2023年4月25日(火)
4月21日(金)新神戸駅を夕方5時半過ぎの新幹線で新八代駅まで行って、駅前のホテルに宿泊。
そしてのホテルの隣にあったレンタカーで朝9時半過ぎにスタートして、熊本県と宮崎県の県境手前にある御大師へと行った。
そこには、槻木大師堂があり、そこのお堂には日本遺産人吉球磨の構成文化財のひとつとされている弘法大師座像が安置されていると言う。
数年前から大事な場所だということで教えられていたが、やっと行けたことで私にのっかかっていたご先祖様は、「遅くなりましたが、ご勘弁してやってくださいましぃ」と怒り爆発寸前の空海さまに頭を垂れて居られたことでしょう。本当に契約不履行寸前で危ないところでした。ギリギリ事なきを得たという状態だったと思っている私です。「それにしても1200年前、この地に来た空海さまって・・やはり宇宙人だったのではないだろうかぁ・・」と思った私でした。
1ラジアンの直角三角形の3点にやっと立つことができました。
2023年2月11日(土)
「我 モーセなり、我 イエス・キリストなり」と、空海さまは生誕地近くの星の岩屋、大師堂の扁額に遺して居られましたが、金鳥山を重要なベンチマークポイントとして、モーセの墓やイエス・キリストの墓などを教えていました。見事なフェニック コードが描かれています。そのようなことで、金鳥山はフェニックス コードの一丁目一番地ですね。武部さんは、真宮遺跡を除いて全ての場所に行かれています。
そして・・、金鳥山には、あちらこちらに黄金が沢山埋められています。
2021年11月27日(土)
聖徳太子を祀る斑鳩寺と聖徳太子を祀る太子山公園は、磁北 磁南で互いに向き合った配置をしている。
そして、16才の聖徳太子を祀る聖徳殿と三重塔との等距離を平行してその位置から磁南に位置する太子山(公園)の地下に、それぞれ石室が存在し、その中に莫大な黄金が埋蔵されている。
そしてその石室への入口は、斑鳩寺本殿から正面入り口の門の先に見える太子山の中央部に見える、弘法大師を祀る大師堂・地蔵堂部分がその入口である。
この世を建て替え立て直しするために、「一刻も早く取り出してその財源にせよ!」と、蘇我入鹿(聖徳太子)と空海の御霊が強く言っている。
「急げ!入口は地蔵堂の裏だ!」と。 70🦋円もありそな。
向こうの山が太子山(公園)で、一直線に伸びる道路が突き当たったところが大師堂・地蔵堂である。
向こうから見れば、斑鳩寺本堂が正面である。ご本尊様と空海さまとがいつも語らって居られます。
2021年11月14日(日)
11月10日(水)に斑鳩寺の磁南に位置する太子山へと行った。
それは筋書きのない突然のドラマの展開でした。
そして12日(金)に斑鳩寺へと行って、そこからあるいて、斑鳩寺本堂から磁南正面に見える太子山麓にある大師堂と地蔵尊へと行った。
あまりにも急展開するドラマの中にいて、「間違いなく天界があせるほど急を要している」と私は感じています。
南北に対面している斑鳩寺と太子山の秘密が解けました。
9月に皆さんと一緒にツアーで真っ先に行ったのが斑鳩寺でしたが、まさか誰もしらない秘密をここにきて教えられるとは思いもしない展開です。
詳しくは・・後日に。
2020年10月6日(火)
武部さん、先日はありがとうございました。感謝しています。
・・・
「龍だ! 間違いなく龍だ!!」と武部さんが大声を上げました。
立派な龍の岩を武部さんが発見しました。現場で見たら迫力があります。
そしてその龍の岩は、頭上に立てば間違いなく方位石であることも分かりました。
龍の鼻先は尖っていて、その方位をコンパスグラスで測ってほしいと訴えているように響くものがあったので、計測して帰りました。
結果、龍岩が教えていたのは、徳島の太龍寺の大師堂を教えていました。
太龍寺の大師堂が大事なポイントだということが分かれば、龍岩が守る天武天皇の墓(衣笠山の山頂)とを結んで、二等辺三角形となる場所を求めると・・!
