2023年3月18日(土)
稲日大郎媛命陵がある日岡山と太龍寺山と有田のハートの山は、3:4:5の大矩を描きます。
有田のハートの山は古代のベンチマークポイントの山で、この山と日岡山を結んだラインが、住吉神社に眠る第17代 履中天皇の古墳造営の基本軸となるラインでした。これって偶然でしょうか・・。
2023年3月18日(土)
稲日大郎媛命陵がある日岡山と太龍寺山と有田のハートの山は、3:4:5の大矩を描きます。
有田のハートの山は古代のベンチマークポイントの山で、この山と日岡山を結んだラインが、住吉神社に眠る第17代 履中天皇の古墳造営の基本軸となるラインでした。これって偶然でしょうか・・。
2022年7月20日(水)
安倍元首相銃撃事件も、2019年(令和元年)7月18日の京都アニメーション放火殺人事件も異様である。
この二つの悲惨な事件を起こした犯人はともに男性で、当時41歳。
令和になって不穏な事件や災害が多発していて、今回の安倍さんの事件から気になって気になって仕方がなく、4年前に皆で大事な壺掃除をした場所がどうなっているかを17日(日)に見に行った。
記憶にあった場所へと行きましたが、全くその痕跡はありませんでした。
完全に土が入れられて、隠されてしまったとしか思えない状態でした。
そこにあった壺は、『黄金の水』を現人神にささげ、五十鈴川に注ぎ込む仕掛けを最澄、空海が施したものと私には聞こえてくる。
7年前、最澄、空海が七日七夜、気比神宮で祈ったということを聞いて、徳島の太龍寺へとツアーに行って、皆さんを見送った後その足で気比神宮へと車で行ったものでした。
その気比神宮と血洗の滝と『黄泉の壺』は、基本となる3:4:5の大矩と言われる直角三角形を描きます。
現人神に捧げる黄金の水が流れる壺を埋めてしまったとは・・、罰当たりな・・。
京都アニメーション放火殺人現場一帯は、藤原家の人達のお墓が集中している場所なのです。
黄泉の国へ逝った人たちへ、水やご飯をお供えし、最大限につくす仕掛けが施されていたのに・・、大変に残念無念です。
伊勢神宮には古代からの神々が祀られていますが、なんといっても藤原家の方々の霊を祀っているのも当然至極でしょう。
これは大変なことです。この状態を放置しておくと、益々とんでもないことが起きるであろうと感じる。
まして・・、国葬云々。 ああ~~恐ろしや恐ろしやです。
武部さんからの報告です!
7月24日11時15分、八祢宜山の壺にいます。
壺は無事でした。展望台に花がありました。上森さんは何を見たのでしょうか!?
・・と。 ホントに私はどこを見てきたんでしょう・・。大変お騒がせいたしました。
ごめんなさい。
武部さんありがとうございました。良かった良かった~~!!
2022年5月24日(火)
新井崎神社から西8.91㎞の地点に徐福の墓(地下神殿) 秦始皇帝の墓は在ります。
浦嶋神社から新井崎神社までと徐福の墓 秦始皇帝の地下神殿までとの距離は共に、5.59㎞と全く同距離に在ります。
徐福の 秦始皇帝の地下神殿の真上には現在、『風のがっこう京都』が建っています。
その建物の地下深くに巨大空間の存在がコアロッドで反応を示します。
地元の方々の手で、早く入口の扉を開けてほしいと私は願います。
徐福の墓 秦始皇帝の地下神殿と若草伽藍と入炭山は、3:4:5の大矩である直角三角形を描いています。
今は幻となった法隆寺の若草伽藍は、徐福の 秦始皇帝の墓に手を合わせるような建物の配置になっていました。(2022年10月18日加筆)
2020年5月29日(金)
鶴翼山 瑞龍寺から天智天皇の墓・藤原不比等の墓までと鳳凰寺までの距離は、44㎞と同距離で二等辺三角形を描く。
天智天皇の墓・藤原不比等の墓と弘仁寺とイエスの公的陵墓は、3:4:5の大矩を描く。
天智天皇の墓・藤原不比等の墓と弘仁寺と加茂遺跡は、ケプラー三角形を描いていましたね。
藤原不比等の墓には沢山の直角三角形や二等辺三角形の図形で結ばれた重要な神社や寺院や山や遺跡で連なっています。
それらの全ては、卑弥呼の陵墓とイエス・キリストの陵墓に辿り着くようになっている。
