2016年6月15日(水)
先日、千鶴山に登りましたが、樹木があり360度のパノラマを見通すことはできませんでした。
360度見渡せるように樹木の伐採を地元関係者の方々にお願いできればと思います。
千鶴山山頂は、薬師峰または七種薬師とよばれ、薬師さまが祀られています。
その薬師さまが向いている方角は、キッチリとコヤネ爺さんの陵墓を見つめていました。
なんと、その薬師峰からコヤネ爺さんの陵墓までの距離と、女王卑弥呼の陵墓までの長さは水平距離で13.4㎞と、ピタリと同距離でした。 ・・偶然でしょうか。
又、コヤネ爺さんの陵墓から真北の位置に女王卑弥呼の陵墓が位置しているのも偶然ではないでしょう。
コヤネ爺さんの陵墓から磁北のラインに、神河町の寺前駅から北西に見える城山がピタリと位置しています。 ・・これは大きな意味がありそうです。
神河町の城山にも私は登りましたが、樹木が生い茂って何も見えませんでした。
神河町の方々には、京丹後にある磯砂山のように、この城山山頂の樹木を360度見渡せるように手を入れてほしいと願います。
城山からは、西のメノラーが真正面に見えますし、女王卑弥呼の陵墓とイエス・キリストの墓も祈りの山である大嶽山や、コヤネ爺の陵墓を隠すように、でも・・目印の山である畑山も綺麗に見えるはずです。
早急に、これらの祈りの山を360度見渡せるように、又、登山道も落石で事故をしないように整備していただければ、我が国の礎を築かれた大王や女王様やその方々を支えられたご先祖様達に手を合わせられ、そして共に世界の平和のためにお祈りされる人達の流れができることでしょう。
姫路から播但線に乗って寺前駅で降りられ、そこから城山に登る人達が増えれば増えるほど、世界の平和を引き寄せることができます。
世界中から生野、神河町へと多くの人達がやって来られます。 それは・・、イエス・キリストの遺体が入れられた陵墓や祈りの地下神殿などが用意されている世界の聖地だからです。
もう何人も隠し通すことはできません。
今、行政もマスコミもダンマリを決め込むほどに巨大で強力な力がはたらいているようです。
人は本来の自分の姿を取り戻さなければなりません。
自分の中に・・、そして自分を育むように外にも神様が居られることを常に意識しなければなりません。
お金のために神様を遠ざけ、自分の清らかな魂を売ってまでもただ生きるのであれば、それはもう死んでいるに等しいでしょう。
いえいえ、悪魔の手先として動き回る畜生に他ならないのではないでしょうか。
人は人として生きてはじめて輪廻も約束されます。
空海さまはそう申されているようです。
七種槍がとてもきれいでした。
遠くに卑弥呼の陵墓も見えました。
薬師様はキッチリと畑山裏にあるコヤネ爺の陵墓を見つめ見守っていました。
「お前、私をナメトンノカ! 命とったろか!!」と、神様が申されたので、私は、「どうぞとって下さい!」と冷静に言いました。
・・このことは、第一冊目の本にも書きましたが、この話は本当の話です。(P59~60に書きました)
命は神様に預けています。 神様・・ご自由に!と。
今までの人生で、3度ほど死んだような経験をしていますので、拾った命だと思っている私です。
私達のこの肉体は、神様、ご先祖様たちの乗り物だと私はいつも思っています。
「自分とは何ですか」と言われたら、タクシーの運転手さんのようなものだと私は答えます。
乗られた方のご希望の地に私は安全にお連れするだけの役割と思っています。
その為にこの世に遣わされたと思っています。
朝、自我が目覚めだすそのちょっと前に、神様は言葉をかけられます。
その通りに動き、しゃべり、神様の手足となって動かなければなりません。
そのように動かなければ・・、「あなたは必要ありません!」と、「手のまがい、足のまがい・・時には、ポアされるんです。」
・・このことも三冊目の本に書きました。
奥様は、「まあ~~!」と外へ飛び出すように出て行かれました。(P153~154に書きました)
亀さんの歩みは本当にノロノロですが、目的方向に着実に向かっていま~~す!