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ジョッシュの日記

ジョッシュは好きな映画「big」の主人公の名前からとりました。趣味を大事にしながら長男くんと次男くんの育児に奮闘中です。

2014年2月2日(とりあえず退院)

2014年02月13日 21時22分50秒 | 親父

40度近い高熱を出してから入院していた親父。

 

熱が治まればすぐに退院するはずだったけど、熱は下がったり上がったりを繰り返して、結局1週間近くの入院となってしまった。

 

「入院なんかしている場合じゃない、早く抗がん剤治療がしたい」と何も出来なかった入院期間を親父は悔やんでいた。

 

でも、点滴をしていたのが良かったのか、体重は入院時から6kgも増えていた。

 

そして熱もやっと落ち着き、無事に退院となった。

 

次は2回目の抗がん剤治療が出来るか。

 

体調の良い日が続きますように。


2014年2月2日(食事の事)

2014年02月13日 21時15分59秒 | 親父

病院で親父と食事の話をした。

 

親父は「今食べたいのは天津飯とたぬきうどん」と言った。なにやら近所にお気に入りの中華料理店があり、食事にうるさい(と言うより好き嫌いが激しい)親父もそこの天津飯は舌に合うらしい。

 

しかもそこは持ち帰りが出来るとの事。

 

「今から買ってこようか?」と言うと、「今日はいいや、その代わり、病院食が美味しくないから、コンビニでカップラーメン買ってきてくれないか」と親父。

 

良い事に食事の制限は無いので「了解」と言ってカップラーメンを買いに行った。

 

病院食に比べたら断然味の濃いカップラーメンだったが、1/3くらい食べたところで「やっぱり美味くない」と言って残した。病気のせいか舌の感覚が麻痺しているのかもしれない。

 

美味しいものを美味しく食べれるように、そしたら大好きな「天津飯」を持って行くよ。そう願った。


2014年1月31日(共感の喜び)

2014年02月01日 21時39分47秒 | 親父

親父の体調は良くなったり悪くなったりを繰り返している。

 

やはり40度近くの高熱が苦しそうで見ていて辛い。

 

側についていてあげたい、いや、側についていたい。そういう思いと、会社(お客様先)や現場の仲間に迷惑をかけてはいけないという思いが葛藤する。それでも何度か突発的な休暇を取ることも多くなってきたので、自社の上司、お客様先のリーダー、現場のメンバーにありのままを伝えることにした。

 

どの人も事の大きさに言葉がつまるのがわかる。自分も突然部下にそう告られても「頑張って」くらいしか言えないだろう。

 

次の日、お客様先のマネージャー(リーダーの上司)に会議室に突然呼ばれた。「リーダーから聞いたけど、現場の事は気にしないで、家族のことを優先して構わない。仕事のほうは今いるメンバーで出来る限りのフォローをするから」と言われた。その言葉が涙が出そうになるほど嬉しかった。

 

その後は今思えば一方的に今の現状を伝え、ただただ「すみません」と頭を下げていたように思う。しっかりと受けとめてくれるマネージャーに甘えてしまったかもしれない。

 

しかし「共感してくれる」ということがここまで嬉しいとは思わなかった。

 

落ち着いたらこのマネージャーのために「一生懸命働いて恩返しする」、そう心に決めた。


2014年1月28日(ちょうど1年前の出来事)

2014年01月28日 20時42分31秒 | 親父

今日も病院に親父に会いに行ってきた。

 

体温は上がったり下がったり。

 

親父は「病院食が美味しくないからもう届けなくて良い」と看護師さんに言ったらしく、昼食の時間になっても病院食が届かなくなっていた。これには母親も自分も驚いた。でもなんとも(ちょっと頑固な)親父らしい出来事だった。

 

何か食べたいものがないか確認すると、「グラタンが食べたい」と言うので近くのコンビニで「グラタン」と「野菜スープ」を購入した。1/3くらいは食べただろうか、まぁ何も食べないよりは少しでも「食べたい」と思う事が嬉しくもあった。