一つの遺跡が表に出る時、それは何を意味するか・・。
2020年5月24日(日)
イエス・キリストの墓と高野山と天智天皇の墓・藤原不比等の墓は、ケプラー三角形を描く。
四国八十八番大窪寺と高野山と天智天皇の墓・藤原不比等の墓は、3:4:5の大矩を描く。
高野山を開いた空海は、天智天皇、藤原不比等のDNAを受け継いでいる。
藤原不比等の運命と苦悩と葛藤を、空海も又、受け継いでいる。
2020年1月19日(日)
竜神山が重要な意味を持った山だと分かったら、次は重要なベンチマークマウンテンの剣山と線を結ぶのは当然である。
その二つの山から重要な場所が推測できる。
その重要な場所は、觜崎ノ屏風岩である。
これらの三点は、土木・建築で重要視される3:4:5の大矩の直角三角形である。
亀座池と觜崎ノ屏風岩とイエス・キリストの墓の三点は、基本形である綺麗な2:1:√3の直角三角形である。
石の宝殿と觜崎ノ屏風岩とイエス・キリストの三点は、直角三角形を描いている。
觜崎ノ屏風岩からイエス・キリストの墓までと姫路の沖合に浮かぶ上島までは同距離で二等辺三角形を描いている。
そして、亀座池とイエス・キリストの墓と上島は、40度50度90度の直角三角形を描いている。
イエス・キリストの墓と剣山と亀座池は直角三角形を描いている。
大いに意味ある直角三角形である。
これら全ての場所は、イエス・キリストの墓を決める、位置出しする重要な山であり島である。
これらのことから、イエス・キリストの墓の場所を決めるのにどのような議論が重ねられたのか、どのような人たちが関わったのか、
又、それはイエス・キリストが生まれる前から決められていたのか、イエスが関わったのか・・。
そのことを知っている人たちが、イエスが葬られて三年後にこの国は倭国大乱になり、78年後にイエスの血を引く卑弥呼が女王として共立されて『邪馬壹国』がスタートしたその時もどのような話し合いがなされたのか。
私には、イエス・キリストが生まれる前から、これらの基本設計はなされていた、造られていたと思えるのだが・・、どうなのだろう、ロマンは膨らむばかりである。
いずれにしても、この国の基本設計は、オリオン座を大地に下して構想され、そこから具体的な詳細設計がなされている
2020年1月11日(土)
一番札所から八十八番札所へと行ったこともありましたねぇ。
『一番霊山寺』
高野山金剛峯寺金堂から藤原不比等の墓までと、一番霊山寺までの距離は、共に99.6㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
藤原不比等の墓と東大寺大仏殿と一番霊山寺は直角三角形を描きます。
桓武天皇の陵墓とイエス・キリストの墓と一番霊山寺は直角三角形を描きます。
『八十八番大窪寺』
巡礼地最終の大窪寺で手を合わせると、イエス終焉の地である岡山県備前の穂波に手を合わせるように建築されています。
藤原不比等の墓と高野山弘法大師廟と八十八番大窪寺は、基本形である3:4:5の大矩の直角三角形を描きます。
藤原不比等の墓とイエス・キリストの墓と弘法大師廟は、ケプラー三角形に近い直角三角形を描きます。
イエス・キリストの墓からイエス終焉の地である備前の穂波までの距離と天狗塚(長峰山)までの距離は共に62㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。
イエス終焉の地と天狗塚と役行者堂(墓)は、基本形である2:1:√3の直角三角形を描きます。
八十八番大窪寺とイエス終焉の地と天狗塚は、直角三角形を描きます。
役行者は、イエス・キリストの秘密を全て知っていましたね。
2019年11月2日(土)
首里城の火災から千山とイエス・キリストの墓の三点が直角三角形で描かれていることが分かります。
そして首里城とイエス・キリストの墓との二点間には、重要な山や神社が位置していることが分かりました。
でも千山とイエス・キリストのライン上にあったであろう隠岐の島の神島は、そのラインから南に数㎞ずれています。
