クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
歩いて、自転車に乗って感じたことを、気ままに書き続けます。

軽妙なトークでスイス生れの彫刻家ジャコメッティを語る清須市立はるひ美術館館長の高北幸矢さん

2014年06月15日 13時29分40秒 | 美術展
『 造る時に見るのはモデル。 』
『 モデルは、だいたいが男性で、女性には興味無し。 』
『 かといって、同性愛者ではない。 』

軽妙なトークで20世紀を代表するスイス生れの彫刻家ジャコメッティを語るのは、清須市立はるひ美術館館長の高北幸矢さんです。
高北さんは濃いグレーの山高帽子をかむり、帽子の巻きの部分は白、灰、黄、灰、赤の渋い5層色、かっこいいですね。

さて、昨日聴いた「線の彫刻家ジャコメッティ、限界の造形・精神性。」と題する館長トーク。
ジャコメッティは修行僧のようであり、アトリエから出たことが無いとは、興味津々です。

高北さんは、ジャコメッティの作品を更に評します。
 押しつけがましくない。
 無言。
 飽きない。
 味わい深い。
 肉体をそぎ落とした。
 精神性。
 禅の世界に通じる。

モデルになったのは弟、そして日本人の哲学者で17歳年下の矢内原伊作がほとんどだといいます。

アーティストは自分をモチーフにすることが多い。
岸田劉生が娘麗子を繰り返し描いたのも、自分に似ているからではないかと高北さんは続けます。
人間の顔を描くと自然と自分に似る、なぜならば自分の顔が一番想像しやすいから。
そういった意味で、弟は当然ながらジャコメッティに似てるであろうし、矢内原もジャコメッティに似た彫りの深い顔立ち。

ジャコメッティは、モデルの心を見て、モデルの心から感じるもの、ひいてはモデルの魂を表す。
ジャコメッティの作品には、表情に存在感があり、作品を見る角度によって存在感の在り方が変わる。

ジャコメッティは、時として、顔を風景のように見ていた。
目は湖であり、鼻は山となる。
ジャコメッティの興味の中心には顔があり、顔こそが不思議な、難しい、そして面白く、やりがいがある創造物である。

ところで、2つ見せていただいた妻アネットをモデルにした彫塑は、分かりやすい別嬪さんに造っていたのは、たまたまその作品がそうだったのか、あるいは妻が怖いからなのかな。
とにもかくにも、スイス紙幣には、ジャコメッティの作品と肖像が刷り込まれているといいますから国民的英雄なんですね。

昨日は、高北さんのお話でジャコメッティの基礎を楽しく理解できました。
ありがとうございました。
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人の生きる力をまざまざと感じることができた夫馬勲さんのトークと写真

2014年06月15日 09時35分45秒 | 写真
目がきらきらと輝いて、きれいですね。
いくつになられても、写真家夫馬勲さんのまっすぐに前を向くけれんみがない表情は印象的です。
今から40年以上も前、写真部の部展を見に来ていただいた時と、同じ目です。
まぁ、お体全体は当時に比べふっくらとしていますが。

さて、 「 アジアを旅して 」 が昨日の講演テーマ。
いちのみや大学で、写真をスライド投影されながらのお話です。

25、26歳のまだアマチュアだった頃に、写真を本格的にやりたいと思い、それ以来、アジア各地に入り込んで撮影をしてきたこと。
まだ国交のない中国、そしてインド、ミャンマー、アフガニスタン、カンボジア、ベトナム、インドネシア......。

『 写真が写したいがために海外へ行った。 』
『 なぜ写すのか。それは記録をしたいから。 』
ドキュメンタリストとして、そして人間夫馬勲として血が騒いだのでしょうね。

中国では、奥地の村の入り口で現地の若者から大きなお皿に入った強いアルコールを飲まされ歓待を受けたこと。
この時、客は手を使ってはいけないといいますから、酒好きにはたまらないでしょうが、飲めない人は大変です。
村中の人が出てきて踊って歓迎し、子供たちの学校も休みだと言いますから、嬉しいことですね。

小型バスでの移動では、公安2人も同乗し、行動を見張られること。
でも現地の会場で撮った写真の展覧会をしたら、好意的に変わり、現地のトップからも歓待を受けたこと。

中国奥地では、成年男子が1人で子守りする姿をよく見かけたといいますから、女性は働きに行ってるのかな。

インドでは大きな木、岩、山があるところは聖地としてあがめられ、特に川の合流点では聖地の格もあがること。
宿は、100円からあるが、300~500円であれば辛抱できる範囲の環境とか。

木の繊維で作られた歯ブラシで歯をみがく女性や、鼻の穴に通した大きな円形のピアスを紐でひっぱり耳で固定している女性。
路傍でおっぱいを乳飲み児にあげてる女性。
ラクダの糞を頭の上の篭にいっぱい入れてたたずむ女性。
行き倒れとなった祖父を前にして道端でしゃがみこむ坊や。

現地で生活する人々の生々しい姿が次から次へとスクリーンに映し出されます。

人を撮る時、 『 望遠で、いきなり切りこんで撮ってます。 』
『 カメラを持って、うろちょろしてるので、相手も撮影するなと分かってるようです。 』
時には、片言の言葉をジェスチャー混じりで交わし、撮影の意味づけを強めることもあるそうです。

多くの老若男女が、自然と祈りと生活に同化している様が活き活きと撮られた写真。
子供たちの澄んだ目。
老人の敬虔な眼差し。
女性のたくましさ。
1時間半のトークとともに、人の生きる力をまざまざと感じることができました。
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