 

gooブログからメールが届いた。

ちょうど1年前に書いた記事だとか。

 

親父と初めて2人で飲んだこと

 

「後悔しないように」と誓ったあの日、振り返ってみると「後悔ばかりの現状」に涙が出てくる。


2014年1月26日(再入院)

2014年01月27日 21時29分52秒 | 親父

時間が取れたので実家に親父に会いに行く。

 

「手術は出来ない」、「完治はしない」、「余命3~4ヶ月」、そう年明けに先生から言われても「今やってる抗がん剤治療が上手くいって、癌が小さくなって、手術出来るようになる事だってあるかもしれない」と諦めきれていない自分がいる。

 

今日だって顔色も良く体調が良くなった親父がいつも通り「おぅ、忙しいのに悪いな」なんて出てくる姿を想像していた。

 

しかし上手くはいかないものだ。

 

実家に向かう途中、母親に電話をかけた。すると親父は今病院に行っているとの事だった。抗がん剤治療で微熱が続いていたが、それが37度から38度、そして今日は39.5度まで上がった。それでも親父は病院に行こうとしなかったようで、「解熱剤を飲めば大丈夫」と言って、親父は解熱剤を探していたとのこと。実家にいた私の妹が代わりに探してみると解熱剤は今さっき飲んでいたことがわかった。親父の意識が朦朧としているのがはっきり見えたので、妹はすぐに病院の担当医に電話したそうだ。

 

「熱が39度ありぐったりしてます」

「すぐに病院に来てください」

「歩くのも無理そうですが」

「それでは救急車を呼んでください」

 

そんなやりとりだったらしい。救急車を呼ぼうかと親父に確認したらマンションの下までは行けると言って結局タクシーで病院に向かった。病院はインフルエンザやノロウイルスなどだろうかマスクして体調の悪そうな患者が多く、結構な時間を待たされた。

 

問診の結果、発熱の他にカリウムなどの低下、脱水症状、栄養失調も見られた。そして発熱の原因を検査するため、そのまま緊急入院となった。

 

元気な姿が見たい。

ただただそう思う。


2014年1月22日(思い出:親父の涙)

2014年01月22日 22時26分28秒 | 親父

あまり喜怒哀楽を見せない親父の涙を見たのは今まで3回だけ。

 

最初に見たのは自分が中学生の時だったと思う。親父の親父、つまり自分のお祖父さんが死んだ時、小さな家で行われた小さな葬式は親父に話しかけることも出来ないほど慌ただしい感じだった。何をしてよいのかわからず、親戚の子供達と遊ぶわけにもいかず、時間を持て余していた印象が今でも残っている。

 

そんなお通夜も夜遅くには落ち着き、いつの間にか棺の前で親父と自分の2人だけになっていた。その時、おもむろに棺の中の顔を見ようと立ち上がった親父、お祖父さんの顔を見ると崩れ落ちそうなほどに大泣きした。

 

親父の涙はその時初めて見た。

 

親父はどんな状況にも強く、決して泣かない人だと勝手に思っていただけに、驚いた。今でもその光景は鮮明に覚えている。

 

2回目は自分の妹が結婚した時、結婚式が終わって、妹が親父に挨拶して涙した時に、親父も泣いていた。自分は年老いたお祖母さんと離れて見ていたので、どういった会話があったのかはわからない。

 

3回目は母親方のお祖母さんが亡くなった時。お葬式の食事の前に、親父が親族に対しての挨拶をした時。お祖母さんの遺影を見ながら「とても優しい人でした」と涙した。

 

今思うと親父も歳を重ねるにつれ涙脆くなってきたように思う。いや正確には「人前では泣かない」という我慢がきかなくなってきたように思う。今自分が子供の前で涙を見せないように、親父も人には見せなかったたくさんの涙があったのだろうと今になって感じる。


2014年1月18日(抗がん剤治療)

2014年01月18日 18時13分53秒 | 親父

今日は自分の通院帰りに実家に寄って両親に会ってきた。

 

