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かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

竜石山古墳は古代の歴史の謎を解く重要な役割を担っています

2020-01-03 04:08:57 | 邪馬壹国

2020年1月4日(土)

伊奢能麻和迦王の陵墓を私はこれから竜石山古墳と呼ぶことにしました。

竜石山古墳の大きさは、応神天皇陵とほぼ同じ大きさの古墳です。

そしてこの古墳の主の故郷なり、伝え残したい場所は、尾張、三河方面を教えています。

この方向には、名古屋港がある名古屋市港区です。

一点を示すなら港区の「龍神社」です。神社は石山古墳との関係を教えています。

そしてこのを結んで1:1:√2になる場所に、邪馬壹国の女王卑弥呼が絶対的に信頼し頼りにしていた「一大率長官」の墓があります。

一大率の墓は、出雲大社と内子のピラミッドと2:1:√3の地点に造営されました。

出雲大社と宇佐八幡宮と内子ピラミッドは2:1:√3で、出雲大社と内子のピラミッドと馬路の八杉森も2:1:√3です。

 

女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむ、諸國はこれを畏(おそ)れ憚(はばか)る。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史(しし)如くあり」

卑弥呼が一大率長官に特に目を光らせていた地域が、敦賀であり琵琶湖であり伊勢湾でしたね。

そして一大率長官は、船で移動する海神でしたね。

 

下の地図のピンクの部分が、邪馬壹国です。

卑弥呼は、女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむなのです。

琵琶湖と日本海の拠点が敦賀・若狭湾であり太平洋が伊勢湾・三河湾、伊良湖水道です。

一大率は、現代で言えば、自衛隊の海軍を率いる国防大臣でしょうかね。

イエス・キリストの血を引く卑弥呼を女王とし、オリオン座を下ろして設計された邪馬壹国の国土は、外敵から重要ものを絶対的に守るための国土設計になっています。

その重要なものとは・・、イエス・キリストの墓です。女王卑弥呼はイエス・キリストやその王家の人達の墓守が務めでした。

畿内説を悩ませてきたひとつの記述が「女王国の東」である。

 

女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種。

 

畿内説では、東に海がないからである。

上森説の邪馬壹国の版図は、日本海岸まで達しているので、東へ海を渡ることができる。千余里は1里=77mの短里で計算すると、77km余なので、80kmくらいか。

この距離は、丹後半島の伊根、あるいは宮津、舞鶴から出発して、敦賀湾の奥の敦賀までの距離に相当する。ここには気比(けひ)神宮という神社があって、主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)というこの神社特有の神様だ。この神様の降臨の地、「土公」と呼ばれる塚には、大きな木が生い茂っているが、卵型の岩が八角形に並べられていて、最澄さま、空海さまが7日7夜の祈祷をされたというから、ただ事ではない。

また、気比神宮の摂社に角鹿神社(つぬがじんじゃ)があり、『日本書紀』に垂仁天皇の時に渡来したと記されている意富加羅国(任那国)王子、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が祀られているのも注目に値する。

聖地神河には、猪篠(いざさ)という地域があります。そしてその奥に卑弥呼の陵墓が一番きれいに見えるところに奥猪篠と言う集落があります。

そしてこの奥猪篠の上に白岩山(973m)があり、この山を私は七福神の一人、毘沙門天の墓だと教えられています。

 

んん・・・ん、全て繋がってきますよ。 

壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)が尾張に援軍を要請したことで、大友皇子の陣営が戦意を失う意味、その謎が解けてきましたよ!


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參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里 ・・ オリオン座を模して設計された邪馬壹国と合致する

2019-12-25 02:21:22 | 邪馬壹国

2019年12月25日(水)

 

邪馬壹国への航路は、一部国防のために福吉 福岡 福津と陸路でしたが、分かりやすく言えば 仁川(インチョン)から仁川でしたね。

 

 

 

私  :「卑弥呼さん、陸路1か月のコースを詳しく教えてくださいませ」

卑弥呼さん :「いいですわよ」

・・と、言うことで教えてもらったのが、下の図ですよ。

仁川から宝塚、三田 篠山 丹波 春日 福知山 朝来 和田山 生野 そして、女王の住むとところが 「」でした。

地理院地図の簡易計測で凡そ片道190㎞ほどですから、実際にはもう少し増えるでしょうね。

んん~~ん、オリオン座の鼓の外周は376㎞

陸路1ヶ月の往復の距離は380㎞、一里を「短里」77mで計算すると・・

 

參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里

・・なんとぉ! 「周旋可五千餘里」にピッタシカンカンです!!

帰りは、現在では南へまっすぐ下りて姫路まで出れば簡単ですが、卑弥呼さんの時代はそうすることはできませんでしたから、来た道を帰るしかありませんでした。

オリオン座の中に落とし込んで見るとピッタリですねぇ。

ピンクの部分が邪馬壹国です。

冬の大三角形

 

べテルギウス ・・・ イエス・キリストの墓 836m 赤い土で覆われています。べテルギウスは赤く輝いています。

 

ベラトリクス  ・・・ 弥仙山(舞鶴市)664m

 

リゲル     ・・・ 亀山(奈良県曽爾村)849m

 

サイフ     ・・・ 竜王山(奈良県)618m

メイサ     ・・・ 磯砂山(京都府)661m

 

三ツ星は、 ミンタカ ・・・ 交野山     アルニラム ・・・ 生駒山    アルニタク ・・・ 信貴山

 

徳島の太龍寺大師堂正面の彫り物に空海様は、邪馬壹国の成立ちを皆さんに教えていましたねぇ。

オリオンとシリウスでしたよ。

卑弥呼の墓の山は婀月山(あづきやま)と言います。

卑弥呼さんの仕事は、ベテルギウスに眠るイエス・キリストや四男の懿徳天皇やイエス王家の方々の墓守でしたね。

 

