今回のいきさつ
私は章南中学校で、平成22年度、23年度 非常勤講師として家庭科を教えていました。正規の職員と違い、授業の時間だけ行くのが私の仕事でした。
本年度は、章南中学校の学級数増と支援学級ができ、正規の家庭科の先生の配置になり、私は今の3年生と一緒に卒業したかったですが、残ることができませんでした。
家庭科は、週に1回しかない授業で、4月5月は何かと授業もつぶれて、当時花菜さんに数時間しか授業で教えることしができませんでしたが、運針のテストの時や、休み時間に接した時に、誰よりも丁寧で手先が器用で、ご家族にこれからいっぱいお料理を作ってあげたいと話してくれたことをはっきりと覚えています。
花菜さんの葬儀の際に、お父様と直接お話しする機会があり、その際私に、「生徒さんたちが悲しんでいるから、授業で楽しい話をいっぱいして、みんなを笑わせてあげてください。」と言われ、お友達の心配をされる、心優しい方だと強く思いました。そのお父様の気持ちに答えたく、授業を楽しく充実した時間にしようと2年間努力してきたつもりです。生徒に対して、授業内容以外でも、心配のあまり口うるさしことを言ってしまうことがあり、うまく思いが伝わらなかったこともあったと思います。
私は大学の時に音楽サークルにいたので、音楽が大好きだった花菜さんにちなんで、「命の日」をもっと大切なものにしてほしいと思っていました。例えば生徒が書いた詩で歌を作ったりして、後々までも意思が引き継がれるような歌ができないかと常々思っていました。
当時の生徒が3年生になり生徒会の中心になった時に発起して、みんなで詩を書き、いつでも歌いつがれるような歌を作ることは可能ではないかと考えていました。しかし3月も残すところ後1週間の所で、正規の職員が来ることが決定になり、私が章南にいられないことがわかりました。
そこで、急遽私が歌を作り修了式の日に、全校生徒の前で、弾き語りをしました。こんな風に歌をつくることができるんだよという、メッセージを秘かに込めたつもりでした。
章南を去った私は、もう何もするすべはないとあきらめていました。。
この夏に大学の時の音楽サークルの友達と同窓会があったときに、その話をしたら、時期がきたらできるかもしれないし、何かあったら手伝うよと言ってくれました。その友達は、現在プロのジャズピアニストで、作曲家のヤス・スギヤマさんです。
その友人と、約1か月前に、もう生徒の詩を集めることはできないけど、私が詩を書いて作ってみようということになり、章南中の3年生に、花菜さんの分も輝いて生きていってほしいという願いを込めて詩を書き、メロディーや伴奏を考えていただきました。スギヤマさんから思い切ってレコーディングをしようと言われ、曲は打ち込みで、お仕事仲間の方に作成していただき、12月15日に上京し、友人のボイストレーナーの方に歌っていただきました。
私が初めて書いた詩なので、だめな点も多々あると思います。
でも、多くの人に命の大切さを考えていただけるように一生懸命に考えました。
たくさんの人にきいていただけるように、花菜さんへの思いと東日本大震災に共通する内容の詩にしました。
できることなら、もっとバイオリンなどの生の楽器を増やして、多くの人に聞いていただけるレベルまで作りあげたいと考えています。
でも、この歌がご両親に不快な思いをさせてしまったり、気に入っていただけなかったら、表に出すことは考えていないので、今は未完成なものですが、一度きいていただきたく思い持ってきました。
平野明子
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上記の文面とCDを持って、平野先生が来たのは、11月27日だった。
1週間前に突然平野先生からの電話が入り、今までうちに来たかったが、(2年半近く経ち)ようやくうちに来る気持ちが固まった、という内容だった。
毎週の金曜弔問に来る章南中先生の顔は知っているが、「家庭科の平野です。」と言われても、すぐには思い出さなかった。
ただ、
2010年6月に事故が起き、4月5月と娘が家庭科で運針を習い、途中になってしまったマルA評価の運針が中学から届き、綺麗に装丁された運針の台紙には、平野という名前と娘の様子を綴ったメモが残っていた。
その台紙の先生が、今年よその中学に異動になり、うちに弔問に来るという。
11/27 19時に予約通り現れた平野先生。
うちの祭壇のある和室に座るなり、聴いてもらいたい曲があると言われ、祭壇の横に置いてあるオーディオデッキから、平野先生自作曲のCDを聴いた。
家庭科の先生からの、突然のCDを聴きながら、平野先生作詞の歌詞を読み、主人と私は涙が止まらなかった。
平野:手入れの必要な花壇などはありますが、
ずっと花菜さん(の生きた証)をみんなの中に残すには、花菜さんを唄った曲がいいかと思いまして。
本当なら、生徒に唄ってもらいたかったんですが。
私:素晴らしい曲を頂き、ありがとうございます。
私はなぜ章南中の現場の先生達から、事故を風化させないようにする声が出てこないのか、とても不満でした。
ようやく平野先生から形として頂き、嬉しくて仕方がありません。
12/18に章南中で教育長の謝罪の式が行われます。
急ですが、その式で平野先生の曲を流してもよいでしょうか?
翌日早速平野先生は、作曲した東京のヤス・スギヤマさんに連絡を取り、ギターなら(当初はバイオリン)曲に組み込んで急いで12/18に間に合うよう完成できるという返事が入った。
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実は私も平野先生と同じように、時間が経っても形として残るものを考えていた。
12/4夕我が家に来た教頭に、花菜の樹(記念樹)を外から見れる場所に植樹して欲しいとお願いしたのであった。
12/7の金曜弔問に来た先生が、早速見せてくれた候補の樹の写真3点は「なんじゃもんじゃの木」を先頭に、私のイメージの花ではなかった。
桜ほど華やかではなく、新入生が入学して来て少し落ち着く4月末~5月に咲く花。
その花が植樹された理由を話し継いてもれるように、私は ハナミズキを考えていた。
娘と6年間バイオリンとピアノのレッスンに通った町、娘が幼稚園年少まで過ごした町で、街路樹として咲いていた花
花水木。
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2012年も12/16に浜名湖で行われる菜の花キャンドル。
その時にも平野先生の「未来へ」の曲が流される話が進んでいる。
良かったですね、いい先生にお会いできて。
花水木ですか。わかるような木がします。
花菜さんにぴったりする花であることが。