■■■■■■■■■■■■■春が来た■■■■■■■■■■■■
・春句 春風や闘志いだきて丘に立つ 高浜虚子
さまざまの事おもひ出す桜哉 松尾芭蕉
・季節 清明、春暁、山笑う、麗らか、春色、風光る、花冷え、晩春
・祭事 清明祭(5日ごろ) 釈尊(湯島) 河豚供養、灌佛会(8日)
浅間祭(静岡)山王祭(14日滋賀)高山祭(14日飛騨)
・魚 桜鯛、白魚、飯蛸, 蛤、赤貝、
・草花 梅の花、盆梅、桜、山桜、八重桜、沈丁花、卯の花
・食物 木の芽田楽 筍 夏蜜柑 春大根 春奈 桜餅 蕗
・情緒 春風邪、朝寝、春の夢、春意、春愁
・挨拶 陽春の候、風光る候、春たけなわのこの頃ですがーー
■●日本と世界の主な行事■■(卯月)
1日・新年度.・成人年齢が18歳に・年金開始年齢75歳迄可能に、
3日・セルビア大統領選、
7日・世界保健ディー
7日・ゴルフマスターズ(米国ジョージア州オーガスタ)
8日 花祭り
10日・京都府知事選投開票 ・フランス大統領選(第1回投票)
13日 十三参り
14日 春の高山祭(山王祭)
16日・熊本地震本震から6年
17日 春の土用入り
19日・全国学力、学習状況調査
20日 穀雨
21日・北京国際自動車ショー
22日・国際通貨基金IMF総会
24日・フランス大統領選決戦投票、
25日・第15回生物多様性条約締結国会議(中国昆明)
29日 昭和の日
(上旬・全国的に桜満開・企業統治指針・将棋、名人戦)
■■タイの主な行事■■
12日・ソンクラーン(水掛け祭り)12~15日
■■■■■■春の唄声■■■■■■■
■「春がきた」(日本の秀歌)(文部省唱歌)
高野辰之 作詞(明治43年)
春がきた 春がきた どこにきた
山にきた 里にきた 野にもきた
花がさく 花がさく どこにさく
山にさく 里にさく 野にもさく
鳥がなく 鳥がなく どこになく
山でなく 里でなく 野でもなく
■■■■■■■■■■大阪の鼓動■■■■■■■■■■
●東大阪市の昼下がり、菜の花が咲き誇る司馬邸の門を通り抜け
て「司馬記念館」の入り口を入るとその内部には、広大な書架
に囲まれた巨大なモニュメントが広がる。見事なばかりの展開で
ある。
視界の奥までのびる左右の書架には、さまざまな著書が整然と並
ぶ。説明書によると「展示室」とあるが それは壮大な書斎の趣き
である。ここにある著書は、ざっと6万冊、一作家の作品図書館
としては、世界有数の規模を誇る。さすが司馬遼太郎ならではの、
驚くべき著作の数である。
●この記念館の全体構想と展示のアイデアは、世界の建築家安藤
忠雄さんが、今を去る21年前に設計して建築した極めて斬新な
記念館のたたずまいである。
司馬記念館の設計構想について安藤さんは「司馬さんは雑木材の
中にひっそりとある書斎が好きだったと聞き、建物の中は蔵書が
一望出来るよう 司馬さんが頭脳の中を歩いていくイメージで
設計した」と言う。
●建築家、安藤忠雄氏
最近、大阪中之島に安藤さんが構想して寄贈した「大阪中之島
子ども図書館」(館長山中伸弥京都大学教授ノーベル賞受賞者)
のプロトタイプ(原型)と言うにふさわしい記念図書と言える。
毎年2月には司馬さんの命日忌には、多くの司馬フアンが集い、
盛大に命日を祝うという。
●司馬遼太郎氏
●戦後、司馬さんは、自分が生きて来た日本の近代史をつずる事
で、ある種の自己解放に到達したと司馬さんの著作のあとがきに
ある。
私も司馬さんの猛烈なフアンの一人だが、まだまだすべてを読み
切るところまでは到っていない。小説はもとより,紀行文、随筆、
対話、講演集など、聞きしに勝る多作の作家と言える。
●司馬さんは、戦前の大阪に生まれ 大阪外語(今の大阪大学外国
学部蒙古学科)に学び,士官学徒兵として中国で訓練を受け、後に
本国に帰国、終戦を迎える。
そして産経新聞で記者生活の後、小説家に転身、多くの著作をも
のにすることになる。新聞記者としての長い経験が、ドキュメン
トに強い作家としての体質を作りだしたのではないかと推察する。
●そして司馬さんは、自著の中で自分の読書について語っている
「漱石、鴎外を読み、更には正岡子規の「墨汁の一滴」などを読
むことで小説や随筆を讀む楽しみ以上に明治人の心というものが
身近になりました」諸兄に是非これだけはお伝えしたい事があり
ます、明治文学を是非お読みくださいと言う事です。江戸中期か
ら明治時代というのは世界史の中でも珍しい精神がぎっしり詰ま
った時代です。
江戸期といういわば教養時代が、酒でいえば蒸留されて度数の高
い蒸留酒になったのが明治の心と言うべきもので、きっと発見が
あります。それを生涯の伴侶になさったらと思います」
司馬さんはこう述べて、明治の心の習得を奨めてくれた。司馬さ
んは、学生時代蒙古語を専門に学びモンゴルに傾倒する。そして
アジア哲学を身につけようと思い司馬遷の「史記」を全部読
み、併せて読売文庫の「歓畏抄」を音読したという。
司馬さんの視界はいつも「大阪のミナミ」と「新宿」にあっ