「卑弥呼さん、ご苦労さまでしたねぇ」と私。

卑弥呼さん :「ところでいろんなこと誰から教えてもらったんですか」

私 : 「空海様です」・・と。

 

生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。

九里きて、栗行って、九里もどる。

朝日かがやき、夕日が照らす。

ない椿の禰に照らす。

 

(朝日も夕日も照らす山頂に陵墓があることを教え、ない椿の禰とは、71歳で亡くなった卑弥呼の御霊のことを教えていました)

 

生野の谷から何が来た。

恵比寿、大黒、積みや降ろした。

伊勢の御宝、積みや降ろした。

三つの宝は、庭にある。

生野の空から、御竜車が三つ下る。

 

 面白いですねぇ。徳島の祖谷地方に伝わる謎の神楽歌は、聖地神河町の栗のことを教えていましたね。

なんとこちらの9里は、1里435mの「長里」を用いていました。

生野の境界からなんと「」まで3915mとピッタリなのです!!

そしてこの歌から読み解ける重要なことは、又来た道を帰らなくてはならないということを告げていました。

邪馬壹国は、政治政体が奈良県纏向桜井市粟殿(2024年1月18日加筆訂正)国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町ので、女王卑弥呼が居てた都でした。


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大門

2019-06-09 05:30:54 | 邪馬壹国

2019年6月9日(日)

 大門が重要な場所であることは、生野伊島を結ぶ立のラインに東西、綺麗な正三角形の点を求めさせられて、西は大門 東は亀山を知らされました。

4点は綺麗な菱形を描きます。

この図形からそれぞれの場所にまつわる歴史を辿ることで、あらたなカバラの図形や魏志倭人伝の邪馬壹国や航海航路などを教えられていきました。

大門・・船で20日で着く港です。瀬戸内海の潮どまりの地点でもあります。

江戸時代から現代まで埋め立てがなされたようですが、その昔、 それはそれは風光明媚な港だったことでしょう。

ツアーで、鶴島亀島、お連れしたい場所の一つです!

 

 


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夫婦岩(西宮市)は、イエス終焉の地とマリアの墓とイエス・キリストの墓とモーセの墓がある方角を全て教えていた

2018-11-10 07:41:42 | 邪馬壹国

2018年11月10日(土)


 武部さんが西宮市にある夫婦岩を見に連れて行ってくれました。


私が社会に出たのが昭和47年で、就職した住宅会社の本社が、当時阪急西宮北口の駅前にあり、会社の寮が阪急中山寺(現在の中山観音)の駅から歩いて数分のところにありましたから、道路の真ん中にある特徴ある大岩は、何度も何度も以前から見て知っていました。


ですから、何十年かぶりのご対面でした。


武部さんのブログでもこの岩の話は時々出てきますが、だいたい「夫婦岩」と呼ばれている岩は、大事なベンチマークの岩であり重要な方位を教えていてその指し示す先に三角に尖った目印の山があります。 そしてその延長ラインに大事な都(集落)があり、古代大王の陵墓があることを磐座は教えてくれます。


「夫婦岩の割れた角度は何度なのだろう・・、目印の山と合致しているだろうか」と、到着する前から私の頭の中はソワソワ状態でした。


私は早速コンパスグラスを取り出して角度をノートに書き留めました。


初めて岩にも触れ、360度から見渡し、岩の上にも上りました。


やはり岩の上にも大きな切り込みがありましたが、この切り込みは、丹後半島にあるモーセの墓の位置を見事に教えていました。


帰って地理院地図と照らし合わせたりすると、それはもう見事にイエス終焉の地やイエス・キリストの墓、モーセの墓、マリアの墓の位置と見事に符合しました。


その角度が教える先に見える目印の山も、マリアの墓を教える観音山。


観音様はマリア様だと教えています。


又、イエスの陵墓を教える山が、小天狗山で、天狗とはイエスだと教えていますね。


そして、夫婦岩を中心点としてイエス・キリストの墓までの半径で円を描くとそのライン上には高野山や修験道の本山である吉野の金峯山寺など、山岳信仰にゆかりのある山々や磐座、神社寺院などが存在しています。 偶然でしょうか。


魏志倭人伝に記された邪馬壹国の航路は、現在の韓国の仁川から、仁川(武庫川流域)でしたが、


この夫婦岩のすぐ近くには、古代航海航路のベンチマークマウンテンである甲山があります。


兵庫県の歴史資料では、兵庫県の形ができ上がった当時、一番栄えていたところは、武庫川流域と書かれています。


その武庫川流域のシンボル的な甲山の近くに道標としての磐座があったことは当然のことであり、重要な遺産が壊されることなく存在している意味は重大です。


とりあえずは、緊急報告です。


                        









 岩が教える全ての角度は、モーセ イエス マリア の墓の位置と符合しています!


 あまりにも凄すぎるのです!!


