土曜日の喫茶店で愛読&愛観してるのが 「 管見妄語 」 、週刊新潮の連載です。
数学者藤原正彦さんのピリリとした気合の入った文章と、写真家田中和義さんの遠く懐かしい眼差しを感じる白黒写真が、なんともいえぬ風合いで並べられています。
さて、昨日の土曜日、ふと感じたこと。
いつもいい写真だと思っている田中和義さんの白黒写真の秘密が分かったのです。
その秘密とは、空気が写っているのです、田中和義さんの白黒写真には。
私はこの2ヶ年半、円空さんが造顕した仏さまにお参りし、写真を撮らせていただいています。
300年以上も経った今でも、円空さんの鑿を打つ思いと、その仏さまを代々守ってみえた人々と、そしてその仏さまに様々な願いをかけた人々の気を感じながらシャッターを切るのですが、できあがった写真からは、残念ながら “ 気 ” が写り込んでいません。
なぜだろうかといろいろ考えたきたのですが、答が分かりました。
それは仏さまが発する気、目に見えるものとしては仏さまの周りの空気。
その空気を写しとめていないから、その仏さまに入り込んだ “ 気 ” が写らないのです。
さて、ここからですが、では、透明な空気を写すにはどうしたらいいんでしょう。
透明では写真に写しようがありません。
ここは原点に戻って、田中和義さんがどのようにして空気を撮っているのか、彼の写真を よぉ~く観てみる必要がありそうです。
数学者藤原正彦さんのピリリとした気合の入った文章と、写真家田中和義さんの遠く懐かしい眼差しを感じる白黒写真が、なんともいえぬ風合いで並べられています。
さて、昨日の土曜日、ふと感じたこと。
いつもいい写真だと思っている田中和義さんの白黒写真の秘密が分かったのです。
その秘密とは、空気が写っているのです、田中和義さんの白黒写真には。
私はこの2ヶ年半、円空さんが造顕した仏さまにお参りし、写真を撮らせていただいています。
300年以上も経った今でも、円空さんの鑿を打つ思いと、その仏さまを代々守ってみえた人々と、そしてその仏さまに様々な願いをかけた人々の気を感じながらシャッターを切るのですが、できあがった写真からは、残念ながら “ 気 ” が写り込んでいません。
なぜだろうかといろいろ考えたきたのですが、答が分かりました。
それは仏さまが発する気、目に見えるものとしては仏さまの周りの空気。
その空気を写しとめていないから、その仏さまに入り込んだ “ 気 ” が写らないのです。
さて、ここからですが、では、透明な空気を写すにはどうしたらいいんでしょう。
透明では写真に写しようがありません。
ここは原点に戻って、田中和義さんがどのようにして空気を撮っているのか、彼の写真を よぉ~く観てみる必要がありそうです。