怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

怒りのメゾフォルテのスタートです。

2011-07-31 21:11:21 | 事故後の動き
新たなブログを立ち上げました。
娘を奪った人たちへ怒りを持って綴ります。



<ボート転覆事故について>

 事故について知ったのは、17時頃のTVの「○○の中学が○○○○○で・・・・」というニュースでした。
 母親は祈るような思いで、TVをみておりましたが、学校側からは何の確かな情報もなく、19時前頃○○署から一番聞きたくない連絡が入りました。
 何も信じられない状態で、取り急ぎ父親に連絡すると、父親は学校側から『全員無事』と聞いて病院に向かっている車中でした。
 事故の第一報を聞いて、「どうしてこの風雨の中、○○訓練を行なったのか、てっきり今日は中止と思っていた。挙句の果てに○○○○○し娘が死んでしまった。現場で何が起きたのか、信じられない気持で何も考えられなかった。」
 マスコミ対策で○○のホテルに閉じ込められ、葬儀の夜の学校の会見は、私共に連絡される訳もなく、TVの情報と、校長に対して強い憤りを覚える多くのPTAの方から後日持ちこまれた、紙面化した情報のみでした。
 6/22の学校の会見内容は2カ月以上もたってから、PTAから入手した「現場は混乱してしまったから、生徒のいのちを救う事が出来なかった」と、言い訳にしか聞こえない会見。
 ○○に対する強い憤りもありますが、私共はあくまで「学校にかけがえのない娘を預けた」のであって、学校、特に○○校長に「殺された」という思いが捨てきれません。
 その校長には事故後も謝罪の気持ちが感じられず、弔問時も校長という上に立つ者の気分のままで我が家に乗り込まれ、私共は娘を失った深い悲しみに加え、校長の自分本意としか感じられない言動に苦しめらました。
 関係者全員に対し、最低限、法に従って適正な処罰を望みます。
 
                                 

  <ボート転覆事故後の動き>
1.ボート転覆事故      2010.6.18   
2.署名活動         2010.11.7
3.文庫寄贈         2010.12.18
4.菜の花キャンドル     2010.12.23
5.市議会趣旨採択      2010.12.24
6.命の日コンサート     2011.6.18
7.像除幕式         2011.6.26
8.国交省事故調査報告発表  2012.1.27
9.市長への謝罪申し入れ書  2012.3.16
10.回答を受け提訴表明     2012.4.17
11.名古屋地方裁判所豊橋支部に提訴  2012.5.1  
12. 最後のコンサート     2012.6.18      
13.第一回民事訴訟 口頭弁論    2012.7.4
14.第二回民事訴訟 弁論準備手続き   2012.8.24
15.第一回海難審判      2012.8.30
16.第三回民事訴訟 弁論準備手続き   2012.9.24
17.第一回市民報告会        2012.9.13
18.第二回海難審判      2012.9.26
19. 第四回民事訴訟 豊橋市・小プロとの和解成立  2012.10.24
20. 市長 遺族に謝罪 2012.11.16
21. 学校側の生徒への謝罪市長へ和解文の取り組みの質問状提出    2012.12.18
22. 民事訴訟終結(第六回弁論準備手続き  静岡県教委との和解成立)  2012.12.26
23. 第二回市民報告会         2013.2.2  
24. 書類送検           2013.2.12
25. 海難審判言渡し      2013.3.26
26. 豊橋市教委へ冊子寄贈  2013.6.20
27. 静岡県教委へ冊子寄贈  2013.6.25
28. 愛知県教委へ寄付と冊子寄贈  2013.11.27
29. 豊橋で菜の花キャンドル  2013.12.23
30. 静岡地検本庁へ移送 2014.2.26
31.静岡検察検事来訪 2014.7.14 
32. 静岡検察検事来訪 2014.10.03
33. 静岡検察本庁へ 2014.11.17 
34. 起訴 2015.1.28
35. 第1回公判 2015.3.26
36.第2回公判 2015.4.24
37.第3回公判 2015.6.5
38. 第4回公判 2015.6.17
39. 第5回公判 2015.7.1
40. 第6回公判 2015.7.6
41. 第7回公判 2015.7.31
42. 第8回公判 論告求刑 2015.9.18