 


 


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兵庫県には昆陽池と言って日本列島を浮かべた池があります

2018-10-23 01:03:00 | 邪馬壹国

2018年10月

 全国でいちばん古墳の数が多い県は兵庫県である。

その数はじつに1万6577基で、2位が千葉県の1万3221基。

3位が鳥取県の1万3094基、4位が福岡県の1万1311基、5位が京都府の1万1310基となっている。

全国的には合計16萬1560基の古墳があるので、兵庫県が約10%を占めているという。

また、古墳だけでなく、遺跡の数と銅鐸出土数も兵庫県がナンバーワン

遺跡所在件数は、兵庫県2万5406、2位の千葉県が2万5131、3位の福岡県が1万6968。

銅鐸出土数は兵庫県で56点。以下、島根県54点、徳島県が42点と続く。

さらに、日本一ため池の多い県も兵庫県である。

兵庫県4万3347、広島県2万183、香川県1万4619、大阪府1万1105、山口県1万636。

2位の広島県の約2倍である。

古墳がたくさんあって、その横にはため池があって、遺跡もあって、銅鐸もたくさん出土している県が兵庫県ということです。

これらの大規模な土木工事を行うには、測量器械がなくてはなりませんが、銅鐸がその役割を果たしたと言うことです。

これらの意味することは、この兵庫という地は特別なところで、古代王族たちがどの地域よりも居住していて、王族のお墓がたくさん古代大王の陵墓を守っていることを教えています。

兵庫県最大の前方後円墳は「五色塚古墳」(神戸市垂水区)で、全長194mということですが、神河町南小田836m山頂のイエス・キリストの墓である前方後円墳は、全長270mはあるかと思われます。300m級ほどの大古墳から卑弥呼の150mほどの古墳など兵庫県の山中には何基も隠されています。

もう小さいのならいくらでも山中に眠っています。

インターネットの時代になって、もうこれらの事実は隠し通すことはできないでしょう。


ところで、兵庫県伊丹市に日本列島の形をした島がある「昆陽池」をご存知だろうか。

この池は東大寺大仏殿建立の責任者と知られる高僧、行基が指導する集団によって、奈良時代の731年から約10年の月日を費やして造られたということですが、このポイントが実に妙です。

昆陽池は、東大寺大仏殿と出雲大社とを結んだライン上にあって、

東大寺大仏殿とイエス・キリストの墓の横にあるハートの丘が教える絶峯御林とその昆陽池から西に行った場所で3:4:5の大矩を描くポイントに

生石神社(おおしこじんじゃ)のモニュメント的な巨石の石の宝殿があります。

石の宝殿の巨石は、見事に奈良橿原神宮にある神武天皇陵と出雲大社に向けて設置されています。

この石の宝殿の巨石の下に、イエス・キリストの聖杯が置いてあると以前ブログに書いたことがありますが、すぐさまグーグル社は地図上から神社名を消したり、衛星写真の情景も変わりました。

そしてそれからほどなくして、国指定文化財認定となりました。 

これらのことは偶然でしょうか

ちなみに、昆陽池の日本列島は50数年前に、大阪国際空港(伊丹空港)から離陸した直後の窓から見て楽しんでもらえるよう、意図的につくられた人工島ということですが、これも先人達の想いと、現代人の想いとが織り成す妙であります。


邪馬台国は邪馬壹国が正しくて、女王卑弥呼は大国主命=イエス・キリストの墓守を聖地神河でしていたのでした。

政治政体は奈良巻向で、国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の朝来市生野町と神崎郡神河町で、卑弥呼の居城であり陵墓は婀月山でした。

卑弥呼の陵墓は、五色塚古墳と同じく表面は全て栗石で覆われていて、居城である遺跡の証拠も在りました。

  

東大寺大仏殿の真西に、大本教の聖地と言われる上島があり、その西にクラ掛島があります。

それらの各島から真北に上がったところにダビデの墓やイエス・キリストの墓が造られています。

これらの基本的霊ラインの上には神社や寺院、それにベンチマーク的な山や磐座があり、それらの点からまた三角法で次の点あ導きだされるようになっています。

それらの図形は、イエス・キリストの墓や卑弥呼の陵墓などに集まるように霊ライン網が作られています。

あまりにも見事です!

 昆陽池を上空から見ると・・!


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日本人をシャモと呼んでいたアイヌの人達

2018-09-18 10:21:36 | 邪馬壹国

2018年9月18日(火)

 東京セミナーが終わった後に、いつも温和でチャーミングなTさんが私に小冊子をプレゼントしてくれました。

その二つの小冊子は、アイヌ語辞典でした。

私は日本語と共通語があるのかを一つ一つ見てみましたが、なかなか見いだせませんでした。

でもその中に、日本人(内地人)をシャモということばに、ハッとする言葉を思い浮かべました。

魏志倭人伝に記されている邪馬壹国の四文字は、シャモイッコク と読んで、モーセの教えを第一とする国であると教えられたことでした。

軍鶏と書いてシャモと読みますが、間違いなくモーセを表現していることでしょう。

失われた十部族の足跡(アビグドール・シャハン 著)のP237にも

ヘブライ語で「モー・シェ」という名前がさかさまに発音されると、「シェ・モー」となる。しかしエフライム人は「sh」の発音ができないため「セ・モー」となる。

彼らはこの「s」の音を、エジプト語のヒエログリフで発音するように「z」の音で発音した。

よって「セ・モー」が「ゼ・モー」となり・・、と書いている。 このことをこの本で読んだ時も私はビックリしました。

だって・・、このようなことを知らない時に、邪馬壹国はシャモイッコクと読むと教えられていたのですから・・。

アイヌの人達は、日本の歴史を間違いなく知っているようです。

この日本はモーセの国であり、イエスの国であることが証明されていくことでしょう。

聖書の舞台は日本であることを世界の人達が気付きだすことでしょう。

Tさん、ありがとう!