た。そして大東亜戦争を挟んで日本の歴史と戦後の歴史を大阪の
ミナミと新宿を歩き尽くすことで探求した。しかもそのイメージ
は、いずれも路地裏の陰影が漂う残影のようなものだったという
●毎年、司馬さんの活動を祈念して作家、学者、文化人など、幅広
い分野から一人が選ばれる「菜の花記念賞」がある。
選考者は、安倍幸太郎、井上章一、後藤正治、辻原登、柳田邦夫
の人々、贈呈式は菜の花忌の会場で行われる。因みに今年の受賞
者は石川禎治著「中国共産党その百年」(筑摩書房)だった。
●安藤忠雄氏
●司馬記念館を設計した建築家の安藤忠雄さんは、司馬さんにつ
いてこう語る。
司馬さんの「竜馬がゆく」の構想は、司馬さんが当時住むJR西長
堀アパートで生まれたことはよく聞いており、此処が作家司馬遼
太郎の出発点で原点だった。
いまは、ちょっと売れるとすぐに東京に行く人が多いのに、司馬
さんは東大阪に移ってからも決して大阪を離れようとしなかった。
・私も一度も東京へ事務所を持とうと考えたことはない。
・住んでいる都市は、自分の洋服のようなものだ。
東京の一極集中に対して「意地」があった。
関西だって文化では、決して東京に負けるもんかと思ったんだろう。
どうあれ花の4月の歳時記の余録を、こよなく大阪を愛した2人の
文化人の話題で構成出来て嬉しい。
●最後に司馬さんの未公開の講演集
「司馬遼太郎が語る日本」の中から、今ある近代都市大阪の
基盤を創った二人の大阪市長の話をご紹介したい。
「大阪には二人の偉い市長がいた」
(司馬遼太郎講演集より)
●大正2年に大阪市長になったのは、池上四郎という人だった。
この人が一橋大学の前身東京高商の教授だった関一(せきはじめ)
という人をスカウトする。
「助役になって欲しい、そしてあなたの好きなように大阪を変え
て欲しい」
関さんは「政策論」という当時としてはユニークな学問の道につ
いていてベルギーに留学、いよいよ政策論に磨きをかけたところ
だった。
関さんは考えた。「東京高商で講義するより江戸時代そのままと
言っていい 古ぼけた大阪という町を何とかする方が意味があるの
ではないか」と。
関さんは大正3年に助役となり、やがて池上さんに代わり市長に
なる。助役時代と市長時代を併せるとほぼ20年ぐらいになる。
この時代に大阪はほぼ出来上がり、後は何もしないに等しいぐら
いだった(中略)
関さんは大阪を大きく変えた。
●都市森林という理想のもと御堂筋を造つた。その道幅の広さに
対し議会は「飛行場でも作るつもりか」と言ってからかわれたと
いう。しかし御堂筋の両側は並木道になっていて、大阪で一番、
景観の良いところとなった。
●二番目にいい景観は、中之島公園だった。それを整備して公設
市場を作った。
そして御堂筋の下には地下鉄も走らせた。
当時から重々しい図書館が一つあつたが、各区に図書館をつくっ
たのも関さんだ。アメリカ風の市民図書館である。
●次いで大学が必要だと考え、いまの大阪市立大学を造った。
(中略)
つまり関さんはこうして土木を中心に大阪を一変させ、近代都市に
似たものに変えた。
昭和10年、病に倒れる。病が重いと言うしらせを聞いた 多くの
市民がお宮に参り祈祷をし、その葬儀には7万人の市民が集まつた
という。 関さんは、いい考えの人だった。」
●この司馬講演を聞くに及んで私は大阪市民の一人として、今の
大阪はもとより日本の多くの首長や議員が、決してもとるところ
なきや良く反省して、この機会に司馬講演の一節を熟読吟味し関
元市長を見習い、切磋琢磨して欲しいと思う。
いま中之島公会堂前の広場には、関市長の銅像と顕彰碑がある。
直線2キロ、地下鉄駅4駅にも及ぶ、南北に延びる御堂筋は商都
大阪のシンボルだが、来る3年後の大阪万博では、多くの世界の
観光客の憩いの遊歩道として、大きな役割を担う事になる。
その銀杏並木の趣きは、パリの大通リにも決して引けを取らない。
私ごとで恐縮だが、好んでこの中之島界隈に居を移して20年にな
る。週に何度かは、中之島から御堂筋周辺を散策する。近隣には
府立図書館、中央公会堂、高等裁判所、博物館と美術館が散在す
る。カフェとコンビニと美術商と弁護士事務所は、よりどり見ど
りの便利さである。老人が住まうには最適の環境である。
僅か20年の間に見事、大阪を近代都市に変えた関 元市長の偉業
に対し、心から敬意を表したい。
●完成した物事や事象には、必ず雌伏の秘話や経緯が隠されている。
それを享受するだけでは次への発展はない。次世代のために今を生
きる私たちが、次の世代の利便の道を真摯に探るべく、誠実に努力
すべきだと司馬さんは説く。
なにはともあれ、文化と文明の狭間で生きる私たちへの強烈な教訓
でもある。
司馬さん好みの菜の花は、今年も桜と覇を競って咲き誇っている。
(山)
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