偶然でしょうかぁ・・
生野、伊島の縦のラインに対して東に正三角形を描いた頂点に、キッチリと亀山(奈良県宇陀郡曽爾村)があります。そして・・、西は、大門貝塚がある大門(広島県福山市大門町)ですが、大門町誌「大津野のあゆみ」の上古大津野沿岸図には、亀島と鶴島が描かれています。
でも・・、今は埋め立てられてしまって、その風光明媚な情景は見ることができません。
残された絵図から想像すると、それはそれは素晴らしい情景だったろうことが浮かび上がってきそうです。鶴島と亀島を見ながら静かな海面を滑るようにして陸に上がって・・、又、瀬戸内へ出て行くわけですね。 素晴らしい情景だったことでしょうねぇ・・。 この風景が今は見れないのが残念で仕方ありません。
でも・・、この重要はポイントの絵図が残っていただけでも私は、大変嬉しく思いました。
この絵図は、先人達が残してくれた素晴らしい重要な証拠の財産だと思います。
さぁ・・、十字架の頂点である生野、・・以前は、死野・・シノ、・・シノン、・・シオン(聖地)と呼ばれていた時代があったという生野の史実からしても、いよいよ・・、それが証明されるその日が近いような気がしてなりません。