 


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軍鶏 シャモはモーセ

2017-01-01 14:54:37 | 邪馬壹国

2017年1月2日


邪馬壹国は、シャモイッコクと読みます。


モーセの教えを第一とする国のことです。


酉年の今年は、旧約聖書の主人公モーセのことを教えられることになると思っています。


昨年の申年には、徹底的に猿田彦=イエス・キリストの教えられましたから・・。



下の画像は麻賀多神社のものです。本殿正面ですが、拝殿に隠れてなかなか目視できませんよ。



 


上の画像は、我が国の創建の謎を教えてくれる京都府丹後町にある竹野神社(たかのじんじゃ)の拝殿上にある軍鶏の彫り物です。





  


丹後半島のモーセの墓の近くの竹野神社と麻賀多神社の軍鶏の彫り物には大きな意味があるようです。




 


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卑弥呼の「卑」について教えて下さい

2016-12-02 17:47:26 | 邪馬壹国

2016年12月3日(土)

「中国のお友達に卑弥呼の「卑」の文字を見てどう思うか聞いてもらえませんか」と、2週間ほどアメリカに行ってて帰って来たばかりのFさんに居酒屋で話すと即座に聞いてくれました。

「謙遜の意味で使うようですね」

「神様とも・・、梵語とも言ってますよ」

「少なくとも、いやしいとか悪い意味でないと言ってますね。悪くないと・・」とFさん。

「そうですかぁ!嬉しいですねぇ」と私。

「そう言えば、石碑の碑に卑しいなどの意味などないでしょう」

「そうですよねぇ、誰かがどこかで漢字の意味をすり替えていますね」と私。

日本神話に登場する女神、石長姫(イワナガヒメ)は、古事記では石長比売。

日本書記、先代旧事本記では磐長姫(イワナガヒメ)の名で登場しますが、このイワナガヒメが可哀そうな呼ばれかたをされているようです。

私はイワナガヒメを卑弥呼であると教えられています。

この国が分裂しそうになったときに、命をかけてそれを阻止した大王イエス・キリストの直系である偉大な卑弥呼おばさんを、醜いだのイヤシイだのと・・、あまりにも可哀そうです。

「恩を知りなさい」と恩智神社の位置までもそのことを教えていましたよ。

石長姫神社と磐長姫神社を結んで、卑弥呼の陵墓や王家の人達が眠る聖地の場所なども教えていました。

いよいよ、イエス・キリストと卑弥呼の復活の時が近づいているようです。

 

古代日本の歴史を紐解くとき、紀元前のユダヤ(イスラエル)の統合、分裂の歴史をあてはめないと、記紀などで表された意図は受け取れません。

『魏志倭人伝』に合わない日本の史書

「邪馬台国」は、西晋の陳寿(ちんじゅ・233~297)の編纂した『三国志』(成立は280年以降と言われる)という中国の正史の中の「魏書(ぎしょ)」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(うがんせんぴとういでんわじんのじょう)、通称『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に登場する国の名前だ。

つまり、中国の歴史書に記された日本の歴史なのである。紀元239年、倭国の女王卑弥呼(ひみこ)が魏に使節を送り、240年には魏からの使節が倭国に来た。『魏志倭人伝』は、主にこの時の魏の使節の見聞を元に書かれたと思われる。

その後、243年に倭国の使節が再び魏を訪れ、247年には再び魏の使節が倭国を訪れている。このとき、魏の使節は卑弥呼の死に遭遇し、『魏志倭人伝』には、その前後の様子も記述されている。

問題は、この「中国の史書に書かれた日本」と「日本の史書に書かれた日本」がぴったりと合わないことである。日本で古代の正史とされているのは、『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)だ。

『日本書紀』には、神功皇后の条に唐突に『魏志倭人伝』からの引用があって、神功皇后を卑弥呼にあてようという『書記』の編纂者の意図が見られるが、前後に引用されている百済史との年代の矛盾が指摘されている。『書記』の編纂者は『三国志』を参照できる立場にあって、これをなんとか当てはめようという苦肉の策をとったのだろうが、引用のみで済ませて、日本側からの記述がまったくないのも不自然だ。

要するに、合わないのだ。『古事記』、『日本書紀』には、編纂当時の政治状況が大きく反映しており、その当時の天皇家が日本を治めることの正当性と正統性を主張する意図で編まれているため、それに合わない国内のものは抹殺(焚書)し、国外のものは先の引用のようにごまかすか無視しているのだ。

つまり「邪馬壹国」も「卑弥呼」も、日本の正史には登場しないと言っていい。

果たして、どこにあったのか? 大和朝廷との関係はどうなっているのか?

この謎は解けるのだろうか?

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/ccb1bc825aa7d88c6429a7b5d2f60a98

 

私には、魏志倭人伝は100%矛盾はないと聞こえてきます。

生野、神河町の情景と陵墓の大きさなど全て一致しています。

又、卑弥呼の三文字の出所も倭人伝からの文字ですが、作者の陳寿は、そのいやらしいとか軽蔑の意味で使っていないと聞こえます。

むしろ全くその逆で使っていると聞こえます。

イエスキリストは、キルギス生まれで、高句麗の第三代大武神王であり、我が国の初代大王です。

その時代、現在の日本や韓国、北朝鮮、中国などの国境線は無い共和圏で、大いにイエスは世界から信頼を得ていたと思います。

その大王の死後、我が国は78年ほどの長きに渡って戦場となりました。

そしてイエス大王の死後100年目に卑弥呼が女王として共立されました。

卑弥呼22歳の時でした。

卑弥呼はイエスの直系で5代目です。 

その直系の姫御子を「いやしい」とかの意味では陳寿は絶対に使っていません。

 

現在の生野は、本当はイヤと読みます。

卑弥呼に組しなかった狗奴国の男王は 卑弥弓呼 と書かれています。

・・この呼び方をどう思われますでしょうか。

私が教えられている狗奴国は、主に現在の徳島県と和歌山県です。

徳島には平家の里で有名な祖谷がありますが、これもイヤです。

紀伊半島を渡ったら熊野・・これもイヤと読みます。

生野 祖谷 熊野を結ぶと これらはイヤトライアングル と言って 正三角形を描きます。

イヤとはヘブライ=アイヌ語で、宝物を長期保存するという意味があります。

徳島の粗谷地方に残る謎の神楽歌は、ヒミコが眠る本当のイヤのことを教えていました。

http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/2ac789bd47a8664ca4efa445fb409deb

