怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

12月23日 市教育委員会に任せたけれど・・・2<教育長謝罪>

2012-12-23 08:13:33 | 私のつぶやき
12/21章南中月命日弔問は、急遽  卒業アルバムのPTA役員相談で、教頭・3年学年主任が欠席で行われた。
宮崎教育課長(市長謝罪でボロがでないようにした、中島先生写真公開を削除させた)の指示と聞いて、私は嫌な予感がした。
卒業アルバムは生きている94人の生徒の物である。  
命を落とした一人の生徒のことなど、中学も保護者も触れたくないだろう

生徒一人の命を守れなかった中学の責任として、 
                    章南中が事故をどういう形で判断するかが問題だ



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12/20豊橋市教委の弔問は、先月の校長謝罪を問う件と同じく、教育長謝罪の件で、私と教育長のバトルトークに終始した。

12/18の教育長謝罪会見後、我が家に弔問に訪れた、同級生と保護者は、次の2点のことを批判していた。
1.教育長の謝罪の中で、事故を引き起こした引率した教師の人生が変わった(辞職・異動)ことをとりあげ(大きく教師は反省している?)、それは生徒への謝罪の席でする話ではないこと。
2.謝罪までに2年半もかかったこと


私:「謝罪会見で引率した先生達の話をしたそうですが、
水野元校長も、我が家の弔問時 『私の見る世界が大きく変わってしまった。』と遺族の前で平気で言いました。
(『私の人生で取り返しのつかないことをしてしまった』とまで)
そこまで深く反省しているから許してくれと言うように。
ボート転覆事故で悪天候の中実施判断をし、
娘の死を招いた責任を、民事(裁判)でも明白に判断された、最高責任者の水野校長なんですよ。

先の海難審判では、ボートの舵を握り辞職した加藤先生が大きく報じられましたが、
早川弁護士は水野校長の偽証についても厳しく論じていました
『事故当日13時半の艇庫での経路確認に、校長はいなかった。』と。

主人は学校事故・事件を語る会の取材をしている大阪のNHKの記者に強く勧められ、娘に支払われた保険の提出文書の開示請求をしました。


中学側の書類 ▼ 

静岡県教委の青年の家提出書類 ▼ 
そこには、水野校長が艇庫で航行経路確認の事実は記載されていませんでした。

教育長:「私が謝罪したのは市長の謝罪があったからではない。
ーーーーーーーーー  」

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教育長:「水掛け論になるからもう止めよう。」

私:「刑事が水野さんの再事情聴取(連行して?)に成功したそうです。」

今まで教育委員会まで面会拒否をしていた、
重度ウツ病を名乗る水野元校長を警察が連れ出したことに、    市教委一同驚きを隠せなかった・・