共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はフルトヴェングラーの誕生日〜因縁の交響詩《レ・プレリュード》

2022年01月25日 19時00分19秒 | 音楽
今日は昼前から低い雲の垂れ込める、寒い一日となりました。校庭で体育の授業をしていた子どもたちも

「寒い〜っ!( +﹏+)」

と大騒ぎしていました。

ところで今日1月25日はフルトヴェングラーの誕生日です。



ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)はドイツで活躍した指揮者で、ピアニスト、作曲家としても知られている20世紀の巨匠の一人です。

フルトヴェングラーについて、ここで改めて細かく解説する必要はないでしょう。フルトヴェングラーは戦前・戦中・戦後を通してベルリン・フィルやウィーン・フィルを始めとした様々なオーケストラを指揮し、録音も残しました。

一方で、ヒトラー率いるナチス政権に加担した疑いをかけられたこともありました。その原因のひとつとして、1933年にベルリン国立歌劇場でヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を指揮した際にヒトラーと握手をしている写真を撮られたことが挙げられています。

実際のフルトヴェングラーはナチス政権に加担するどころか、むしろ1934年にはナチス政権と対立してベルリン・フィルやベルリン国立歌劇場の音楽監督の職を辞任したり、1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合した際にウィーン・フィルが解散させられそうになったのを阻止したり、1939年に第二次世界大戦が勃発した際にドイツに残って国内にいたユダヤ人の音楽家たちを庇護したりしていました。

それに対してナチス側も、フルトヴェングラーがニューヨーク・フィルの音楽監督なるのを妨害したり、終いにはフルトヴェングラーに対してナチスの高官が逮捕命令を出したりしていました。それを察知したフルトヴェングラーは、1945年2月にウィーン・フィルの演奏会に出演した直後にスイスへと亡命することになります。

それでも戦後はナチス政権への協力を疑われて、1945年から1947年に『非ナチ化』裁判の無罪判決を得るまでの期間、全ての演奏活動を禁じられてしまいます。また、1948年にはシカゴ交響楽団の常任指揮者の就任を要請されましたが、ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツやヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツといったユダヤ系音楽家たちから猛抗議を受けてしまい、破談にさせられたりもしていました。



そんなフルトヴェングラーとナチスとの関係性でよく取り上げられることの一つに、リストの作曲した交響詩《レ・プレリュード》の演奏があります。このリストの交響詩はヒトラーが好んでいたこともあって戦中はかなりの頻度で演奏されていたといわれていて、それと関連してフルトヴェングラーとナチスとの関係の密接さを連想させたことが、更なる不運を招いたともいわれています。

ですが、ナチスはともかく、音楽や芸術家が人殺しをしたわけではありません。それなのに印象だけで音楽作品や指揮者を糾弾するということは、戦勝国の一存で国際法上禁止されているはずの事後法を駆使して強行された東京裁判と同じくらいの愚行と言わざるを得ません。

そんなわけでフルトヴェングラーの誕生日である今日は、不運な組み合わせとなってしまったリストの交響詩《レ・プレリュード》の演奏動画を転載してみました。1954年に録音された、フルトヴェングラーが守ったウィーン・フィルとの演奏でお楽しみください。



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