イヤトライアングルは、初代大王イエスとその仲間たちで創っています。

「卑弥呼」と「卑弥弓呼」の呼び名には、これらの意味が隠されているようですよ。

 

紀元前660年は、北のエフライム王と10士族たちが日本に来て、第二ウガヤ王朝としてスタートした時代です。

因幡の白ウサギの話のウサギさんはウガヤの王様で、大国主命は、そのウガヤの流れであることを教えています。

余談ですが、ガマの穂綿にくるまれば・・は、「ガマ出せ!」「王だというのであれば、あぐらをかいていないで、人より倍も三倍もガマ出せ!」

そうすれば、又、元のように皆から信頼が得られることを、大国主は教えていました。

ちなみに「ガマだす」とは・・、私が生まれ育った熊本芦北地方では、「働く」と言う意味で、「一所懸命ガマ出せ!」は「一心不乱に働きなさい」という意味で使われていたように記憶しています。

 

記紀には、邪馬壹(台)国 も卑弥呼の文字もないという意味は、ここにこそ何千年もに及ぶユダヤの北と南の覇権争いが読み取れます。

天智・天武・・持統天皇や藤原不比等たちの釈然としない葛藤が伝わってきます。

藤原家の本当のルーツが、倭国大乱の元になっていることを世の方々はご存じありません。

日本の七福神と中国の千山の九福神の謎解きは、このことを教えていました。

これらのことを4冊目の本には書き入れたいと思っています。

 

現代でも「卑弥呼」の三文字を中国の人達は、少なくとも日本人が「いやしい」と言うような軽蔑した意味あいなど持っていません。

「いやしい」という意味あいだと吹聴した「卑しい人達」の謀略に乗せられてはなりません。


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卑弥呼生誕の日に、日月神示を解く!

2016-08-30 21:18:28 | 邪馬壹国

2016年8月31日(水)

 今日は、卑弥呼さんが生まれた日です。 1839年前の事でしたぁ。

そうそう、卑弥呼さんの幼少の頃の名前は、「あづき、と呼ばれていました」と言うことでしたね。

AD177年8月31日、現在の兵庫県香美町庵月山でお生まれになりました。

身長162cm 血液B型

248年11月17日。イエス・キリストの命日を選んで入定。5日後の22日に死亡。享年71歳でした。

大事な大事な卑弥呼さんの誕生日の今日、日月神示が解けました。

淡路島には、1.2㎞ほどの勾玉が造形されていましたが、なんとぉ! 玉と勾玉が岐阜の山にも造られていました。

その山に向けて、日月神示がおろされた麻賀多神社は造られているようです。

又イエス王家の聖なるラインの先に、重要な神社が存在していました。この神社は淡路島の勾玉の山に向けて造られているようです。

日月神示が教えていたことは、ダビデの星の中心にチョンを打つこと(見つけること)でしたが、これは生野、神河を頭にするダビデの星の中心に淡路島の勾玉山が存在していることを教えていました。

玉と勾玉(日と月)がセットで造られている山の位置情報は、亀さんが教えてくれます。

麻賀多神社ともう一つの神社は、日月神示の重要にして重大な神社が存在することを教えていました。

もう一つの神社と淡路の勾玉の山を結ぶと、丁度富士山山頂を通ります。

そしてその中間点で垂線をあげたライン上にその「玉と勾玉」の山は存在していました。 

その三点を結ぶと綺麗な二等辺三角形を描きます。

富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる

と、その仕掛けはしてありました。

  最後の最後、卑弥呼さんが教えてくれました。

そうそう、そういえば、卑弥呼さんは、自ずから入定するときの大事な岩戸の中に、玉と勾玉の形をした二つの石を大事に内封していました。

凄いパワーをこの石は発しているようです。波動測定器ではその石の破片でも最高値を振り切ります。

卑弥呼さんの思いが詰まっているようです。

この二つの石は、大事にスタップサロンでお座りになられています。

又、卑弥呼さんのお墓の中には、血塗られてない王家の三種の神器が間違いなくあります。

現在、王家に伝わる血塗られた三種の神器はダビデの星の南の海に沈め、血塗られてない王家の三種の神器を一刻も早く王は手にすることです。

神河町にある779mの女王卑弥呼の陵墓からそれは出土します。

他国へ持って行かれるようなことあらば、それはそれは大変なことが・・、日月神示はそのことを告げています。

  

 

2013年1月23日(水)

国生み神話の淡路島。 その淡路島を囲むカゴメ紋(ダビデの星)の中心ポイントの山の形が気になり、「何の形なんだろう!? 何なんだ!?」と見つめていて、・・ハッと気がつきました。いつも私がキーケースに下げている、石上神宮でいただいた勾玉(まがたま)の形でした。

中心ポイントには、天皇家の三種の神器の一つの勾玉が、山で1,2kmの大きさで造られていました。

さぁ大変です、神様の神様、大の主(ス)の神様、天照主日大神様(男)がいよいよお出ましになられる気配です。 

ところで、淡路島に洲本(スモト)という地名がありますが、このことをキッチリと教えているのでしょう。

いや~~ここも、見事に守られてきました。 川で二重に取り囲み、難攻不落の山城のようでもあります。この場所から神河町にある卑弥呼の墓をキッチリと眺め、拝むことができます。又、福山の大門も見通せます。

でももっと不思議の一致と言いますか、この勾玉が指し示す方角にキッチリと熊山遺跡(岡山県)があり、その延長線上には、1996年に加茂岩倉遺跡で大量の銅鐸が発掘されたことで有名になった島根県安来市加茂町にある貴船神社や賀茂神社がある城山に行き着きます。