日本列島のあちこちに点在する神島は、重要なベンチマークの島ですが、神島とイエス・キリストの墓と首里城の三点の角度は89度ほどになっています。
1度のずれが生じているようです。
鳥取から近畿に存在する4つの小富士山が、当初2:1:√3の30度60度90度の直角三角形と3:4:5の大矩の直角三角形の組み合わせだったと仮定した場合、
三角形の各辺の歪みと近畿の活断層の位置がピタリと符合するように思います。
何千年も前から先人達は、列島の歪を求め、地震などの予測もしていたのではないかと私には見えます。
太平洋プレートとフィリピン海プレートに押されて、ユーラシアプレート上にある隠岐の島と本島との距離が異常なほど縮まっているようです。
近づきつつある大地震。
日本列島の裂け目は何所に発生するのか。
いつなのか・・。
助かる人、助からない人・・、 その時が 近づきつつあるのは間違いなさそうですがぁ・・。
ああ、神様~~ ああ、荒神様~~ ああ、龍神様~~ 。
2019年9月6日(金)
磐座と神社・・宝篋印塔や五重塔などの塔と寺は、空海様の墓の位置を教えていた。
空海様の墓と阿弥陀寺と戸田の方位岩は2:1:√3。
もう一つ、空海様の墓と桑山と戸田の方位岩も2:1:√3。
そして戸田の方位岩は、重要な三次市の弘法山を指示している。
琴音滝から阿弥陀寺までと戸田の方位岩までは同距離で二等辺三角形を描いている。
阿弥陀寺から、周防国分寺跡と空海様の墓までは同距離で二等辺三角形を描いている。
これらはの繋がりには計画的配置が私には読み取れます。
前項は、空海様の墓に非常に近いエリアでの配置でしたが、ちょっとエリアを広げてみると・・。
空海様の墓と、瑠璃光寺五重塔と浄福寺の宝篋印塔は、辺の長さが3:4:5の大矩の直角三角形を描いています。
瑠璃光時五重塔と北方八幡宮と空海の墓は40度50度90度の直角三角形を描いています。
空海様の墓と玉祖神社と亀山とは、基本形である大矩の直角三角形を描きます。
また、空海様の墓から山口県で一番古いと言われる慈福寺宝篋印塔と瑠璃光寺五重塔までの距離は共に同距離で二等辺三角形を描きます。
これらは全て偶然でしょうか・・。
いえいえ、全てに計画的配置がなされています。
2018年11月15日(木)
先日、武部さんが西宮市にある夫婦岩を見に連れて行ってくれました。
帰って地理院地図と照らし合わせたりすると、それはもう見事にイエス王家の墓である天神山やイエス終焉の地やイエスの陵墓、モーセの墓、マリアの墓の位置と見事に符合しました。
その角度が教える先に見える目印の山も、マリアの墓とイエス・キリストの墓の方角を教えていました。
そして、夫婦岩を中心点としてイエス・キリストの墓までの半径で円を描くとそのライン上には高野山や修験道の本山である吉野の金峯山寺など、山岳信仰にゆかりのある山々や磐座、神社寺院などが存在しています。
姫路の市川の河口に甲山がありますが、夫婦岩の東にある甲山とイエス・キリストの墓は、2:1:√3の直角三角形を描きますが、その姫路のベンチマークの山である甲山をキッチリと教えています。
そして、もっとも驚く事実は、夫婦岩のすぐ近くにある甲山と、モーセの墓と、播磨灘に浮かぶ家島諸島の西島の山頂にある頂ノ岩(コウナイの石)の三点を結ぶと、ほぼ 3:4:5の大矩を描きます。
厳密には、90度 54度 36度の直角三角形を描きます。
この直角三角形は、正五角形の一部となる三角形です。
正五角形の一部となると、そこから正五角形を求めなくてはなりません。
・・・!? 描いていくと・・ 偶然にしてはあまりにも・・です。
こんな偶然はあるのでしょうか。
知ってはいけない秘密の扉を開いてしまったようです。驚愕!!します。(つづく)
聖地巡礼ツアーぎりぎりまでモーセの墓の秘密を教えられますねぇ。
下の写真は西島の頂ノ岩です。武部さんのブログより拝借しました。
夫婦岩と頂ノ岩とのライン上に、見事に上島の人面岩もあります。
これも武部さんのブログより拝借です。
厳密に言えば、夫婦岩と武部さんが見つけているモーセの墓の近くのドーム状の山と頂ノ岩。
頂ノ岩とモーセの墓と甲山(西宮)の直角三角形です。
