クロスバイクで元気

念願叶った定年退職の身は、先立つ物は細く時間は太くの狭間。
歩いて、自転車に乗って感じたことを、気ままに書き続けます。

『 フェルメールが描く絵画は、見る人がいて絵画が成立する。そこには詩的世界のドラマ性がある。 』

2014年02月25日 20時20分46秒 | 美術展
『 現代では当たり前な “ 美術は作家の自己主張である ” という先入観を捨てる必要がある。 』
『 時代や場所により、絵がもつ社会的使命は様々である。 』
『 人間の普遍的真理を縦軸にして、歴史的想像力、文学的 ( 詩的 ) 想像力が絵画を読み解く道である。 』

『 背景の無い ( 背景が黒い ) 肖像画は、現実の姿でない心の中で描いた姿である。 』
『 フェルメールが描いた絵画は、見る人がいて絵画が成立する。そこには詩的世界のドラマ性がある。 』
『 「 真珠の耳飾りの少女 ( 青いターバンの少女 ) 」 は、決して視線を合わせてくれない、いつまでも思い焦がれる初恋の少女を描いたものである。 』

『 フェルメールの 「 真珠の首飾り 」 は、愛しの彼が航海先から贈ってくれた真珠の首飾りを身につけて、壁に飾ってある彼の肖像画に話しかけているのであり、 「 手紙を書く女 」 は、愛しの彼へのお礼の手紙を書いているシーンである。 』

『 私のこれらの説は、恣意的であり、直観的であるが、いつしか私の確信となる。 』

一昨日の日曜日、一宮市三岸節子記念美術館で開催された「美術の学校」で、愛知県立芸術大学准教授の高梨光正さんのお話を聞いてきました。
その軽妙な語り口が発する物語、理論は、絵画を楽しむ妙薬なんでしょうね。

円空さんと生まれ年が1632年で一緒のフェルメール。
2人の残したものは、いずれも神秘に包まれています。

( 本記事は、高梨さんのお話をもとに、私のメモ、記憶をたよりにまとめたものです。高梨さんのお話の趣旨に合わないところがあれば、私の不徳のいたすところです。 )
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