賀茂族とヒスイの勾玉と、女王卑弥呼と淡路のシオン山とに、大いに関係がありそうです。

出雲と卑弥呼と伊勢神宮の関係、邪馬壹国の真相を、天照主日大神様がキッチリと教えています。

もう天皇家も含めて、この我が国の本当の歴史を国民に、そして全世界に知らしめなくてはなりません。 我が一国の天皇という認識を改め、我が国の天皇は世界人類のスメラミコト(天皇)であると言わなければなりません。

天照主日大神様も天照大神様もそう言っておられます。

そして・・「整えよ!」 との御神託です。

そうそう、昨年の5月のことですが、「胎児が生れようとしているけど、死にかかっている」と神様が私に言われるので、飛んで行って、「おお・・これが代代受け継がれてきた王権の印、勾玉かぁ」と見つめ、白っぽくカサカサに見えた八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)に、丁寧に丁寧にピンクのテラファイトでパワーを与えると、白っぱかった勾玉がみるみる深みのある濃いグリーンに生き返りました。いつも鈍感な私ですが、この時だけは、テラファイトをかざした後に、そ~~っと両手を勾玉に近づけると、ビリビリジリジリと手のひらに伝わってきました。 それはそれは見事な大きな勾玉でした

「この三種の神器と全く同じものが卑弥呼の墓の中にもう一組みありますわよ」と、昨年6月に生れ出た卑弥呼おばさんの御霊が私に言うのですが、そんな気がしてきましたぁ

ああ・・、この情報を世間が黙って無視し続けて行くと、男神、女神、両方の天照大神様が、ちゃぶ台をひっくり返すような気もするこの頃ですが・・、そうなるともう手が付けられなくなるんですがぁ・・・

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Img1231725190001元ひとつ 安藤妍雪著

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竜王山は大王イエス・キリストを遙拝する特別な山でした

2016-06-20 11:27:05 | 邪馬壹国

2016年6月20日(月)

竜王山の東南にまっすぐに伸びた稜線は、等高線地図で見たとき、意図的に造形されているように私には見えます。

現地へと行きましたが、何とも言えない素晴らしい光景が以前はあったと想像できました。

でもその情景を作り出していた赤松の参道も今は朽ち倒れた赤松の残骸から推測するだけでした。

なんと、広場からそびえたつ竜の磐座を眺めると、そのはるか遠くには、イエス・キリストの遺体を入れた神河町上小田のイエスの陵墓へと行きつきます。

偶然であろうはずがありません。

ここの竜王山はオリオン座のサイフという星ですが、ここからイエス・キリストに手を合わすと、サイフにお金が貯まるとか・・??

・・であれば良いですねぇ。 この日を境にして私のサイフにお金が貯まるようでしたら・・ ・・ んん 楽しみにしたいと思いますぅ。

 

この季節には、祈りの広場からみていると、丁度、龍の磐座がある竜王山に太陽が沈んでいく素晴らしい光景が空海さまの時代には見えたことでしょう。

邪馬壹国(邪馬台国)は、オリオン座、子犬座、大犬座をこの大地に下して、それをモデルとして国土設計していましたが、やっとこの目でその重要な山々を見ることができました。

やはり、オリオン座でも一番赤く輝く星がベテルギウスですが、その場所に赤い土だけで前方後円墳が造られていたことも、大いに意味あることでした。

これだけの壮大なスケールで国造りが行われたことは、多くの方々に夢と感動と生きる勇気を与えたことでしょう。

その感動の主人公こそ、今尚世界中の人々を魅了してやまない要因なのでしょう。

そろそろ我が国の初代大王、イエス・キリスト=大国主命の再臨のようです。

いつもながらに武部さんは、重要な磐座を真っ先に発見します。 

さすがに今回も、モーセの直系武部さんの存在があればこそでした。 

本当に感謝です! 武部さん、 ありがとう!

   、

              

 

 


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神河町は神様が居られる都でしたし、聖地です

2016-05-23 11:01:27 | 邪馬壹国

2016年5月23日(月)

 21日(土)岩座神(いさりがみ)の五霊神社へと行きましたが、神社本殿の屋根に神紋を見つけました。

橘の紋のようですが、これは明らかに七枝のメノラーですね。

イスラエルの国章も七枝のメノラーを中心にデザインされていますが、神河町にこれらのメノラーのデザインの基本となる1.5㎞もの巨大な一対のメノラの地上絵があることと無縁ではないでしょう。

又、神河町の長谷という地区に栗というところがありますが、この栗の地名こそイスラエルと日本の関係を教えてくれています。

イエス・キリストの遺体が埋められたオリオン座のベテルギウスにあたる神河町南小田の墓守をしていたのが卑弥呼でした。

卑弥呼は、イエス・キリストの直系であるがゆえにイエスが死んで80年弱続いた倭国大乱を終息、再起するために、イエス・キリストが亡くなって100年後に女王の座に就きました

女王卑弥呼が居住していたところが、神河町の栗でした。 当然として卑弥呼は神河町の阿月山に陵墓を築き、、イエスの命日の日、AD248年11月17日に自ら入定し、5日後22日に息を引き取りました。享年71歳でした。

 

 

女王卑弥呼の古墳がある神河町の八幡山連峰の西麓に「 栗 」とういう集落があります。

ここ栗に今から3000年前に、カルクーと呼ばれた古代イスラエルの都サマリアの関係者でもあった私達の先祖が帰ってきたと私は考えます。

この方々は、カリア人、クリ人と呼ばれ、高句麗にも都を築いたようです。  高句麗のクリも栗も発音は同じです。

そして高句麗があった、現在の中国遼寧省鞍山市にある道教の聖地である千山と、ここ神河町の栗との関わりに重大な秘密があります。

そのことを生命の樹(カバラ)という目には見えない設計図や巨大地上絵などで現代の私達に先人たちは古代の秘密を解けるようにしてくれていました。

そして、徳島の粗谷地方に残る謎の神楽歌こそ、生野、神河町の秘密を教えてくれていると私は推測します

この歌が歌われた時代、1里を0,5㎞で計算すると、丁度現在の生野、神河町の境界あたりから丁度4.5㎞で栗に行きつきます。

九里きて栗に行って九里もどるとは、邪馬壹国の女王が住む都の地理的条件(栗から南は投馬国である)を教えていると考えています。

 

