goo blog サービス終了のお知らせ 

ジョッシュの日記

ジョッシュは好きな映画「big」の主人公の名前からとりました。趣味を大事にしながら長男くんと次男くんの育児に奮闘中です。

2014年1月9日(検査結果)

2014年01月09日 18時06分43秒 | 親父

今日は病院の先生に親父の検査結果を聞きに行く日。

 

13時30分に病院で待ち合わせだったが、自分は少し早めに家を出て、30分前に病院に着いた。そう、それは親父との時間を作りたかったから。

 

親父には病院ですぐに会えた。

 

親父は会うなり「忙しいところ、すまんね」と言っていた。

 

「早く着いちゃったよ」と偶然を装う自分。

 

待合室で30分くらい2人の時間が出来た。仕事の話しとか、体調の話しとかを話したかな。タバコと酒と仕事くらいしか趣味が無かった親父だから、「これから何かしたいことないの?」と聞いたら、「あまり思い浮かばないけどスキーはまたやってみたいな」と言っていた。「いいね、それやろうよ」と答えた。それと「お前も体調には気をつけろよ」と言っていたのは覚えている。

 

30分後に母親も到着。

 

そして予定時間を少し過ぎてやっと順番がきた。

 

検査結果は前に聞いたとおり「膵臓癌」、そして進行度は1(軽)~4(重)段階の「4」、つまり症状としては末期の癌ということだ。このまま何も治療せずにいけば余命3~4ヶ月、抗がん剤治療で6~11ヶ月程度まで延びる可能性はあるとのこと。

 

今の技術では完治は出来ない。

 

想定していたから映画やドラマにあるような「涙」はそこには無かった。ただ「短い残りの時間を痛みなく楽にいられるにはどうすればいいのか」自分はそれを知りたかった。

 

担当してくれた先生はとても感じが良かった。膵臓癌にはちょうど昨年末に保険が効くようになった「フォルフィリノックス」という抗がん剤があることを教えてくれた。それは大きな副作用が生じることがあるが、膵臓癌に効果があり、上手く行けば余命も1年くらい延ばせる場合もあるそうだ。大きな副作用というが気になったが、もし体調が辛い時には緩和するように切り替えることも考えてくれるそうだ。

 

とりあえず、何もせずにいくか、通常の抗がん剤治療をしていくか、新しい「フォルフィリノックス」という治療をしていくか、持ち帰り、土曜日までに回答することになった。

 

病院からの帰り道、親父と2人で実家まで帰った。親父が「疲れたな」と言っていたので、「タクシー使おうか?」と聞いたが「大丈夫」と言うので15分くらいの道のりを2人で歩いて帰った。

 

しっかりとした足どり。

しっかりとした会話。

 

「親父はこんなに元気なんだぜ、それなのに余命3ヶ月って考えられるかよ」って思ったら、自然と涙が出てきた。それを空を見ながら必死に隠した。

 

実家で少し話しをして家に戻ってきた。

 

なんだかよくわからないけど1人になったら涙が止まらない。

だめだ子供達が帰ってくるまでは泣いていよう。


2014年1月8日(素直になれない親子)

2014年01月08日 21時36分18秒 | 親父

明日は昨年末に検査した親父の検査結果が出る日。

 

自分も病院に行って親父と母親と一緒に先生からの話しを聞くことになっている。

 

今週は残業して業務を前倒しで終わらせ明日はお休みを取る事にした。

 

そして帰宅後、母親に「明日は病院までどうやって行くの?」とメールする。

 

するとすぐに母親から電話がかかってきた。

 

「お父さんは早めに歩いて病院に行くみたい」、「私(母)は自転車でその後に行く予定」とのこと。相変わらずうちの親は行動が別々なんだなと思う。

 

「自分も会社休み取れたから、一緒に行こうと思って」と母親に伝える。

 

母親は電話の向こうで「一緒に行こうって言っているけど」と親父に声を掛けている。

 

その後「お父さんは早めに行くから後からゆっくり来るでいいって」との回答が返ってきた。

 

本当は一緒に行きたいのに。。。

一緒の時間を少しでも作りたいのに。。。

 

「そっか、わかった、病院着いたら電話するよ」と言って電話を切った。

 

心の奥にある本当の思いとは違う答え。

 

