今日は昨日に引き続き暖かい陽気となりました。こんな気持ちのいいお天気になったので、たまった洗濯物を一気に片付けてスッキリしました。
…とは言ったものの、いざ洗濯物を畳んでしまってしまうとその後何もすることが無くなってしまいました。なのでブログネタが何もありません。
こういう時にはどうするか…そう、昔の作曲家たちの力を借りるしかありません(他力本願かよ…)。
ということで、久しぶりに自筆譜シリーズをやってみることにしました。今回はピアノの詩人ショパンです。

フレデリック・ショパンは1810年にポーランドで生まれました。あまり健康な子どもではなかったようですが、それでも幼少期からピアノの才能を発揮し、将来を嘱望されるようになりました。
20歳の時にポーランドを出たショパンは、最初に『音楽の都』ウィーンに行きました。しかし、ベートーヴェンが他界していくらも経たない『音楽の都』は重厚な音楽が成りを潜め、軽快なワルツが跋扈するショパンの理想とは程遠い場所になっていました。
そのウィーンの状況に失望したショパンは『芸術の都』パリを目指しました。そこで精力的に作品を発表しましたが、その中にはポロネーズやマズルカといったポーランドの音楽がありました。
そんなショパンの自筆譜が

これです。

これです。
これはショパンの代表作のひとつである《英雄ポロネーズ》の冒頭部ですが、ピアノの詩人といわれる割には、所々荒っぽい筆致が見受けられます。かつて私も《ピアノ協奏曲第2番》の自筆譜を見る機会がありましたが、縦の小節線がグニャグニャだったり、書き直し部分がかなり激しくペンで塗りつぶされていたりと、これよりもっと凄まじい状況だったことを覚えています。
ショパンは1849年に39歳の若さで亡くなるまで、遂にポーランドに帰還することは叶いませんでした。今際の際に自身の曲を聴かせようとするとこれを拒み、
「もっと何か美しい音楽を…モーツァルトを…」
と言い残したといいますが、それでも彼の心の中には愛して止まないポーランドの景色が広がっていたに違いありません。
最近はポロネーズでもマズルカでも早めのテンポで軽快に演奏する向きもありますが、元来ポロネーズという舞曲は勇猛果敢なポーランド軍の兵士が戦意を鼓舞するために全身甲冑を身に着けて踊ったものですから、そんなに早いテンポの曲ではないはずです。特にポロネーズの1拍目にかなり重厚な低音が響くのは、正に全身甲冑で大地を踏みしめた兵士たちの息吹を表したものと言えるでしょう。
そんなわけで、今日は私がショパンのピアノ作品の中でもとりわけ好きな《英雄ポロネーズ》の動画を転載してみました。エフゲニー・キーシンのピアノ演奏でお楽しみください。