16日の夕方から始まった「フォルフィリノックス(抗がん剤治療)」、昨年末に保険が適用となったこの治療は48時間にわたって4種類の薬を点滴から投与していくもの。それを2週間おきに実施することになっている。今日の夕刻頃で48時間となり、1回目の投与が終了の予定だ。

 

話しを聞いてみると、16日と17日は調子良かったそうだが、今日の親父はとても身体がだるいとのこと。親父はちょうど飲み薬を飲んでいたのだが、不意に落とした飲み薬を探すため、ちょっと身体を動かすことさえも辛そうだったのが印象に残っている。

 

しゃべるのも辛そうだったので、自分からはあまり話しはしなかった。そんな状況なのに親父は「病院に行ってたおまえの体調はどうなのか?」と心配していた。

 

別に予定も無かったので長居も出来たが、気を遣わせてしまってはいけない、ゆっくりと休んでいて欲しいと思って、2時間ほどで帰ることにした。

 

本当のところは親父の辛そうな姿を見たくなかったからなのかもしれない。


2014年1月17日(何もない日々)

2014年01月18日 17時48分54秒 | 親父

今週から親父の「抗がん剤治療」が始まる。

 

親父は昨年から保険が利く様になった「フォルフィリノックス」で治療することを選択した。この治療は大きな副作用もあるが、効果があれば余命も1年近く延ばせる可能性があるらしい。

 

親父の発病とちょうどのタイミングで発表されたのも運命かもしれない。自分もこの選択に同意だった。

 

ただ「闘病」という言葉が示すとおり、どれだけこの病気と闘うことが辛い事なのか、はっきり言って今の自分には想像がつかない。そして残された時間を延ばす為に、苦しいこの戦いを選んだ事にどれくらいの意味があるのかもわからない。

 

わからない。

 

だから今自分の感じることを信じて行動するしかない。

おじいちゃんが死んだあの日からずっと引きずっている「後悔」を生かすために。

 

母親には「何かあったら連絡してね」と言っていたが、この4日ほど連絡がくることは無かった。

 

何もない日が嬉しくもあり、何もなく4日が減ったと思うと悲しくもある。


2014年1月14日(白髪をながめて)

2014年01月15日 21時40分59秒 | 親父

我が家の長男くん(8才)が自分の髪の毛をじっくりと見て一言「白髪が増えたね~」。

 

パパ「そりゃ年だもの、白髪も増えるよ」と答える。

 

長男くん「死んじゃイヤだよ」。

 

パパ「えっ、なんで??」。

 

長男くん「白髪が増えたら死ぬんでしょ」。

 

パパの親父の病気が重い事は子供達には伝えていない。

だけど感じるものがあるのだろうか。

 

長男くん「白髪を抜けば大丈夫、抜いてあげるよ」。

 

パパ「それは結構、パパは健康だから白髪があっても長生きするんだよ」と丁重にお断りする。白髪でも大事な頭髪、抜くなんて駄目、駄目。

 

そんな何気無くもちょっと考えさせられる会話だった。


2014年1月10日(簡易手術)

2014年01月13日 19時28分12秒 | 親父

癌の膵臓が肥大(腫れ?)して尿道を塞ぐ可能性があるので、尿道を広げる手術があった。

 

17時開始予定だったが、遅れて18時に開始となる。

 

19時頃母親に電話して状況を確認するが、まだ手術中で、看護婦さんも終了予定時間を教えてくれないとのこと。

 

いつもはあっという間に流れる時間も1分1分が長く感じる。

 

不安を感じながら乗っていた仕事帰りの電車、電車から見えた病院に向かって祈りをしてみる。そしてちょうど電車を降りた20時半頃、母親から「手術は無事終了して、今ベッドに戻ってきて点滴をしている」と電話があった。

 

大きな安堵感を感じ、「病院の先生、本当にありがとう」と星の綺麗だった夜空に感謝した。

 

病院の先生というのは本当に素晴らしい職業だと改めて思った。