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■春の歳時記&大阪の鼓動

2022-04-03 | ●歳時記2)

■■■■■■■■■■■■■春が来た■■■■■■■■■■■■

     
四月の歳時記

・春句   春風や闘志いだきて丘に立つ  高浜虚子  
      さまざまの事おもひ出す桜哉  松尾芭蕉

・季節 清明、春暁山笑う、麗らか、春色、風光る、花冷え、晩春
・祭事 清明祭(5日ごろ) 釈尊(湯島) 河豚供養、灌佛会(8日)
       浅間祭(静岡)山王祭(14日滋賀)高山祭(14日飛騨)
・魚  桜鯛、白魚、飯蛸, 蛤、赤貝

・草花 梅の花、盆梅、桜、山桜、八重桜、沈丁花、卯の花
・食物 木の芽田楽 筍 夏蜜柑 春大根 春奈 桜餅 蕗
・情緒 春風邪、朝寝、春の夢、春意、春愁
・挨拶 陽春の候、風光る候、春たけなわのこの頃ですがーー

 

日本と世界の主な行事■■(卯月)
   1日・新年度.・成人年齢が18歳に・年金開始年齢75歳迄可能に、
   3日・セルビア大統領選、
   7日・世界保健ディー 
 7日・ゴルフマスターズ(米国ジョージア州オーガスタ)

   8日 花祭り
10日・京都府知事選投開票 ・フランス大統領選(第1回投票) 
13日 十三参り
14日 春の高山祭(山王祭)
16日・熊本地震本震から6年
17日 春の土用入り
19日・全国学力、学習状況調査
20日 穀雨
21日・北京国際自動車ショー
22日・国際通貨基金IMF総会
24日・フランス大統領選決戦投票
25日・第15回生物多様性条約締結国会議(中国昆明)
29日 昭和の日 
(上旬・全国的に桜満開・企業統治指針・将棋、名人戦)


■■タイの主な行事■■
12日・ソンクラーン(水掛け祭り)12~15日


■■■■■■春の唄声■■■■■■■
春がきた」(日本の秀歌)(文部省唱歌)
         高野辰之 作詞(明治43年)

春がきた 春がきた どこにきた
  山にきた 里にきた 野にもきた
花がさく 花がさく どこにさく  
  山にさく 里にさく 野にもさく
鳥がなく 鳥がなく どこになく
  山でなく 里でなく 野でもなく


■■■■■■■■■■大阪の鼓動■■■■■■■■■■


 
東大阪市の昼下がり、菜の花が咲き誇る司馬邸の門を通り抜け
司馬記念館」の入り口を入るとその内部には、広大な書架
に囲まれた
巨大なモニュメントが広がる。見事なばかりの展開で
ある。



視界の奥までのびる左右の書架には、さまざまな著書が整然と並
ぶ。
説明書によると「展示室」とあるが それは壮大な書斎の趣き
である。
ここにある著書は、ざっと6万冊、一作家の作品図書館
としては、世界有数の規模を誇る。
さすが司馬遼太郎ならではの、
驚くべき著作の数である。
                           
この記念館の全体構想と展示のアイデアは、世界の建築家安藤
忠雄さんが、
今を去る21年前に設計して建築した極めて斬新な
念館のたたずまいである。
司馬記念館の設計構想について安藤さんは「司馬さんは雑木材の
中にひっそりとある書斎が好きだったと聞き、建物の中は蔵書が
一望出来るよう 司馬さんが頭脳の中を歩いていくイメージで
設計した」と言う。


                           ●建築家、安藤忠雄氏
最近、大阪中之島に安藤さんが構想して寄贈した「大阪中之島
子ども
図書館」(館長山中伸弥京都大学教授ノーベル賞受賞者)
のプロトタイプ
(原型)と言うにふさわしい記念図書と言える。
毎年2月には司馬さんの命日忌には、多くの司馬フアンが集い、
盛大に命日を祝うという。

司馬遼太郎氏
戦後、司馬さんは、自分が生きて来た日本の近代史をつずる事
で、
ある種の自己解放に到達したと司馬さんの著作のあとがきに
ある。

私も司馬さんの猛烈なフアンの一人だが、まだまだすべてを読み
切るところ
までは到っていない。小説はもとより,紀行文、随筆、
対話、講演集など、聞きしに勝る多作の作家と
言える。

司馬さんは、戦前の大阪に生まれ 大阪外語(今の大阪大学外国
学部蒙古学科)に
学び,士官学徒兵として中国で訓練を受け、後に
本国に帰国、終戦を迎える。

そして産経新聞で記者生活の後、小説家に転身、多くの著作をも
のにすることになる。
新聞記者としての長い経験が、ドキュメン
トに強い作家としての体質を作りだしたので
はないかと推察する。


そして司馬さんは、自著の中で自分の読書について語っている
漱石、鴎外を読み、
更には正岡子規の「墨汁の一滴」などを読
むことで小説や随筆を讀む楽しみ以上に
明治人の心というものが
身近になりました」
諸兄に是非これだけはお伝えしたい事があり
ます、明治文学を是非お読みください
と言う事です。
江戸中期か
ら明治時代というのは世界史の中でも珍しい精神がぎっしり詰ま
った時代です。
江戸期といういわば教養時代が、酒でいえば蒸留されて度数の高
い蒸留酒になったのが
明治の心と言うべきもので、きっと発見が
あります。それを生涯の伴侶になさったらと思います