生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。

九里きて、栗行って、九里もどる。

朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の禰に照らす。

朝日も夕日も照らす山頂に陵墓があることを教え、ない椿の禰とは、71歳で亡くなった卑弥呼の御霊のことを教えています。

生野の谷から何が来た。

恵比寿、大黒、積みや降ろした。

伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。

生野の空から、御竜車が三つ下る。

 

サマリアの旧名はクリである。

・・・下記はウィキペディアより抜粋・・・

サマリア(Samaria) は、パレスチナヨルダン川西岸地区の北部を意味する。

ヘブライ語ではショムロン(שֹׁמְרוֹן‎,Shomron)、アラビア語ではアッサマラー(السامرة‎‎,as-Sāmarah)。

 

サマリアは元来は、パレスチナ(イスラエル領を含む)北部に位置した北イスラエル王国の首都の名であった。現在はアラブ人居住者が大半を占めるため、アラビア語サバスティーヤ(Sabastīya) と言うことが多い。紀元前772年の北イスラエル王国滅亡(アッシリア捕囚)後は、その旧領土一体にアッシリアによりサマリア県が置かれた。サマリア県はアッシリアに続くバビロニア時代にも存続し、紀元前586年南ユダ王国滅亡(バビロン捕囚)後は、その旧領土、すなわちエルサレム周辺も、一時的にサマリア県に併合された。

西岸地区北部をサマリアと呼ぶことはシオニストに好まれ、彼らはヨルダン川西岸地区ユダヤ・サマリアと呼ぶ。

「パレスチナ」というのはペリシテ人の土地、という意味であり、ローマがこの地からユダヤ性を奪うために改名した名前である。また「ヨルダン川西岸」というのは、ヨルダンが西岸地区を占領していた時代に、ヨルダン川に跨る国家であることを示すために付けた名前である。この地域の名称がもし「ユダヤ・サマリア」と呼ばれ続けたならば、シオニズム運動は別の展開を見せていた可能性がある。

 

 


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ポセイドンの黄金の槍が出現

2016-04-08 10:09:20 | 邪馬壹国

2016年4月8日(金)

前日昼間、ものすごい睡魔に襲われ眠り入りました。そして目が覚めて・・・

「ポセイドンの槍・・、ポセイドンの槍・・」と響いてきました。

・・ので、

すぐさまそれで私はいつものように国土地理院地図を開いて、ポイントを打って線を引きました。

それは頭で考えるのではなく、もう勝ってにできあがってしまうという感じでした。

イエス・キリストの墓 ・ 女王卑弥呼の陵墓 ・ 明日巡礼ツアーに行く神光寺 ・ 神光寺から南に見える烏帽子山 ・ えびす神のお墓である高星山 とプロットして、点と点を結んで線を引いていきます。

そうしたら・・どうでしょう。

ポセイドンの黄金の槍がいとも簡単に浮かび上がりました。

不思議ですねぇ、あまりにも不思議です。 私はギリシャ神話も全く知りませんが、目が覚める瞬間、「ポセイドン ポセイドン」「ポセイドンの槍」と・・。

ポセイドンは海の神であり地震の神でもあるようですが、海の神と言えば日本ではヱビス様です。

私にはその恵比寿様のお墓が、神河町にある高星山だと教えられて昨年末にその場所へと行きましたが、そこからはイエス様の山も見えていました。 素晴らしい景色のところでした。

 ・・ ところで、 えびす神 ヱビス神 恵比寿神 恵比須神 戎神 蛭子神 戎神 夷神・・んん~~んこれは何かを教えているようですね。

   蛭子は流した  んん~~ん、何かを感じますねぇ。

   十戒 ・・・ 戎  んん~~ん、似てますねぇ。

   蝦   ・・・  んん~~ん、日本の隠された、いえいえ世界の隠された歴史の真実を教えている気がしてなりません。

 七福神とは、この我が国の礎を築かれた実在した7人の御方達ですが、大黒様はイエス・キリストで弁財天が女王卑弥呼でした。

空海様は、「ほらほら、えびす様は鯛を持っているだろう・・」と教えてくれましたが、鯛を持っている恵比須様は、イエス・キリストの12使徒の一人であり従兄弟のタダイでした。

ダタイは漁師の息子でしたが、いつも肩に担いでいるのは釣竿ではなく、本当は槍を担いでいました。

そしていつも えびす様と大黒様は一緒だったようです。

(能勢の七面山七宝寺の恵比寿様と大黒様)

・・・

 モーセの十戒を第一とする理想国家建設が邪馬壹国でしたが、その戒めを破っている組織が、世界の本当の歴史が表に出ることで存続が危ぶまれるので、この日本になにやらよからぬ計画を企てているとしたら・・・。

世界の本当の歴史とは、キルギス生まれのイエス・キリストが我が国の初代大王としてこの国の礎を築き、その大王の陵墓も神河町に存在するという事実なのです。

ですから、イエスが死んで倭国大乱が80年ほど続いた後、その方のDNAを受け継いだ姫巫女が陵墓がある聖地である現在の神河町へと連れてこられて有力な部族たちに共立されて女王となることで、理想国家建設が再スタートしました。

