2020年2月29日(土)
対馬の厳原を出港した船は、急ぎの場合を除いて、壱岐の勝本浦へ着くのではないのだろうか。
・・と言うのも、一支国博物館で買った、『古地図が語る壱岐の姿』の本に、伊能忠敬が描いた大日本輿地便覧〔江戸時代後期1834(天保4)年作成〕に、描かれている地図には、
勝本浦を対馬舟路 郷ノ浦を備前舟路 と描かれている。
おそらく女王卑弥呼が居た時代も、そのようになっていて、勝本浦から郷ノ浦の南北ラインを人が往来していたのではないのだろうか。
そしてその陸路の途中、西は湯本、東は芦辺の港に行く道の交差点に「亀石」が目印として置いてあったのではないのだろうか。