魏志倭人伝 (邪馬台国の会HPより)
18 栽培植物と繊維
禾稲(いね)、紵麻(からむし。イラクサ科の多年草。くきの皮から繊維をとり、糸をつくる)をうえている。蚕桑し(桑を蚕に与え)、糸をつむいでいる。細紵(こまかく織られたからむしの布)・絹織物、綿織物を(作り)だしている。
26 植物
その木には、
・(おそらくは、たぶのき)
・杼(こなら、または、とち)
・豫樟(くすのき)・(ぼけ、あるいは、くさぼけ)
・櫪(くぬぎ)
・投(東洋史学者の那珂通世氏は「投」を「被」の誤りとし、「杉」とする。苅住昇氏は、「かや」とする。あるいは「松」の誤りか)
・橿(かし。苅住昇氏は、「いちいがし」とする)
・烏号(やまぐわ。苅住昇氏は、「はりぐわ」に近い「かかつがゆ」とする)
・楓香(かえで)
がある。
その竹には、
・篠(しの。めだけ、ささの類)
・やだけ
・桃支(がずらだけ。苅住昇氏は、「しゅろか」とする)
がある。
・薑(しょうが)
・橘(たちばな。または、こみかん)
・椒(さんしょう)
・みょうが
があるが、賞味することをしらない。
27 存在する動物
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墓は標高779mの山頂にあり、葺き石で葺きあげられ、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されている。測量図を元に、 卑弥呼の墓を探査レーダーで調べると・・非鉄金属の反応 も捕らえた。
「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と魏志倭人伝に書かれている墓の径と、上円部径50mは合致する。又、この山には山椒がたくさん自生していて、猿も きじ もいてる。
卑弥呼の墓の西麓、栗集落に今でも残る神護石と大量の石群
墓の頂上部の概況
頂上部には、重要な各方位を教える方位磁石が狂う石が並べられている。
第一回目調査
概要 調査日 2012年6月14日
調査場所 北緯35,109763 東経134,766841
使用探査機 ROVER-C/Ⅱ 地下ロケーター ドイツ製
調査結果
人工的な山であり、非鉄金属反応も捕らえた。(詳細はデータ参照)