でもその時にはすでに西の国々でイエス・キリストを崇める宗教組織が勢いづいていましたから、イエス・キリストの墓を隠し続けることがこの国の防衛でもありました。

ですから、邪馬壹国(邪馬台国)の存在も日本の記紀には書くことなく伏せられました。

でも今の時代になっては、世界の本当の歴史の真実を表に出さないと、神々様達が「もう約束の2000年はとっくに過ぎていますよ。約束は守ってくださいね」と、言って居られます。

「ヨベルの年のヨベルの月が終わるまでには、約束は果たしてくださいね」と言って居られます。

さぁ~大変ですよ。

ポセイドンの黄金の槍は、キッチリとその方々に向けて狙いを定められていましたから・・・。

 

明日の聖地巡礼ツアーでは、その黄金の槍の場所へも参ります。 世界の平和が訪れますようにと皆さんと手を合わせます。

 

 


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埋田神社には大変な秘密が隠されていました

2016-04-04 16:34:13 | 邪馬壹国

2016年4月4日(月)

兵庫県神崎郡神河町中村629-1にある埋田神社は、大国主命=イエス・キリストと女王卑弥呼と・・なんと何と、互いに誅殺しあった千余人の方々が埋められた場所を教えていました。

埋田神社から本殿に向かって手を合わせると、千余人の方々の御霊に手を合わせるように、神社の向き(219°に向けて建っていて、人々は39°に向かって祈る)は設計され配置されていました。

卑弥呼さんの陵墓の位置を出すポイントからイエス・キリストの墓と埋田神社までの距離は同距離で、三点を結ぶと綺麗な二等辺三角形を描きます。

又、卑弥呼さんの後円部の頂点から、春日神社、法楽寺、埋田神社を通って東のメノラーまで見事に一直線です。

皆さんはこのことが偶然と思われますでしょうか。 これはキッチリと設計された配置です。

       

埋田神社から遠くに見える山は、女王卑弥呼の陵墓です。

埋田神社と卑弥呼の陵墓の間に、法楽寺と春日神社が見事にライン上に位置しています。

先人達は、神社やお寺をライン上に配置し、その建物の方角にも妥協していませんでした。

先人達の思いを無駄にすることなく、もう本当の・・真実の歴史を表に出す時が来たようです。

 

卑弥呼の死  
卑弥呼はすでに死んだ。大いに冢つかをつくった。径(さしわたし)は百余歩・徇葬者(じゅんそう)のは百余人であった。あらためて男王をたてたが、国中は不服であった。こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺し(あっ)た。

 

卑弥呼さんのお墓と百人が埋められた場所も今まで教えられていましたが、

新たに、神河町で千人が埋められた場所も教えられました。

その場所の写真です。 このことは、空海様も最澄様もご存じでした。

 9日に行う巡礼ツアーは、乗り切れない人が沢山居られる状態です。

私達の先祖を遡っていくと、必ず埋められている方々に間違いなくたどり着くことでしょう。

それで、新たに5月21日(土)に神河町への巡礼ツアーを組みました。

邪馬壹国(邪馬台国)の大変なドラマの舞台に眠る方々にお参りに行きます。

心ある方々と共に、一刻も早く御参りに行くことを昨日、御霊さま達に報告してまいりました。

 


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七福神の謎を解け!

2016-01-08 15:55:54 | 邪馬壹国

2016年1月8日(金)

七福神とは一体だれか?

「我が国の創建に多大な貢献をした人、7人の名前を挙げなさい」という当初の問いには答えが見いだせたようです。

その答えは中国の千山から邪馬壹国(邪馬台国)の女王卑弥呼さまへの謁見ルートと、その両都の秘密を解くことと、イコールでした。

そして今年も恵比寿神の季節がやってきました。

女王様の都、生野、神河町の王家の丘には七福神さま達の陵墓や祈りの地下神殿が造営されていました。

先月の28日には恵比寿様の陵墓へとご挨拶に伺いましたが、千山に祀られていた恵比寿様はどのプレートと絵の方でしょうか。

大黒様と恵比須さまは、従兄弟同士でした。

大黒様は大国主命でイエス様でしたが、

さぁ恵比須様は誰でしょうか?

恵比寿様は何を持っておられるでしょうかねぇ。

昨年末までに、七福神様達の陵墓全て御参りを済ますことができました。

 めでたい メデタイ・・!!

              

 

 


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やっと会えましたぁ!

2015-12-21 14:07:18 | 邪馬壹国

2015年12月21日(月)

 

  

 初代大王亡き後の倭国大乱を終焉させるべく、大王の直系である卑弥呼を共立して創られた国が邪馬壹国(邪馬台国)でした。

その時、何を持って国土設計をしたのか。  ・・・それはオリオン座を模しての国造りでした。

ベテルギウスがイエスや卑弥呼が眠る王家の人達が眠る丘でした。  ・・ここが世界の聖地です。

一昨日は、ベラトリクスにあたる弥仙山に登り、その山が自然の山に手を加えた痕跡を見るために行きました。

そこには私が想像し期待したものをキッチリと見せてくれました。

岩山に手を加えた痕跡や、立派な方位石もキッチリと存在していました。

そしていつもながらに武部さんを隊長とする清掃部隊に早変わり。

おそらく今までに沢山の方々がこの山に登頂されたことでしょうが、重要な役割をはたしている磐座がそこに存在している意味を分かっているかたは少ないのかもしれません。

丁寧に掃除しました。 ・・・んん~~ん、そこからでしょうかね、出口なおさんが、「長い間この山の重要さを分かってもらえる人をここで待っていましたぁ。 やっと会えましたぁ!あなたたちと共に旅をさせてください」と、どうもついてこられたご様子としかいいようのない出来事が翌日にも起こってしまいました。  ・・・ つづく。

                  

 

 

 

 


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