら熊野・・これもイヤと読みます。

生野 祖谷 熊野を結ぶと これらはイヤトライアングル と言って 正三角形を描きます。

イヤとはヘブライ=アイヌ語で、宝物を長期保存するという意味があります。

徳島の粗谷地方に残る謎の神楽歌は、ヒミコが眠る本当のイヤのことを教えていました。

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/2ac789bd47a8664ca4efa445fb409deb

イヤトライアングルは、初代大王イエスとその仲間たちで創っています。

「卑弥呼」と「卑弥弓呼」の呼び名には、これらの意味が隠されているようですよ。

 

紀元前660年は、北のエフライム王と10士族たちが日本に来て、第二ウガヤ王朝としてスタートした時代です。

因幡の白ウサギの話のウサギさんはウガヤの王様で、大国主命は、そのウガヤの流れであることを教えています。

余談ですが、ガマの穂綿にくるまれば・・は、「ガマ出せ!」「王だというのであれば、あぐらをかいていないで、人より倍も三倍もガマ出せ!」

そうすれば、又、元のように皆から信頼が得られることを、大国主は教えていました。

ちなみに「ガマだす」とは・・、私が生まれ育った熊本芦北地方では、「働く」と言う意味で、「一所懸命ガマ出せ!」は「一心不乱に働きなさい」という意味で使われていたように記憶しています。

 

記紀には、邪馬壹(台)国 も卑弥呼の文字もないという意味は、ここにこそ何千年もに及ぶユダヤの北と南の覇権争いが読み取れます。

天智・天武・・持統天皇や藤原不比等たちの釈然としない葛藤が伝わってきます。

藤原家の本当のルーツが、倭国大乱の元になっていることを世の方々はご存じありません。

日本の七福神と中国の千山の九福神の謎解きは、このことを教えていました。

これらのことを4冊目の本には書き入れたいと思っています。

 

現代でも「卑弥呼」の三文字を中国の人達は、少なくとも日本人が「いやしい」と言うような軽蔑した意味あいなど持っていません。

「いやしい」という意味あいだと吹聴した「卑しい人達」の謀略に乗せられてはなりません。

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