かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

内子町に古代遺跡(ピラミッド)が・・・!!

2015-10-06 11:27:18 | かごめかごめの真実とは

2015年10月6日(火)

4~5日、愛媛県内子町へと調査に出かけました。

そこで見たものは・・・!!

古代遺跡(ピラミッド)でした。

国土地理院の等高線地図通りの段々に現地はなっていて、見事な磐座群もありました。

又またイワクラ学会の武部さんが磐座を発見しました! 武部さんの報告が楽しみです。

この内子遺跡は、古代日本建国の謎を教えてくれる大発見となることでしょう。

つづきは・・:おいおいと。

 

鶴島(出雲・出雲大社を通る) 宇佐八幡宮 内子町ピラミッド の3点は 2:1:√3の図形を描く

 

4日、AM11:55  いくつかの連続したトンネルを抜けてほどなくすると、そこが内子の町でした。

      

泰弘さんの[追憶の記]です・・ のブログに重要な記事がありましたので、ここに紹介させていただきました。 

 

 

 

【喜多郡の歴史概説】


日本には旧石器時代は人間は住んでいなかったであろうと考えられている。
それは旧石器時代の遺物が出土しないからである。
新石器時代になると、縄文式文化人は日本列島に住んでいたことは、土器やその他の出土によって明らかである。
新石器時代の後期、弥生式文化人は農耕を行い村落も営んでいたのである。
当、愛媛県喜多郡においてはどうであったか。 喜多盆地を中心としてその周辺の洪積層上の地点に土器石器が出土し、古墳も存在し、銅鏡も鉄器も出土する。
これらの点により考えれば、土器の中に縄文式土器も発見されているが、層位といって弥生式土器の下位の層より出土することが確定していないので、縄文式文化人がこの土地に居住したと証明は出来ない。
しかし、常識的には縄文式文化人も弥生式文化人の以前に居住してバトンタッチしたと観てよいと思う、又古墳から銅鏡や鉄器も副葬品として発掘しているので、日本列島の状態と何ら変わるところはない。
喜多盆地は土器石器の種類も多く、管玉等の玉類も出土し、種々の立派なものが沢山に出土する。
出土地としては、新谷村都谷、和田、伏折、大洲町徳の森、花瀬山、南久米村北只、菅田村染瀬、泉徳寺、下村嶋宮の首等であるが、喜多郡は何れの土地を歩いても一つや二つの石器土器は足元にころがり、この点弥生式文化人は郡内に広く分布していたのである。
しかし原則として沖積層上には存在せずして沖積土壌上に存在するのである。
次に上げなければならないのは巨石文化である。
喜多盆地周辺には人工的に巨大な石をもって造営した遺跡が有る。
これまた他に見られないほど沢山にある。それらは西欧諸国にあるドルメンやメンヒルと同じ発生を有するものか否か研究を要する。又ストンサークル群もある。何れも通風採光が充分で風光見晴らしの良い場所にある。この巨石文化遺跡は郡内各所にあるかも知れない。
古墳は上の時代より新しい時を示すものであるが、これも喜多盆地の周辺に散在している。

ここで問題に成るのは少彦名命の伝説である。
少彦名命は出雲経営を終わって常世の国に渡るとあるから、喜多盆地経営が最後であったかも知れない。
所詮、出雲の氏族が喜多盆地に小国家建設をしたのではあるまいかと言うのは、出雲系統の神社が、伊予全体で268社あるが、その中喜多郡に属するものが約60社あるからである。
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