クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
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『 ヨーロッパの彫刻家が求めた前衛を、円空はたった一人でやっている 』 と野村教授は熱く語ります

2012年10月23日 15時28分20秒 | 円空さん
10月20日の土曜日に、関市立図書館が主催する <きままに関学 ~その5~> 「 円空のアート力 -伝統と前衛- 」 を聴いてきました。
講師は、西洋美術史専門の岐阜大学教授の野村幸弘さんです。

“ ヨーロッパ美術から円空をみたら、どう見えるか ” が、野村さんの講座の着眼点です。

円空仏の様式変遷について、丸山尚一さん、谷口順三さん、ドナルド・F・マッカラムさん、本間正義さん、棚橋一晃さん、梅原猛さんら先人の説を紹介しながら、遊行・逗留場所による様式の移り変わりに着目された野村説を説明されます。

それによると次の5つの時期に分けられるとのことです。

第一期 岐阜・美並時代 (1663~1666年)
第二期 東北・北海道時代 (1666~1668年)
第三期 尾張・志摩時代 (1669~1680年)
第四期 関東時代 (1680~1685年)
第五期 飛騨・関時代 (1686~1695年)

そして、、第一期、二期が “ 伝統 ”、第三期以降が “ 前衛 ” であると大きく区分けされます。

『 円空は、未完成の美を日本で最初に発見した人であり、ミケランジェロの先を行った人である。 』 と野村さんは語ります。

円空より150年ほど前に生まれたミケランジェロ。
彼が始めた「囚われ人(アトランテ)」に代表される未完成の美学。
ミケランジェロは、大理石の割れた面を見て人物が見えた。
人のイマジネーションを誘発する少しの彫りにより、彼の作品を完成した。

一方、円空は木を見て仏が見えた。
鉈で割って、木目を見て、彫ったのは一部。
これほど最小限しか彫らない彫刻家は円空しかいない。

彫ることの省略は、どこまでが可能か。
どこまで、剥いでいったら仏像にまだ見えるのか。

円空はどこまで美学的にやったのかは分からない。
がしかし、円空は美学的追求を理解していた人。

更に野村さんは熱く語ります。
『 ヨーロッパの彫刻家、画家が求めた前衛を、円空は17世紀にたった一人でやっている。 』 と。

ドーミエ(フランス、1808-1879年)、メダルド・ロッソ(イタリア、1858~1928年)、ブランクーシ(ルーマニア、1876~1957)、ピカソ(スペイン、1881~1973年)、ポールナッシュ(イギリス、1889-1946)、ジャコメッティ(スイス、1901-1966)、アントニー・ゴームリー(イギリス、1950-)の前衛作品として名高い彫刻と、円空仏の歓喜天、大黒天、千体仏などを一作品ごとに対比させ、円空の先進性、先見性を語ります。

ところで、ヨーロッパでの円空の評価は、まだ一部だそうです。
円空の優れた芸術性は、関市、羽島市など円空にゆかりが深い地域の人たちが中心になって、声を大にして全世界に情報を発信すべきであるとして、野村さんの講座は締めくくられました。

野村さんの円空のアート力についてのお話は痛快であり、また、円空の評価は、まずは日本が行い、日本が全世界に発信すべきとの野村さんのお考えに感銘を受けました。

( 本記事は、野村教授のお話をもとに、私のメモ、記憶をたよりにまとめたものです。教授のお話の趣旨に合わないところがあれば、私の不徳のいたすところです )

( 写真は、飛騨千光寺の両面宿儺です。 1686年の作といわれますから、野村さんの分類によれば第五期、 “ 前衛 ” にあたります )

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