2020年1月4日(土)
伊奢能麻和迦王の陵墓を私はこれから竜石山古墳と呼ぶことにしました。
竜石山古墳の大きさは、応神天皇陵とほぼ同じ大きさの古墳です。
そしてこの古墳の主の故郷なり、伝え残したい場所は、尾張、三河方面を教えています。
この方向には、名古屋港がある名古屋市港区です。
一点を示すなら港区の「龍神社」です。龍神社は竜石山古墳との関係を教えています。
そしてこの龍と竜を結んで1:1:√2になる場所に、邪馬壹国の女王卑弥呼が絶対的に信頼し頼りにしていた「一大率長官」の墓があります。
一大率の墓は、出雲大社と内子のピラミッドと2:1:√3の地点に造営されました。
出雲大社と宇佐八幡宮と内子ピラミッドは2:1:√3で、出雲大社と内子のピラミッドと馬路の八杉森も2:1:√3です。
「女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむ、諸國はこれを畏(おそ)れ憚(はばか)る。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史(しし)如くあり」
卑弥呼が一大率長官に特に目を光らせていた地域が、敦賀であり琵琶湖であり伊勢湾でしたね。
そして一大率長官は、船で移動する海神でしたね。
下の地図のピンクの部分が、邪馬壹国です。
卑弥呼は、女王国より以北、特に一大率を置き諸国を検察しむなのです。
琵琶湖と日本海の拠点が敦賀・若狭湾であり太平洋が伊勢湾・三河湾、伊良湖水道です。
一大率は、現代で言えば、自衛隊の海軍を率いる国防大臣でしょうかね。
イエス・キリストの血を引く卑弥呼を女王とし、オリオン座を下ろして設計された邪馬壹国の国土は、外敵から重要ものを絶対的に守るための国土設計になっています。
その重要なものとは・・、イエス・キリストの墓です。女王卑弥呼は、イエス・キリストやその王家の人達の墓守が務めでした。
畿内説を悩ませてきたひとつの記述が「女王国の東」である。
女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種。
畿内説では、東に海がないからである。
上森説の邪馬壹国の版図は、日本海岸まで達しているので、東へ海を渡ることができる。千余里は1里=77mの短里で計算すると、77km余なので、80kmくらいか。
この距離は、丹後半島の伊根、あるいは宮津、舞鶴から出発して、敦賀湾の奥の敦賀までの距離に相当する。ここには気比(けひ)神宮という神社があって、主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)というこの神社特有の神様だ。この神様の降臨の地、「土公」と呼ばれる塚には、大きな木が生い茂っているが、卵型の岩が八角形に並べられていて、最澄さま、空海さまが7日7夜の祈祷をされたというから、ただ事ではない。
また、気比神宮の摂社に角鹿神社(つぬがじんじゃ)があり、『日本書紀』に垂仁天皇の時に渡来したと記されている意富加羅国(任那国)王子、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が祀られているのも注目に値する。
聖地神河には、猪篠(いざさ)という地域があります。そしてその奥に卑弥呼の陵墓が一番きれいに見えるところに奥猪篠と言う集落があります。
そしてこの奥猪篠の上に白岩山(973m)があり、この山を私は七福神の一人、毘沙門天の墓だと教えられています。
んん・・・ん、全て繋がってきますよ。
壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)が尾張に援軍を要請したことで、大友皇子の陣営が戦意を失う意味、その謎が解けてきましたよ!