そこはイエス・キリストの墓でした。
もっと厳密に求めるとイエスの墓の近くの太田ダムの綺麗なダム湖でした。
このダム湖の近くに魚のコンターラインの磐座がありましたが、この三点で綺麗な正三角形を描きます。
ダム湖近くの魚のコンターラインにある方位石の磐座は、高野山をキッチリと教えていましたから、太龍寺を開いたのも高野山を開いたのも空海ですから、龍岩の作者も空海だと私は思います。
その日、最後に行った弘仁寺で最後の最後に武部さんが教えてくれた、「空海さまの石佛が在りますよ」と言ってくれたことを思うと、最後に空海様が「ありがとう!」と言ってくれたように私は思います。
今まで行って見てきたところが全てつながってきましたね、武部さん。
私たちは間違いなく空海様に動かされていますね。
そして・・「急げ、時間が無い!」と初めから響いてきていましたが、その主も空海様であり益々「時間が無い、急げ!」と響いてきます。
急がないといけないようです。
2020年4月1日(水)
『邪馬台国オリオン座説』を四国八十八ヶ所第二十一番札所 太龍寺さまに本を贈呈したら、お礼のハガキがきました。
そのハガキは、2010年寅年の年賀はがき用に作られたというものでした。
2010年と言えば、私の不思議な物語のスタートの年です。不思議なものです。
ハガキには、大師堂正面の彫物が写っています。
説明によれば、寅を従えているのは十六羅漢のうちの跋陀羅尊者(ばだらそんじゃ)と書かれています。
2020年2月28日(金)
大方10年を費やして教えられ、現地へと行かされ、そして分かったことは、邪馬台国はオリオン座を模して国土設計されたということでした。
本のカバーが決まりました。
素晴らしカバーです!価格は2200円(税込)です。
3月14日(土)の大阪梅田スカイビルで行われる、邪馬台国オリオン座説出版記念講演会に間に合わすべく今、奮闘中であります。
徳島県阿南市にある太龍寺大師堂に彫られた、この国の秘密を教えていた彫物の写真を表に使い、裏は星座と、矢野さん作の九福神が乗った宝船を載せました。
素晴らしい本が、世に出ます!!
邪馬台国オリオン座説 株式会社 T.T.C からの出版です。
邪馬台国オリオン座説は、アマゾンでも発売中です!
2020年2月6日(木)
女王国(邪馬壹国)は、下の図のピンクの部分ですが、オリオン座のベテルギウスにイエス・キリストの墓がある。
そのイエスの墓守をするために、イエスの血を引く卑弥呼が共立されて国造りが再スタートしました。
そして、長年途絶えていた大王、イエス・キリストの墓がある聖地へと海を渡って多くの方々がやって来られたということである。
藤原不比等もこれらのことを全て知っていて、引き継がれた遺言を又、大地に刻みました。
東大寺大仏殿もイエス・キリストを祀るために建てられたということである。
空海様は、我が国の成立ちを全て知っていました。
そして私に、その場所場所へと行かせたようである。
越知山と焼火山を除いて、全て現地へと行かせました。それこそ空海様との同行二人だったのかもしれません。
下の彫り物は、太龍寺大師堂の正面に掘られた、シリウスを抑えたオリオン星人である。
最初に見た時は、「何なのだろう・・?」と意味が全く分かりませんでしたが、徐々にこの意味が分かっていきました。
オリオンがあれば、おおいぬ、こいぬもあり、 それでは・・ふたごも そして・・おうしも・・!