司馬さんはこう述べて、明治の心の習得を奨めてくれた。
司馬さ
んは、学生時代蒙古語を専門に学びモンゴルに傾倒する。そして
アジア哲学を身に
つけようと思い司馬遷の「史記」を全部読
み、併せて読売文庫の「歓畏抄」を
音読したという。

司馬さんの視界はいつも「大阪のミナミ」と「新宿」にあっ
た。そして大東亜戦争を挟んで日本の歴史と戦後の歴史を
大阪の
ミナミと新宿を歩き尽くすことで探求した。しかもそのイメージ
は、いずれも路地裏の陰影が漂う
残影のようなものだったという

毎年、司馬さんの活動を祈念して作家、学者、文化人など、幅広
い分野から一人が選ばれる「菜の花記念賞」がある。

選考者は、安倍幸太郎、井上章一、後藤正治、辻原登、柳田邦夫
の人々、贈呈式は菜の花忌の会場で行われる。
因みに今年の受賞
者は石川禎治著「中国共産党その百年」(筑摩書房)だった。


            ●安藤忠雄氏
司馬記念館を設計した建築家の安藤忠雄さんは、司馬さんにつ
いてこう語る。

司馬さんの「竜馬がゆく」の構想は、司馬さんが当時住むJR西長
堀アパートで生まれたことは
よく聞いており、此処が作家司馬遼
太郎の出発点で原点だった。

いまは、ちょっと売れるとすぐに東京に行く人が多いのに、司馬
さんは東大阪に移ってからも決して大阪を
離れようとしなかった
・私も一度も東京へ事務所を持とうと考えたことはない。
・住んでいる都市は、
自分の洋服のようなものだ。
東京の一極集中に対して「意地」があった。
関西だって文化では、
決して東京に負けるもんかと
思ったんだろう。
どうあれ花の4月の歳時記の余録を、こよなく大阪を愛した2人の
文化人の話題で構成出来て嬉しい。


最後に司馬さんの未公開の講演集
司馬遼太郎が語る日本」の中から、今ある近代都市大阪の
基盤を創った
二人の大阪市長の話をご紹介したい。

大阪には二人の偉い市長がいた
 (司馬遼太郎講演集より)

大正2年に大阪市長になったのは、池上四郎という人だった。
この人が一橋大学の前身東京高商の教授だった関一(せきはじめ)
という人をスカウトする。
「助役になって欲しい、そしてあなたの好きなように大阪を変え
て欲しい」
関さんは「政策論」という当時としてはユニークな学問の道につ
いていてベルギーに留学、いよいよ
政策論に磨きをかけたところ
だった。
関さんは考えた。「東京高商で講義するより江戸時代
そのままと
言っていい 古ぼけた大阪という町を何とかする方が意味があるの
ではないか」と。

関さんは大正3年に助役となり、やがて池上さんに代わり市長に
なる。助役時代と市長時代を併せるとほぼ20年ぐらい
になる。
この時代に大阪はほぼ出来上がり、後は何もしないに等しいぐら
いだった(中略)
関さんは大阪を大きく変えた。

都市森林という理想のもと御堂筋を造つた。その道幅の広さに
対し議会は
「飛行場でも作るつもりか」と言ってからかわれたと
いう。しかし御堂筋の両側は並木道になっていて、
大阪で一番、
景観の良いところとなった。

二番目にいい景観は、中之島公園だった。それを整備して公設
市場を作った。
そして御堂筋の下には地下鉄も走らせた。

当時から重々しい図書館が一つあつたが、各区に図書館をつくっ
たのも関さんだ。アメリカ風の市民図書館である。

次いで大学が必要だと考え、いまの大阪市立大学を造った
(中略)
つまり関さんはこうして土木を中心に大阪を一変させ、近代都市に
似た
ものに変えた。
昭和10年、病に倒れる。
病が重いと言うしらせを聞いた 多くの
市民がお宮に参り祈祷をし、そ葬儀には7万人の
市民が集まつた
という。 関さんは、いい考えの人だった。


この司馬講演を聞くに及んで私は大阪市民の一人として、今の
大阪は
もとより日本の多くの首長や議員が、決してもとるところ
なきや良く反省して、この機会に司馬講演の一節を
熟読吟味し関
元市長を見習い、切磋琢磨して欲しいと思う。

いま中之島公会堂前の広場には、関市長の銅像と顕彰碑がある。
直線2キロ、地下鉄駅4駅にも及ぶ、南北に延びる御堂筋は商都
大阪のシンボルだが、来る3年後の
大阪万博では、多くの世界の
観光客の憩いの遊歩道として、大きな役割を担う事になる。
その銀杏並木の趣きは、パリの大通リにも決して引けを取らない。

私ごとで恐縮だが、好んでこの中之島界隈に居を移して20年にな
る。週に何度かは、中之島から御堂筋周辺を散策する。近隣には
府立図書
館、中央公会堂、高等裁判所、博物館と美術館が散在す
る。カフェとコンビニと美術商と弁護士事務所は、よりどり見ど
りの便利さである。老人が
住まうには最適の環境である。
僅か20年の間に見事、大阪を近代都市に変えた関 元市長の偉業
に対し、
心から敬意を表したい

完成した物事や事象には、必ず雌伏の秘話や経緯が隠されている。
それを享受するだけでは次への発展はない。次世代のために今を生
きる私たちが、次の世代の利便の道を真摯に探るべく、誠実に努力
すべきだと司馬さんは説く。

なにはともあれ、文化と文明の狭間で生きる私たちへの強烈な教訓
でもある

司馬さん好みの菜の花は、今年も桜と覇を競って咲き誇っている。
                           (山)

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