武部さんは全ての重要ポイントに立っていますね。
2018年10月
全国でいちばん古墳の数が多い県は兵庫県である。
その数はじつに1万6577基で、2位が千葉県の1万3221基。
3位が鳥取県の1万3094基、4位が福岡県の1万1311基、5位が京都府の1万1310基となっている。
全国的には合計16萬1560基の古墳があるので、兵庫県が約10%を占めているという。
また、古墳だけでなく、遺跡の数と銅鐸出土数も兵庫県がナンバーワン。
遺跡所在件数は、兵庫県2万5406、2位の千葉県が2万5131、3位の福岡県が1万6968。
銅鐸出土数は兵庫県で56点。以下、島根県54点、徳島県が42点と続く。
さらに、日本一ため池の多い県も兵庫県である。
兵庫県4万3347、広島県2万183、香川県1万4619、大阪府1万1105、山口県1万636。
2位の広島県の約2倍である。
古墳がたくさんあって、その横にはため池があって、遺跡もあって、銅鐸もたくさん出土している県が兵庫県ということです。
これらの大規模な土木工事を行うには、測量器械がなくてはなりませんが、銅鐸がその役割を果たしたと言うことです。
これらの意味することは、この兵庫という地は特別なところで、古代王族たちがどの地域よりも居住していて、王族のお墓がたくさん古代大王の陵墓を守っていることを教えています。
兵庫県最大の前方後円墳は「五色塚古墳」(神戸市垂水区)で、全長194mということですが、神河町南小田836m山頂のイエス・キリストの墓である前方後円墳は、全長270mはあるかと思われます。300m級ほどの大古墳から卑弥呼の150mほどの古墳など兵庫県の山中には何基も隠されています。
もう小さいのならいくらでも山中に眠っています。
インターネットの時代になって、もうこれらの事実は隠し通すことはできないでしょう。
ところで、兵庫県伊丹市に日本列島の形をした島がある「昆陽池」をご存知だろうか。
この池は東大寺大仏殿建立の責任者と知られる高僧、行基が指導する集団によって、奈良時代の731年から約10年の月日を費やして造られたということですが、このポイントが実に妙です。
昆陽池は、東大寺大仏殿と出雲大社とを結んだライン上にあって、
東大寺大仏殿とイエス・キリストの墓の横にあるハートの丘が教える絶峯御林とその昆陽池から西に行った場所で3:4:5の大矩を描くポイントに
生石神社(おおしこじんじゃ)のモニュメント的な巨石の石の宝殿があります。
石の宝殿の巨石は、見事に奈良橿原神宮にある神武天皇陵と出雲大社に向けて設置されています。
この石の宝殿の巨石の下に、イエス・キリストの聖杯が置いてあると以前ブログに書いたことがありますが、すぐさまグーグル社は地図上から神社名を消したり、衛星写真の情景も変わりました。
そしてそれからほどなくして、国指定文化財認定となりました。
ちなみに、昆陽池の日本列島は50数年前に、大阪国際空港(伊丹空港)から離陸した直後の窓から見て楽しんでもらえるよう、意図的につくられた人工島ということですが、これも先人達の想いと、現代人の想いとが織り成す妙であります。
邪馬台国は邪馬壹国が正しくて、女王卑弥呼は大国主命=イエス・キリストの墓守を聖地神河でしていたのでした。
政治政体は奈良巻向で、国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の朝来市生野町と神崎郡神河町で、卑弥呼の居城であり陵墓は婀月山でした。
卑弥呼の陵墓は、五色塚古墳と同じく表面は全て栗石で覆われていて、居城である遺跡の証拠も在りました。
東大寺大仏殿の真西に、大本教の聖地と言われる上島があり、その西にクラ掛島があります。
それらの各島から真北に上がったところにダビデの墓やイエス・キリストの墓が造られています。
これらの基本的霊ラインの上には神社や寺院、それにベンチマーク的な山や磐座があり、それらの点からまた三角法で次の点あ導きだされるようになっています。
それらの図形は、イエス・キリストの墓や卑弥呼の陵墓などに集まるように霊ライン網が作られています。
あまりにも見事です!