素直に直接親父に「明日は一緒に行こう」と言えば良いのに。こんな状況になっても素直になれない親子関係なんだよね。


2014年1月4日(実家に揃う)

2014年01月06日 22時21分15秒 | 親父

今日は親父の子供達、つまり自分と妹2人(3兄妹)が久しぶりに実家に揃った。

 

孫も3人(うちの長男くんが腹痛で来れなかったのは残念)も揃って少しだけ騒がしい実家だった。

 

妹の旦那さんは車で来ているのでお酒が飲めないのは残念だったが、母親が買った(見たことない安い)缶酎ハイを親父とちびちび飲んだ。大騒ぎの風景とは逆に口数少なかったので「どう?調子は?」と聞くと、「あまり良くない」とのこと。昨年末の入院時には「久しぶりに身体の痛みが無いんだ」と言っていたので少し残念だった。

 

でも調子が良い時もあれば悪い時もある。悪い時は無理せずに時の流れるまま任せた方が良い。というのは自分の初詣でひいたおみくじ(小吉)にあった言葉。

 

病気のことは全く話題にあがらなかった1日。

 

心配性な妹達には伝えていないのかな?

 

後で母親に確認してみようと思う。


2014年1月3日(初詣)

2014年01月05日 01時01分25秒 | 親父

今日は初詣に行ってきた。

 

2014年、自分は39歳「前厄」ということもあり、必ずお参りには行こうと思っていたので願いが叶って嬉しい。

 

お参りの後に絵馬を買って願い事を書いた。思い返してみても絵馬など書いた記憶がない。

 

でも今回ばかりは絵馬で神頼みをさせてもらい「父の病気が悪化せず、気分良く楽しい1年でありますように」と書いた。「悪化せず」とか「1年で」ってところは正直なところ「父の病気が良くなり」と「ずっと続きますように」と書きたかったが、まぁ欲張ってはいけない。今の状態が少しでも続いてくれれば嬉しい限りである。

 

ちなみにうちの子供達も絵馬を書いて神様に願いを伝えた。「野きゅうをがんばって野きゅうせんしゅをめざしたい」。親父には(あまり気を使わせたくないので)自分の絵馬の事は伝えず、子供達の絵馬を写真に撮って伝えた。

 

 

その後、親父から「ドンドン稼げるといいですね」と返事がくる。


2014年1月2日(お墓参り)

2014年01月04日 21時22分47秒 | 親父

ずっと気がかりだったこと、それは「お墓参り」。

 

2013年はおそらく1回しか行かなかった。

 

こういった状況(親父が病気)になって「じゃあお墓参りへ行こう」と思うのだから全く人間というのはワガママであるとつくづく思う。

 

お墓にはすでに綺麗な新しいお花があった。

 

 

聞いたら自分の母親が年末に来ていたらしい。

 

自分のおじいちゃんが眠る場所。

 

久しぶりにお参りして「お願いします」なんて都合が良すぎるのでとくに親父の事については願わなかった。本当に純粋に「全然これなくてごめんなさい、今年もあたたかく見守ってください」とだけ伝えた。

 

子供達とお墓に水をかけて綺麗にして、買ったお花をあげ、線香をあげた。

 

ただそれだけだったが、ずっと心に引っかかっていた物が取れた気分で気持ちが良かった。人間というのは改めて都合の良いものだとつくづく感じた。


2013年12月30日(一時退院)

2014年01月04日 21時10分27秒 | 親父

母親から「お父さん今日午前中に退院です」とのメールあり。

 

「了解、ひとまず良かったね」とメールを返信して、今日の予定が無い事を妻に確認して、実家に親父の顔を見に行くことにした。

 

疲れているだろうから少しだけと思っていたが、親父が日本酒を出してきたのでお付き合い。これから何度こんな風に一緒に飲むことが出来るか。苦手な日本酒も少しだけ味わって感慨深く飲み込んだ。飲んでいくにつれ時間はたち、結局夜ごはんもいただいてしまった。

 

退院の様子は、親父は病院から(駅に用事があり)歩いて帰っていたが、駅からは疲れてタクシーを使ったとのこと。「昨日は久しぶりごはんを食べれたの?」と質問したが、「どうだったかな・・・」とだいぶ時間がかかって出てきた答えは「う~ん、覚えていない」との事。まだボケる時期ではないだろうに。入院や退院で疲れてもあるのだろうと感じた。あとはいつもどおり今の政治の事だったり、使っているパソコンの事だったりと、病気のことなどはいっさい話さず、のんびりな時間が過ごせた。

