2017年3月9日(木)
壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、(ユリウス暦672年7月24日 - 8月21日[1])に起こった古代日本最大の内乱である。
天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。
反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。・・・(ウィキペディアより)
・・・
天武天皇陵の真北に天智天皇陵があることは、私には驚きです! 真北なんです!!
この南北のラインに対して、どのような山や神社があるのかを探すと・・、なんと伊勢神宮の北にある「猿田彦神社」があります。
そしてこの3点を結ぶと見事に、3:4:5の直角三角形である大矩を描きます。 ・・ これは間違いなく、基本となる図形です。
そこから導かれる場所が、応神天皇陵です。
猿田彦 = イエス・キリスト です。
なんと、 応神天皇陵から猿田彦神社までの距離と、応神天皇陵から神河町のイエス・キリストの墓までの距離は、102㎞と全く同距離です。
そして・・、猿田彦神社とイエス・キリストの墓を結んだ中間点に、桓武天皇も二度もその場所で祈りをした交野山が位置しています。
又、京都山科にある如意ヶ岳からも綺麗な二等辺三角形を描きます。
これらが教えることは重大です!
猿田彦 = イエス・キリスト であり、応神天皇は、イエス・キリストの直系であることを私達に教えています。
さらにさらに・・これらの基本ラインから桓武天皇の遺体が埋められた場所も導かれていきま~~す。よ!!
・・・
昨日3月8日(水)に、4冊目の図版のレイアウトを矢野さんが完成させて、出版社へと送りました。・・今から出来上がりが楽しみです。
イエス・キリストの墓は、前方後円墳でできています。 その横にはハートの形の山もありました。