オリオン座で一番赤く輝くベテルギウスにイエス・キリストの墓は赤い土だけで造営されました。
邪馬台国オリオン座説 T.T.Cより発売
2019年12月25日(水)
邪馬壹国への航路は、一部国防のために福吉 福岡 福津と陸路でしたが、分かりやすく言えば 仁川(インチョン)から仁川でしたね。
私 :「卑弥呼さん、陸路1か月のコースを詳しく教えてくださいませ」
卑弥呼さん :「いいですわよ」
・・と、言うことで教えてもらったのが、下の図ですよ。
仁川から宝塚、三田 篠山 丹波 春日 福知山 朝来 和田山 生野 そして、女王の住むとところが 「栗」でした。
地理院地図の簡易計測で凡そ片道190㎞ほどですから、実際にはもう少し増えるでしょうね。
んん~~ん、オリオン座の鼓の外周は376㎞
陸路1ヶ月の往復の距離は380㎞、一里を「短里」77mで計算すると・・
參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里
・・なんとぉ! 「周旋可五千餘里」にピッタシカンカンです!!
帰りは、現在では南へまっすぐ下りて姫路まで出れば簡単ですが、卑弥呼さんの時代はそうすることはできませんでしたから、来た道を帰るしかありませんでした。
オリオン座の中に落とし込んで見るとピッタリですねぇ。
ピンクの部分が邪馬壹国です。
冬の大三角形
べテルギウス ・・・ イエス・キリストの墓 836m 赤い土で覆われています。べテルギウスは赤く輝いています。
ベラトリクス ・・・ 弥仙山(舞鶴市)664m
リゲル ・・・ 亀山(奈良県曽爾村)849m
サイフ ・・・ 竜王山(奈良県)618m
メイサ ・・・ 磯砂山(京都府)661m
三ツ星は、 ミンタカ ・・・ 交野山 アルニラム ・・・ 生駒山 アルニタク ・・・ 信貴山
徳島の太龍寺大師堂正面の彫り物に空海様は、邪馬壹国の成立ちを皆さんに教えていましたねぇ。
オリオンとシリウスでしたよ。
卑弥呼さんの仕事は、ベテルギウスに眠るイエス・キリストや四男の懿徳天皇やイエス王家の方々の墓守でしたね。
「卑弥呼さん、ご苦労さまでしたねぇ」と私。
卑弥呼さん :「ところでいろんなこと誰から教えてもらったんですか」
私 : 「空海様です」・・と。
生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、栗行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。
ない椿の禰に照らす。
(朝日も夕日も照らす山頂に陵墓があることを教え、ない椿の禰とは、71歳で亡くなった卑弥呼の御霊のことを教えていました)
生野の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。
三つの宝は、庭にある。
生野の空から、御竜車が三つ下る。
面白いですねぇ。徳島の祖谷地方に伝わる謎の神楽歌は、聖地神河町の栗のことを教えていましたね。
なんとこちらの9里は、1里435mの「長里」を用いていました。
生野の境界からなんと「栗」まで3915mとピッタリなのです!!
そしてこの歌から読み解ける重要なことは、又、来た道を帰らなくてはならないということを告げていました。
邪馬壹国は、政治政体が奈良県纏向桜井市粟殿(2024年1月18日加筆訂正)で、国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町の栗で、女王卑弥呼が居てた都でした。
2019年12月3日(火)
11月30日(土)法道寺にはどのような秘密が隠されているのか、何があるのかを確かめに行ってきました。
大師堂に掘られていたのは、鴨。
そして金堂の真正面に掘られていたのは、ウサギ。
その両脇には鳳凰。 そしてその両脇にまた、兎でした。
大師堂で手を合わす先は、西宮市の甲山。
多宝塔が向いている方角には、兵庫県丹波市市島町の鴨神社。
金堂で手を合わす先には・・・なんと、徳島県美馬市穴吹町古宮にある うさぎのコンターラインの山である。
うさぎさんは、倉稲魂でしたが、 んん~~ん、これらは藤原家のルーツを教えていますね。
金堂 大師堂 多宝塔の向きは、見事に意味ある方角に向けて建築されていました。
大師堂の正面には鴨でしたねぇ。