 

夜ごはんは近所の蕎麦屋さんで注文したが、親父は「野菜炒め+ごはん」を食べていた。半分くらい残したが、いつも「うどん」など食べやすいものを食べていらから、少しだけでも食欲が出るようになったかとその姿が嬉しかった。


2013年12月29日(退院延期)

2013年12月30日 20時33分52秒 | 親父

本当は12月29日に退院の予定だったが、再採血の結果があまり良くなく退院はもう1日延期となった。

 

この日はメールをした。

 

「今日は残念でしたね。まぁ焦らずに。」(孫の写真を付けて自分より)

 

「ありがとう」(親父より)

 

「でもお正月は(適量で)お酒も飲めそうですね。」(孫の写真を付けて自分より)

 

「自分に取っては、安定剤だからね」(親父より)

 

あまりたくさんはしゃべらない親父だが、メールでもあまりしゃべらなかった。

 


2013年12月28日(家族でお見舞いへ)

2013年12月30日 13時39分25秒 | 親父

採血の結果が良ければ昼ごはんから食事再開の予定だったが、まだお腹の中に細菌がいるらしく今日は見送りになってしまった。久しぶりに「食欲」があった親父だったからそれは残念だっただろう。

 

夕方に自分の家族を連れて病院にお見舞いに行った。

 

子供たちは久しぶりの痩せた姿のおじいちゃんに緊張したのか、それとも点滴姿に驚いたのかあまりしゃべらなかった。それでも親父は「この前カーズ(ピクサーの映画)がテレビでやってたね」と子供たちの好きな話題を話しかけてくれた。車やレース好きの親父も納得のレースシーンだったようだ(さすがピクサーだ)。

 

よく眠れるかと聞いたら「まぁ寝れてるよ」とのこと。ただ「早く寝るから早く起きちゃう」らしい。ベッドからは景色が良く東京スカイツリーや富士山まで見れるようだ。また「他の同室の人達はよく眠るよ」と呆れながら言っていた。

 

その後担当の先生と話しをすることが出来た。先生は経緯や病状を紙に絵を書きながら丁寧に教えてくれた。会う前に親父から「看護婦が言ってたけど、担当の先生は当たりだよ」と聞いていたが、確かに親父の事をよく考えてくれる良い先生だと思った。話しの方は、事前に親父から聞いていたから驚かなかったが、検査結果が悪い場合は余命半年、良い場合でも1年ということも覚悟して欲しいと言われた。

 

とりあえず検査結果が出るまでは退院して自宅に戻ることになる。お腹の細菌が無くなれば早くて明日にでも帰宅出来るらしい。酒とタバコが生きがいの親父なので「家に戻ってから酒とタバコは大丈夫でしょうか」と聞いてみる。先生は少し困った顔を見せるも「やめれるならそれに越したことはないが、それがストレスになるならば、適量なら構わない」との事。

 

おそらく親父の好きな事をさせてあげて欲しいということ。

 

つまり改めて病状は悪く「長くはない」と感じた。


2013年12月27日(久しぶり親父との会話)

2013年12月29日 20時08分57秒 | 親父

病院に向かう電車の中で思い出すのは自分が子供の頃の思い出。

 

親父が帰ってくるのは決まって20時だった。自分は親父が帰ってくるとすぐにそばについて、親父が夕食を食べている横で(当時飼っていた)猫とじゃれて遊んでいた。そしていつもそのまま一緒にお風呂に入った。お風呂では100まで数えるのが自分の役目だった。

 

いくつかの思い出を頭に浮かべていたら時々自然と涙が出た。つられて鼻水もすすったが、風邪の予防の為にしていたマスクのおかげで周りには風邪にごまかせたかな。それでも電車の中だったので涙がこぼれないよう我慢した。

 

「そういえば親父のキレた姿って見たこと無いな」、それに比べたら今の自分は「(子供の前で)イライラしたり、時にキレたりなんかして、やっぱり親父の人格には全然およばないな」。これからは親父を見習ってもう少し大人になろうと思った。

 

雨がパラパラと降っていたので、病院の最寄り駅からはタクシーを使った。

 

病院につくと面談申込の用紙を書いた。寒かったので上手く書けなかった。用紙を提出したら書いた患者名を指して「これ何て読むんですか?」と聞かれた。「賢(けん)です」。簡単な漢字だし、よっぽど字が汚かったんだと思う。

 

病室につくと部屋には4つのベッドがあった。入り口の紙を見たら左奥のベッドだ。

 

カーテンを開けると横になりながら点滴をしてる親父がいた。「おぅ、忙しいのにごめんな」が親父の一言目だった。「今日で仕事納めだし、全然大丈夫、それよりも大変だったね」が自分の一言目だった。10kg痩せたということもありだいぶ頬が痩けていた。

 

それから約1時間半くらい2人でしゃべった。

 

親父はこの入院が人生で初めての入院だったこと。たくさんの検査(MRIや内視鏡検査)などを初めてやったこと。今務めている郵便局が(年末年始)で忙しい時期なので心配だということ。今まで(体調が悪く)空腹感が無かったが今はとても食べたい気分ということ。大好きなタバコと酒が飲みたいということ。親父の親父(自分のおじいちゃん)も膵臓癌だったということ。。。

 

そして「お前の仕事はどうだ?」なんて心配してくる。今はそれどころじゃないだろうと思いながらも「転職してから気分的に楽になって、今は自分の好きなようにやってるよ」と答える。大変な状況なのに子供のことが心配なのかと感じる。

 

ついていたテレビでは年末ということもあり、「今年亡くなった有名人」の特集をやっていて気まずかった。そこで自分の好きな俳優「夏八木勲」さんが出ていたので、自分は「この俳優好きなんだよね、この人も今年亡くなったんだね」なんて言ったら、親父は「この人も膵臓癌だろう」って言ってさらに気まずかった。

 

でも久しぶりにたくさんしゃべれた。感じたのは「膵臓癌」という重い病気に「覚悟」をしているようだった。だからか涙なんかは無く、笑顔ばかりの時間だった。

 

「とにかく良い機会だから、ゆっくり休んで」。

 

本当に心からそう思ってその日はお別れした。


2013年12月27日(発見)

2013年12月28日 19時49分50秒 | 親父

「なんか昨日はうまく寝れなかったよ」

 

2013年12月27日、私はそんな風に妻に言って今年最後の仕事場へ向かった。仕事の途中に「今すぐ帰って横になりたいよ」などとメールもしたが、何とか無事に仕事を終えて帰りの電車を待っていた。

 

そんな時に母親からメールがきた。

 

母親からのメールはあまりない。だから嫌な予感がした。

 

「お父さんが調子悪く昨日から検査入院してます」

 

予感は的中。

 

すぐに母親に電話した。母親は先生からたくさんの事を言われたようで少しパニック状態だった。色々矢継ぎ早に母親から話しを聞いたが、まとめると病院に行った親父はたくさんの検査をして、たくさんの異常値が出たようだ。そして最後に先生から病名を言われた。

 

(母親のメモ、焦りが感じられる)

 

それは「膵臓癌」。

 

病院が大嫌いで風邪をひいても身体が少し痛くても病院へ行かなかった親父。その親父が自ら「病院へ行ってくる」と言って家を出て行った。

 

お腹が張っていて食欲は無く、1年間で体重は10kgも減っていた。それでも仕事に出ていたが、疲れが取れなくなり、腹痛も出てきて、最後は睡眠も上手くとれない状態だった。

 

検査をしたところ、とにかくたくさんの異常値が出た。そして即緊急入院となった。病院も行かない親父だから、64歳にして初めての入院となる。そしてMRIや内視鏡や採血など次から次へと検査をしたようだ。

 

詳細な検査結果と治療計画は来週となる。

 

親父は検査結果が出るまで(私には)内緒にしようとしていたらしい。実は自分も昨年「突発性難聴」を発症したこと、それが原因で転職したこと、実は親父に内緒にしていた。親子という関係は酒を飲んでたくさんの話しもするのだが、肝心な事は「心配させたくない」という思いが強くなり話せないのだ。

 

「やっぱり似てるんだよな」と思いながら、「昨日寝れなかったのは何か感じるものがあったのかな」なんて思いながら、自分は電車に乗って病院へ向かった。